第八十九話 営業課長、商人の反撃を受ける
王都から北部へ続く古い街道。
崩れた橋の前では、朝から大勢の人間が作業をしていた。
「そっちの石、もう少し右!」
「分かった!」
「荷馬車が通るから、道幅をもう少し広げてくれ!」
レオンの領地から集められた人員と、商人ギルドから派遣された作業員たちが協力し、仮設の渡河地点を作っている。
アルトは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「順調そうね。」
隣に立つエリシアが言う。
「うん。」
「本当にこれで荷馬車が通れるの?」
「試してみないと分からないけど、計算上は大丈夫。」
「計算上……。」
エリシアが苦笑する。
「あなた、八歳よね?」
「そうだけど?」
「時々、本当に八歳なのか分からなくなるわ。」
「よく言われます。」
アルトは笑った。
その時だった。
「アルト!」
遠くからマルクが走ってくる。
「どうしたんですか?」
「商人ギルドに問題が起きた。」
「問題?」
マルクは息を整える。
「北部の大手商会が、今回の物流計画から離脱すると言っている。」
「理由は?」
「新しい物流網ができると、今まで使っていた街道の運送契約が減るからだ。」
「……。」
アルトは少し考えた。
「それだけですか?」
「いや。」
マルクの表情が曇る。
「彼らは、他の商人にも協力しないよう呼びかけている。」
エリシアが眉を寄せる。
「それは困るわね。」
「かなりの影響力を持つ商会です。」
マルクが続ける。
「北部の小麦の流通量の三割近くを扱っている。」
「三割……。」
アルトは腕を組んだ。
確かに無視できない。
しかし――。
「その商会の代表と話せますか?」
「今からなら。」
「お願いします。」
王都へ戻ると、商人ギルドの応接室に一人の男が待っていた。
五十代ほど。
立派な服を着ている。
胸元には大きな商会の紋章。
「アルト君か。」
「はい。」
「私はバルド商会の会頭、ガルマンだ。」
「よろしくお願いします。」
アルトが頭を下げる。
ガルマンはアルトをじっと見つめた。
「君が今回の物流改革を考えたそうだな。」
「はい。」
「率直に言おう。」
ガルマンは椅子に深く腰を下ろした。
「私は反対だ。」
「理由を聞いても?」
「簡単な話だ。」
ガルマンは指を一本立てる。
「我々は長年、北部と王都を結ぶ街道を使って商売をしてきた。」
「はい。」
「そこへ新しい物流網を作れば、今までの運送契約が減る。」
「なるほど。」
「我々には従業員も荷馬車もある。」
「仕事が減れば、当然困る。」
アルトは黙って聞いていた。
「だから私は、新しい物流網への協力を断る。」
「分かりました。」
ガルマンが少し意外そうな顔をする。
「それだけか?」
「はい。」
「説得しないのか?」
「説得しても意味がないと思います。」
「何?」
アルトは笑った。
「ガルマンさんが困る理由は分かっています。」
「ならば――。」
「だから、困らない仕組みにすればいい。」
ガルマンは黙った。
「具体的には?」
「バルド商会にも新しい物流網へ参加してもらいます。」
「断ると言ったはずだ。」
「はい。」
「聞いていたのか?」
「もちろん。」
アルトは一枚の紙を机へ置いた。
「これは?」
「新しい運送契約の案です。」
ガルマンが目を通す。
「……。」
「北部から王都へ小麦を運ぶ。」
「帰りに王都の商品を北部へ運ぶ。」
「そして、途中の中継地点で他の商会の商品も扱う。」
ガルマンが顔を上げる。
「つまり?」
「バルド商会には、物流網の中心になってもらいます。」
「……。」
「今まで小麦を運んでいた荷馬車を、そのまま新しい物流網で使ってもらう。」
「ただし、帰り荷も扱う。」
ガルマンは再び書類を見る。
「仕事が減るどころか……。」
「増える可能性があります。」
「しかし、他の商会の商品も運ぶことになる。」
「はい。」
「それでは我々の取り分が減る。」
「だから手数料を設定します。」
アルトはもう一枚の紙を出した。
「荷物を集める商会。」
「運ぶ商会。」
「中継する商会。」
「それぞれに利益が出るようにします。」
ガルマンの目が細くなる。
「……お前は商人ではないのか?」
「商人ではありません。」
「なら何だ?」
アルトは少し考えてから答えた。
「営業です。」
「営業?」
「人と人の間にある問題を、利益が出る形で解決する仕事です。」
ガルマンはしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「面白いことを言う。」
「ありがとうございます。」
「だが、一つ聞きたい。」
「はい。」
「本当に、この仕組みで儲かるのか?」
「それを今から一緒に計算しましょう。」
「一緒に?」
「はい。」
アルトは机の上に紙を広げた。
「まず、今までの片道輸送の利益を出します。」
「次に、帰り荷を積んだ場合の利益。」
「最後に、中継地点を使った場合の費用。」
数字を書き込んでいく。
ガルマンも途中から計算に参加した。
「待て。」
「はい?」
「この場合、空荷で戻る必要がなくなる。」
「そうです。」
「それなら……。」
ガルマンが計算を続ける。
「一往復あたりの利益が、今より二割ほど増える。」
「その計算で合っています。」
「しかも、北部側の商品を王都へ運ぶ仕事まで増える。」
「はい。」
ガルマンは紙を見つめた。
そして――。
「……なるほど。」
小さく呟いた。
「俺は、新しい物流網が既存の商売を奪うと思っていた。」
「でも違った。」
「既存の商売を使って、もっと大きな商売に変える。」
「その通りです。」
アルトは笑った。
ガルマンは椅子から立ち上がった。
「分かった。」
「では――。」
「協力しよう。」
マルクがほっとしたように息を吐く。
「ありがとうございます。」
アルトが頭を下げる。
だが、ガルマンはすぐに続けた。
「ただし、条件がある。」
「何でしょう?」
「俺たちだけではない。」
ガルマンはアルトを見る。
「他の商会にも同じだけ利益が出るようにしろ。」
「……。」
「一部の商会だけ儲かれば、また揉める。」
アルトの顔に笑みが浮かんだ。
「もちろんです。」
「それなら俺も協力する。」
こうして最大の反対勢力だったバルド商会が、物流改革の協力者となった。
しかし――。
問題は一つ解決しただけだった。
その日の夕方。
アルトが商人ギルドを出ようとした時、マルクが呼び止めた。
「アルト君。」
「はい?」
「実は、もう一つ報告がある。」
「何ですか?」
「北部から新しい情報が入った。」
マルクは声を落とす。
「街道を封鎖している土砂崩れだが……。」
「はい。」
「どうやら自然災害だけではない可能性がある。」
アルトの表情が変わった。
「人為的なものかもしれない。」
「……。」
「まだ確証はない。」
「ただ、現地の商人から妙な話が出ている。」
アルトは黙って聞いていた。
「土砂崩れが起きる前日に、街道付近で不審な男たちが目撃されていたそうだ。」
アルトは腕を組む。
(もし本当に誰かが……。)
物流改革を止めるために街道を塞いだのだとしたら。
今回の問題は、単なる商売上の対立ではなくなる。
「マルクさん。」
「何だ?」
「調べましょう。」
アルトは静かに言った。
「誰が何のために街道を塞いだのか。」
営業の問題なら、交渉で解決できる。
しかし――。
誰かが意図的に物流を止めているのなら。
それは、もう商談だけでは解決できない問題だった。
王国の物流改革を巡る戦いは、静かに別の段階へ入り始めていた。
営業メモ⑧⑦
「反対する相手を『敵』と決めつけない。相手が反対する理由を理解すれば、そこには必ず交渉の入口がある。『相手の利益を守りながら、自分の目的も達成する』――それが本当のWin-Winである。」
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次回予告 第九十話「営業課長、街道封鎖の裏側を探る」
物流改革に反対していた商人たちは、アルトの提案によって次々と協力者へ変わっていく。
しかし、街道封鎖には別の影があった。
自然災害ではない可能性。
そして北部から届いた一枚の報告書に、アルトはある「不自然な数字」を見つける。
「これ……偶然じゃない。」
物流改革を狙う者の正体が、少しずつ浮かび上がる――。




