第九話 営業課長、人生初のお客様です
レインハルト家の屋敷は、朝から少しだけ慌ただしかった。
「隊長、本日はお世話になります!」
若い騎士が玄関で深々と頭を下げる。
父・レオンが豪快に笑った。
「そんなに緊張するな!」
「今日はただの食事会だ!」
(食事会……。)
アルトはエマに抱っこされながら、新しくやって来た騎士をじっと見つめた。
年齢は二十代前半くらい。
真面目そうな顔。
姿勢も良い。
だが――
(疲れてる。)
周囲を包む赤い魔力は、ところどころ色が薄く、細かく揺れていた。
まるで、今にも切れそうな糸のように。
(寝不足かな。)
(それとも仕事か。)
営業時代にも、こんな部下がいた。
「大丈夫です。」
「まだ頑張れます。」
そう笑って、限界まで無理をする人。
アルトは少しだけ胸が痛んだ。
◇ ◇ ◇
応接室では、レオンと若い騎士が話をしていた。
「最近どうだ?」
「実は……。」
騎士は苦笑いを浮かべる。
「副隊長になってから、覚えることが増えまして。」
「書類も訓練も部下の指導も……。」
「失敗ばかりです。」
レオンは腕を組み、大きく笑った。
「失敗しない副隊長なんていない!」
「安心しろ!」
(励まし方は豪快だなぁ。)
アルトは心の中で苦笑する。
でも、レオンらしい。
◇ ◇ ◇
「アルト様、こちらへどうぞ。」
エマに抱かれたアルトは、応接室へ入る。
「おお!」
「隊長のご子息ですか!」
若い騎士の表情が一気に緩んだ。
「抱っこしても?」
「もちろん!」
(営業開始。)
アルトは心の中で姿勢を正す。
営業課長として、お客様対応は基本である。
……いや。
今は赤ちゃんだ。
営業スマイルではなく、赤ちゃんスマイルが正解だろう。
「にこっ。」
「か、可愛い……。」
騎士は一瞬で陥落した。
(契約成立。)
◇ ◇ ◇
騎士の腕の中は、少しだけ震えていた。
(やっぱり疲れてる。)
アルトは自然と、その人の頬へ小さな手を伸ばした。
ぺちっ。
「あ……。」
その瞬間だった。
騎士の周囲で揺れていた赤い光が、ふっと穏やかになる。
まるで、乱れていた水面が静まるように。
(まただ。)
前にもあった。
父に触れた時と同じ感覚。
アルトの白い魔力が、ほんの少しだけ相手へ流れていく。
しかし、本人にはその自覚がない。
「あれ?」
騎士が目を瞬かせる。
「どうした?」
レオンが尋ねる。
「いえ……。」
騎士は不思議そうに肩を回した。
「さっきまで重かった肩が、少し楽になった気がして。」
「はっはっは!」
レオンは大笑いする。
「アルトは癒やしの天才だからな!」
「きっと疲れを吸い取ってくれたんだ!」
(いやいや、お父さん。)
(そんなファンタジーみたいな……。)
アルトは心の中でツッコミを入れた。
だが、誰よりも驚いているのはアルト自身だった。
(偶然……じゃない?)
二度目だ。
二回続いた。
営業課長の経験が告げる。
一回は偶然。
二回は気になる。
◇ ◇ ◇
昼食の時間。
騎士は、来た時とは別人のように明るい表情で笑っていた。
「隊長!」
「午後の訓練も頑張れそうです!」
「それでいい!」
レオンも嬉しそうに頷く。
セシリアはアルトを優しく抱き上げた。
「アルトは人を笑顔にするのが好きなのね。」
「本当に優しい子。」
(いや……。)
(俺は何も……。)
言いかけて、やめた。
赤ちゃんの口から出るのは、
「ばぶ。」
だけだった。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
アルトはベッドの中で今日の出来事を整理していた。
父。
若い騎士。
二人とも、触れた後に魔力の揺れが落ち着いた。
偶然では説明しにくい。
しかし、まだ結論は出せない。
(検証が足りない。)
営業でも、二件のデータだけで判断する人は失敗する。
最低でも、あと何人かは見てみたい。
焦るな。
思い込みは禁物だ。
その時だった。
寝室の扉が静かに開く。
レオンが、眠るアルトの顔を見て微笑んだ。
「今日も人気者だったな。」
「ええ。」
セシリアも微笑む。
「きっと、人を安心させる力があるのね。」
アルトは薄く目を閉じたまま、小さく笑う。
(安心させる力、か。)
(それなら営業課長としては、ちょっと嬉しいな。)
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営業メモ⑧
『相手の話を聞き、相手を安心させる。それだけで、人は前を向ける。』
営業とは、商品を売る仕事じゃない。
「この人なら大丈夫」と思ってもらう仕事だ。
その本質は、異世界でも変わらない。
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次回――「初めてのお出かけ。営業課長、市場調査に出発します。」




