第十話 営業課長、市場調査へ行く
「アルト。」
「今日は一緒に街へ行こう。」
朝食の席で、レオンが嬉しそうに言った。
「王都へですか?」
セシリアが少し驚く。
「ああ。」
「休日くらい家族で出掛けてもいいだろう。」
(おっ。)
アルトの心が躍る。
(ついに屋敷の外か。)
営業課長時代。
新しい土地へ行くたび、まず歩いて街を見て回った。
コンビニの場所。
人通り。
飲食店。
住宅街。
街を歩けば、その土地のことが分かる。
(異世界初の市場調査だ。)
◇ ◇ ◇
馬車に揺られること三十分。
窓の外には石造りの街並みが広がっていた。
高い城壁。
露店。
パン屋。
鍛冶屋。
果物を売る商人。
子どもたちが元気に走り回っている。
(いい街だ。)
活気がある。
人々の表情も明るい。
「アルト様、初めての街ですね。」
エマが笑う。
アルトは夢中で辺りを見回した。
(情報量が多い……。)
すると、ふわりと甘い香りが漂ってくる。
焼きたてのパンだ。
ぐぅぅぅ……。
(しまった。)
赤ちゃんのお腹が正直すぎる。
「ふふ。」
セシリアが笑った。
「いい匂いが分かるのね。」
(違うんです。)
(朝ご飯から二時間経ってます。)
◇ ◇ ◇
市場は大賑わいだった。
「いらっしゃい!」
「今日は新鮮な野菜だよ!」
「焼きたての肉串!」
商人たちの元気な声が飛び交う。
(懐かしいな。)
前世でも、活気のある商店街を歩くのは好きだった。
ふと、一人の八百屋が目に入る。
笑顔で接客している店。
お客が途切れない。
その隣には、無愛想な店主。
野菜は同じくらい新鮮なのに、お客は少ない。
(なるほど。)
商品だけじゃない。
人が人を選ぶ。
営業の基本は、この世界でも変わらない。
◇ ◇ ◇
その時だった。
「きゃっ!」
小さな女の子が転んだ。
手に持っていたリンゴが転がっていく。
「あっ……。」
女の子は泣きそうな顔でリンゴを追いかける。
しかし、人混みで拾えない。
アルトは思わず手を伸ばした。
(あっちだ!)
もちろん届かない。
赤ちゃんの腕では無理だ。
「ばっ!」
アルトは必死に指をさす。
「ん?」
レオンがその先を見る。
「ああ。」
すぐに状況を理解すると、人混みをかき分けてリンゴを拾い上げた。
「ほら。」
「ありがとう、おじちゃん!」
女の子は満面の笑みで頭を下げる。
レオンは照れくさそうに頭をかいた。
「気を付けるんだぞ。」
女の子は元気よく駆けていく。
(さすが、お父さん。)
自分なら営業スマイルで終わるところだ。
レオンは自然に体が動いていた。
◇ ◇ ◇
「レオン隊長!」
市場を歩いていると、あちこちから声が掛かる。
パン屋の主人。
鍛冶屋の親方。
露店のおばあさん。
みんな笑顔だ。
(人望があるんだな。)
強いだけじゃない。
困っている人を助けてきたから、こんなにも慕われている。
アルトは少し誇らしくなった。
(俺のお父さん、かっこいいじゃないか。)
◇ ◇ ◇
帰り道。
馬車の中でアルトは眠そうに目をこする。
初めて見る景色。
初めて聞く声。
初めての街。
情報が多すぎて、頭がいっぱいだった。
「疲れたのね。」
セシリアが優しく抱きしめる。
その温もりに安心した瞬間。
ぐぅぅぅ……。
またお腹が鳴った。
「ふふふ。」
「今日はよく動いたものね。」
(違う。)
(市場調査は体力を使うんです。)
アルトは心の中で言い訳をする。
だが次の瞬間。
お腹より先に眠気が勝った。
こくん。
こくん。
そのままセシリアの腕の中で眠ってしまう。
「寝ちゃった。」
「今日は楽しかったんだろうな。」
レオンが優しく笑う。
馬車は夕日に照らされながら、ゆっくりと屋敷へ帰っていった。
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営業メモ⑨
『商品が売れる理由は、商品だけじゃない。人が信頼されるから選ばれる。』
パンも野菜も剣も同じ。
最後に選ばれるのは、「この人から買いたい」と思ってもらえる人だ。
異世界でも、その本質は変わらなかった。
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次回予告
第十一話「営業課長、初めての友達。」
市場で出会った一人の少年。
その出会いが、アルトの世界を少しずつ広げていくことになる――。




