第十一話 営業課長、人生初の友達ができる
朝露をまとった庭の芝生が、朝日に照らされてきらきらと輝いていた。
レインハルト家の屋敷では、小鳥のさえずりが一日の始まりを知らせている。
窓から吹き込む爽やかな風が、白いカーテンをゆっくりと揺らした。
アルトはベビーベッドの中で大きく伸びをする。
(今日もいい天気だな。)
前世では、この時間には満員電車へ飛び乗る準備をしていた。
「今日の数字はどうだ」
「午後は取引先へ訪問」
「月末までにあと何件契約を取る」
そんな毎日だった。
だが今は違う。
窓の外には青空が広がり、鳥たちが自由に飛び回っている。
(こういう朝も悪くない。)
「アルト様、お着替えしましょうね。」
エマが優しく抱き上げる。
アルトは素直に身を任せた。
最近気づいたことがある。
赤ちゃんは、自分で着替えるより抱っこされた方が圧倒的に楽だ。
(文明って素晴らしい。)
いや、文明なのかどうかは分からないが。
◇ ◇ ◇
朝食を終えると、レオンが嬉しそうな顔で部屋へ入ってきた。
「アルト。」
「今日はまた街へ行くぞ。」
(また市場調査!)
アルトのテンションが一気に上がる。
「昨日、市場でパン屋の主人から聞いたんだ。」
「近くの広場に子どもたちが集まるらしい。」
「せっかくだから見に行こう。」
「いいですね。」
セシリアも微笑んだ。
こうして一家は再び王都へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
王都は今日も活気にあふれていた。
石畳には朝からたくさんの人が行き交い、露店からは焼き菓子の甘い香りや、香辛料の刺激的な香りが漂ってくる。
大道芸人の周りには子どもたちの歓声が響き、吟遊詩人が奏でる優しい音色が風に乗って流れていた。
アルトは目を丸くする。
(昨日も思ったけど……。)
(この街、生きてるな。)
前世の営業でも、人の集まる場所には必ず理由があった。
繁盛する店。
笑顔の多い通り。
人が自然と足を止める場所。
どれも偶然ではない。
(面白い。)
そんなことを考えていると、一行は小さな広場へたどり着いた。
そこでは十人ほどの子どもたちが元気に走り回っている。
木の枝を剣に見立てて戦う子。
縄跳びをする女の子。
木陰で絵本を読む兄妹。
笑い声が絶えない。
その光景を眺めていると、一人の少年がアルトたちへ近づいてきた。
年齢は六歳くらいだろうか。
少し日に焼けた肌に、大きな茶色の瞳。
服は何度も繕った跡があり、決して裕福ではないことが分かる。
それでも、その笑顔は太陽のように明るかった。
「こんにちは!」
「赤ちゃんだ!」
少年は目を輝かせた。
「触ってもいいですか?」
レオンは笑って頷く。
「優しくならな。」
「はい!」
少年は恐る恐るアルトへ近づく。
アルトもその顔を見つめた。
(人懐っこい子だな。)
そして、いつものように魔力を見る。
すると――
(あれ?)
少年の魔力は、今まで見たことがない色だった。
淡い黄色。
春の日差しのような、柔らかな輝き。
(初めて見る色だ。)
アルトは思わず見入ってしまう。
「こんにちは。」
少年は小さく指を差し出した。
アルトも反射的に、その指を握る。
ぎゅっ。
「わっ!」
少年が嬉しそうに笑った。
「握ってくれた!」
その笑顔につられ、アルトも笑う。
「あー!」
「ははっ!」
広場に明るい笑い声が響いた。
◇ ◇ ◇
「僕、リクっていうんだ。」
少年は少し照れくさそうに胸を張った。
「父ちゃんは大工なんだ。」
「今日は母ちゃんのおつかい!」
そう言って、小さな買い物かごを見せる。
中にはパンと野菜が少しだけ入っていた。
「偉いな。」
レオンが頭を撫でる。
「えへへ。」
リクは嬉しそうに笑った。
その様子を見ていたアルトは思う。
(この子……。)
(人の懐に入るのが上手い。)
営業時代にもいた。
初対面なのに、自然と相手を笑顔にできる人。
才能と言ってもいい。
「アルト!」
「また会おうな!」
リクが大きく手を振る。
アルトも短い腕を一生懸命振った。
「あぅー!」
「ははっ!」
「返事してくれた!」
リクは満面の笑みで駆けていく。
その後ろ姿を見送りながら、アルトは少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
(友達……か。)
前世では仕事ばかりだった。
気づけば、利害関係のない友人はほとんどいなくなっていた。
でも今は違う。
名前を知って。
笑い合って。
また会いたいと思える相手がいる。
それだけで、なんだか嬉しかった。
◇ ◇ ◇
帰り道。
馬車に揺られながら、レオンが笑う。
「リクはいい子だったな。」
「ええ。」
セシリアも優しく頷く。
「アルトも楽しそうでした。」
アルトは眠そうな目をこすりながら、小さくあくびをした。
(今日は収穫が多かった。)
市場の活気。
広場の子どもたち。
そして、リクという少年。
この世界は、屋敷の中よりずっと広い。
だからこそ、もっと知りたい。
もっと歩きたい。
もっとたくさんの人と出会いたい。
そんなことを考えているうちに、アルトは静かに眠りへ落ちていった。
夕日に染まる王都の景色は、馬車の窓の外でゆっくりと遠ざかっていく。
その景色を見つめながらレオンは呟いた。
「また連れて来よう。」
その一言に、セシリアも優しく微笑んだ。
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営業メモ⑩
『信頼は、一度の大きな出来事では生まれない。小さな約束や笑顔の積み重ねが、人との縁を育てていく。』
営業でも友情でも、それは同じ。
人とのつながりは、一日ではできない。
だからこそ、一つひとつの出会いを大切にする。
アルトは、そんな当たり前のことを、異世界でもう一度学び始めていた。
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――次回、第十二話「営業課長、値切り交渉を見学する」
市場で繰り広げられる商人たちの駆け引き。
営業課長だったアルトの血が、思わず騒ぎ出す――。




