第十二話 営業課長、値切り交渉を見学する
王都の朝は早い。
夜明けとともに城門が開くと、農村から野菜を積んだ荷馬車が次々と街へ入ってくる。
車輪が石畳をゴトゴトと鳴らし、御者たちの威勢のいい掛け声が朝の空気に響く。
露店では店主たちが手際よく商品を並べ、焼きたてのパンの香ばしい匂いが通りを包んでいた。
ほんのり甘い焼き菓子の香りと、香辛料の刺激的な香りが混ざり合い、市場全体が活気に満ちている。
アルトは母セシリアに抱かれながら、その景色を目を輝かせて見つめていた。
(やっぱり、この市場は面白い。)
何度見ても飽きない。
人がいて、物が動き、お金が動く。
前世で四十二年間見続けてきた「商売」が、姿を変えて目の前に広がっていた。
◇ ◇ ◇
「今日は夕食の食材を買いましょう。」
セシリアは買い物かごを手に、市場の奥へ歩いていく。
レオンはというと――
「おっ、肉屋だ!」
「今日もいい肉が入ってるな!」
すでに肉屋の店主と笑いながら話し込んでいた。
(自由人だなぁ……。)
アルトは心の中で苦笑する。
そのとき、少し離れた八百屋から大きな声が聞こえてきた。
「もう少し安くならないかい?」
年配の女性が腕を組み、店主に話しかけている。
「そこを何とか!」
若い八百屋の店主は困ったように頭をかいた。
「うちは朝採れなんです。この値段でもギリギリで……。」
「でも、お隣はもう少し安かったよ。」
「そちらは昨日の野菜ですよ。」
二人のやり取りはしばらく続いた。
アルトはじっと様子を見つめる。
(なるほど。)
どちらも間違ってはいない。
お客は少しでも安く買いたい。
店は利益を出さなければ続けられない。
前世でも何百回と経験した光景だった。
◇ ◇ ◇
結局、店主は困ったように笑った。
「では、おまけでハーブを付けます。」
「今日は朝一番のお客様ですから。」
年配の女性の顔がぱっと明るくなる。
「本当かい?」
「ありがとう!」
野菜は値引きしなかった。
その代わり、付加価値を付けた。
(うまい。)
アルトは思わず感心する。
営業でも同じだった。
値段だけ下げれば契約は取れるかもしれない。
でも、それでは会社も苦しい。
だからこそ、「値段以外の価値」を伝える。
若い店主は、それを自然にやってのけたのだ。
「また来るよ。」
女性は笑顔で店を後にした。
店主も深々と頭を下げる。
「ありがとうございました!」
その笑顔には、先ほどまでの困った表情はなかった。
◇ ◇ ◇
「アルト、どうした?」
レオンが声を掛ける。
アルトは八百屋を見つめたまま動かない。
「そんなに野菜が気になるのか?」
(違います。)
(商談が気になるんです。)
「ばぶ。」
「ははは!」
「父さんに似て食いしん坊だな!」
(いや、そこじゃない。)
レオンは豪快に笑い、アルトを高く抱き上げる。
「うわっ!」
……と心の中では叫んだものの、口から出たのは、
「きゃっ!」
だけだった。
周りの人たちが思わず笑う。
「可愛い坊ちゃんだねぇ。」
「将来は人気者になるよ。」
アルトは照れくさくなり、レオンの胸へ顔をうずめた。
(営業課長、人生二度目の赤面である。)
◇ ◇ ◇
市場を歩いていると、見覚えのある声が聞こえた。
「アルト!」
振り向くと、そこにはリクがいた。
今日も小さな買い物かごを抱えている。
「また会えた!」
嬉しそうに駆け寄ってくるリク。
その後ろから母親らしき女性が慌てて追いかけてきた。
「こら、急に走っちゃダメでしょ!」
「ごめんなさい!」
リクは照れ笑いを浮かべる。
セシリアは優しく微笑んだ。
「元気なお子さんですね。」
「毎日こんな調子なんです。」
母親も苦笑いする。
アルトはリクの顔を見て笑った。
「あぅ。」
「ほら!」
「また笑ってくれた!」
リクは飛び跳ねるほど喜ぶ。
その笑顔を見ていると、不思議とこちらまで嬉しくなる。
(この子は……。)
(人を笑顔にする才能がある。)
営業なら、間違いなくお客様に愛されるタイプだ。
◇ ◇ ◇
屋敷へ戻る馬車の中。
アルトは今日の出来事を整理していた。
値引きではなく、価値を伝える。
笑顔が人を呼ぶ。
そして、人と人との信頼が商売を支えている。
(世界が違っても、本質は変わらないんだな。)
ふと窓の外を見ると、夕日に照らされた王都の街並みが黄金色に染まっていた。
屋根の上を飛ぶ鳥たち。
煙突から立ちのぼる夕餉の煙。
市場から帰る人々の笑い声。
そのすべてが、この世界で生きる人たちの日常だった。
アルトはその景色を胸に刻みながら、静かに目を閉じる。
いつか、自分もこの街の役に立てる人間になりたい。
そんな小さな夢が、胸の中に芽生え始めていた。
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営業メモ⑪
『値段で選ばれる人は、もっと安い相手が現れれば負ける。価値で選ばれる人は、長く信頼される。』
営業も商売も、人付き合いも同じ。
「安いから」ではなく、「あなただから」と言ってもらえる人を目指そう。
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――次回、第十三話「営業課長、初めての魔法書に大興奮」
屋敷の書庫で偶然見つけた一冊の古い本。
そこには、この世界の誰も気づいていない”魔法の常識”が眠っていた――。




