表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/44

第十二話 営業課長、値切り交渉を見学する


王都の朝は早い。


夜明けとともに城門が開くと、農村から野菜を積んだ荷馬車が次々と街へ入ってくる。


車輪が石畳をゴトゴトと鳴らし、御者たちの威勢のいい掛け声が朝の空気に響く。


露店では店主たちが手際よく商品を並べ、焼きたてのパンの香ばしい匂いが通りを包んでいた。


ほんのり甘い焼き菓子の香りと、香辛料の刺激的な香りが混ざり合い、市場全体が活気に満ちている。


アルトは母セシリアに抱かれながら、その景色を目を輝かせて見つめていた。


(やっぱり、この市場は面白い。)


何度見ても飽きない。


人がいて、物が動き、お金が動く。


前世で四十二年間見続けてきた「商売」が、姿を変えて目の前に広がっていた。


◇ ◇ ◇


「今日は夕食の食材を買いましょう。」


セシリアは買い物かごを手に、市場の奥へ歩いていく。


レオンはというと――


「おっ、肉屋だ!」


「今日もいい肉が入ってるな!」


すでに肉屋の店主と笑いながら話し込んでいた。


(自由人だなぁ……。)


アルトは心の中で苦笑する。


そのとき、少し離れた八百屋から大きな声が聞こえてきた。


「もう少し安くならないかい?」


年配の女性が腕を組み、店主に話しかけている。


「そこを何とか!」


若い八百屋の店主は困ったように頭をかいた。


「うちは朝採れなんです。この値段でもギリギリで……。」


「でも、お隣はもう少し安かったよ。」


「そちらは昨日の野菜ですよ。」


二人のやり取りはしばらく続いた。


アルトはじっと様子を見つめる。


(なるほど。)


どちらも間違ってはいない。


お客は少しでも安く買いたい。


店は利益を出さなければ続けられない。


前世でも何百回と経験した光景だった。


◇ ◇ ◇


結局、店主は困ったように笑った。


「では、おまけでハーブを付けます。」


「今日は朝一番のお客様ですから。」


年配の女性の顔がぱっと明るくなる。


「本当かい?」


「ありがとう!」


野菜は値引きしなかった。


その代わり、付加価値を付けた。


(うまい。)


アルトは思わず感心する。


営業でも同じだった。


値段だけ下げれば契約は取れるかもしれない。


でも、それでは会社も苦しい。


だからこそ、「値段以外の価値」を伝える。


若い店主は、それを自然にやってのけたのだ。


「また来るよ。」


女性は笑顔で店を後にした。


店主も深々と頭を下げる。


「ありがとうございました!」


その笑顔には、先ほどまでの困った表情はなかった。


◇ ◇ ◇


「アルト、どうした?」


レオンが声を掛ける。


アルトは八百屋を見つめたまま動かない。


「そんなに野菜が気になるのか?」


(違います。)


(商談が気になるんです。)


「ばぶ。」


「ははは!」


「父さんに似て食いしん坊だな!」


(いや、そこじゃない。)


レオンは豪快に笑い、アルトを高く抱き上げる。


「うわっ!」


……と心の中では叫んだものの、口から出たのは、


「きゃっ!」


だけだった。


周りの人たちが思わず笑う。


「可愛い坊ちゃんだねぇ。」


「将来は人気者になるよ。」


アルトは照れくさくなり、レオンの胸へ顔をうずめた。


(営業課長、人生二度目の赤面である。)


◇ ◇ ◇


市場を歩いていると、見覚えのある声が聞こえた。


「アルト!」


振り向くと、そこにはリクがいた。


今日も小さな買い物かごを抱えている。


「また会えた!」


嬉しそうに駆け寄ってくるリク。


その後ろから母親らしき女性が慌てて追いかけてきた。


「こら、急に走っちゃダメでしょ!」


「ごめんなさい!」


リクは照れ笑いを浮かべる。


セシリアは優しく微笑んだ。


「元気なお子さんですね。」


「毎日こんな調子なんです。」


母親も苦笑いする。


アルトはリクの顔を見て笑った。


「あぅ。」


「ほら!」


「また笑ってくれた!」


リクは飛び跳ねるほど喜ぶ。


その笑顔を見ていると、不思議とこちらまで嬉しくなる。


(この子は……。)


(人を笑顔にする才能がある。)


営業なら、間違いなくお客様に愛されるタイプだ。


◇ ◇ ◇


屋敷へ戻る馬車の中。


アルトは今日の出来事を整理していた。


値引きではなく、価値を伝える。


笑顔が人を呼ぶ。


そして、人と人との信頼が商売を支えている。


(世界が違っても、本質は変わらないんだな。)


ふと窓の外を見ると、夕日に照らされた王都の街並みが黄金色に染まっていた。


屋根の上を飛ぶ鳥たち。


煙突から立ちのぼる夕餉の煙。


市場から帰る人々の笑い声。


そのすべてが、この世界で生きる人たちの日常だった。


アルトはその景色を胸に刻みながら、静かに目を閉じる。


いつか、自分もこの街の役に立てる人間になりたい。


そんな小さな夢が、胸の中に芽生え始めていた。



営業メモ⑪


『値段で選ばれる人は、もっと安い相手が現れれば負ける。価値で選ばれる人は、長く信頼される。』


営業も商売も、人付き合いも同じ。


「安いから」ではなく、「あなただから」と言ってもらえる人を目指そう。



――次回、第十三話「営業課長、初めての魔法書に大興奮」


屋敷の書庫で偶然見つけた一冊の古い本。


そこには、この世界の誰も気づいていない”魔法の常識”が眠っていた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ