第七十八話 営業課長、ベルナール大交易祭開幕
ベルナール大交易祭――当日。
まだ夜が明けきらない港には、多くの人々が集まり始めていた。
露店の準備をする商人。
最後の仕込みに追われる料理人。
船を岸壁へ誘導する船乗りたち。
街中が、これから始まる一日への期待に包まれていた。
「いよいよですね。」
ガレスが大きく息を吐く。
アルトは港を見渡しながら静かに頷いた。
「皆さんがここまで準備してきました。」
「今日は、その努力を楽しむ日です。」
◇
午前八時。
「ベルナール大交易祭、開幕!」
町長ロイドの高らかな宣言とともに、大きな鐘が鳴り響く。
ゴォォォン――。
その音を合図に、港へ次々と人が流れ込んできた。
「すごい人だ!」
「焼き魚のいい匂い!」
「あっちは船に乗れるらしいぞ!」
子どもたちは走り回り、大人たちは店先を覗き込む。
魚屋では炭火の香ばしい香りが漂い、試食した客が笑顔で頷いていた。
「これは美味い!」
「三つください!」
鍛冶屋ではドルガが子どもたちへ小さな金槌を渡している。
「力任せじゃねぇ。」
「音を聞け。」
「鉄は話しかければ応えてくれる。」
「できた!」
小さな包丁を完成させた少年が目を輝かせる。
「将来は鍛冶屋になる!」
その言葉に、ドルガは照れくさそうに笑った。
「待ってるぜ。」
◇
一方、港の入口。
豪華な馬車から一人の男が降り立つ。
黒い上着に銀の刺繍。
鋭い眼差し。
王都最大級の商会を率いる男――ダリウスだった。
「これがベルナールか。」
彼は街の様子を静かに眺める。
「……面白い。」
部下が尋ねる。
「何か問題でも?」
「いや。」
ダリウスは首を横へ振る。
「値下げをしていない。」
「それなのに客が離れない。」
彼は魚屋の前で立ち止まった。
焼き魚を受け取った老夫婦が笑顔で話している。
「また来年も来よう。」
「今度は孫も連れてこようね。」
その会話を聞いたダリウスは目を細めた。
「一度の売上ではない……。」
「来年の約束まで売っているのか。」
◇
昼過ぎ。
交易祭は最高潮を迎えていた。
港には入りきらないほどの船。
露店には長い列。
町長ロイドは信じられないという顔で報告書を見つめる。
「午前だけで……。」
「普段の三日分の売上です!」
会議室が歓声に包まれる。
しかし、アルトだけは冷静だった。
「まだ終わっていません。」
「え?」
「本当の評価は、お客様が帰る時に決まります。」
営業課長だった頃。
契約が決まった瞬間よりも、その後の満足度を大切にしてきた。
笑顔で帰る人は、必ずまた戻ってくる。
そして新しいお客様を連れてきてくれる。
◇
夕方。
交易祭も終盤を迎えた頃、一人の少女が泣きながら港を歩いていた。
「お母さん……。」
「どこ……。」
人混みではぐれてしまったのだろう。
アルトはすぐに少女の前へしゃがみ込んだ。
「大丈夫。」
「名前を教えてくれるかな?」
「リナ……。」
「よし、リナちゃん。」
「一緒にお母さんを探そう。」
アルトは近くにいた商人へ声を掛ける。
「広場まで知らせてもらえますか。」
「任せろ!」
その声を聞いた魚屋も、鍛冶屋も、船乗りも動き始めた。
「女の子を探してる!」
「名前はリナちゃんだ!」
あっという間に情報が港中へ広がっていく。
十分後。
「リナ!」
涙を流しながら駆け寄ってきた母親が、少女を強く抱きしめた。
「お母さん!」
周囲から自然と拍手が起こる。
母親は何度も頭を下げた。
「ありがとうございました!」
その様子を見ていたダリウスは、小さく笑った。
「なるほど……。」
「この街が売っているのは商品ではない。」
「人とのつながりか。」
◇
日が沈み始める頃。
港は夕日に染まり、多くの来場者が満足そうな表情で帰路についていた。
「楽しかった。」
「来年も絶対来よう。」
「ベルナールって、いい街だね。」
その言葉を聞いた町長ロイドは目頭を押さえた。
「街の名前を褒められる日が来るなんて……。」
アルトは静かに微笑む。
売上は大切だ。
利益も必要だ。
だが、本当に街を発展させるのは、人々の心に残る思い出である。
営業課長として信じ続けてきた価値が、今、ベルナールの未来を照らしていた。
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営業メモ⑦⑥
『一度のお客様を、一生のお客様へ。』
売上だけを追いかければ、その場限りの関係で終わってしまう。
しかし、相手の心に残る体験を届ければ、「また来たい」「誰かに紹介したい」という気持ちが生まれる。
営業とは、商品を売る仕事ではない。
人との信頼を積み重ね、長く続く関係を築く仕事である。
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――次回、第七十九話「営業課長、最大の商談」
交易祭は大成功を収めた。
その夜、王都商会の代表ダリウスがアルトへ面会を申し込む。
敵か、それとも新たな協力者か。
営業課長にとって、王国の未来を左右する大きな商談が始まる。




