第七十二話 営業課長、港を支配する影
翌朝。
ベルナールの港は、日の出とともに活気づき始めていた。
漁船が次々と帰港し、魚市場には威勢のいい掛け声が響く。
しかし、その賑わいとは対照的に、港の一角だけは異様な静けさに包まれていた。
巨大な倉庫。
その扉には、銀色の錨の紋章。
昨日、アルトが目にしたものと同じ印だった。
「ここが海運組合です。」
町長ロイドが小さな声で説明する。
「ベルナールで船を出すには、必ず組合を通さなければなりません。」
「法律ですか?」
「……いいえ。」
ロイドは苦々しく首を振った。
「昔からの慣習です。」
アルトは静かに倉庫を見つめた。
法律ではない。
それでも誰も逆らえない。
営業課長時代にも似たようなケースはあった。
「昔からそうだから。」
その一言が、改革を止める最大の壁になることは少なくない。
◇
「まずは話を聞きましょう。」
アルトたちは海運組合の本部を訪れた。
応接室には、立派な椅子へ深く腰掛けた一人の男がいた。
五十代ほどだろうか。
日に焼けた肌と鋭い目つき。
胸元には銀色の錨の徽章。
「私は海運組合長、グレインだ。」
低く響く声だった。
「国王の使者とは珍しい。」
アルトは丁寧に頭を下げる。
「本日は港町について教えていただきたく参りました。」
「教える?」
グレインは鼻で笑う。
「坊やに海の仕事が分かるのか?」
部屋の空気が張り詰める。
護衛たちが身構えた。
だがアルトは笑顔を崩さなかった。
「分かりません。」
その一言に、グレインは眉をひそめる。
「だから教えていただきたいのです。」
「……ほう。」
「私は営業をしていました。」
「相手を知る前に、自分の考えを押し付けても良い結果にはなりません。」
「まずは現場を知ることが大切だと思っています。」
グレインはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口角を上げる。
「面白い坊主だ。」
「そこまで言うなら教えてやる。」
◇
案内された港の埠頭。
そこには十数隻もの大型商船が停泊していた。
「船はある。」
グレインが言う。
「船乗りもいる。」
「荷物も集まる。」
「それでも商人は減った。」
アルトは静かに辺りを見回した。
その時、一隻の船が港へ入ろうとしているのが見えた。
しかし。
「止まれ!」
見張りが旗を振る。
船は沖で停止した。
「なぜ港へ入れないのですか?」
アルトが尋ねる。
グレインは当然のように答えた。
「順番待ちだ。」
「前の船が終わるまで待機する。」
アルトは時計代わりの砂時計を見る。
一時間。
二時間。
三時間。
船は動かない。
「……長いですね。」
「港は一つしかない。」
「仕方あるまい。」
グレインは肩をすくめた。
だがアルトの視線は岸壁へ向く。
そこには、誰も使っていない桟橋が二つ。
静かに波へ揺られていた。
「組合長。」
「何だ?」
「あの桟橋は使わないのですか?」
一瞬だけ。
グレインの表情が止まった。
「……古い。」
「危険だから閉鎖している。」
アルトは小さく頷く。
「なるほど。」
だが、その答えに違和感を覚えた。
木材は新しく補修された跡がある。
ロープも交換されたばかりだ。
本当に危険なら、なぜ整備だけは続けているのだろう。
◇
夕方。
宿へ戻る途中。
ガレスが声を潜める。
「アルト様。」
「何か気になることでも?」
「はい。」
「閉鎖された桟橋ですが……。」
「あそこから小舟が出ていくのを見ました。」
アルトは足を止めた。
「何時頃ですか?」
「昼過ぎです。」
「誰が乗っていました?」
「遠くて分かりません。」
アルトは静かに微笑んだ。
「見えてきましたね。」
「何がです?」
「港が衰退した、本当の理由です。」
使われないはずの桟橋。
そこから出入りする小舟。
そして海運組合だけが握る港の運営。
点だった情報が、一本の線でつながり始める。
営業課長が最も得意とする仕事。
情報を整理し、真実へたどり着く時間が始まっていた。
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営業メモ⑦⓪
『分からないことは、知ったふりをせずに聞く。』
知識があるように見せようとすると、本当に大切な情報を見逃してしまう。
「教えてください。」
その一言を素直に言える人ほど、多くを学び、成長する。
営業とは、話の上手さだけではない。
学び続ける姿勢こそが、相手から信頼される第一歩である。
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――次回、第七十三話「営業課長、港の利権を暴く」
閉鎖されたはずの桟橋で続く謎の荷運び。
アルトは港に隠された利権構造へ踏み込み、ベルナール最大の秘密へ迫る。




