第七話 営業課長、初めての社内パトロール
転生して四か月。
アルトは重大な進歩を遂げていた。
「アルト様!」
「すごい!」
「ハイハイしました!」
屋敷中が大騒ぎである。
(いや……。)
(ハイハイくらいで騒ぎすぎじゃない?)
本人としては四十二年間歩いてきた男である。
今さらハイハイで拍手されても少し複雑だ。
しかし──
「おいで、アルト!」
レオンが両手を広げる。
「頑張れ!」
「あと少し!」
使用人たちまで応援を始めた。
(これは……。)
(営業コンテストか?)
仕方なく前へ進む。
よいしょ。
よいしょ。
身体は思った以上に重い。
腕も短い。
膝も痛い。
(赤ちゃんって筋トレしてるようなものだな。)
ようやくレオンの足元へ到着すると、
「よくやったぁぁぁ!」
レオンはアルトを高く抱き上げた。
(だからそれはやめてくれぇぇぇ!!)
口から出たのは、
「きゃっ♪」
(違う! 悲鳴だ!)
◇ ◇ ◇
その日の午後。
アルトはあることに気付く。
(ハイハイできるってことは……。)
(行動範囲が広がる。)
営業課長時代。
新しい支店へ行けば、まずやることは決まっていた。
現場を見る。
数字だけでは分からない。
現場には必ず答えがある。
(まずは社内パトロールだ。)
赤ちゃんサイズの営業課長は、静かに部屋を抜け出した。
◇ ◇ ◇
廊下。
広い。
長い。
そして──
(遠い。)
目的地まで五メートル。
前世なら三秒。
今は三分。
(これ営業だったら遅刻だな……。)
それでも前へ進む。
途中で立派な壺を発見した。
(高そう。)
営業課長の勘が告げる。
「触るな。」
赤ちゃんの本能が叫ぶ。
「触りたい。」
理性と本能の壮絶な戦いが始まった。
結果。
(勝った。)
触らなかった。
「アルト様ぁぁぁ!」
エマが飛んできた。
「こんなところまで来ちゃダメですよ!」
ひょいっと抱き上げられる。
(営業終了。)
わずか数分で社内パトロールは終わった。
◇ ◇ ◇
夕方。
執事のガルドが書類を整理していた。
アルトはその姿をじっと見る。
(早い。)
紙を揃える。
判を押す。
使用人へ指示。
次の仕事へ。
無駄がない。
(この人、本当に優秀だ。)
営業部にいたら間違いなく主任になっている。
ガルドはアルトの視線に気付く。
「どうしました?」
もちろん返事は、
「ばぶ。」
だけだった。
「……ふふ。」
珍しくガルドが笑う。
「アルト様は、よく人を見ておられますね。」
(見てます。)
(めちゃくちゃ見てます。)
(人事評価までできます。)
◇ ◇ ◇
夜。
レオンが帰宅する。
「ただいま!」
今日は疲れた様子もなく元気だ。
アルトは思わず笑う。
「あー!」
「おっ!」
レオンも笑う。
「父さんが帰ってきて嬉しいか!」
(いや。)
(今日は機嫌が良さそうだなって。)
レオンの周りの赤い光も、昨日よりずっと安定していた。
(やっぱり……。)
(光は体調だけじゃない。)
(気持ちも関係してる。)
また一つ、仮説が増える。
◇ ◇ ◇
寝る前。
アルトは今日一日を振り返る。
ハイハイ。
屋敷。
使用人。
執事。
父。
歩ける距離が少し伸びただけで、見える景色も増えた。
(営業も同じだった。)
デスクで資料ばかり見ていても、本当の答えは分からない。
現場へ行く。
人を見る。
話を聞く。
そこから改善が始まる。
異世界でも、それは変わらない。
その時だった。
エマがベッドをのぞき込む。
「アルト様。」
「今日はいっぱい冒険しましたね。」
「でも、次からは一人でどこかへ行っちゃダメですよ?」
アルトは素直に頷く。
(反省してます。)
するとエマは満足そうに微笑み、
アルトの枕元へ、一冊の絵本を置いた。
「ご褒美です。」
(おっ。)
(魔法書か!?)
期待して表紙を見る。
『どうぶつさん こんにちは』
(違う、そうじゃない。)
営業課長、四十二歳。
人生二度目の赤ちゃん生活。
初めての冒険のご褒美は、かわいい動物の絵本だった。
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営業メモ⑥
『現場には、数字では分からない答えがある。』
どんな仕事も、どんな世界も。
まずは自分の目で見ること。
それが一番の近道だ。
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次回――「初めての絵本。営業課長、本気で文字を覚えます。」




