第五十九話 営業課長、ブランド戦略を始める
「ブランド……か。」
翌朝、ドルガは工房の壁にもたれながら、アルトから聞いた言葉を何度も口にしていた。
今まで考えたこともなかった。
良い剣を打てば売れる。
腕さえ磨けば、それで十分。
そう信じて四十年近く槌を振るい続けてきた。
「まずは、一振りだけ作りましょう。」
アルトは工房の作業台へ一枚の紙を広げた。
「一本だけ?」
「はい。」
「大量に作る必要はありません。」
ドルガは首を傾げる。
「売るなら数が必要じゃねぇのか?」
「それは普通の商品です。」
アルトは微笑んだ。
「ブランド商品は違います。」
「最初は『欲しい人が奪い合う』状態を作るんです。」
◇
数日後。
一本の剣が完成した。
これまでと違う点は三つ。
一つ目。
鍔には、小さく『D』の刻印。
ドルガの頭文字だった。
二つ目。
柄には高級な黒革を使用。
手にした瞬間、「特別な一本」だと分かる仕上がりになっていた。
そして三つ目。
アルトが用意した羊皮紙。
そこには丁寧な文字で書かれていた。
『鍛冶職人ドルガが、生涯の技術を注ぎ込んで鍛えた一振り。』
『王国北部グランディアにて製作。』
『制作者本人が品質を保証する。』
ドルガは思わず苦笑した。
「剣より紙の方が高そうだ。」
「この紙が価値を伝えるんです。」
アルトは胸を張る。
「人は、知らないものにはお金を払いません。」
「だから知ってもらう。」
「それが営業です。」
◇
数日後。
王都から訪れていた貴族向けの商談会。
アルトはドルガと共に一本だけ剣を持ち込んだ。
「一本しか売らないのか?」
商業組合の職員が驚く。
「はい。」
「売れなければ終わりですが。」
「売れたら始まりです。」
その意味は、誰にも分からなかった。
やがて会場へ一人の伯爵がやってきた。
豪華な装飾の剣が並ぶ中、一振りだけ質素な台座に置かれたドルガの剣へ視線が止まる。
「ほう……。」
伯爵はゆっくり剣を抜いた。
「軽い。」
「それでいて重みもある。」
何度か振ったあと、小さく頷く。
「値段は?」
周囲の商人たちは耳をそばだてた。
普段なら金貨十枚ほどの剣。
しかしアルトは静かに答えた。
「金貨三十枚です。」
「三十枚!?」
会場がざわついた。
「子どもが何を言っている!」
「そんな値段で売れるわけがない!」
商人たちが笑う。
しかし伯爵は笑わなかった。
「理由を聞こう。」
アルトは一歩前へ出る。
「この剣は大量生産できません。」
「職人ドルガが一本一本鍛えています。」
「もし折れたなら、本人が責任を持って打ち直します。」
「そして――」
アルトは羊皮紙を手渡した。
「同じ品質の剣は、二度と存在しません。」
伯爵は紙を読み終えると、静かに笑った。
「面白い。」
その一言で空気が変わる。
「金貨三十枚。」
「買おう。」
商人たちが息を呑んだ。
「ば、馬鹿な……。」
一本の剣が。
これまでの三倍の価格で売れた。
ドルガ自身が一番驚いていた。
「本当に……売れた。」
「当然です。」
アルトは笑う。
「値段を上げたんじゃありません。」
「価値が伝わるようにしただけです。」
◇
しかし、その様子を遠くから睨みつける男がいた。
商業組合の有力商人、バルド。
長年、グランディアの鍛冶職人たちから安く剣を買い集め、王都で高く売ってきた男だった。
「面白くないな……。」
バルドは静かに呟く。
「職人が直接評価されるようになれば、儲けが減る。」
その目には、冷たい光が宿っていた。
「ガキ一人に、今まで築いた商売を壊されてたまるか。」
グランディア改革。
それはついに、既得権益との戦いへ発展しようとしていた。
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営業メモ㊿⑧
『価格ではなく、価値で勝負する。』
安く売れば、一時的には売れるかもしれない。
しかし、安さだけでは必ず価格競争に巻き込まれる。
大切なのは、「なぜこの価格なのか」を相手に伝えること。
価値を理解したお客様は、価格ではなく信頼にお金を払ってくれる。
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――次回、第六十話「営業課長、商人ギルドと対決」
ドルガブランドの成功を快く思わない有力商人・バルド。
圧力をかけ始めた商人ギルドに対し、アルトは営業課長時代に培った”交渉術”で真正面から挑む。




