第五十六話 営業課長、新たな市場を開拓する
王都から戻って数日。
アルトは自宅の執務室で、山積みになった書類を眺めていた。
いや。
正確には、書類ではない。
そこに書かれているのは、この国の未来だった。
「……やっぱり、まだ足りないな」
アルトは小さく呟く。
机の上には、王都で得た情報を整理した資料が並んでいる。
商業組合の状況。
各領地の特産品。
物流経路。
税制度。
そして――。
「人の流れ」
前世で営業課長をしていた頃、アルトが最も重要視していたもの。
商品でも価格でもない。
結局、商売を動かすのは人だった。
誰が困っているのか。
何を求めているのか。
どんな未来を望んでいるのか。
それを理解できなければ、本当の意味で相手の心を掴むことはできない。
「この国は、まだ眠っている市場が多すぎる」
アルトは資料の一枚を指で叩いた。
そこには、とある地方領の名前が書かれている。
「北部鉱山都市グランディア」
王国有数の鉱山地帯。
鉄や魔石の採掘で栄えている土地だ。
しかし――。
「利益が出ている割に、住民の生活水準が低い」
原因は単純だった。
物流。
鉱石を掘る。
商人が買い取る。
王都へ運ぶ。
それだけ。
加工品として販売する仕組みが存在していない。
つまり。
「原材料だけ売って、利益の大部分を他国や王都の商人に持っていかれている」
前世でもよく見た構造だった。
地方の優れた商品が、大都市の企業によって加工され、高値で売られる。
作った人間には利益が残らない。
アルトはため息をついた。
「もったいない……」
すると。
「アルト様」
扉の外から声が聞こえた。
入ってきたのは、執事のセバスだった。
「お父上がお呼びです」
「父上が?」
珍しい。
父である領主が、アルトを呼ぶ時は大抵重要な話だ。
アルトは資料を閉じる。
「分かった。すぐ行く」
⸻
領主の執務室。
アルトが入ると、父は険しい顔で地図を眺めていた。
「来たか、アルト」
「はい」
父は地図を指差す。
「王都から正式な要請が届いた」
「要請?」
「ああ」
父は一枚の手紙を渡した。
そこには王家の紋章。
そして国王直属の商業改革部門からの依頼が書かれていた。
『地方産業活性化計画への協力を求む』
アルトは目を細める。
「……なるほど」
王都も気付いたのだ。
この国がさらに発展するには、地方経済の改革が必要だと。
「アルト」
父が真剣な表情で言う。
「お前はまだ幼い」
「はい」
「だが、お前が王都で成し遂げたことは聞いている」
父は少し笑った。
「商人たちが、お前を『小さな営業課長』などと呼んでいるそうだな」
アルトは苦笑する。
「……その呼び方、定着してしまったんですね」
「悪くない名前だと思うぞ」
父は続ける。
「剣の強さだけでは、人は動かせない」
「……」
「だが、お前は人の心を動かした」
その言葉に、アルトは少し驚く。
父からそんな評価を受けるとは思っていなかった。
「だから聞きたい」
父は真っ直ぐアルトを見る。
「お前は、この国をどうしたい?」
一瞬。
アルトは考える。
前世では、会社の利益のために働いていた。
数字。
売上。
契約。
それが評価だった。
しかし今は違う。
目の前には、自分を必要としてくれる人がいる。
家族がいる。
仲間がいる。
そして――。
この世界で生きる人々がいる。
アルトは答えた。
「誰もが、自分の努力に見合った幸せを得られる国にしたいです」
父は黙って聞いている。
「商人だけが儲かる仕組みでもなく、貴族だけが豊かになる仕組みでもない」
アルトは続ける。
「作る人、運ぶ人、売る人……全員が利益を得られる仕組みに変えたい」
父の目が少し見開かれる。
「……本当に、お前は子供なのか?」
「そこは……」
アルトは困った顔をする。
「自分でも時々疑問です」
父は笑った。
久しぶりに見る、父親らしい笑顔だった。
「ならば行ってこい」
「え?」
「北部鉱山都市グランディアへ」
父は命じる。
「王家からの依頼だ。お前の力を試すには十分な場所だろう」
アルトは静かに頷いた。
新しい市場。
新しい出会い。
そして新しい問題。
営業課長としての第二の人生。
また一つ、大きな仕事が始まる。
「分かりました」
アルトは立ち上がる。
「必ず、グランディアを変えてみせます」
しかし――。
この時のアルトはまだ知らなかった。
北部鉱山都市には。
王国の未来を左右する、大きな秘密が眠っていることを。
営業メモ⑤⑤
『変化を恐れる人ほど、変化の恩恵を受ける可能性を秘めている。』
新しい仕組みを作る時、必ず反対する人はいる。
「今のままでいい。」
「昔からこうだった。」
そう言われることは珍しくない。
しかし、本当に大切なのは変えることではない。
相手がなぜ不安なのかを理解し、その不安を一つずつ取り除いていくこと。
人は、命令では動かない。
納得した時に、自分の意思で動き始める。
それが、本当の改革だ。
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――次回、第五十七話「営業課長、鉱山都市へ向かう」
王都から届いた新たな依頼。
アルトが向かう先は、王国北部に存在する鉱山都市グランディア。
そこには、豊かな資源とは裏腹に、解決されない問題を抱えた人々がいた。
営業課長の次なる改革が、今始まる。




