第五十四話 営業課長、パン祭り最大の危機
パン祭りまで、あと一週間。
ミルフィ村は朝から祭りの準備で活気にあふれていた。
広場では屋台が完成し、子どもたちは手作りの旗を飾り付けている。
パン職人のマルタは、新しいレシピを何度も試していた。
「今年一番のパンを焼くよ!」
その言葉に、村人たちも笑顔で応える。
「絶対に成功させよう!」
誰もが祭りの成功を信じていた。
その時だった。
ゴロゴロ……
遠くで雷鳴が響く。
教授が空を見上げる。
「雲行きが怪しいですね。」
次の瞬間。
ザーッ!!
激しい雨が村へ降り注いだ。
◇
雨は一日中降り続いた。
翌朝になっても止む気配はない。
村の広場はぬかるみ、せっかく建てた屋台のいくつかは倒れてしまった。
「そんな……。」
若い農夫が肩を落とす。
「あと一週間しかないのに。」
そこへ、さらに悪い知らせが飛び込んできた。
「村長!」
一人の村人が息を切らして走ってくる。
「保管庫の屋根が壊れました!」
「何だって!?」
ベルンたちは慌てて保管庫へ向かう。
◇
保管庫の中では、村人たちが必死に袋を運び出していた。
雨漏りがひどく、小麦袋が濡れ始めている。
マルタが青ざめる。
「このままじゃ、小麦が全部駄目になる……。」
ギルじいも悔しそうに拳を握った。
「今年一番の出来だったのに……。」
重苦しい空気が流れる。
◇
アルトは保管庫を見回した。
天井。
柱。
床。
そして、積み上げられた小麦袋。
(全部は濡れていない。)
営業時代、トラブルが起きるたびに上司から言われた言葉がある。
『問題を見るな。被害の範囲を見ろ。』
全部が駄目だと思い込むと、冷静な判断ができなくなる。
アルトは小さな声で言った。
「だいじょうぶ。」
村人たちが振り返る。
「アルト君?」
「ぜんぶ。」
「ぬれてない。」
その一言で、皆が保管庫の奥を見る。
確かに、濡れているのは入口付近だけだった。
奥の小麦は無事だった。
「本当だ!」
「助かるぞ!」
◇
アルトはすぐに指示を出す。
「かわいた。」
「ふくろ。」
「こっち。」
「ぬれた。」
「べつ。」
「わける。」
教授がすぐに理解した。
「濡れたものと無事なものを分けましょう!」
「急いで!」
村人たちが一斉に動き出す。
若者は袋を運び、女性たちは濡れた袋を開いて乾燥させる。
子どもたちは布を運び、大工たちは屋根の応急修理を始めた。
昨日の営業会議で決めた役割が、そのまま生きていた。
誰も指示待ちにならない。
それぞれが自分の仕事を始めていた。
◇
夕方。
雨はようやく小降りになった。
保管庫の中には、仕分けされた小麦袋がきれいに並んでいる。
村長ベルンが数を確認した。
「無事だった小麦が七割。」
「乾燥すれば使えそうなのが二割。」
「完全に駄目なのは一割だけです!」
歓声が上がる。
マルタは胸をなで下ろした。
「祭りは開ける!」
ギルじいも大きく笑う。
「これなら最高のパンが焼けるぞ!」
◇
その夜。
宿で夕食を食べながら、リディアが尋ねた。
「アルト君。」
「どうして最初に『大丈夫』と言えたんですか?」
アルトはスープを一口飲んで答えた。
「こまると。」
「みんな。」
「ぜんぶ。」
「みえなくなる。」
「でも。」
「みえる。」
「ところ。」
「みる。」
教授は静かに頷いた。
「被害を正確に把握する……。」
「危機管理の基本ですね。」
営業でも同じだった。
クレームが入ると、現場は「もう終わりだ」と慌てる。
しかし実際には、影響を受けるお客様は一部だけということも多い。
事実を整理すれば、打てる手は必ずある。
◇
宿の外へ出ると、雨雲の切れ間から星が顔を出していた。
アルトは夜空を見上げる。
「はれ。」
小さく笑った、その時だった。
村外れの森の中。
黒い外套の男が保管庫を見つめていた。
「失敗したか。」
部下が頭を下げる。
「申し訳ありません。」
男は静かに首を振る。
「いや。」
「ますます面白い。」
「次は祭り当日だ。」
闇の中で、銀色の歯車の紋章が鈍く光る。
ミルフィ村最大の試練は、まだ終わっていなかった。
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営業メモ⑤③
『トラブルが起きた時こそ、事実と感情を分けて考える。』
「全部駄目だ」と思うのは感情。
「何が、どこまで影響を受けたのか」を確認するのが事実。
冷静に状況を整理すれば、解決策は必ず見えてくる。
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――次回、第五十五話「営業課長、祭りの広告を打つ」
祭りまで残り五日。
成功の鍵は、王都からどれだけ多くの人を呼べるかだった。
営業課長は異世界初の"口コミ戦略"を仕掛ける――。




