第五十一話 営業課長、村のパンをブランドにする
ミルフィ村へ来て三日目。
朝早くから、村にはパンを焼く香ばしい香りが漂っていた。
アルトは匂いにつられるように、小さな石造りのパン工房へ向かう。
「おはよう。」
「おはようございます、アルト君。」
迎えてくれたのは、村で唯一のパン職人・マルタだった。
五十代半ばの女性で、朝早くから一人でパンを焼き続けている。
店先には焼きたてのパンが並んでいた。
どれもこんがりと焼き色が付き、とても美味しそうだ。
アルトは一つちぎって口へ運ぶ。
「……おいしい。」
外は香ばしく、中はふんわり。
噛むほどに小麦の甘みが広がる。
前世でも人気ベーカリーに負けない味だった。
「ほんとに。」
「おいしい。」
マルタは照れくさそうに笑う。
「ありがとう。」
「でも、この村でしか売れないパンだからね。」
◇
店を出たアルトは、村長ベルンへ尋ねた。
「なんで。」
「うれない?」
ベルンは苦笑する。
「王都まで運ぶのに四日かかります。」
「焼きたては着く頃には固くなってしまうんです。」
「なるほど。」
商品は良い。
しかし届けられない。
営業時代にも同じ問題があった。
品質が高くても、お客様へ届かなければ存在しないのと同じ。
「じゃあ。」
「はこばない。」
「……え?」
教授たちが首をかしげる。
アルトはパンを指差した。
「ひと。」
「くる。」
「しくみ。」
「つくる。」
◇
その日の午後。
集会所へ村人が集められた。
アルトは黒板代わりの木板へ、大きな丸を描く。
「パン。」
「おいしい。」
「でも。」
「しらない。」
村人たちは静かに聞いている。
アルトは丸の外へ矢印を書く。
「しる。」
「たべる。」
「また。」
「くる。」
マルタが首をかしげる。
「お客様に来てもらうってこと?」
「うん。」
「どうやって?」
アルトは満面の笑みを浮かべた。
「おまつり。」
集会所が静まり返る。
「祭り?」
「パン。」
「おまつり。」
「いっぱい。」
「たべる。」
「たのしい。」
村人たちは顔を見合わせる。
今まで誰も考えたことがなかった。
売りに行くのではなく、来てもらう。
発想そのものが違っていた。
◇
教授は腕を組む。
「イベントマーケティング……。」
「え?」
「いや。」
「人を集めることで商品を知ってもらう方法です。」
アルトは頷く。
営業時代。
新商品を売る時は展示会や試食会を開いた。
一度食べてもらえれば、商品の良さは伝わる。
だから最初に必要なのは広告ではない。
『体験』だった。
◇
「でも……。」
若い農夫が手を挙げる。
「こんな村へ誰が来るんです?」
もっともな疑問だった。
アルトは少し考える。
そして窓の外を指差した。
黄金色の麦畑。
青い空。
澄んだ川。
「ここ。」
「きれい。」
「パン。」
「おいしい。」
「ひと。」
「やさしい。」
「これ。」
「ぶらんど。」
教授が思わず息をのむ。
「ブランド……。」
アルトは続ける。
「パン。」
「だけじゃない。」
「むら。」
「すき。」
「なって。」
「もらう。」
営業課長だった頃、何度も学んだことがある。
ブランドとは、商品の名前ではない。
『また来たい』
『また買いたい』
そう思ってもらえる体験そのものだ。
◇
その時、入口から声が聞こえた。
「面白い話をしていますね。」
振り返ると、そこにはクラウスが立っていた。
「クラウスさん!」
ベルンが驚く。
「どうしてここへ?」
クラウスは笑顔で答えた。
「アルト君が地方改革を始めると聞きまして。」
「商人として、放っておけません。」
アルトも嬉しそうに笑う。
「こんにちは。」
「こんにちは、アルト君。」
クラウスは焼きたてのパンを一口食べる。
「……これは驚きました。」
「王都でも十分勝負できます。」
マルタが照れ笑いを浮かべる。
「そんな大げさな。」
クラウスは首を横へ振る。
「いいえ。」
「問題は味ではありません。」
「伝わっていないだけです。」
アルトと目が合う。
二人は同時に頷いた。
考えていることは同じだった。
◇
その夜。
宿でアルトは一枚の紙に絵を描いていた。
パン。
麦畑。
笑顔の家族。
そして大きく一言。
『ミルフィパン祭り』
ガイルが覗き込む。
「祭り?」
アルトは嬉しそうに頷いた。
「おいしい。」
「たのしい。」
「また。」
「きたい。」
それこそが営業の第一歩。
商品を売る前に、ファンを作る。
ミルフィ村の未来を変える挑戦が、いよいよ動き始めた。
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営業メモ㊿
『ブランドとは、商品ではなく「体験」である。』
品質が良いだけでは、人は集まらない。
「また来たい」「誰かに教えたい」と思える体験こそがブランドを育てる。
商品を売るのではない。
価値ある体験を届けることが、本当の営業である。
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――次回、第五十二話「営業課長、商人たちを巻き込む」
パン祭りの開催には、多くの協力者が必要だった。
営業課長は、王都の商人たちを相手に人生最大のプレゼンテーションへ挑む――。




