第五十話 営業課長、村一番の頑固じいさんを口説く
翌朝。
ミルフィ村の空気はひんやりとしていた。
朝露に濡れた麦畑が、朝日を浴びて黄金色に輝いている。
アルトは村長ベルンと一緒に村を歩いていた。
「村長。」
「いちばん。」
「こまってるひと。」
ベルンは少し困ったように笑う。
「困っている人……というより。」
「一番、頑固な人ならいます。」
「がんこ?」
「ええ。」
「昔は村一番の農家でした。」
「ですが今では、誰の話も聞かなくなってしまったんです。」
◇
二人が向かった先には、一軒の古い農家があった。
広い畑。
立派な納屋。
しかし手入れは行き届いていない。
畑の半分は雑草に覆われていた。
「いますか?」
ベルンが声を掛ける。
「……帰れ。」
家の中から低い声が返ってきた。
「また役人か。」
「村は変わらん。」
「何を言っても無駄だ。」
ベルンは肩を落とす。
「この調子でして……。」
その時だった。
アルトが玄関の前まで歩いていく。
「こんにちは。」
しばらく沈黙。
やがて扉が少しだけ開く。
現れたのは七十歳を超えた老人だった。
白い髭。
日に焼けた顔。
鋭い目。
「……誰だ。」
「アルト。」
「にさい。」
老人は鼻で笑う。
「子守りをする暇はない。」
「帰れ。」
◇
普通ならここで終わる。
だがアルトは帰らなかった。
畑へ歩いていく。
しゃがみ込み、一株の麦を見つめた。
「きれい。」
老人の眉がぴくりと動く。
「分かるのか?」
「うん。」
「いい。」
「こむぎ。」
老人は黙ったまま畑へ降りてくる。
「……昔はな。」
「王都でも一番だと言われた。」
「今は半分しか作っとらん。」
アルトは尋ねる。
「どうして?」
老人は遠くを見つめた。
「息子が村を出た。」
「働く者がおらん。」
「歳を取った。」
「もう終わりだ。」
その言葉には、諦めが滲んでいた。
◇
アルトは少し考える。
そして、突然こう言った。
「おじいちゃん。」
「うそつき。」
ベルンが青ざめる。
「ア、アルト君!」
老人も目を丸くした。
「……何だと?」
アルトは畑を指差す。
「ほんとに。」
「やめるひと。」
「くさ。」
「そのまま。」
「でも。」
「ここ。」
「ぬいてる。」
老人は思わず畑を見る。
確かに、雑草だらけの畑だった。
しかし、麦の周りだけは丁寧に草が抜かれている。
アルトはにっこり笑った。
「まだ。」
「すき。」
「こむぎ。」
老人は何も言えなかった。
◇
前世でも似たようなことがあった。
定年間近の営業マン。
「もう辞めるから」と言いながら、誰よりも丁寧に顧客対応をしていた。
本当に諦めた人は、努力をしない。
努力を続けている人は、心のどこかでまだ諦めていない。
営業課長だったアルトは、それを何度も見てきた。
◇
老人は畑へしゃがみ込む。
麦をそっと撫でた。
「……毎朝。」
「気付いたら草を抜いていた。」
「癖みたいなもんだ。」
アルトは嬉しそうに頷く。
「やっぱり。」
「まだ。」
「すき。」
老人は苦笑した。
「負けたな。」
「二歳児に見透かされるとは。」
◇
アルトは一本の麦を手に取る。
「おいしい。」
「なのに。」
「しらない。」
「もったいない。」
老人は静かに頷いた。
「そうだ。」
「味なら誰にも負けん。」
アルトは笑顔になる。
「じゃあ。」
「しって。」
「もらおう。」
「……どうやって?」
「ぼく。」
「かんがえる。」
老人はその言葉を聞いて、大きく笑った。
「はっはっは!」
「久しぶりだ!」
「こんなに笑ったのは!」
ベルンも目頭を押さえる。
「アルト君……。」
◇
その日の夕方。
村の集会所。
老人が自分から立ち上がった。
村人たちは驚く。
「ギルじい?」
「話すのか?」
老人はゆっくり村人たちを見回した。
「俺は。」
「もう村は終わりだと思っていた。」
「だが。」
「まだ終わってなかった。」
「このチビに教えられた。」
村人たちがアルトを見る。
「俺はもう一度、小麦を作る。」
「だから。」
「お前たちも諦めるな。」
静まり返っていた集会所に、小さな拍手が響く。
やがて一人。
また一人。
拍手は大きくなっていく。
若い農夫が立ち上がった。
「俺もやります!」
「うちの畑ももう一度耕します!」
「私も手伝う!」
「収穫なら任せて!」
少しずつ。
本当に少しずつ。
止まっていた村が動き始めた。
◇
夜。
宿へ戻る道。
教授が空を見上げながら言う。
「アルト君。」
「今日は改革の第一歩でしたね。」
アルトは首を振る。
「ちがう。」
「え?」
「はじめの。」
「ひとり。」
営業でも同じだった。
改革は制度から始まらない。
設備からでもない。
最初に変わるのは、一人の人の心。
その変化が、やがて周りへ広がっていく。
アルトは満天の星空を見上げ、小さく笑った。
(ここからが本番だ。)
ミルフィ村改革。
営業課長、第二の挑戦が静かに幕を開けた。
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営業メモ㊾
『人は理屈では動かない。心が動いて初めて行動が変わる。』
数字やデータだけでは、人は変われない。
相手の本当の想いを見つけ、その火をもう一度灯す。
営業とは、商品を売る仕事ではなく、人の心に火をつける仕事である。
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――第2部「営業課長、王都で信用を築く編」完――
――次回、第五十一話
第3部「営業課長、消えかけた村を再生する編」開幕。
――次回、第五十一話「営業課長、村のパンをブランドにする」
ミルフィ村改革、いよいよ本格始動。
アルトが最初に目を付けたのは、「王都一の味なのに誰も知らないパン」だった。
営業課長は、異世界初の"ブランド戦略"を仕掛ける――。




