第四十九話 営業課長、消えかけた村へ行く
夏空の下、王都を出た馬車は街道をゆっくりと進んでいた。
御者台では騎士が周囲を警戒し、荷台には生活用品や調査道具が積み込まれている。
アルトは窓から流れる景色を眺めていた。
黄金色に揺れる麦畑。
小川を渡る石橋。
のどかな風景が続く。
「どうだ?」
ガイルが声を掛ける。
「初めての長旅だぞ。」
アルトは嬉しそうに頷いた。
「たのしい。」
「それは良かった。」
教授も笑う。
「ですが、目的は旅行ではありませんからね。」
「うん。」
「おしごと。」
その返事に馬車の中は笑いに包まれた。
「二歳児がお仕事か。」
「将来が楽しみですね。」
◇
四日後。
馬車は山間にある小さな村へ到着した。
木製の看板には、
『ミルフィ村』
と書かれている。
しかし――。
「あれ?」
リディアが辺りを見回した。
「人が……いませんね。」
昼間だというのに、人影はまばらだった。
畑には雑草が生え、家の屋根も傷んでいる。
井戸の周りには誰も集まっていない。
子どもの笑い声も聞こえなかった。
アルトは静かに村を見渡した。
(思った以上に深刻だ。)
◇
村長宅。
迎えてくれたのは六十代ほどの男性だった。
「ようこそお越しくださいました。」
「村長のベルンです。」
その笑顔は穏やかだったが、どこか疲れ切っていた。
応接室へ案内される。
机に並んだお茶も質素だった。
ベルンは申し訳なさそうに頭を下げる。
「十分なおもてなしもできず……。」
「気にしない。」
アルトが答える。
「ありがとう。」
ベルンは少し驚いた顔をした。
「礼儀正しいお子さんですな。」
◇
食事の後、アルトは村を歩き始めた。
「まず。」
「みる。」
教授は頷く。
「現地調査ですね。」
アルトは家を一軒一軒眺める。
畑も見る。
井戸も見る。
道も歩く。
そして何より、人を見る。
老人ばかり。
若者はほとんどいない。
空き家も目立つ。
営業時代なら、まず数字を見る。
しかし数字だけでは分からないことがある。
現場へ行けば、人の表情が見える。
そこに本当の課題が隠れている。
◇
畑で一人の老人が麦を刈っていた。
「こんにちは。」
アルトが声を掛ける。
老人は優しく笑う。
「こんにちは。」
「都会の坊ちゃんかい?」
「ううん。」
「アルト。」
「二さい。」
「ははは!」
老人は豪快に笑った。
「小さいのによく喋るなぁ!」
アルトは畑を見つめる。
「おいしそう。」
老人は嬉しそうに頷いた。
「うちの小麦は自慢だからな。」
「王都のパン屋にも負けない味だ。」
「じゃあ。」
「なんで。」
「うれない?」
その一言で老人の笑顔が消えた。
「……。」
しばらく沈黙が続く。
やがて老人は寂しそうに笑った。
「誰も知らないからさ。」
◇
その日の夕方。
村の集会所。
村人たちが集まっていた。
老人がほとんどで、若者は数えるほどしかいない。
村長ベルンが口を開く。
「皆さん。」
「王都から調査団が来てくださいました。」
村人たちは期待半分、不安半分といった表情だった。
「どうせ変わらん。」
誰かが小さく呟く。
「前にも役人は来た。」
「話を聞いて終わりだった。」
重苦しい空気が流れる。
アルトは椅子から降りると、部屋の真ん中まで歩いた。
そして、村人たちを見回した。
「ぼく。」
「みんなに。」
「おねがい。」
「お願い?」
村人たちが首を傾げる。
アルトは大きく息を吸った。
「このむら。」
「きらい?」
部屋が静まり返る。
誰も答えられない。
「ぼくは。」
「すき。」
「まだ。」
「きたばかり。」
「でも。」
「こむぎ。」
「おいしい。」
「ひと。」
「やさしい。」
「だから。」
「なくなる。」
「いや。」
短い言葉だった。
だが、その一つ一つが村人たちの胸に届いた。
ベルンの目には涙が浮かんでいた。
「ありがとう……。」
「そんなことを言ってくれた子は、初めてだ。」
◇
集会が終わったあと。
教授がアルトへ尋ねる。
「明日から何を始めますか?」
アルトは迷わず答えた。
「まず。」
「ひとり。」
「え?」
「いちばん。」
「こまってるひと。」
「たすける。」
教授は静かに微笑んだ。
「なるほど。」
営業でも同じだった。
会社全体を変えようとしても難しい。
まずは一人のお客様。
一人の社員。
一つの成功を作る。
その成功は必ず周囲へ広がっていく。
◇
その夜。
村外れの古い倉庫。
黒い外套の男が静かに村を見下ろしていた。
「標的は到着しました。」
部下が報告する。
男は小さく笑う。
「村人を利用しろ。」
「改革が失敗すれば、王国の信用も落ちる。」
「……承知しました。」
月明かりが銀色の歯車の紋章を照らす。
アルトの地方改革は、始まったばかりだった。
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営業メモ㊽
『答えは会議室ではなく、現場にある。』
資料や数字は大切だ。
しかし、本当の課題は現場で働く人、お客様の声の中にある。
まず現場を見る。
そして聞く。
すべてはそこから始まる。
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――次回、第五十話「営業課長、村一番の頑固じいさんを口説く」
改革に反対する頑固な老人。
「今さら何をやっても無駄だ。」
その一言から始まる、営業課長と村一番の頑固者との真剣勝負――。




