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第四十四話 営業課長、初めて誘拐される


夏休みを目前に控えた王都。


街は祭りの準備で賑わっていた。


露店が並び、子どもたちは走り回り、楽師たちが陽気な音楽を奏でている。


「アルト君、一緒に行きましょう!」


リディアが笑顔で声を掛ける。


今日は学院の研究員たちと市場調査を兼ねた見学の日だった。


「新しい魔道具の参考にもなりますから。」


教授も頷く。


「市場ほど、お客様の本音が聞ける場所はありません。」


アルトも嬉しそうに頷いた。


(現場主義か。)


営業時代も同じだった。


会議室で考えるより、現場へ行った方が答えは見つかる。



市場は想像以上の人混みだった。


「焼き菓子いかがですか!」


「新鮮な果物ですよ!」


「認証付き送風具あります!」


あちこちから威勢の良い声が響く。


アルトは歩きながら店先を眺めていた。


「こんにちは。」


「送風具、どうですか?」


店主は笑顔で答える。


「最高だよ!」


「でもな。」


「持ち運ぶ袋が欲しいって人が多い。」


「なるほど。」


「子ども向けの色違いも人気が出そうだ。」


アルトは一つ一つを心の中にメモしていく。


(お客様は次のヒントをくれる。)



その頃。


市場の屋根の上では、黒い外套の男たちが静かに見下ろしていた。


「標的を確認。」


「護衛は教授一名、研究員三名。」


「王宮騎士なし。」


「予定通り実行する。」


銀色の歯車の紋章が陽射しを反射する。



「アルト君。」


リディアが呼ぶ。


「少し休憩しましょう。」


その瞬間だった。


パンッ!


白い煙が一気に広がる。


「きゃあ!」


「煙玉だ!」


市場は大混乱になった。


人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。


教授が叫ぶ。


「アルト君!」


だが返事はない。


煙が晴れた時。


アルトの姿だけが消えていた。



目を開けると、薄暗い部屋だった。


石造りの壁。


小さな窓。


椅子に座らされている。


手足は縄で縛られていた。


「……誘拐か。」


思わず口に出る。


前世でも会社の研修で危機管理は学んだ。


『誘拐されたら無闇に抵抗するな。』


『犯人を観察しろ。』


『生き残ることを最優先に。』


アルトは深呼吸した。


(まずは情報収集。)


部屋には三人。


見張り役が二人。


奥には責任者らしい男。


年齢は三十代後半。


右頬に一本の傷があった。


「起きたか。」


男が低い声で言う。


「怖くないのか?」


アルトは首を傾げる。


「ちょっと。」


「だけ。」


本当は少し怖い。


だが、相手に悟らせる方が危険だった。



男は椅子へ腰掛ける。


「送風具。」


「誰が考えた?」


「ぼく。」


「他には?」


「みんな。」


「みんな?」


「先生。」


「リディア。」


「アレン。」


「みんな。」


男は眉をひそめる。


情報を引き出そうとしている。


アルトも分かっていた。


(営業は聞く仕事。)


相手が質問している時は、相手も情報を欲しがっている。


ならば、こちらも聞けばいい。


「おじさん。」


「だれ?」


男が少し笑う。


「おじさんか。」


「久しぶりに言われたな。」


「私はゼクト。」


「商人だ。」


(嘘だ。)


手を見る。


剣ダコがある。


歩き方も兵士に近い。


商人ではない。



アルトは小さく笑った。


「うそ。」


部屋が静まり返る。


「……何?」


「商人。」


「ちがう。」


ゼクトの目が細くなる。


「どうしてそう思う?」


「手。」


「かたい。」


「剣。」


「つかう。」


見張り役まで驚いていた。


「隊長……。」


ゼクトは思わず自分の手を見た。


「見抜かれたか。」


そして苦笑した。


「本当に二歳か?」



その頃。


王都では大騒ぎになっていた。


「アルト君がさらわれた!」


教授は王宮へ駆け込む。


リディアは泣きながら事情を説明していた。


ガイルは拳を強く握り締める。


「必ず助ける。」


その時。


王宮の奥から聞き覚えのある声が響く。


「私も行きます。」


現れたのは王女エリシアだった。


「アルトは私の友達です。」


「友達を助けるのは当たり前です。」


王は困った表情を浮かべる。


「しかし危険だ。」


「それでも。」


エリシアの青い瞳には強い決意が宿っていた。


その姿を見た近衛騎士団長が一歩前へ出る。


「陛下。」


「我ら近衛騎士団が責任を持って救出いたします。」


王はゆっくり頷いた。


「総力を挙げよ。」


「必ずアルトを無事に連れ戻せ。」


王国中が、一人の二歳児を救うために動き始めた。


一方その頃――。


アルトは誘拐犯たちへ、にこりと笑っていた。


「おじさん。」


「商売。」


「へた。」


ゼクトは思わず吹き出す。


「ははっ!」


「誘拐された子どもに営業指導されるとはな。」


その笑顔の裏で、アルトは静かに策を巡らせていた。


(さて。)


(ここからが営業課長の本領だ。)


━━━━━━━━━━━━━━


営業メモ㊸


『相手を説得したいなら、まず相手を知れ。』


営業は話す仕事ではない。


観察し、質問し、相手を理解する仕事だ。


情報を持つ者ほど、有利に交渉を進められる。


━━━━━━━━━━━━━━


――次回、第四十五話「営業課長、誘拐犯を顧客にしてしまう」


監禁された密室で始まる奇妙な商談。


営業課長は剣も魔法も使わず、"会話"だけで誘拐犯たちの心を揺さぶり始める――。

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