第四十四話 営業課長、初めて誘拐される
夏休みを目前に控えた王都。
街は祭りの準備で賑わっていた。
露店が並び、子どもたちは走り回り、楽師たちが陽気な音楽を奏でている。
「アルト君、一緒に行きましょう!」
リディアが笑顔で声を掛ける。
今日は学院の研究員たちと市場調査を兼ねた見学の日だった。
「新しい魔道具の参考にもなりますから。」
教授も頷く。
「市場ほど、お客様の本音が聞ける場所はありません。」
アルトも嬉しそうに頷いた。
(現場主義か。)
営業時代も同じだった。
会議室で考えるより、現場へ行った方が答えは見つかる。
◇
市場は想像以上の人混みだった。
「焼き菓子いかがですか!」
「新鮮な果物ですよ!」
「認証付き送風具あります!」
あちこちから威勢の良い声が響く。
アルトは歩きながら店先を眺めていた。
「こんにちは。」
「送風具、どうですか?」
店主は笑顔で答える。
「最高だよ!」
「でもな。」
「持ち運ぶ袋が欲しいって人が多い。」
「なるほど。」
「子ども向けの色違いも人気が出そうだ。」
アルトは一つ一つを心の中にメモしていく。
(お客様は次のヒントをくれる。)
◇
その頃。
市場の屋根の上では、黒い外套の男たちが静かに見下ろしていた。
「標的を確認。」
「護衛は教授一名、研究員三名。」
「王宮騎士なし。」
「予定通り実行する。」
銀色の歯車の紋章が陽射しを反射する。
◇
「アルト君。」
リディアが呼ぶ。
「少し休憩しましょう。」
その瞬間だった。
パンッ!
白い煙が一気に広がる。
「きゃあ!」
「煙玉だ!」
市場は大混乱になった。
人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
教授が叫ぶ。
「アルト君!」
だが返事はない。
煙が晴れた時。
アルトの姿だけが消えていた。
◇
目を開けると、薄暗い部屋だった。
石造りの壁。
小さな窓。
椅子に座らされている。
手足は縄で縛られていた。
「……誘拐か。」
思わず口に出る。
前世でも会社の研修で危機管理は学んだ。
『誘拐されたら無闇に抵抗するな。』
『犯人を観察しろ。』
『生き残ることを最優先に。』
アルトは深呼吸した。
(まずは情報収集。)
部屋には三人。
見張り役が二人。
奥には責任者らしい男。
年齢は三十代後半。
右頬に一本の傷があった。
「起きたか。」
男が低い声で言う。
「怖くないのか?」
アルトは首を傾げる。
「ちょっと。」
「だけ。」
本当は少し怖い。
だが、相手に悟らせる方が危険だった。
◇
男は椅子へ腰掛ける。
「送風具。」
「誰が考えた?」
「ぼく。」
「他には?」
「みんな。」
「みんな?」
「先生。」
「リディア。」
「アレン。」
「みんな。」
男は眉をひそめる。
情報を引き出そうとしている。
アルトも分かっていた。
(営業は聞く仕事。)
相手が質問している時は、相手も情報を欲しがっている。
ならば、こちらも聞けばいい。
「おじさん。」
「だれ?」
男が少し笑う。
「おじさんか。」
「久しぶりに言われたな。」
「私はゼクト。」
「商人だ。」
(嘘だ。)
手を見る。
剣ダコがある。
歩き方も兵士に近い。
商人ではない。
◇
アルトは小さく笑った。
「うそ。」
部屋が静まり返る。
「……何?」
「商人。」
「ちがう。」
ゼクトの目が細くなる。
「どうしてそう思う?」
「手。」
「かたい。」
「剣。」
「つかう。」
見張り役まで驚いていた。
「隊長……。」
ゼクトは思わず自分の手を見た。
「見抜かれたか。」
そして苦笑した。
「本当に二歳か?」
◇
その頃。
王都では大騒ぎになっていた。
「アルト君がさらわれた!」
教授は王宮へ駆け込む。
リディアは泣きながら事情を説明していた。
ガイルは拳を強く握り締める。
「必ず助ける。」
その時。
王宮の奥から聞き覚えのある声が響く。
「私も行きます。」
現れたのは王女エリシアだった。
「アルトは私の友達です。」
「友達を助けるのは当たり前です。」
王は困った表情を浮かべる。
「しかし危険だ。」
「それでも。」
エリシアの青い瞳には強い決意が宿っていた。
その姿を見た近衛騎士団長が一歩前へ出る。
「陛下。」
「我ら近衛騎士団が責任を持って救出いたします。」
王はゆっくり頷いた。
「総力を挙げよ。」
「必ずアルトを無事に連れ戻せ。」
王国中が、一人の二歳児を救うために動き始めた。
一方その頃――。
アルトは誘拐犯たちへ、にこりと笑っていた。
「おじさん。」
「商売。」
「へた。」
ゼクトは思わず吹き出す。
「ははっ!」
「誘拐された子どもに営業指導されるとはな。」
その笑顔の裏で、アルトは静かに策を巡らせていた。
(さて。)
(ここからが営業課長の本領だ。)
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営業メモ㊸
『相手を説得したいなら、まず相手を知れ。』
営業は話す仕事ではない。
観察し、質問し、相手を理解する仕事だ。
情報を持つ者ほど、有利に交渉を進められる。
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――次回、第四十五話「営業課長、誘拐犯を顧客にしてしまう」
監禁された密室で始まる奇妙な商談。
営業課長は剣も魔法も使わず、"会話"だけで誘拐犯たちの心を揺さぶり始める――。




