第二十九話 営業課長、天才と出会う
夏の終わりを感じさせる風が、王都の街路樹を優しく揺らしていた。
屋敷の庭では、リクたちが秘密基地へ持っていく木材を運んでいる。
「アルト!」
「見て見て!」
リクは新しく作った木の盾を誇らしげに掲げた。
「あぅ!」
アルトは嬉しそうに拍手をする。
その微笑ましい光景を、門の外から静かに見つめる青年がいた。
銀色の髪。
知性を感じさせる青い瞳。
王立魔法学院の若き研究員――アレンである。
「……普通の赤ん坊だな。」
彼は小さく呟いた。
学院で聞いた噂とは、あまりにも違う。
商人たちが口をそろえて語る「不思議な赤ちゃん」。
そんな雰囲気はどこにもない。
◇
「ようこそ。」
レオンが玄関まで迎えに来る。
「君が学院の研究員か。」
アレンは丁寧に頭を下げた。
「アレンと申します。」
「教授から、蒼輝石の件でお話を伺っております。」
応接室へ通されると、エマがお茶を用意する。
アルトも抱かれて部屋へ入った。
「やあ。」
アレンは穏やかに笑いかける。
「あぅ。」
アルトも笑顔を返す。
(この人がアレンか。)
瞳の奥に自信がある。
営業時代にも何人か会った。
能力が高く、努力もしている人間の目だ。
だが同時に――
(少し視野が狭そうだ。)
自分の知識に自信がある人ほど、無意識に「自分の知っていることが正しい」と考えてしまう。
それは営業でも研究でも同じだった。
◇
アレンは持参した木箱を開けた。
中には三つの蒼輝石が並んでいる。
「教授から伺いました。」
「アルト様は石がお好きだとか。」
レオンが笑う。
「本当に不思議なくらい好きでな。」
アルトは身を乗り出す。
(学院の石だ。)
どれも青く輝いている。
しかし、一つだけ違和感があった。
(……ひび?)
表面には見えないほど細い亀裂。
そこから魔力が少しずつ漏れ出している。
アレンは気付いていない。
「この三つは、どれも同じ鉱脈から採れたものです。」
「性質も、ほぼ同じと考えられています。」
アルトは心の中で首を振った。
(違う。)
魔力の流れは明らかに違う。
一本だけ、漏れている。
◇
「あぅ!」
アルトはその石を指差した。
アレンが笑う。
「これがお気に入りですか?」
違う。
もう一度指差す。
「あぅ! あぅ!」
「ずいぶん気になるようですね。」
レオンも石を手に取る。
「何か違うのか?」
アレンは首を振る。
「見た目はほぼ同じです。」
「学院でも区別はできません。」
その時だった。
リディアが部屋へ入ってきた。
「失礼します。」
「教授から追加の資料を……。」
彼女はアルトが指差している石を見て、不思議そうな顔をした。
「アレンさん。」
「その石、昨日の実験で落としませんでしたか?」
部屋が静まり返る。
「……え?」
アレンの表情が固まる。
「確か、一度机から落ちていましたよね。」
アレンは慌てて石を手に取り、光へかざした。
「まさか……。」
よく見ると、ごく細い亀裂が入っている。
「こんな傷が……。」
リディアも驚く。
「だから魔力が少し漏れていたんですね。」
アレンはしばらく石を見つめていたが、やがて苦笑した。
「参りました。」
「私は『同じ石』という先入観で見ていました。」
「細かく確認していませんでした。」
レオンは豪快に笑う。
「アルトは気になっていたみたいだぞ。」
アレンはアルトを見る。
「あぅ。」
無邪気に笑う赤ん坊。
しかし、その観察眼だけは本物だった。
(偶然……なのか?)
そう思おうとしても、心のどこかが否定していた。
◇
帰る前。
アレンはレオンへ深く頭を下げた。
「今日は勉強になりました。」
「研究は知識だけでは足りませんね。」
「まず観察すること。」
「その大切さを思い出しました。」
アルトは静かに頷く。
営業でも同じだった。
資料だけで判断した商談は、うまくいかない。
現場を見て、相手を見て、小さな違和感を見逃さない。
その積み重ねが、大きな成果につながる。
アレンは馬車へ乗り込む直前、もう一度屋敷を振り返った。
「アルト様。」
「次にお会いする時までに、私ももっと良い研究者になってみせます。」
それは、ライバル宣言ではなかった。
一人の研究者としての、静かな決意だった。
アルトは小さく手を振る。
「あぅ!」
新しい仲間との出会いは、競い合うためではない。
互いに高め合うためにある。
営業課長は、そのことを誰よりもよく知っていた。
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営業メモ㉘
『先入観は、最高の情報も見えなくする。』
経験は大切だ。
しかし経験だけを信じると、新しい発見を見逃してしまう。
営業でも研究でも、「本当にそうだろうか」と問い続ける姿勢が成長を生む。
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――次回、第三十話「営業課長、初めての共同研究」
「教授が、アルト様にも見学していただきたいそうです。」
王立魔法学院から再び届いた招待状。
今度は一つの実験を見学するためだった。
その実験が、蒼輝石に隠された驚くべき性質を明らかにすることになる――。




