第二百六十四話 営業課長、増やさない改良を提案する
「新しい部品を増やすのは、できれば避けたいわね」
工房の作業台を前に、エルダが腕を組んでいた。
机の上には、昨日ガルドから聞いた要望を書き出した紙が並んでいる。
蓋を開いたまま固定できること。
中身を取り出すときに邪魔にならないこと。
洗いやすいこと。
壊れたときに修理しやすいこと。
「確かに、専用の支えを追加すれば、部品代も作業工程も増えますね」
俺が言うと、エルダは頷いた。
「固定する金具を増やせば、その金具を取り付ける場所も必要になる。取り付け部分が緩めば、そこが新しい故障箇所になるわ」
ダリオも机の上の図面を見ていた。
「部品が増えれば、仕入れる材料も増える。交換部品を用意する必要も出てくるな」
ミハイルが勢いよく手を挙げた。
「では、部品を増やさずに、今ある部品を二倍働かせましょう!」
「二倍?」
「はい! 留め具に蓋を支える役目も持たせるんです!」
エルダが少し考えた。
「考え方は悪くないわ。でも、留め具に余計な力がかかると、今度は固定する機能が弱くなるかもしれない」
「そうでした……」
ミハイルの勢いが、少しだけしぼんだ。
俺は机の上の保温容器を見た。
「エルダ。蓋が開いたとき、今の留め具はどんな状態になっていますか?」
「開いた後は、容器の側面に沿うようになっているわ。蓋を固定する役目だけね」
「その動きを少し変えられませんか?」
「どういうこと?」
「蓋を開いたとき、留め具の一部が引っ掛かる位置に来るようにできれば、支えとして使える可能性があります」
ダリオが容器を手に取った。
「蓋を開いたときに、留め具の形状で止めるのか」
「そうです。ただし、閉めるときには簡単に解除できなければなりません」
エルダは留め具を外し、形状を確認した。
「今の形を少し変えるだけでできるかもしれない。ただ、開閉の動きが複雑にならないか試す必要があるわね」
「新しい部品を増やさずに済めば、製造工程も大きく変えずに済みます」
ミハイルが再び顔を上げた。
「それなら、私の十三枚目の案は不要ですね!」
「まだ何も作っていないだろう」
「危うく、十四枚目まで増えるところでした」
「案の数を自慢するな」
工房に笑いが起きた。
エルダは紙を取り出し、留め具の形状を描き始めた。
「まずは、蓋を開いたときに留め具が引っ掛かる部分を作る。これなら部品を追加せずに済む」
「ただし、引っ掛かりが強すぎると、閉めるときに力が必要になりますね」
俺が言うと、ダリオが頷いた。
「逆に弱すぎれば、蓋を支えられない」
「それに、容器を傾けたときに外れないことも確認しないといけないわ」
エルダは図面の横に、確認項目を書き足した。
「開いた状態で止まるか。閉じるときに無理な力が必要ないか。容器を動かしたときに外れないか。洗うときに汚れが残らないか」
ミハイルが帳面を開いた。
「私が記録します!」
「頼む。ただし、まだ試作品だからな。完成したような書き方はするなよ」
「分かりました。試作案として記録します!」
エルダは古い留め具を一つ取り出した。
「まずは、この形を少し変えてみるわ」
加工は慎重に進められた。
留め具の端に小さな段差を設け、蓋を開いたときに容器側の受け部分へ引っ掛かるようにする。
大きく形を変える必要はない。
しかし、わずかな形状の違いで、動きが変わる可能性がある。
「できたわ」
エルダが試作品を取り付けた。
蓋をゆっくり開く。
カチッ。
留め具が受け部分に引っ掛かった。
蓋は開いた状態で止まっている。
「おお!」
ミハイルが声を上げた。
「部品を増やさずに、蓋が立ったままです!」
「まだ一度成功しただけよ」
エルダが蓋を軽く揺らした。
蓋は少し動いたが、外れなかった。
「固定はできているみたいね」
ダリオが蓋を閉じようとした。
ところが、最後のところで動きが止まった。
「ん? 閉まらないぞ」
エルダが留め具を確認する。
「引っ掛かりが強すぎるわ。閉じるときに、少し力を入れないと外れない」
俺は蓋を受け取り、同じ動きを試した。
確かに、開いた状態から閉じるには、留め具を少し持ち上げる必要がある。
「これでは、今までより操作が増えてしまいますね」
「そうね。蓋を置く手間は減っても、閉める手間が増えたら意味がないわ」
ミハイルが考え込んだ。
「便利にしたつもりが、不便を移動させただけですね」
「いい表現だな」
俺は頷いた。
「一つの作業を楽にするために、別の作業を難しくしてはいけない」
エルダは試作品を取り外した。
「引っ掛かる部分の角度を変えてみるわ。止まるときは確実に、解除するときは軽く動くようにしたい」
「ただ、弱くしすぎると、蓋が勝手に閉じる可能性があります」
「分かっている。少しずつ調整するわ」
二つ目の試作品では、引っ掛かる部分の角度を緩やかにした。
蓋を開く。
カチッ。
今度も開いた状態で止まった。
閉じる。
カチッ。
先ほどより軽い力で解除できた。
「おっ、今度はいいんじゃないですか?」
ミハイルが蓋を開閉する。
開く。
止まる。
閉じる。
何度か繰り返したが、動きは自然だった。
「操作感は改善したわね」
エルダが言った。
「でも、まだ確認することがある」
俺は蓋を開いた状態で容器を持ち上げた。
少し横に傾ける。
すると、蓋がわずかに揺れた。
「完全には安定していないですね」
ダリオが蓋を押さえた。
「この状態で店の中を動かしたら、外れるかもしれないな」
「ガルドさんは、蓋を開いたまま容器を持ち運ぶとは言っていません。ただ、通常の使用で外れないことは確認したいです」
エルダが頷いた。
「それに、洗浄も試す必要があるわ。段差の部分に汚れが残りやすくないか確認しないと」
ミハイルが帳面に書き込んだ。
「蓋の固定、解除のしやすさ、揺れ、洗いやすさ……」
「ほかには?」
俺が尋ねると、ミハイルは少し考えた。
「壊れたときに、留め具だけ交換できるかどうかです」
「いいな。それも確認しよう」
エルダが微笑んだ。
「ミハイル、今日はずいぶん良い記録係ね」
「ありがとうございます!」
「余計な項目もないし」
「そこは特に頑張りました!」
「自分で言うのか」
俺たちは試作品をいったん保管し、追加の確認項目を整理した。
新しい部品を増やさずに、蓋を開いた状態で固定する。
方向性としては悪くない。
しかし、今の段階では試作に成功しただけだ。
実際に使ってもらい、問題がないか確かめなければならない。
「ガルドさんに見てもらうのは、もう少し試験をしてからですね」
俺が言うと、エルダが頷いた。
「ええ。今のまま渡して、使いやすくなったと判断するのは早いわ」
ミハイルは試作品を見つめた。
「課長。部品を増やさずに改良できると、材料費も抑えられますね」
「そうだな」
「それなら、ガルドさんにも安く提供できるかもしれません!」
「そこはまだ計算していない」
「……そうでした」
「加工の手間が増えていないか、作業時間はどう変わるか、耐久性を保てるか。そこまで確認してから価格を考える」
「分かりました。便利になったから高く売れる、というわけでもないんですね」
「お客様が価値を感じることと、こちらが利益を出せること。その両方を考える必要がある」
ミハイルは真剣に頷いた。
その直後、試作品をもう一度手に取った。
「それにしても、部品を増やさずに機能を増やすとは……」
「どうした?」
「この留め具、働き者ですね。私も見習わないと」
「まずは一つの仕事を確実にやってくれ」
「私も二つの仕事を同時にこなせます!」
「この前、帳面と昼食を同時に持って転んでいただろう」
「それは両手の配分を間違えただけです!」
エルダが笑い、ダリオも肩を揺らした。
新しい機能を追加することは、見た目ほど簡単ではない。
しかし、今あるものの使い方を見直すことで、余計な負担を増やさずに改善できる可能性もある。
大切なのは、機能を増やすことではなく、使う人の手間を減らすこと。
俺たちは、次の試験に向けて準備を始めた。
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営業メモ ②⑥③
新しい機能を追加するときは、便利になる部分だけでなく、新たに増える手間や故障のリスクも考える必要があります。
既存の仕組みを工夫することで、部品や工程を増やさずに問題を解決できる場合もあります。
営業でも、提案を増やすことが必ずしも顧客満足につながるわけではありません。相手の負担を減らし、必要な価値をシンプルに届けることが重要です。
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次回予告
第二百六十五話 営業課長、試作品の思わぬ弱点を見つける
部品を増やさず、蓋を開いたまま固定できる仕組みが形になった。
しかし、繰り返し開閉するうちに、留め具の一部に小さな変化が見つかる。
「便利になった分、別の場所に負担がかかっているのかもしれない」
エルダの言葉に、アルトたちは再び試験を始める。
そしてミハイルは、試作品に妙な名前を付けようとしていた……。




