第二百六十三話 営業課長、便利さと使いやすさの違いを考える
「課長! 新機能の案を考えてきました!」
朝からミハイルが、分厚い紙束を抱えてやってきた。
嫌な予感しかしない。
「……何枚ある?」
「全部で十二枚です!」
「多いな」
「ガルドさんの要望を実現するため、夜遅くまで考えました!」
「その熱意は認める。だが、十二枚も必要なのか?」
「もちろんです! お客様の期待に応えるには、選択肢が必要ですから!」
俺は一枚目を受け取った。
そこには、大きな文字でこう書かれていた。
『蓋を自動で開閉する仕組み』
「これは?」
「蓋を開けるときに、留め具を操作するだけで自動的に開きます!」
「どうやって?」
「ばねを使います!」
「閉めるときは?」
「別のばねを使います!」
「ばねだらけだな」
ミハイルは得意げに次の紙を出した。
『蓋を置く専用台』
「これは、容器の横に小さな台を取り付けます。開けた蓋をそこに置けば、両手が自由になります!」
「台を付けると、容器が大きくなるな」
「では、折り畳み式にします!」
「部品が増える」
「では、取り外し式に!」
「今度は外した部品をなくす」
ミハイルの勢いが少し弱まった。
エルダが紙束を覗き込む。
「これは、蓋を容器の上で固定する案ね」
「はい! さらに、蓋が倒れないように支える部品も付けます!」
「その部品は洗いやすいの?」
「……」
「取り付け部分に汚れが残らない?」
「……」
「壊れたとき、交換できる?」
ミハイルは紙束を胸に抱えた。
「新機能を考えるのは、なかなか難しいですね」
「機能を追加すること自体は難しくないわ。でも、追加したことで別の不便が生まれないか考える必要があるの」
俺はミハイルの案を机に並べた。
どれも、ガルドの話を聞いて考えたものだ。
だが、本人が本当に求めていることと、ミハイルが考えた機能には少し距離がある。
「ミハイル。ガルドさんは何と言っていた?」
「蓋を置く手間を減らしたい、です」
「そうだな。蓋を自動で開けたいと言ったか?」
「いいえ」
「専用台が欲しいと言ったか?」
「いいえ」
「では、俺たちは何を解決しようとしている?」
ミハイルは考え込んだ。
「蓋を置く手間……です」
「そうだ。機能を考える前に、困っていることをもう一度整理しよう」
エルダが頷いた。
「まず、蓋を開ける。次に、蓋をどこかに置く。その間、片手がふさがる。ガルドさんは忙しいときに、そこを不便に感じているのね」
「そうです」
「だったら、蓋を置く場所を作ることだけが解決策ではないわ」
俺は紙に簡単な図を描いた。
「例えば、蓋を完全に取り外さず、開いた状態で固定できればどうだ?」
ダリオが図を覗き込んだ。
「容器と蓋をつないだままにするのか?」
「そうです。蓋を開けても、横に置く必要がなくなります」
「なるほど。ただ、固定する部分が弱ければ、蓋が勝手に閉じるかもしれないな」
エルダが続けた。
「それに、開いた状態で邪魔にならない位置に止まる必要があるわ。容器の中身を取り出すときに、手に当たるようでは意味がない」
「洗いやすさも必要ですね」
俺は頷いた。
「便利にするために追加した部品が、掃除の手間を増やしたら本末転倒です」
ミハイルが恐る恐る手を挙げた。
「課長。質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「便利な機能を増やすことが、必ずしも使いやすさにつながらないということですか?」
「その通りだ」
「では、機能が少ない商品の方が良いんでしょうか?」
「それも違う」
俺はミハイルの紙束を指で叩いた。
「必要な機能なら追加すればいい。問題は、誰のどんな不便を解消するための機能なのか、ということだ」
「なるほど……」
ミハイルは一枚目の紙を見つめた。
「私の案は、便利そうな機能を考えることが先になっていたんですね」
「そうだな。ガルドさんが困っている場面を、もう少し詳しく確認する必要がある」
「もう一度、店に行きましょう!」
「その前に、今ある容器で確認できることを試そう」
エルダが試験用の保温容器を机に置いた。
「蓋を開いたままにする方法を、簡単に試してみましょう」
ダリオが木片を持ってきた。
「仮の支えとして使えるかもしれない」
「ただし、これは構造を決めるための試作品ではありません。開いた状態が使いやすいかを確かめるだけです」
俺が言うと、エルダが頷いた。
木片を使って、蓋を開いた位置で仮に支える。
蓋は容器の横に倒れず、開いたまま止まった。
「これなら、片手が空きますね」
ミハイルが嬉しそうに言った。
エルダは容器の中を覗き込んだ。
「中身も取り出しやすいわ。ただ、この位置だと蓋が少し邪魔ね」
「確かに、手を入れると当たりそうです」
ダリオが蓋を少し横にずらした。
「こうすればどうだ?」
今度は中身を取り出しやすくなった。
しかし、容器を持ち上げると、仮の支えが外れてしまった。
「固定が弱いな」
「持ち運ぶときにも外れないようにする必要がありますね」
エルダが木片を取り外した。
「それに、蓋を開いたままにする仕組みがあると、閉め忘れも起きるかもしれないわ」
「閉め忘れ?」
「開いた状態が便利だからといって、そのまま放置される可能性もあるでしょう?」
俺は頷いた。
使いやすさを考えるときには、便利な場面だけを見てはいけない。
使い終わった後の動作も考える必要がある。
「一つ機能を追加するだけで、確認することがずいぶん増えるんですね」
ミハイルが言った。
「だからこそ、先に顧客の使い方を知ることが大切なんだ」
「分かりました。ガルドさんに、もう少し詳しく聞いてきます」
「そうしよう。ただし、こちらの案を先に見せるなよ」
「どうしてですか?」
「こちらの案を見せると、ガルドさんが本当に欲しいものではなく、俺たちの案に合わせて感想を言ってしまうかもしれない」
エルダが頷いた。
「何も見せずに、普段どおり使ってもらう方がいいわね」
翌日、俺たちは再びガルドの店を訪れた。
「おう、また来たのか」
「昨日の使用感について、もう少し聞かせてください」
「いいよ。何が知りたい?」
俺はまず、蓋を置く場面について尋ねた。
「蓋を置くとき、どこに置くことが多いですか?」
「棚の端だな。近くに空きがあれば、そこに置いている」
「置く場所がないときは?」
「片手で持ったまま、中身を取り出すこともある」
「そのとき、一番困るのは何ですか?」
ガルドは少し考えた。
「うーん。蓋を持っていると、飲み物を注ぐときに容器を支えにくいんだよ。急いでいると、こぼしそうになる」
「蓋を置くことそのものより、両手が使えないことが問題なんですね」
「ああ。そういうことだな」
エルダが質問を続けた。
「蓋を開いたまま固定できれば便利だと思いますか?」
「それは便利だろうな。ただ、必ず必要というわけでもない」
「ほかに、気になることはありますか?」
「そうだな。洗うときに部品が邪魔にならない方がいい。あと、壊れたときに簡単に直せると助かる」
俺はその言葉を記録した。
蓋を開いたまま固定できること。
中身を取り出すときに邪魔にならないこと。
洗いやすいこと。
壊れたときに修理しやすいこと。
これが、ガルドの使い方から見えてきた条件だった。
「ありがとうございます。すぐに作れるとは約束できませんが、今のお話をもとに検討します」
「頼むよ。ただ、あまり複雑なものにはしないでくれ。店で使う道具だからな」
「分かりました」
店を出ると、ミハイルが大きく息を吐いた。
「課長。最初に聞いたときと、ずいぶん印象が違いました」
「そうだな」
「私は、蓋を置く場所を作れば解決すると思っていました。でも、ガルドさんが困っていたのは、両手が使えないことだったんですね」
「そこに気づけたのは大きい」
「便利そうなものを考える前に、何に困っているのか聞く。営業でも商品開発でも同じなんですね」
俺は頷いた。
「お客様の言葉を、そのまま機能に置き換えるだけでは足りない。言葉の奥にある不便を考えるんだ」
ミハイルは、手に持った十二枚の案を見た。
「この十二枚は、どうしましょう?」
「捨てる必要はない。参考資料として残しておけばいい」
「では、十三枚目を作ります!」
「なぜ増やす」
「今度こそ、本当に必要な機能を考えます!」
「その前に、エルダと相談しろ」
「はい!」
ミハイルは元気よく返事をした。
その姿を見ながら、俺は少し笑った。
新しい機能を追加することは、決して悪いことではない。
ただ、機能が増えれば、製造する側の負担も増える。
使う人の手間を減らすつもりが、作る人や修理する人の手間を増やしてしまっては意味がない。
大切なのは、便利そうに見えることではなく、実際に使う人の困りごとが減ることだ。
さて、次はどんな仕組みにするか。
ミハイルの十三枚目の案が、十二枚目よりもまともであることを願いたい。
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営業メモ ②⑥②
顧客の要望を、そのまま新機能に置き換えるだけでは、本当の課題を解決できないことがあります。
「何が欲しいのか」だけでなく、「なぜそれが必要なのか」「どんな場面で困っているのか」まで確認することが重要です。
機能を増やすことが目的ではありません。顧客の負担を減らし、使いやすさを高めることが目的です。
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次回予告
第二百六十四話 営業課長、増やさない改良を提案する
ガルドの話から、必要なのは蓋を開いた状態で固定する仕組みだと分かった。
しかし、エルダは部品を増やすことに慎重だった。
「便利になるのは分かる。でも、壊れる場所も増えるわ」
そこでアルトが提案したのは、新しい部品を増やすのではなく、今ある構造を少し変える方法だった。
果たして、シンプルな改良で使いやすさを実現できるのか。




