第二百六十一話 営業課長、改善した部品を実際の使い方で確かめる
「課長! いよいよ完成ですね!」
工房に入るなり、ミハイルが声を上げた。
俺は加工台の上に並べられた部品を見た。
「まだ完成とは言えないな」
「えっ。昨日、傾きが小さくなったじゃないですか」
「加工した部品の形状が改善したことと、商品として問題なく使えることは別だ」
エルダが頷いた。
「実際に保温容器へ取り付けて、開閉を繰り返す必要があるわね」
今回の部品は、保温容器の蓋を固定するための留め具だ。
これまでの試験では、加工後の厚みや傾き、位置決めガイドとの関係を確認してきた。
しかし、最終的に重要なのは、容器を使う人が何度も蓋を開け閉めしたときに、問題が起きないことだ。
「では、実際の容器に取り付けましょう」
エルダが試験用の保温容器を持ってきた。
ミハイルは、その容器を見て目を輝かせた。
「ついに実戦投入ですね!」
「実戦というほど大げさなものじゃない」
「しかし、相手は毎日開閉する蓋です。油断はできません!」
「蓋と戦うな」
ダリオが笑った。
エルダは新しい留め具を取り付け、蓋の開閉を確認した。
カチッ。
軽い音がして、蓋が固定された。
「閉まり方は自然ね」
「開けるときも問題ありません」
俺も実際に操作してみた。
引っ掛かりはない。
蓋を閉じると、留め具がきちんと固定される。
「まずは一つ目、問題なしですね」
ミハイルが記録帳を開いた。
「では、百回開閉しましょう!」
「いきなり百回か」
「前にも百回試験をしましたから!」
「前回と同じ回数にする必要はない。今回は実際の使い方を想定して、段階的に確認しよう」
俺は容器を指差した。
「普通に開ける。普通に閉める。少し急いで操作する場合も確認する。ただし、無理に力を加えるような使い方はしない」
「分かりました!」
ミハイルが最初の開閉を担当した。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
一定の動作で、蓋を開け閉めしていく。
十回目。
二十回目。
三十回目。
「三十回です!」
「まだ始まったばかりだ」
「課長、応援してください!」
「応援より正確な操作を頼む」
エルダが留め具の状態を確認する。
「今のところ、異常はないわ」
ダリオも部品の接触部分を見た。
「擦れた跡も目立たないな」
さらに試験を続け、五十回を終えた。
ミハイルが手を止めた。
「課長。ここまで問題ありません!」
「一度、状態を確認しよう」
エルダが留め具を確認した。
目立った変形はない。
固定部分にも異常は見られなかった。
「いい感じね」
「では、このまま百回まで続けますか?」
「いや。次は操作する人を変えよう」
俺はエルダに容器を渡した。
「同じ製品でも、人によって開け方や閉め方は少しずつ違います。ミハイルの操作だけで問題がないと判断するわけにはいきません」
「なるほど。私の操作が基準になってしまうわけね」
「そうです」
ミハイルが少し不満そうにした。
「私の操作は、そんなに特殊ですか?」
「普段の動きを見ていると、少し心配だ」
「どういう意味ですか!」
「勢いがある」
「営業には勢いも必要です!」
「蓋には必要ない」
エルダが笑いながら容器を受け取った。
彼女はゆっくり開け、閉める。
次に、片手で容器を支えながら操作した。
その後、蓋の端を軽く押さえながら閉じてみる。
「普通に使う範囲なら、どの操作でも問題なさそうね」
「ただ、少し気になることがあります」
俺が言うと、エルダが手を止めた。
「何かあった?」
「蓋を閉じるとき、最後の固定音が少し違うように感じました」
「音?」
ダリオも耳を傾けた。
「確かに、今のは少し鈍い音だったな」
ミハイルがすぐに容器を覗き込んだ。
「故障ですか!?」
「まだ分からない」
エルダが留め具を確認する。
「部品自体に大きな変化はないわ。でも、蓋との接触部分に薄い跡がある」
「さっきまでなかった跡ですか?」
「確認してみましょう」
エルダは部品を取り外し、接触部分を丁寧に調べた。
そこには、ごく薄い擦れ跡が残っていた。
「この部分が蓋に触れているみたいね」
「取り付け位置の問題でしょうか?」
ダリオが尋ねる。
「可能性はあるわ。ただ、部品の形状が原因なのか、取り付け時の位置なのかは、まだ分からない」
俺は留め具を受け取った。
加工時の傾きは改善している。
しかし、実際に蓋を開閉すると、別の接触が見つかった。
「ここで大切なのは、無理に問題なしと判断しないことです」
ミハイルが頷いた。
「せっかく改善した部品ですから、早く使いたい気持ちはあります。でも、ここで見つかった違いを放置したら、後で困りますね」
「その通りだ」
エルダは留め具を再び取り付けた。
今度は、取り付け位置を少しだけ確認し直す。
蓋を閉める。
カチッ。
先ほどとは違う、自然な音がした。
「音が戻ったわ」
「では、取り付け位置が原因だったんですか?」
ミハイルが尋ねる。
「まだ決められない。取り付け直したことで改善したけれど、もう一度同じ試験をしないとね」
「また試験ですか……」
「どうした、ミハイル?」
「いえ。百回開閉した後に、取り付け直して、また確認するんですよね」
「そうだな」
「蓋も大変ですね」
「蓋の心配をする前に、記録を頼む」
ダリオが笑った。
その後、取り付け位置を確認した状態で、もう一度開閉試験を行った。
今度は、五十回まで大きな異常は見られなかった。
擦れ跡も、最初の試験ほど目立っていない。
ただし、完全に問題が解消したと判断するには、もう少し試験が必要だった。
「今日はここまでにしましょう」
俺が言うと、エルダが頷いた。
「次は、少し時間を置いてから同じ試験をしたいわ。使い続けたときに変化が出ないか確認したい」
「そうですね。開閉直後だけでなく、しばらく使った後の状態も見ましょう」
ダリオが試験用の容器を棚に置いた。
「これで、加工の確認から実際の使用確認まで進んだな」
「ええ。でも、まだ販売用として確定するには早いわ」
ミハイルが記録帳を閉じた。
「課長。今回、分かったことがあります」
「何だ?」
「部品を作る人と、実際に使う人では、見るところが違うんですね」
「そうだな」
「作る人は形や寸法を見る。でも、使う人は開けやすさや閉めやすさを見る」
エルダが笑顔で頷いた。
「その通りよ。どちらか一方だけでは、良い商品にはならないわ」
俺はミハイルを見た。
「営業も同じだ。作り手が良いと思っている商品でも、使う人にとって不便なら売れない。反対に、使う人の感想だけで製造上の問題を無視することもできない」
「つまり、両方の話を聞くことが大切なんですね」
「そういうことだ」
ミハイルは少し考えてから、真剣な顔で言った。
「では、次はガルドさんにも使ってもらいましょう!」
「いい提案だ」
「店で実際に使ってもらえば、もっと多くのことが分かるはずです!」
「ただし、試験が終わる前に販売用として渡すわけにはいかない。まずは試用として、条件を説明したうえで協力してもらおう」
「分かりました!」
ミハイルは勢いよく返事をした。
そして、なぜか保温容器に向かって深く頭を下げた。
「今日はお疲れさまでした!」
「何をしている?」
「百回近くも開け閉めされましたから。労をねぎらっているんです」
「まだ百回には届いていない」
「では、次回もよろしくお願いします!」
俺は小さくため息をついた。
どうやらミハイルは、商品への愛着まで育て始めたらしい。
それは悪いことではない。
ただ、保温容器に挨拶する営業課長補佐というのは、少し珍しい気がした。
俺たちは、改善した留め具を取り付けた試験用の容器を棚に戻した。
加工の問題は少しずつ改善している。
だが、本当に使いやすい商品にするには、まだ確認すべきことが残っている。
次は、作り手ではなく、実際に商品を使う人の目で確かめる番だ。
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営業メモ ②⑥⓪
製造側で問題がないと確認できても、実際の使用環境では別の問題が見つかることがあります。
商品を評価するときは、作り手の視点だけでなく、使う人の操作や使用環境も確認することが重要です。
営業でも、説明した内容が正しいかだけでなく、顧客が実際に使いやすいか、困る場面がないかまで確認することで、購入後の満足度につながります。
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次回予告
第二百六十二話 営業課長、使う人の感想を先回りしない
改善した保温容器を、ガルドに試用してもらうことになった。
ミハイルは自信満々に説明を始めるが、ガルドの反応は予想と違っていた。
「使いやすいかどうかは、これから決めるよ」
その一言に、アルトは営業の基本を改めて考えることになる。




