第二百六十話 営業課長、原因を一つに絞る前に立ち止まる
「課長! 原因が分かりました!」
工房に入るなり、ミハイルが大きな声を上げた。
俺は思わず足を止めた。
「……まだ何も見ていないんだが?」
「昨日の位置決めガイドです! あれを直したら、部品の傾きが小さくなりました!」
「それは昨日確認したな」
「つまり、ガイドが原因です!」
「その結論に飛びつくのは早い」
ミハイルは、納得できないという顔をした。
「でも、直したら改善したんですよ?」
「改善したことと、それだけが原因だと証明できたことは違う」
「うーん……」
俺は工房の奥に目を向けた。
ダリオとエルダは、すでに試験の準備を進めていた。
昨日、位置決めガイドを床の印に合わせ直したことで、加工した部品の傾きが小さくなった。
確かに前進だ。
だが、加工台の水平や支え板の状態も、まだ確認しきれていない。
一つの条件を変えたことで結果が変わったとしても、ほかの条件が同時に変わっていれば、原因を正確に特定することはできない。
「今日は、昨日の結果をもう一度確かめます」
俺が言うと、エルダが頷いた。
「同じ材料を使って、同じ手順で加工するのね」
「はい。それから、ガイドの位置だけを変えた場合と、加工台の状態を確認した場合を分けて比べたいです」
ダリオが腕を組んだ。
「一度に全部直すと、何が効いたのか分からなくなるということか」
「そうです。改善することと、原因を見つけることは、似ているようで違います」
ミハイルが帳面を開いた。
「では、今日の試験は三つですね!」
「三つ?」
「昨日の状態、ガイドを合わせた状態、それから加工台の水平も確認した状態です!」
「整理できているじゃないか」
俺が褒めると、ミハイルは嬉しそうに胸を張った。
「ありがとうございます! さらに四つ目として、私が加工する状態も――」
「それは必要ない」
「なぜですか!」
「お前が加工すると、条件が増えるからだ」
「私自身が変数扱いですか!」
「今のところはな」
ダリオが吹き出した。
エルダも口元を押さえている。
ミハイルは不満そうだったが、すぐに帳面へ目を戻した。
「分かりました。今日は見学と記録に専念します」
「それがいい」
最初の試験では、昨日の状態を再現した。
加工台の水平は、前回と同じ位置で確認する。
位置決めガイドも、昨日調整した位置に固定する。
エルダが部品を置き、ダリオが加工を進めた。
完成した部品を測定すると、昨日と近い結果が出た。
「まずは再現できたわね」
エルダが記録帳に数字を書き込む。
「同じ条件で似た結果が出たということですね」
俺が確認すると、ダリオが頷いた。
「次はガイドの位置を少しだけ変える」
「はい。ただし、元の位置に戻せるように印を付けておきましょう」
ミハイルがすぐに印を確認した。
「こちらが基準位置。こちらが比較位置。間違えないように印を分けます」
「いいな。その調子だ」
「今回は私も役に立っていますね!」
「今のところはな」
「課長、褒めるときは最後まで褒めてください!」
二つ目の試験では、ガイドの位置をわずかに変えた。
加工した部品を並べ、エルダが形状を確認する。
「こちらは、端の傾きが少し大きくなっているわ」
「やはりガイドの位置が影響している可能性は高そうですね」
「そうだな。ただ、これだけではまだ断定できない」
ダリオが慎重に言った。
「次は加工台の水平を確認しよう」
今度は加工台の複数の位置で水準器を使った。
中央だけではなく、左右の端も確認する。
すると、中央では問題がないように見えたが、片側の端ではわずかな違いが出た。
「中央だけ見ていたら、気づかなかったわね」
エルダが言った。
「以前の確認は中央だけだったんですか?」
俺が尋ねると、ダリオは頷いた。
「そうだ。作業台の中央が水平なら、全体も大きく問題ないと思っていた」
「今回のような小さな差を調べるなら、確認する場所も大切ですね」
「確かに」
ダリオは加工台の端を見つめた。
「支え板を交換した後、加工台を移動した。そこで水平を確認したが、中央だけだった。さらにガイドも取り外して戻している」
「それぞれの変更が、少しずつ影響している可能性があります」
エルダが続けた。
「一つだけが悪いのではなく、複数の小さなずれが重なっているのかもしれない」
ミハイルが帳面を見ながら、ゆっくり頷いた。
「なるほど……。犯人は一人とは限らないんですね」
「だから物を犯人扱いするな」
「では、共犯ですか?」
「もっと悪くなったぞ」
ダリオがまた笑った。
しかし、ミハイルは今度はすぐに冗談を続けなかった。
記録帳を見ながら、三つの試験結果を並べている。
「課長。少し気になることがあります」
「何だ?」
「ガイドの位置を変えた試験と、加工台の水平を確認した試験では、結果が違います。でも、加工台の水平を確認しただけでは、まだ部品を加工していませんよね?」
「そうだな」
「ということは、水平が違っていたことは分かりましたが、それが部品の傾きにどのくらい影響するかは、まだ分からないんじゃないですか?」
俺はミハイルを見た。
「その通りだ」
ミハイルの顔が明るくなった。
「やりました!」
「ただし、今の指摘は正しい」
「ただし、が付いても嬉しいです!」
エルダが笑いながら言った。
「少しずつ、確認の仕方が分かってきたみたいね」
「はい! もう、何でも原因だとは言いません!」
「それは頼もしいな」
俺は帳面を指差した。
「では、次は加工台の水平だけを確認して、ほかの条件は変えずに試験しよう」
ダリオが準備を始めた。
加工台の位置はそのまま。
ガイドの位置も固定。
材料と加工手順も同じにする。
水平の調整だけを行い、試し加工を進める。
完成した部品を測定すると、端の傾きは前回より小さくなっていた。
「変化が出たわ」
エルダが数字を確認する。
「ガイドの位置を合わせたときと同じ方向に改善していますね」
「ただ、まだ完全ではない」
俺が言うと、ダリオが頷いた。
「ガイドと水平の両方が影響している可能性があるな」
「そうですね。次は両方を適正な状態にして、同じ試験を繰り返しましょう」
ミハイルが帳面に記録を追加した。
「課長。今回の結果を見て、私は一つ学びました」
「何だ?」
「原因を一つに決めると、ほかの原因が逃げます!」
「逃げる?」
「はい。原因が一つだと思い込むと、残りの問題を見なくなるということです!」
俺は少し笑った。
「表現は独特だが、言いたいことは分かる」
「ありがとうございます!」
エルダが記録帳を閉じた。
「それにしても、ここまで確認しても、まだ結論は出せないのね」
「でも、前には進んでいます」
俺は加工された部品を見た。
最初は、同じ部品なのに仕上がりが違うという問題だった。
そこから、製造履歴を調べ、厚みを測り、加工台を確認し、支え板やガイドの位置まで追いかけてきた。
少しずつ、違いが見えてきている。
「焦って一つの原因に決めるより、確かなことを積み上げた方がいい。原因が分かれば、次に同じ問題が起きたときにも対応できます」
ダリオが頷いた。
「分かった。もう少し付き合ってくれ」
「もちろんです」
そのとき、ミハイルが帳面を閉じて、満足そうに言った。
「これで、今日の記録は完璧です!」
「見せてみろ」
俺は帳面を受け取った。
加工台の水平、ガイドの位置、試験結果。
必要な項目はきちんと整理されている。
……と思ったのだが。
最後の欄に、見慣れない文字があった。
『本日の作業者の精神状態:やや前向き』
「ミハイル」
「はい!」
「これは何だ?」
「作業者の気持ちも、品質に影響するかもしれないと思いまして」
「その記録は誰が使うんだ?」
「私です!」
「自分の気分を記録してどうする」
「明日の自分が、今日の自分を理解できます!」
俺は帳面を閉じた。
「それは日記に書け」
「品質管理と日記の境界線は難しいですね……」
「難しくない」
工房に笑い声が広がった。
原因はまだ一つに絞れていない。
だが、確認すべきことは、確実に見えてきた。
そして、ミハイルの記録帳から余計な項目を取り除く作業も、まだ終わりそうになかった。
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営業メモ ②⑤⑨
一つの改善で結果が変わっても、それだけが原因とは限りません。
複数の条件が関係している場合は、一度にすべてを変えず、一つずつ条件を分けて確認することが重要です。
営業でも、売上が伸びた理由を一つに決めつけず、価格・接客・陳列・客層などを分けて見直すことで、再現できる成功につながります。
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次回予告
第二百六十一話 営業課長、改善した部品を実際の使い方で確かめる
加工台と位置決めガイドの調整で、部品の傾きは小さくなった。
しかし、加工時の数値が改善しただけで、商品として安心できるとは限らない。
エルダは完成した部品を使い、保温容器の開閉試験を提案する。
ミハイルは張り切るが、今度は試験の回数を数えるだけでは済まないようで……。




