第二百五十九話 営業課長、動かした後の確認を見直す
「つまり、加工台を調整した後に動かしたんですね?」
俺が確認すると、ダリオは少し申し訳なさそうに頷いた。
「ああ。作業場の奥に材料を置く場所を作る必要があってな。加工台を一度ずらしたんだ」
「その後、水平は確認しましたか?」
「簡単には確認した。水準器を置いて、大きく傾いていないことは確かめたよ」
「簡単には、ですか」
俺はその言葉を繰り返した。
エルダが腕を組む。
「加工台を動かしたなら、調整したときの状態から変わっている可能性があるわね」
「そうだな。ただ、動かしたからといって、それが原因だと決まったわけじゃない」
俺はダリオに念を押した。
ここまで調べてきたが、まだ確定した原因はない。
加工台の高さ。
支え板の状態。
部品の厚み。
加工時の位置。
どれも可能性はある。
一つの情報だけで原因を決めつければ、また別の見落としを生むことになる。
「まずは、動かした後に何を確認したのか整理しましょう」
「分かった。記録を持ってくる」
ダリオが棚から帳面を取り出した。
俺たちは作業台の端に集まった。
「ええと……加工台の移動がこの日。水平確認がその直後。試し加工は翌朝だな」
エルダが記録を覗き込む。
「試し加工の記録はある。でも、どの位置で確認したかまでは書いていないわ」
「水準器を置いた場所も分からないですね」
俺が指摘すると、ダリオは困ったように頭をかいた。
「そこまでは記録していなかった。大きく傾いていなければ問題ないと思っていたからな」
「その判断自体が間違いとは言いません。ただ、今回のようにわずかな差を追うなら、確認した場所も必要になります」
「なるほどな」
ミハイルが帳面を見ながら、急に顔を上げた。
「課長!」
「どうした?」
「動かしたのは加工台だけじゃありません!」
全員の視線がミハイルに集まった。
「……何を見つけた?」
ミハイルは帳面の端を指差した。
「ここです。加工台を動かした日、位置決めガイドも取り外したと書いてあります!」
ダリオが「あっ」と声を上げた。
「そうだった。加工台をずらすときに、ガイドが邪魔になったからな」
「位置決めガイド?」
エルダが聞き返す。
「部品を加工するとき、毎回同じ位置に置くためのものだ。部品の端を当てて、位置がずれないようにする」
ダリオが加工台の横を指した。
そこには、小さな金属製のガイドが取り付けられていた。
「これだ。取り外して、加工台を動かした後に戻した」
「戻した位置は?」
「元の位置に戻したつもりだが……」
ミハイルが目を輝かせた。
「つもり、ですね!」
「ミハイル。嬉しそうに言うな」
「す、すみません。つい、調査が進んだ気がして」
「進んだ可能性はある。でも、まだ原因が見つかったわけじゃない」
俺はガイドを見た。
加工台を動かした。
ガイドを取り外した。
そして元の位置に戻した。
もし、取り付け位置がわずかに変わっていれば、部品を置く位置にも差が出るかもしれない。
その差が、部品の加工状態に影響している可能性もある。
「ダリオさん。このガイドを取り外す前の位置は分かりますか?」
「床に印を付けていたはずだ。少し待ってくれ」
ダリオが加工台の周囲を確認し始めた。
すると、ミハイルが床を覗き込んだ。
「あっ、ありました!」
「今度は何だ?」
「床に線があります。ここが以前の位置じゃないですか?」
ダリオがしゃがみ込む。
「確かに、これは以前付けた印だ」
エルダが現在のガイドの位置を確認した。
「……少しずれているわね」
「どのくらいだ?」
俺が尋ねると、エルダは目盛りを使って測った。
「わずかだけど、印から外れている。固定する穴の位置も、以前とは少し違うように見えるわ」
ミハイルが胸を張った。
「つまり、犯人はガイドですね!」
「まだ犯人にするな」
「容疑者ですか?」
「物に容疑者という言い方をするな」
ダリオが苦笑した。
「確かに、ガイドを戻したときは、取り付けられる位置に固定しただけだった。床の印と照らし合わせた記憶はない」
「では、以前の位置に合わせて、試しに加工してみましょう。ただし、今の状態も残しておいてください」
「比較するためだな」
「はい。元の状態で加工した部品と、位置を合わせ直した部品を比べます」
エルダが頷いた。
「同じ材料を使って、同じ手順で加工する。違いが出るか確認しましょう」
「分かった」
ダリオがガイドを緩め、床の印に合わせて固定し直した。
作業は慎重に進められた。
ミハイルも珍しく黙って見ている。
「ミハイル、何か気になることはあるか?」
「あります」
「言ってみろ」
「床の印が正しいとは限らないのでは?」
俺は少し驚いた。
以前なら、見つけた印をそのまま正解だと思い込んでいたはずだ。
「いい視点だ。どうしてそう思った?」
「印を付けた後に、床そのものが傷んだり、加工台の脚がずれたりしているかもしれません。それに、昔の印が正しい位置だという証拠も必要です」
エルダが小さく笑った。
「少しは成長したわね」
「ありがとうございます!」
「でも、さっき犯人と言っていたわよね」
「そこは成長途中です!」
俺は思わず吹き出した。
「成長途中なら仕方ないな。これからは、犯人を決める前に証拠を集めよう」
「はい!」
その後、ガイドの位置を二通りにして、試し加工を行った。
加工した部品を並べ、エルダが形状を確認する。
「こちらは、端の部分にわずかな傾きがあるわ」
「ガイドを合わせ直した方は?」
「傾きは小さくなっている。ただ、完全になくなったわけではない」
ダリオが腕を組んだ。
「ということは、ガイドの位置も関係している可能性があるが、それだけではないか」
「そうですね。加工台の水平や支え板の状態も、引き続き確認が必要です」
俺は二つの部品を見比べた。
ガイドの位置を直すことで、形状に変化が出た。
これは一つの手掛かりだ。
しかし、まだ結論を出す段階ではない。
「もう一度、同じ条件で試しましょう。できれば別の日にも確認したいです」
「分かった。今度はガイドの位置も記録しておく」
エルダが記録帳に項目を書き加えた。
加工台の位置。
水平を確認した場所。
支え板の状態。
位置決めガイドの位置。
試し加工の結果。
「確認項目が増えたわね」
「増やしすぎても作業が大変になります。今回の品質に関係する部分に絞りましょう」
「そうね。何でも記録すればいいというものでもないわ」
ミハイルが真剣な顔で頷いた。
「分かりました。今後は、動かしたものを全部記録します!」
「全部?」
「はい! 棚も椅子も、机も!」
「そこまで必要ない」
「では、椅子は除外ですね」
「椅子だけじゃない。品質に影響するものを記録するんだ」
「なるほど……。では、私の昼食の位置は?」
「品質に関係ない」
「午後の仕事の効率に関係する可能性があります!」
「それはお前の食欲の問題だ」
ダリオが声を出して笑った。
エルダまで肩を震わせている。
どうやら、ミハイルの記録対象はまだ絞り込む必要がありそうだ。
だが、今日の発見は大きかった。
加工台を動かした後、水平を確認するだけでは足りない場合がある。
その加工台に取り付けられている部品や、位置を決める道具も、元の状態に戻っているとは限らない。
そして、確認したつもりになっていることと、実際に確認できていることは違う。
「ダリオさん、今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ助かった。自分たちだけでは、ガイドのことを見落としていたかもしれない」
「原因が分かるまでは、もう少し一緒に調べさせてください」
「ああ。頼む」
工房を出る前に、俺はもう一度加工台を振り返った。
問題は、加工台そのものだけではなかった。
動かした後に、何を確認し、何を確認していなかったのか。
そこを見直すことで、ようやく見えてくるものがある。
ただし、ミハイルの昼食の位置まで記録する必要はない。
それだけは、今日の調査で確定した。
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営業メモ ②⑤⑧
設備や作業環境を動かした後は、元の状態に戻したつもりでも、位置や条件が変わっていることがあります。
大切なのは、動かした事実だけでなく、動かした後に何を確認したのかを明確にすることです。
営業でも、担当者や納品場所、手順が変わったときは、以前と同じ条件で進んでいると思い込まず、変更点を確認する必要があります。
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次回予告
第二百六十話 営業課長、原因を一つに絞る前に立ち止まる
位置決めガイドを直したことで、加工部品に変化が見え始めた。
しかし、まだ原因は一つに絞れない。
ミハイルは早く結論を出したがるが、アルトはもう一つの確認を提案する。
果たして、保温容器の改良は次の段階へ進めるのか。
そしてミハイルは、今度こそ余計なものを記録せずに済むのか……。




