第二百五十七話 営業課長、数字に隠れた傾きを見つける
「課長! 私はついに、測定器を使わずに傾きを見抜く方法を発見しました!」
朝からミハイルが大声で宣言した。
アルトは手元の記録帳から顔を上げた。
「……嫌な予感しかしないな」
「今回は自信があります!」
「前回も聞いた気がする」
エルダが作業台の上に部品を並べた。
「まずは、あなたの発見を聞く前に、昨日の続きから始めましょう」
「私の発見は後回しですか?」
「後回しというより、必要かどうかを確認してからね」
ミハイルは少しだけ肩を落とした。
「では、発表の準備だけしておきます」
「発表会ではないぞ」
アルトは部品を手に取った。
昨日の測定では、留め具の端にわずかな傾きがある可能性が見つかった。厚みだけでは説明できない数値のばらつきもあり、加工面そのものを調べる必要があった。
「エルダ、今日は何を確認する?」
「まず、部品を安定した台に置いて、加工面がどの方向に傾いているかを見る。それから、問題のない部品と比較するわ」
「厚みの測定とは別に確認するんだな」
「ええ。厚みが同じでも、面が傾いていれば、蓋を閉めたときの当たり方が変わる可能性がある」
「なるほど」
ミハイルが待ちきれない様子で手を挙げた。
「では、私の方法を使いましょう!」
「聞くだけ聞こう」
「部品を机の上に置いて、転がすのです!」
「転がす?」
「傾いていれば、きっと勝手に動きます!」
アルトは部品を見た。
「それは傾きを調べているのか、部品をなくそうとしているのか、どちらだ?」
「もちろん、調査です!」
エルダは笑いをこらえながら答えた。
「転がしたら、部品の形や机の表面の影響まで受けてしまうわ。正確な確認には使えないわね」
「そうですか……」
「それに、床に落ちたら新しい傷が増える」
「それは困ります!」
ミハイルは慌てて部品を作業台の中央に戻した。
「では、私の発見は保留ということで」
「最初から採用していない」
◆
エルダは平らな確認台を用意した。
その上に問題のない部品を置き、加工面の状態を確かめる。
「まず、こちらは安定している。台との間に目立った隙間はないわ」
続いて、問題の部品を置いた。
エルダは横から目線を低くして確認した。
「……やっぱり、端にわずかな隙間がある」
アルトも同じ角度からのぞき込んだ。
「確かに、光が見えるな」
「ただ、これだけでは傾きの方向や大きさまでは分からない。別の方法でも確認する必要がある」
エルダは薄い確認用の板を取り出した。
「この板を加工面に当てて、どこに隙間ができるかを見るの。さらに、一定の位置で測定して比較する」
「なるほど。見るだけでなく、同じ条件で確認するわけだ」
「そうよ」
エルダは確認用の板を当てた。
端の一部分だけが、わずかに浮いている。
「この部分が高くなっているのかもしれない」
「加工のときに、ここだけ削り残した可能性がある?」
アルトが尋ねた。
「その可能性はあるわ。ただ、加工後の保管中に変形した可能性もゼロではない」
「原因を決めるには、加工工程の記録と照らし合わせる必要があるな」
エルダは記録帳を開いた。
「問題の部品は、加工台の調整をやり直した日に作られたものだったわね」
「そうだ。仕入れ先から調整記録をもらうことになっている」
「それが届けば、どの段階で傾きが生まれたのか、もう少し絞り込めると思う」
ミハイルが二人の会話を聞きながら、何度もうなずいていた。
「つまり、部品の傾きは、作ったときからなのか、後からなのかを確認する必要があるんですね」
「そういうことだ」
「では、私が部品を見つめ続けます!」
「見つめても傾きは直らないぞ」
「気持ちを送れば、もしかしたら……」
「部品に気持ちは届かない」
「営業の基本は気持ちを伝えることではありませんか?」
「それは人間相手の話だ」
エルダがとうとう吹き出した。
◆
しばらくして、アルトは確認台の上に並んだ部品を見比べた。
問題のない部品は、加工面がほぼ均一に仕上がっている。
一方、問題の部品には、端の一部分にわずかな高低差があった。
「この違いが、留め具の擦れにつながっている可能性はあるな」
「ええ。でも、まだ実際に蓋を閉めたときの動きと結びつける必要がある」
エルダは試験用の蓋を取り出した。
「同じ取り付け位置で、問題のない部品と問題の部品を組み合わせてみるわ」
「一度に変えるのは部品だけだな」
「そう。ほかの条件はできるだけそろえる」
エルダは最初に問題のない部品を取り付けた。
蓋を閉める。
カチッ。
滑らかに留め具が収まった。
次に、問題の部品を取り付ける。
同じ位置から蓋を閉めた。
カチッ。
音はほとんど変わらない。
しかし、エルダの指が止まった。
「少しだけ、押し込むときの感触が違う」
「見た目では分からないな」
「ええ。けれど、端の高くなっている部分が、蓋の動きに影響している可能性がある」
ミハイルが身を乗り出した。
「私にも確認させてください!」
「力を入れすぎないでね」
ミハイルは慎重に蓋を閉めた。
カチッ。
「……確かに、少し違います」
「どんなふうに?」
「問題のない部品は、最後まで自然に動きます。こちらは、最後のところで少しだけ引っ掛かる感じがします」
エルダがうなずいた。
「その感覚を記録しておこう。誰が触っても同じように感じるか、ほかの人にも試してもらいたい」
「分かりました!」
アルトは記録帳に書き込んだ。
「ただし、感触だけで判断しない。接触部分に印をつけて、どこが当たっているか確認しよう」
「そうね。接触した場所が分かれば、加工面の傾きとの関係を確かめられる」
エルダは部品の接触部分に、薄く確認用の印をつけた。
蓋をゆっくり閉める。
再び開くと、印の一部が擦れていた。
「ここね」
エルダが指さした。
「高くなっている部分と、擦れた位置が近い」
「ようやくつながってきたな」
アルトはうなずいた。
「ただし、これだけで原因が確定したわけじゃない。ほかの部品でも同じ結果になるか確認しよう」
「もちろん。複数の部品で同じ傾向が出るか調べるわ」
ミハイルが記録帳を持ち上げた。
「課長、今のところを大きく書いておきました!」
アルトがのぞくと、そこにはこう書かれていた。
『部品の出っ張りが、蓋の邪魔をしている可能性あり』
「……分かりやすいが、もう少し正確に書こう」
「難しい言葉の方がいいですか?」
「難しくする必要はない。どの部分が、どのように接触したのかを書けばいい」
「分かりました!」
ミハイルは書き直した。
『加工面の一部が高くなっており、蓋を閉めた際に接触する可能性あり』
「よし。これなら後から読んでも分かる」
「ありがとうございます!」
◆
午後、仕入れ先のダリオから連絡が届いた。
加工台の調整記録と、試し加工品の情報が確認できたという。
アルトは内容を読み、エルダに渡した。
「調整をやり直した後、確認用の部品を作っている。その後、作業を再開したらしい」
「確認用の部品は、どんな状態だった?」
「記録には、加工面の確認を行ったとある。ただし、厚みの測定は中央部分だけだったようだ」
エルダは記録を読み返した。
「端の傾きまでは確認していなかったのね」
「そう考えられるな」
「でも、これだけでは、調整後の加工台が原因だとは言えないわ。確認用の部品と、実際に出荷された部品を比べる必要がある」
アルトはうなずいた。
「ダリオには、測定位置をそろえて確認したいと伝えよう。こちらで使った方法も共有する」
ミハイルが横から口を挟んだ。
「課長、仕入れ先の確認方法と、こちらの確認方法が違っていたんですね」
「そうだ。だから、同じ条件で比べられるようにする必要がある」
「では、今回の問題は、誰かが間違えたというより、確認する場所が足りなかった可能性もあるんですね」
「その通りだ」
アルトはミハイルを見た。
「いいところに気づいたな」
「ありがとうございます!」
ミハイルはうれしそうに笑った。
「では、私の転がす方法も、確認する場所が足りなかったということで……」
「それは違う」
「やはり違いますか」
「転がす必要はない」
エルダが笑いながら、測定器を片づけた。
◆
夕方。
アルトはガルドに現状を伝えるための文面を整理していた。
まだ販売再開の見通しは立っていない。
しかし、問題の部品に加工面の傾きが見つかり、蓋を閉めた際に接触する可能性が確認できた。
原因の確定には、さらに比較試験が必要だった。
「ガルドには、どこまで伝える?」
エルダが尋ねた。
「分かったことと、まだ分からないことを分けて伝える。加工面の一部に高低差があり、蓋との接触が確認されたこと。ただし、それが擦れのすべての原因かどうかは検証中だということだ」
「販売再開の時期は?」
「まだ約束しない。試験が終わっていないからな」
「そうね」
アルトは文面を書き終えた。
そのとき、ミハイルが新しい記録表を持ってきた。
「課長、今日の測定結果をまとめました!」
「見せてくれ」
記録表には、測定位置、厚み、加工面の状態、接触した場所、試験した人の名前が整理されていた。
余計な項目はない。
「よくまとまっている。これなら仕入れ先とも共有できる」
「ありがとうございます!」
「これからも、この形式で記録していこう」
「はい!」
ミハイルは胸を張った。
「ちなみに、部品の性格欄は復活させていません!」
「それはいい判断だ」
「ですが、私の心の中では、問題の部品を『少し出っ張りがちな努力家』と呼ぶことにしました」
「心の中なら自由だ」
エルダが笑った。
工房には、いつもの明るさが戻っていた。
しかし、アルトはまだ気を抜いていなかった。
加工面の傾きが、擦れ跡の原因の一つである可能性は高まった。
それでも、加工台の調整が原因なのか、材料の状態なのか、加工後の扱いなのかは分からない。
そして、仕入れ先の記録には、もう一つ気になる点が残っていた。
調整後の確認は行われていた。
ただし、その確認では中央部分しか測っていなかった。
「エルダ。次は、端の部分も含めて同じ方法で測定しよう」
「ええ。ダリオさんにも協力してもらうわ」
「加工台の調整前と調整後、それぞれの部品を比較できれば、もう少し原因に近づける」
アルトは記録帳を閉じた。
小さな傾き。
わずかな接触。
それを見逃さないためには、作る側と使う側が同じ基準で確認する必要がある。
商品を売る前に、もう一度確かめる。
その地道な作業が、いずれ店頭での信頼を守ることになるのだった。
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営業メモ ②⑤⑥
問題を見つけたときは、感覚だけで判断せず、目に見える形で確認する。
「引っ掛かる気がする」という感想を、接触位置や加工面の状態と結びつければ、改善すべき場所が具体的になる。
感覚を否定するのではなく、検証できる情報に変えることが大切。
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次回予告
第二百五十八話 営業課長、加工台の調整に隠れた原因を探る
仕入れ先から届いた調整記録には、確認不足の可能性が残されていた。
アルトとエルダは、加工台の調整前後で作られた部品を同じ方法で比較することに。
ところが、ダリオから新たな事実が明かされる。
調整をやり直した日、加工台だけでなく、もう一つ変更されていたものがあった。




