第二百五十六話 営業課長、わずかな厚みの差を測り直す
「厚みの測定なら、私にお任せください!」
工房に入るなり、ミハイルが宣言した。
アルトは測定台の上に置かれた部品を見た。
「昨日、記録帳の欄を読み違えた人間が、今日は測定の専門家か」
「失敗から学ぶ男。それがミハイルです!」
「学んだ結果が出てから名乗ってくれ」
エルダが小さな測定器を持ち上げた。
「今回は、留め具の厚みを調べる。問題の部品と、問題のない部品。それから、仕入れ先から預かった試し加工品も比較する」
「数字が出れば、原因が分かるんですね?」
ミハイルが尋ねた。
「数字が出るだけでは駄目よ。どこを測ったか、どう測ったかも大切なの」
エルダは測定器の先端を示した。
「部品の端と中央では厚みが違うことがある。同じ場所を測らなければ比較にならない」
「なるほど。では、私が全部測ります!」
「測定器を壊さないでよ」
「私を何だと思っているんですか!」
「勢いだけで仕事を進める人」
「正解です!」
「自分で認めるな」
アルトは笑いながら、記録帳を開いた。
「今回は測定位置を決めてから始めよう。部品の端、中央、反対側の三か所。それぞれ同じ位置を測る」
「分かりました」
「測定した人の名前も残す。後で数字に違いが出たとき、誰が測ったのか分かるようにしておく」
ミハイルは胸を張った。
「つまり、私の名前が歴史に残るわけですね!」
「測定記録に残るだけだ」
「歴史への第一歩です!」
「まずは正確な数字への第一歩だ」
◆
最初にエルダが測定器を使った。
問題のない部品を固定し、決めた位置に先端を当てる。
「端がこの数値。中央がこちら。反対側は……」
エルダは数字を記録帳に書き込んだ。
次に、問題の部品を測る。
「端は少し厚い。中央はほぼ同じ。反対側は、こちらもわずかに厚いわね」
「やはり厚みが違うんですね」
アルトが確認する。
「そう。ただし、まだ差が小さい。測定位置が少しずれただけでも数字は変わる可能性がある」
エルダは測定器を置いた。
「同じ場所をもう一度測るわ」
二度目の測定。
今度は一度目とわずかに違う数字が出た。
「ほら、変わった」
ミハイルが得意げに言った。
「測定器が気分屋なのではありませんか?」
「測定器に気分はない」
「では、私たちの気分を読み取っているのかも」
「もっとない」
エルダは測定器を確認した。
「測定器そのものに問題があるとは限らない。部品を置く角度や、先端を当てる位置が少し違ったのかもしれない」
アルトは記録を見た。
「測定する人が変わっても同じ数字になるか、確認した方がいいな」
「そうね。ミハイル、やってみて」
「お任せください!」
ミハイルは測定器を手に取った。
しかし、いきなり部品を持ち上げ、測定器の先端に押し当てようとする。
「待って」
エルダが止めた。
「力を入れすぎないで。測定器は部品を押しつぶすためのものじゃない」
「失礼しました。優しく扱うのですね」
「そう。決められた力で測るの」
「分かりました。赤ちゃんを抱くようにですね」
「部品は泣かないけどね」
アルトが言うと、ミハイルは慎重に部品を置き直した。
今度はゆっくり測定器を当てる。
「端はこちら。中央はこちら……」
数字が出た。
ミハイルは記録帳に書き込んだ。
「できました!」
エルダが数字を確認する。
「私が測った結果と、少し違うわね」
「えっ?」
「中央の値が違う。もう一度測ってみて」
ミハイルは同じ位置を測り直した。
今度は別の数字が出た。
「どうしてでしょう?」
「部品の固定が甘いのかもしれない。測定器を当てるときに、少し動いている可能性があるわ」
エルダは部品を固定する小さな台を取り出した。
「これを使いましょう。測定する位置がずれないようにするの」
「最初からこれを使えばよかったのでは?」
ミハイルが言った。
「そうね。最初から使うべきだったわ」
エルダはあっさり認めた。
アルトは笑った。
「試してみたから、必要な道具が分かったんだ。失敗したこと自体より、同じ失敗を繰り返さないことが大切だ」
「では、私の測定も無駄ではなかったんですね!」
「そうだ。少なくとも、固定しないと数字が安定しないことは分かった」
「私の歴史に一行追加ですね!」
「測定台の必要性、と書いておこう」
「私の名前は?」
「小さく書いておく」
「できれば太字で!」
◆
固定台を使って測定をやり直すと、数字は少しずつ安定してきた。
エルダは三つの部品を並べた。
「問題のない部品は、三か所の厚みが比較的そろっている。問題の部品は、端の部分が少し厚い」
「試し加工品はどうですか?」
アルトが尋ねる。
「これも端が少し厚い。ただ、問題の部品と完全に同じではない」
「ということは、厚みだけが原因とは限らない?」
「ええ。厚みの差が影響している可能性はあるけれど、擦れ跡が出る仕組みまでは分からない」
エルダは部品を裏返した。
「もう一つ気になることがある」
「何でしょう?」
「同じ厚みでも、端の角度が違うものがある。厚みだけ測っても、形状の違いを見落とすかもしれない」
アルトは考えた。
「厚みと角度を別々に記録する必要があるな」
「そう。端の角度、加工面の傾き、取り付けたときの位置。それぞれ確認したい」
ミハイルが記録帳をのぞき込む。
「項目が増えてきましたね」
「必要な項目だけにする。何でも記録すればいいわけじゃない」
アルトは部品を指さした。
「今回の目的は、擦れ跡が出る条件を見つけることだ。関係がありそうな項目を記録して、結果と照らし合わせる」
「では、私が記録表を作ります!」
「頼む。ただし、項目を増やしすぎないように」
「承知しました!」
ミハイルは机に向かい、記録表を書き始めた。
しばらくして、彼が完成した紙を持ってきた。
「できました!」
アルトは受け取った。
そこには、厚み、測定位置、加工台、加工担当者、測定担当者、加工日、部品番号などが並んでいた。
ここまでは問題ない。
しかし、下の方に妙な項目があった。
「……これは何だ?」
「部品の性格です」
「性格?」
「慎重型、頑固型、気分屋型です。数字だけでは分からない特徴もあるかと思いまして」
「部品に性格診断をする必要はない」
「ですが、同じ部品でも個性があるかもしれません」
エルダが紙をのぞき込んだ。
「これは削っていいわね」
「そんな!」
「それと、部品の色もいらない。今回の比較では関係ないから」
「では、好きな色も?」
「いらない」
「嫌いな食べ物は?」
「もっといらない」
アルトは記録表を返した。
「必要な項目は残っている。余計な項目を削って、使いやすくしてくれ」
「分かりました。部品の性格は、私の心の中に記録しておきます」
「それも忘れていい」
◆
午後になり、エルダは測定結果を整理した。
「同じ部品を三回ずつ測ったけれど、固定台を使えば数値のばらつきは小さくなったわ」
「測定方法をそろえることで、比較しやすくなったわけだな」
「そう。ただ、問題の部品は端の厚みが少し大きい。ここは加工工程を確認する必要がある」
「仕入れ先に、測定結果を共有しよう」
アルトは記録帳を閉じた。
「ただし、厚みの差が原因だとは言わない。現時点では、擦れ跡との関係を確認中だと伝える」
「分かった。測定位置と方法も一緒に伝えるわ」
ミハイルが手を挙げた。
「課長、質問です!」
「何だ?」
「もし、仕入れ先と私たちで測定結果が違ったら、どちらが正しいのでしょうか?」
「いい質問だ」
アルトは少し考えて答えた。
「まず、測定方法が同じか確認する。測る位置、部品の固定方法、測定器の扱い。それが違えば、数字が違っても不思議ではない」
「では、同じ方法で測っても違ったら?」
「測定器の状態や、部品の状態を確認する。それでも違うなら、一緒に測定して原因を探せばいい」
エルダが続けた。
「数字が違ったからといって、相手が間違っていると決めつけないことね」
ミハイルは深くうなずいた。
「分かりました。数字が違ったら、まず仲良く測る!」
「仲良くという表現は少し違うが、方向性は悪くない」
「測定器同士も仲良くさせましょう!」
「測定器に友達は必要ない」
工房に笑い声が広がった。
その後、エルダは試験用の部品を手に取った。
「次は、厚みが違う部品を使って、同じ条件で組み立ててみる。取り付け位置もそろえて、閉めたときの当たり方を比べたい」
「それで擦れ跡が出るか確認するんだな」
「ええ。ただし、すぐに長期間の試験に進むのではなく、まずは閉めたときの接触状態を確認する」
アルトはうなずいた。
「一つずつ条件を変えていこう。厚み、角度、取り付け位置を同時に変えたら、何が影響したのか分からなくなる」
「そうね。今回は厚みの違いを中心に確認するわ」
ミハイルが記録表を持ってきた。
「余計な項目は削りました!」
アルトが見ると、今度は必要な項目だけが残っていた。
「よし。これなら使える」
「ありがとうございます!」
「部品の性格欄は?」
「心の中からも削除しました!」
「それでいい」
エルダは部品を測定台に置いた。
そのとき、彼女の手が止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
「同じ部品を、固定台に置き直してもう一度測ったら、数値が少し変わった」
「固定台を使っているのに?」
「ええ。もしかすると、部品の端そのものがわずかに傾いているのかもしれない」
エルダは部品を光にかざした。
「厚みが違うのではなく、測る場所の面が傾いている可能性もある」
アルトは記録帳を見た。
「そうなると、厚みだけでなく、面の傾きも確認しなければならないな」
「そうね。測定方法も、もう一段見直す必要がある」
ミハイルが恐る恐る口を開いた。
「つまり……測定器の気分ではなかったのですね」
「最初からそう言っている」
「では、部品の気分でもない?」
「もちろんだ」
「分かりました。私の気分だけで判断しないようにします!」
「それは大切だ」
アルトは笑った。
原因に近づいたと思えば、また別の確認事項が見つかる。
しかし、少しずつ測定方法が整い、比較できる情報も増えてきた。
焦る必要はない。
確かな数字を積み重ねることが、商品の品質を守ることにつながる。
そして、エルダの手元には、まだ確認されていない小さな傾きが残されていた。
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営業メモ ②⑤⑤
数字を比較するときは、測定する場所と方法をそろえる。
条件が違えば、数字の差が商品の違いなのか、測定方法の違いなのか判断できない。
正確な比較は、正確な測定条件をそろえることから始まる。
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次回予告
第二百五十七話 営業課長、数字に隠れた傾きを見つける
厚みを測り直した結果、部品の端にわずかな傾きがある可能性が浮かび上がった。
エルダは測定方法を見直し、加工面の状態を確認することに。
一方ミハイルは、測定器を使わずに傾きを見抜く方法を思いついたと言い出す。
その方法は、果たして役に立つのか……。




