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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第二百五十四話 営業課長、閉め方ひとつの違いに気づく


「つまり、部品が痩せたわけではないんですね?」


ミハイルが、少し残念そうに試験台の上を見つめていた。


「残念ながら、部品に食事を与える必要はない」


「そうですか。昨日、工房の食堂に相談しようと思っていたのですが」


「何を相談するつもりだったんだ?」


「部品用の特別メニューです。栄養を考えた献立を――」


「やめなさい」


アルトは即座に止めた。


部品に食事を与える前に、人間の食事代が増える。


それだけは避けなければならない。


エルダは、試験を終えた容器の留め具を手に取った。


「冗談はそこまで。昨日見つけた擦れ跡について、もう少し調べたい」


「原因が分かったんですか?」


「まだ。けれど、気になることがある」


エルダは、蓋と本体を並べた。


「同じ容器でも、閉めるときの蓋の角度によって、留め具にかかる力が違うみたいなんだ」


「角度ですか?」


「そう。正面からまっすぐ閉めた場合と、片側を先に押さえて閉めた場合。わずかだけど、留め具の当たり方が変わる」


ミハイルは容器をのぞき込んだ。


「なるほど。つまり、閉め方に個性があるんですね」


「容器に個性を持たせる必要はない」


アルトは苦笑した。


「使う人によって閉め方が違う。それだけの話だ」


「では、使う人にも試験に参加してもらいましょう」


エルダが提案した。


「工房の人間だけで試しても、実際の使われ方とは違うかもしれない。ガルドにも協力してもらって、何人かに普段どおり閉めてもらおう」


「それなら、店で試せますね」


アルトはうなずいた。


「ただし、商品として売る前の確認だ。お客さんに不具合のあるものを渡すわけにはいかない。試験用だと説明して、無理な力をかけないようにしてもらおう」


「分かりました」


ミハイルが勢いよく手を挙げた。


「私も参加します!」


「もちろんだ」


「では、私が最初に閉めます!」


「どうしてそんなに張り切るんだ?」


「営業担当として、商品の使い心地を誰よりも理解しておきたいのです!」


アルトは少し感心した。


その直後、ミハイルは容器を両手で持ち上げた。


「まずは、私の必殺技で――」


「普通に閉めろ」


「はい!」


必殺技は封印された。


◆


翌日。


ガルドの店の奥に、試験用の容器が三つ並べられていた。


「これが例の留め具か」


ガルドは蓋を持ち上げ、慎重に眺めた。


「見た目は前のものと変わらないな」


「大きく変えたわけではありません。留め具の形と取り付け位置を調整している段階です」


エルダが説明する。


「今日は、普段どおりに蓋を閉めてもらって、引っ掛かりがないか確認したいんです」


「分かった。客に使わせるわけじゃないんだな?」


「はい。試験用です。販売はまだしません」


アルトが念を押した。


ガルドは一つ目の容器を手に取った。


蓋をまっすぐ下ろし、留め具を押さえる。


カチッ。


小気味よい音がした。


「問題ないな」


次に、二つ目。


ガルドは片側を先に押さえ、反対側を下ろしてから留め具を閉じた。


カチッ。


こちらも問題はなさそうだった。


「普段は、こうやって閉めることもある。急いでいるときなんかは特にな」


「なるほど」


エルダは記録を取った。


続いてミハイルが挑戦する。


「では、私も普段どおりに」


「お前の普段どおりって何だ?」


「丁寧で、優雅で、無駄のない動作です」


「それなら期待しておこう」


ミハイルは容器を置き、蓋を閉めた。


カチッ。


「完璧です!」


「今のは普通だったな」


「普通を極めた結果です!」


アルトは聞かなかったことにした。


その後、エルダと工房の職人にも試してもらった。


すると、ある違いが見えてきた。


「ちょっと待って」


エルダがミハイルの手元を見た。


「もう一度、同じ閉め方をしてくれる?」


「はい!」


ミハイルは蓋を開け、片側を押さえてから反対側を閉じた。


カチッ。


「今度は、反対側からも試して」


「分かりました」


今度は反対側を先に押さえる。


カチッ。


音は同じだったが、エルダは留め具の動きをじっと見ていた。


「やっぱり……」


「何かありましたか?」


「片側から閉めたときだけ、留め具の端が少し強く当たっている」


エルダは容器を受け取り、留め具の接触部分を確認した。


「昨日の擦れ跡と同じ位置だ」


アルトも身を乗り出した。


「つまり、蓋の閉め方によって、擦れる場所が変わる?」


「そう。しかも、蓋の位置がほんの少しずれると、留め具の端に力が集中する」


「それが繰り返されると、擦れ跡ができる可能性があるんですね」


「そう考えられる。ただ、まだ断定はできない」


エルダは慎重だった。


「部品の形状にも個体差がある。取り付け位置にもわずかな違いがある。閉め方だけが原因とは限らない」


アルトはうなずいた。


「一つの原因に決めつけるのは早いな。使い方と部品の状態、取り付け位置。それぞれを分けて確かめよう」


「では、試験項目を増やします」


ミハイルが記録帳を開いた。


「閉め方は、正面から、右側から、左側からの三種類ですね」


「そうだな」


「さらに、急いで閉める場合と、ゆっくり閉める場合も必要でしょうか?」


「それも確認したい。ただし、乱暴に扱う試験とは分ける。実際にありそうな使い方を確認するんだ」


「承知しました!」


ミハイルは記録帳に書き込んだ。


そして、少し考え込んだ。


「課長」


「何だ?」


「お客さんの閉め方が原因だった場合、説明書に『正しい閉め方』を大きく書けば解決しますか?」


アルトはすぐには答えなかった。


「説明は必要かもしれない。でも、それだけで解決しようとするのは危険だ」


「どうしてですか?」


「お客さんは、工房の人間と同じように丁寧に扱ってくれるとは限らない。忙しいときもあるし、荷物を持っているときもある。片手で閉める人だっているだろう」


ガルドがうなずいた。


「旅人は特にそうだな。荷物を持ったまま、片手で蓋を閉めることもある」


「だから、普通に使っただけで壊れやすいなら、商品側を見直す必要がある」


アルトは容器を指さした。


「使い方を説明することと、使いやすく作ることは別の仕事だ。どちらか一方に押しつけてはいけない」


ミハイルは真剣な顔で書き留めた。


「なるほど……。つまり、お客さんに『もっと上手に使ってください』と言う前に、こちらがもっと上手に作る必要があるんですね」


「そういうことだ」


「では、私ももっと上手に閉めます!」


「お前はまず、普通に閉められれば十分だ」


「普通の道は険しいですね……」


ガルドが笑った。


◆


工房に戻ると、エルダは留め具の取り付け部分を確認し始めた。


「やはり、取り付け位置のわずかなずれが気になる」


「治具で固定しているんじゃなかったか?」


アルトが尋ねる。


「固定はしている。ただ、蓋側の部品を取り付けるとき、押さえる位置が少しずれる可能性がある」


「印をつけるだけでは難しいか?」


「印はある。でも、部品そのものの形がわずかに違えば、同じ位置に置いても当たり方が変わる」


エルダは部品を二つ並べた。


見た目はほとんど同じだった。


しかし、端の角度を比べると、ごくわずかな差がある。


「これくらいの違いでも、蓋を閉めたときには影響するのか」


「可能性はある。だから、部品の形状と取り付け位置を組み合わせて確認したい」


「作業が増えそうだな」


「増える。でも、今ここで確認しておかないと、後で大きな手間になる」


ミハイルが横から口を挟んだ。


「では、私が部品を全部並べて、見た目で判定します!」


「見た目だけで分かるなら、苦労しない」


「では、鼻で……」


「やめろ」


「冗談です!」


アルトは深く息を吐いた。


「ミハイル。今回は、部品ごとに番号をつけて、形状、取り付け位置、閉め方、試験回数を記録してくれ。どの条件で擦れ跡が出たのか、後から追えるようにする」


「分かりました!」


「それから、同じ条件で何度か繰り返す。偶然一度だけ起きたことを、原因だと決めつけない」


「はい!」


エルダは、試験用の部品を手に取った。


「次は、取り付け位置を少しずつ変えたものを作って比べてみる。どの位置なら、左右どちらから閉めても留め具に無理がかからないか確認したい」


「それが分かれば、治具の改良にもつながるな」


「そう。部品の形だけを直しても、取り付け方が安定しなければ同じ問題が起きる」


アルトは試験台を見回した。


まだ完成には遠い。


けれど、問題の輪郭は少しずつ見えてきた。


「よし。量産は引き続き保留だ。ガルドにも、確認が終わるまでは納品時期を約束しないと伝えておこう」


「分かりました」


ミハイルが記録帳を閉じた。


「課長。今回の件で、私も一つ学びました」


「何だ?」


「商品は、作る人の手だけで完成するわけではない。使う人の手に渡ってから、本当の使いやすさが分かるのですね」


「いいことを言うじゃないか」


「ですので、私も今日から片手で何でもできる営業担当を目指します!」


「まずは両手で書類を落とさない営業担当を目指せ」


「段階を踏むのですね!」


エルダが小さく笑った。


そのとき、彼女の手元にあった部品の一つが、試験台の上でわずかに光った。


「……待って」


エルダの表情が変わる。


「この部品、取り付け位置を変えていないのに、擦れ跡が出ている」


アルトが近づく。


「どういうことだ?」


「さっきの試験とは別の部品よ。閉め方も同じ。なのに、こちらだけ跡がついている」


エルダは部品を裏返した。


その裏側には、小さな加工痕が残っていた。


「もしかすると、取り付け位置だけじゃない。部品の加工そのものに、まだ見落としている違いがあるのかもしれない」


アルトは、二つの部品を見比べた。


原因は一つではない。


そして、まだ見つかっていない違いがある。


「エルダ。次は加工工程まで確認しよう」


「ええ。仕入れ先にも、もう一度詳しく聞く必要がありそうね」


ミハイルが記録帳を開いた。


「加工工程……。いよいよ部品の出生の秘密に迫るわけですね!」


「出生ではない」


「では、製造履歴ですね!」


「最初からそう言ってくれ」


工房に笑いが広がった。


しかし、アルトの目は二つの部品から離れなかった。


同じ形に見える部品でも、わずかな違いが使い心地を変える。


その違いを見つけることが、次の仕事になりそうだった。


⸻


営業メモ ②⑤③


お客様の使い方を確認することは大切だが、使い方だけを原因にしてはいけない。


商品側に改善できる点がないか、実際の使用場面を想定して確かめる。


「正しい使い方を説明すること」と「誰でも使いやすい商品にすること」は、両方そろって初めて信頼につながる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第二百五十五話 営業課長、部品の製造履歴を追いかける


同じように見える留め具に残された、小さな加工痕。


アルトたちは仕入れ先を訪ね、部品がどの工程で作られたのかを調べ始める。


ところが、ミハイルが製造記録を読み違え、工房に思わぬ疑惑を持ち込んでしまう。


部品の違いは、いったいどこから生まれたのか。

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