第二百五十一話 営業課長、原因を確かめるために頭を下げる
翌朝、アルトは工房の作業台に置かれた二枚の書類を見比べていた。
一枚は、仕入れ先から届いた返事。
もう一枚は、エルダがまとめた試験結果だった。
別工程で使用された固定具は、通常のものと押さえる位置がわずかに違う。
その違いが、留め具の形や閉まり方に影響している可能性がある。
だが、まだ確定ではない。
「固定具を借りられることになったのか?」
「ええ。先方も今回の件を気にしているみたい。今日の午後、担当者が持ってきてくれるそうよ」
「それは助かるな」
アルトは試験結果をもう一度確認した。
「ただ、固定具を借りて試験するとなると、作業台を一つ空ける必要があるな」
「そうなの。今週はほかの注文も入っているから、簡単には止められないわ」
そこへミハイルが、両手に書類を抱えてやってきた。
「課長! 僕も協力できることを考えてきました!」
「おお、頼もしいな。何を考えた?」
「工房の作業台を一つ増やすんです!」
「簡単に言うな」
「場所がなければ、庭に作ればいいと思います!」
「雨が降ったらどうする?」
「屋根を付けます!」
「材料は?」
「買います!」
「費用は?」
「課長に相談します!」
「最初から私に丸投げじゃないか!」
エルダが笑いながら、ミハイルの書類を受け取った。
「作業台を増やす前に、今ある作業台の使い方を考えましょう」
「そうですよね。では、作業台を二段にします!」
「あなたは、どうしてすぐ大きな話にするの?」
アルトは苦笑した。
「まずは、どの作業をいつ行うか整理しよう。固定具の確認に必要な時間と、人手を見積もるんだ」
「そうね。通常の製造を止めずに試験できる時間を探してみるわ」
エルダは作業予定表を広げた。
今週の注文は、すでにいくつか決まっている。
ここで通常の製造を無理に止めれば、別の納期に影響が出てしまう。
品質を確認することは大切だが、そのために既存の約束を簡単に崩すわけにもいかない。
「午前中は通常の製造を続けて、午後の一部を試験に回すのはどうだ?」
「それなら、作業台を空けられるわ。ただし、試験に使う部品を先に準備しておかないといけない」
「必要な部品の数を決めて、先にそろえておこう」
「わかった」
ミハイルが、予定表をのぞき込んだ。
「つまり、試験のために通常の仕事を全部止めるのではなく、空いている時間を使うんですね」
「そうだ。もちろん、必要な試験時間は確保する。無理に短くしても意味がないからな」
「なるほど……。では、僕の休憩時間を全部使いましょう!」
「君の休憩時間だけでは足りない」
「では、課長の休憩時間も!」
「私の休憩時間も売り渡すな!」
エルダが、また笑った。
*
昼過ぎ。
仕入れ先の担当者が、工房を訪れた。
名前はダリオ。
これまで何度か部品を届けてくれた人物で、エルダとも顔なじみだった。
「今回はご迷惑をおかけしているようで、申し訳ありません」
ダリオは、持ってきた固定具を作業台に置いた。
「こちらも確認が不十分だった可能性があります。まずは、一緒に原因を調べたいと思っています」
アルトは頭を下げた。
ダリオは少し驚いたように目を見開いた。
「そちらの製品に問題が出ているのに、こちらにも頭を下げるんですか?」
「まだ、どちらに原因があるか確定していませんから。こちらの受け入れ記録も、箱ごとの識別ができていませんでした。その点は、こちらの管理不足です」
「なるほど……」
アルトは続けた。
「ただ、今回の試験で、別工程の部品の一部に閉まり方の違いが確認されています。御社の固定具が影響している可能性もあります。そこを一緒に確認させてください」
ダリオは固定具を見つめた。
「正直に言うと、こちらでも少し気になっていました」
「気になっていた?」
「三日前の納入分は、急ぎの注文だったので、いつもと違う作業台を使いました。担当した職人も、普段とは違う人間です。ただ、寸法は確認していたので、大丈夫だと思っていました」
「そのときの検査記録は残っていますか?」
「通常の寸法確認は残っています。ただ、固定具を変えたことまでは記録していません」
アルトはうなずいた。
「では、今日の試験で確認できることを整理しましょう。通常の固定具と別工程の固定具で、同じ部品を使って結果を比べたいんです」
「わかりました。こちらも協力します」
ミハイルが横から口を挟んだ。
「ダリオさん、部品に罪はないと思います!」
「……はい?」
「僕たちは、部品を責めているわけではありません。部品にも事情があるはずです!」
アルトは目を閉じた。
「ミハイル。今は黙っていてくれ」
「はい!」
ダリオは困惑した表情でエルダを見た。
エルダは小さく肩をすくめた。
「いつものことよ」
「そうですか……」
ダリオは、なぜか納得したようにうなずいた。
アルトは、これ以上話が妙な方向へ進む前に、試験の準備を始めることにした。
*
試験は、午後の作業時間を使って行われた。
まず、通常の固定具を使って部品を取り付ける。
次に、ダリオが持参した別工程の固定具を使って、同じ種類の部品を取り付ける。
部品の種類と取り付ける担当者はできるだけそろえ、違いが出た場合に比較できるようにした。
「最初は通常の固定具ね」
エルダが作業を始めた。
部品を固定し、決められた位置に合わせて取り付ける。
完成したものを確認すると、蓋は滑らかに閉まった。
続いて、別工程の固定具を使う。
同じように作業を進める。
こちらも一見すると問題はない。
しかし、蓋を閉めたとき、わずかな抵抗があった。
「……やっぱり、違うわね」
エルダがつぶやいた。
ダリオも自分の目で確かめる。
「確かに、少し引っかかるようです」
「もう一つ作ってみましょう。偶然の可能性もあります」
二つ目。
三つ目。
結果は、完全には一致しなかった。
別工程の固定具を使ったものでも、滑らかに閉まるものがある。
一方で、通常の固定具を使ったものにも、ごくわずかな差が出ることがあった。
「固定具だけが原因とは言い切れないわね」
エルダは記録を確認した。
「部品の形にも差があるし、取り付けるときの押さえ方も関係している可能性がある」
ダリオは、別工程の固定具を手に取った。
「この固定具は、普段のものより押さえる面が少し広いんです。急ぎの作業で、別の作業台にあったものを使いました」
「押さえる面が広いと、部品のどこに力がかかるかも変わるのか?」
アルトが尋ねる。
「ええ。職人は同じ位置に固定したつもりでも、実際には力のかかり方が違う可能性があります」
エルダは固定具を見比べた。
「それなら、部品の形がわずかに変わることも考えられるわね」
「ただ、今の試験では、固定具を変えた場合に差が出ることがある、というところまでです。ほかの条件もそろえて確認する必要があります」
アルトは記録用紙に、試験結果をまとめた。
通常の固定具。
別工程の固定具。
部品の種類。
取り付け担当者。
閉まり方。
どれか一つだけで結論を出すことはできない。
それぞれの条件が、少しずつ影響している可能性がある。
「ダリオさん。次は、そちらの作業台で使っている固定具の状態も確認したいんですが、可能でしょうか?」
「もちろんです。こちらの作業環境も見ていただいた方が、原因を絞り込めると思います」
「ありがとうございます」
アルトは再び頭を下げた。
ダリオも頭を下げ返した。
「いえ。こちらこそ、確認の機会をいただけて助かります。正直、寸法さえ合っていれば問題ないと考えていました」
「寸法確認は必要です。ただ、今回のように使ったときの動きに差が出るなら、確認方法も見直す必要がありますね」
「そうですね。こちらでも検査方法を考えてみます」
エルダが二人の話を聞きながら、少し安心した表情を浮かべた。
問題が起きたときに、互いに責任を押し付け合うのではなく、同じ結果を見て話ができる。
それだけでも、大きな前進だった。
*
試験が終わる頃には、作業台の上に記録用紙が何枚も並んでいた。
ミハイルは、それらを丁寧にまとめていた。
「課長。今回の試験結果は、すべて整理できました!」
「ありがとう。どれどれ……」
アルトは記録に目を通した。
部品番号も条件も、きちんと書かれている。
以前のような妙な記述はない。
「よくできているじゃないか」
「ありがとうございます!」
「もう、部品のやる気は書いていないな」
「はい! 今回は、部品の表情だけを観察しました!」
「表情も記録しなくていい!」
「えっ!?」
エルダが笑い出した。
ダリオも、口元を押さえている。
「ミハイルさんは、なかなか面白い方ですね」
「本人は真面目なんだ」
「課長! そこは、もう少し評価してください!」
「評価しているよ。記録はちゃんとできている」
「では、表情の観察も……」
「そこは評価対象外だ」
「厳しい!」
アルトは記録用紙をまとめ、エルダに渡した。
「今回の結果は、仕入れ先にも共有しよう。固定具の違いだけでなく、部品や取り付け条件によっても差が出る可能性がある。次の試験では、条件をさらに絞りたい」
「そうね。通常工程の部品と別工程の部品を分けて、固定具の状態も確認する。それから、開閉を繰り返したときに差が広がるかも見ておきたいわ」
「その試験は時間がかかるな」
「ええ。でも、ここを省くわけにはいかない」
アルトはうなずいた。
「量産の判断は、試験結果がそろってからだ。ガルドにも、今日の確認内容を伝えておく」
ダリオが帰り支度をしながら、アルトに声をかけた。
「今日、こちらの固定具を見ていただいてよかったです。自分たちだけでは、寸法の確認で終わっていたかもしれません」
「こちらも、受け入れ時の記録方法を見直す必要があります。どちらか一方だけの問題ではないと思います」
「次の納入分から、箱ごとに製造時期と工程の区分を記録する方法を検討します」
「それなら、こちらでも受け入れ時に箱の印を記録します。双方で情報がつながるようにしましょう」
二人は、次の確認日を決めた。
ダリオが工房を出ていくと、エルダがアルトに声をかけた。
「今日はありがとう。仕入れ先の人と、ここまで話せるとは思わなかったわ」
「こちらの管理にも足りないところがあったからな。相手にだけ改善を求めるわけにはいかないよ」
「営業らしい考え方ね」
「営業というより、仕事の基本だと思う」
ミハイルが、二人の間に割って入った。
「僕も今日、たくさん学びました!」
「何を学んだ?」
「問題が起きたら、まず頭を下げること!」
「それだけじゃない」
「相手の話を聞くこと!」
「それも大事だな」
「そして、部品に優しくすること!」
「最後のは違う!」
エルダは、また笑った。
*
その日の夕方。
アルトはガルドの店を訪れ、今日の試験結果を説明した。
「仕入れ先の固定具にも、通常とは違う点があった。こちらでも試験したところ、固定具や部品の条件によって、閉まり方に差が出る可能性が見つかった」
「それで、原因はわかったのか?」
「まだ確定ではない。もう少し条件を絞って試験する必要がある」
「なるほどな」
ガルドは、急かすことなく話を聞いていた。
「ただ、仕入れ先も協力してくれている。次は向こうの作業環境も確認して、同じ条件で再現できるか調べる予定だ」
「そこまでやるのか」
「使う人が安心して使えるものにしたいからな」
ガルドは、棚の上の保温容器を見た。
「急いで売り出して、あとから不具合が出るよりはいい。こっちも、商品の説明を考える時間ができる」
「助かるよ」
「それに、ミハイル君が宣伝文句を考えてくれるんだろ?」
アルトは、嫌な予感がした。
「……何か聞いたのか?」
「この前、店に来たときに言っていたぞ。『世界に一つだけの留め具』って」
「やっぱり言っていたか……」
「俺は気に入ったぞ。商品名を『個性派保温容器』にするのはどうだ?」
「ガルドまで乗らないでくれ!」
ガルドは声を上げて笑った。
アルトは苦笑しながら、店を後にした。
工房へ戻ると、エルダが試験用の容器を片付けていた。
「今日の結果をまとめたら、次は繰り返しの開閉試験ね」
「ああ。そこまで確認してから判断しよう」
「時間はかかるけれど、今度は原因を見落としたくないわ」
アルトは、作業台に置かれた二種類の固定具を見た。
今回の試験で、仕入れ先と工房の双方に改善すべき点があることが見えてきた。
どちらか一方に責任を押し付けるのではなく、双方が記録を残し、同じ条件で確かめる。
それができれば、今回の問題は単なる失敗では終わらない。
「次の試験が終わったら、またガルドにも報告するよ」
「お願いね」
ミハイルが、片付けたばかりの固定具を見つめていた。
「課長」
「今度は何だ?」
「この固定具にも、名前を付けていいですか?」
「……何と付けるつもりだ?」
「通常固定具は『まじめ君』。別工程の固定具は『自由人』です!」
「やめなさい!」
エルダの笑い声が工房に響いた。
アルトは、頭を抱えながらも笑っていた。
原因を確かめるために頭を下げることは、負けることではない。
自分たちの不足を認め、相手の協力を得て、よりよい方法を探す。
それができる相手こそ、長く付き合う価値のある取引先なのかもしれない。
ただし、固定具に名前を付ける必要はない。
そこだけは、何度でも伝えておこうと思った。
営業メモ ②⑤⓪
問題の原因を調べるときは、自社と取引先のどちらか一方に責任を押し付けないこと。
自社側の記録や管理に不足があれば、それも正直に伝える。そのうえで、相手に確認してほしい内容を具体的に示し、現物や試験結果を共有する。
相手に協力を求めるなら、こちらも改善する姿勢を見せること。双方が同じ事実を確認できれば、責任の押し付け合いではなく、再発防止に向けた話し合いができる。
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次回予告
第二百五十二話 営業課長、繰り返し使って初めて見える問題に挑む
固定具の違いが、留め具の閉まり方に影響する可能性が見えてきた。
次は、実際に何度も開閉を繰り返し、使い続けたときに問題が起きないかを確認することになった。
ところが、ミハイルが試験回数を数え始めた途端、なぜか数字が合わなくなる。
「課長! 僕の数え方に問題はありません!」
「では、どうして百回のはずが百二十回になっているんだ?」
「途中で応援の二十回を追加しました!」
「試験に応援回数を入れるな!」
品質確認は、思わぬところで新たな試練を迎える。




