第二百四十八話 営業課長、見落としていた小さな違いを追う
工房の片隅に、改良型の保温容器が六つ並んでいた。
見た目は、ほとんど同じ。
新しい留め具は、治具のおかげで取り付け位置がそろい、以前より作業時間も短くなっている。
ここまでは順調だった。
問題は、その六つをじっと見つめているエルダの顔だった。
「……やっぱり、違う」
その一言で、ミハイルが勢いよく振り返った。
「違う!? どこがですか!?」
「そこ」
エルダが一つ目の容器を指で示した。
「それから、こっちも」
二つ目。
「こっちも少し」
三つ目。
ミハイルは容器を順番にのぞき込んだ。
「……同じに見えますけど」
「見た目だけならね」
「では、問題ありませんね!」
「まだ話の途中よ」
「すみません。結論が先走りました」
「あなたの結論、いつも馬車より先に走るわね」
アルトは思わず吹き出した。
「しかも馬車と違って、荷物を積んでいないから止まれない」
「課長まで!?」
「安心しろ。今日は君の結論を荷台に積んで、ゆっくり運んでやる」
「結論を荷物扱いしないでください!」
いつもの調子で工房に笑いが広がる。
だが、エルダは容器から目を離さなかった。
「ふざけている場合じゃないの。留め具の閉まり方が、ほんの少しずつ違うのよ」
彼女は一つ目の蓋を閉めた。
カチッ。
次に二つ目。
カチッ。
音は似ている。
だが、三つ目を閉めたときだけ、指先にわずかな抵抗があった。
「ほら。これ」
エルダが容器をアルトに渡した。
アルトも蓋を開け、ゆっくり閉める。
確かに、ほんの少し引っかかる感じがする。
「普通に使う分には、閉まらないわけじゃないな」
「そう。でも、毎日何十回も開け閉めしたら?」
「差が広がる可能性がある、ということか」
「ええ。今は小さな違いでも、使い続けたら留め具の摩耗や破損につながるかもしれない」
ミハイルは腕を組み、深刻そうにうなずいた。
「なるほど……つまり、容器の中に小さな問題が潜んでいるんですね」
「そうね」
「では、容器の中に人を入れて調べましょう!」
「どうしてそうなるのよ!」
「問題が潜んでいるなら、潜入調査です!」
「言葉の意味を考えてからしゃべりなさい!」
アルトは額を押さえた。
「ミハイル。容器の中に入っても、留め具の状態はわからないぞ」
「そうですか……。では、容器に耳を当てて、悲鳴を聞くのは?」
「容器は悲鳴を上げない」
「課長、まだ試していません!」
「試す必要もない!」
エルダがため息をつきながら、作業台の上に紙を広げた。
「冗談はそこまで。まず、どの容器に、どんな違いがあるのかを確認するわ」
*
作業台に並べた六つの容器に、エルダは番号を付けた。
一番から六番まで。
それぞれについて、蓋の閉まり方、留め具の位置、開閉するときの抵抗を確かめていく。
アルトは記録を担当し、ミハイルには容器を順番に渡す役目を任せた。
「一番、異常なし。二番、少し抵抗あり。三番、異常なし……」
アルトが記録する。
「四番、異常なし。五番、少し抵抗あり。六番……」
エルダが六番の蓋を閉めた。
カチッ。
「これは問題なさそうね」
「二番と五番だけ、少し違うのか」
アルトは記録を見直した。
「二つに共通するものは?」
「留め具の取り付け位置は、どちらも許容できる範囲よ。治具の目印からも大きく外れていない」
「ということは、位置だけが原因とは限らないわけだ」
「そういうこと」
ミハイルが得意げに手を挙げた。
「わかりました! 二番と五番だけ、機嫌が悪いんです!」
「原因を聞いているのよ」
「では、性格の問題ですね!」
「容器に性格を設定しないで!」
アルトは笑いをこらえながら、二番と五番を並べた。
「同じように見えても、閉まり方が違う。なら、部品そのものにも違いがあるかもしれない」
エルダは二つの留め具を外し、並べて観察した。
肉眼では、ほとんど区別がつかない。
しかし、指で端をなぞると、二番の部品にはわずかなざらつきがあった。
「……これね」
「何かわかったのか?」
「断定はできない。でも、この部分の厚みか、曲がり方が違う可能性があるわ」
「取り付ける前から違っていたのか、それとも取り付けるときに変わったのか。そこも確認しないとな」
アルトが言うと、エルダはうなずいた。
「まずは、まだ取り付けていない部品を調べる。次に、同じ部品を別々の人が取り付けてみる。それで違いが出るか確かめましょう」
「つまり、犯人は部品か作業者か……」
ミハイルが腕を組んだ。
「あるいは、容器自身の反抗期かもしれません」
「最後の候補は外しておけ」
「はい。容器の人権に配慮しておきます」
「配慮する先が違う!」
アルトの突っ込みが工房に響いた。
*
エルダは保管してあった未使用の留め具を取り出した。
同じ種類の部品を十個。
それぞれを作業台に置き、簡単な測定具で厚みを確かめる。
一個目。
二個目。
三個目。
大きな差はない。
だが、八個目を測ったところで、エルダの手が止まった。
「……これ、少し薄いわね」
アルトが記録をのぞき込む。
「ほかの部品と比べて?」
「ええ。極端に違うわけじゃない。でも、今までの部品よりわずかに薄い」
「それが、二番と五番に使われていたものと関係する可能性は?」
「ある。ただし、まだわからない。薄い部品でも問題なく閉まるものがあるかもしれないし、厚み以外の要因も考えられる」
アルトはうなずいた。
「なら、今の段階で『薄い部品が原因だ』とは決めつけない。まずは、部品ごとの違いと、完成品の閉まり方を対応させよう」
「そうね。記録を残しておけば、同じ条件で確かめられる」
ミハイルが記録用紙を持ち上げた。
「では、僕が部品を見分けます!」
「あなた、厚みの違いがわかるの?」
「もちろんです。僕は営業ですから!」
「営業と部品の厚みは関係ないわよ」
「お客様の小さな変化に気づくのが営業です!」
妙に自信満々だった。
アルトは少し考えた。
「確かに、変化に気づく姿勢は大事だな。じゃあ、まずは君が見分けた結果を記録してみよう。エルダの測定結果と照らし合わせる」
「お任せください!」
ミハイルは部品を一つずつ手に取り、真剣な顔で見比べ始めた。
数分後。
「課長! 判明しました!」
「もうわかったのか?」
「はい! この十個の中で、一番営業向きなのは三番です!」
「何の話をしている!?」
「形が一番、説得力を感じさせます!」
「部品に説得力を求めるな!」
エルダは笑いながらも、測定結果を見比べていた。
「ミハイルの目視は、まだ当てにならないわね。でも、部品を一つずつ並べて確認したのは悪くないわ」
「そこは褒めていただけるんですね!」
「作業の順番はね。判定結果は別よ」
「褒め言葉にも細かい条件がある……」
ミハイルは肩を落とした。
「営業って、思ったより厳しいですね」
「今ごろ気づいたのか」
*
午後になり、確認作業は次の段階に進んだ。
厚みの違う部品をそれぞれ使い、取り付け位置をそろえて留め具を固定する。
さらに、同じ部品を使って、取り付ける人を変えてみる。
エルダが取り付けたもの。
別の職人が取り付けたもの。
そして、治具を使わずに取り付けたもの。
結果を並べてみると、厚みだけでは説明できない違いも出てきた。
「やっぱり、部品の厚みだけが原因じゃないわね」
エルダが記録を指でたどる。
「同じ厚みの部品でも、取り付けるときの押さえ方で、留め具の角度がわずかに変わることがある」
「治具を使えば、それは防げるんじゃないのか?」
「ある程度はね。でも、部品そのものの形が少し違えば、同じ位置に固定しても、仕上がりに差が出る可能性があるわ」
アルトは六つの容器を見渡した。
これまで、作業時間を短くすることに意識が向いていた。
治具を作り、目印を付け、取り付け位置をそろえた。
その結果、作業は確かに速くなった。
しかし、速くなったことと、同じ品質で作れることは別だった。
「作業のばらつきは減ってきた。でも、部品のばらつきはまだ残っているかもしれない。そういうことだな」
「ええ。だから、完成品だけを見ていても足りないのよ」
エルダは、部品を納めている箱に目を向けた。
「どの部品を使ったのか。いつ入ってきたものなのか。そこまで追えるようにしたいわね」
アルトは記録用紙に、新しい項目を書き加えた。
部品の種類。
受け入れた日。
測定結果。
取り付けた担当者。
完成品の開閉確認。
「ただし、項目を増やしすぎるのもよくない。記録するために作業が止まったら、本末転倒だからな」
「必要な項目に絞る、ということね」
「そうだ。あとから原因を追えるだけの情報は残す。でも、誰も使わない記録は増やさない」
ミハイルが、記録用紙をのぞき込んだ。
「課長。僕の名前も書いておきますか?」
「君は部品を見分ける役目だっただろう」
「はい! 営業向きの部品を見抜くという重要な任務です!」
「その項目はない」
「では、備考欄に『部品との対話を試みた』と……」
「書かなくていい!」
エルダがとうとう声を上げて笑った。
工房の空気が、少しだけ軽くなる。
それでも、アルトは記録用紙を見つめていた。
小さな違いを見つけたからといって、すぐに原因がわかるわけではない。
部品の形なのか、取り付け方なのか、それとも別の要因なのか。
確かめるべきことは、まだ残っている。
だが、違いを見過ごさず、条件を分けて確かめれば、少なくとも原因に近づくことはできる。
「エルダ。量産の判断は、もう少し待とう」
「もちろん。開閉を繰り返す試験も続けるわ」
「ガルドへの説明は、俺がしておく。改善は進んでいるけれど、品質の確認は継続中だと伝えるよ」
「納期を急かされない?」
「急かされる可能性はある。でも、確認できていないものを確認済みとは言えないからな」
ミハイルが、珍しく真面目な顔でうなずいた。
「わかりました。僕も、もう少し慎重に……」
「おっ、成長したな」
「はい! 今後は、商品が完成する前に納期を約束するのではなく、完成する前に完成したことにします!」
「それは慎重どころか、意味がわからない!」
「今の発言は取り消します!」
アルトは笑いながら、記録用紙をまとめた。
そのとき、エルダが部品箱の底から、小さな包みを取り出した。
「……待って。これ、いつ届いたものかしら」
包みには、部品の種類を示す印が付いていた。
だが、受け入れた日付は書かれていない。
エルダは中身を一つ取り出し、さきほど測定した部品と並べた。
形は同じ。
しかし、端の仕上がりがわずかに違っていた。
「この部品……。今まで使っていたものと、加工の跡が違う」
アルトは包みの印を確認した。
「仕入れ先は同じか?」
「印だけなら、同じね。でも、いつ届いたものなのかがわからない」
ミハイルが、包みをのぞき込んだ。
「つまり、部品にも出身地があるのに、身分証明書がないということですね!」
「言い方はともかく、記録が足りないのは確かだな」
アルトは包みをそっと置いた。
これまで確認してきた六つの容器。
そのうち、閉まり方に違いがあった二つ。
そして、仕上がりの異なる部品。
まだ、すべてがつながったわけではない。
だが、見落としていた小さな違いが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
「明日は、仕入れの記録を確認しよう。いつ、どの部品が届いたのか。そこから調べる」
エルダは静かにうなずいた。
「ええ。原因がわかるまでは、急がないわ」
ミハイルも力強くうなずいた。
「僕も、明日は慎重に行動します!」
「まずは部品に名前を付けるのをやめるところからだな」
「えっ、もう『三番の説得上手』と呼んでいるんですが!」
「名前を付けるのが早い!」
工房に、また笑い声が響いた。
ただし、作業台の隅に置かれた小さな包みだけは、誰も笑い飛ばさなかった。
速く作るための工夫は、確かに役に立った。
けれど、速く作れるようになったからこそ、今まで見過ごしていた違いにも目を向けなければならない。
アルトは、明日の確認事項を記録用紙の最後に書き加えた。
――部品が届いた日と、加工の違いを確認する。
小さな違いを追いかける仕事は、まだ終わりそうになかった。
営業メモ ②④⑦
小さな品質差を見つけたときは、すぐに原因を決めつけないこと。
部品そのものの違い、作業方法の違い、使用条件の違いを分けて確認する。完成品だけでなく、材料の受け入れ日や加工履歴を記録しておけば、問題が起きたときに原因を追いやすくなる。
ただし、記録項目を増やしすぎると、現場の負担になる。必要なのは、あとから原因を確かめられるだけの情報を、無理なく残す仕組みだ。
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次回予告
第二百四十九話 営業課長、届いた部品の足跡をたどる
部品の加工跡が違うことに気づいたアルトたちは、仕入れの記録を調べ始める。しかし、箱には同じ印があるのに、届いた日付がわからない部品が見つかった。
「同じ仕入れ先なら、同じ品質とは限らない」
アルトの言葉に、エルダは工房の保管棚を見渡す。そこには、まだ確認していない部品がいくつも眠っていた。




