第二百四十六話 営業課長、品質と納期の板挟みになる
「アルトさん! 解決策を思いつきました!」
朝、工房に入った瞬間、ミハイルが叫んだ。
嫌な予感がした。
営業課長として数々の商談を経験してきたアルトだが、最近はミハイルの「解決策」という言葉を聞くたび、胃のあたりが微妙に反応する。
「……一応、聞こうか」
「新型の保温容器を、急いで作ればいいんです!」
「うん。それで?」
「以上です!」
「解決策というより、願望だな」
工房の奥で、エルダが吹き出した。
「私も同じことを言いたいところだけど、残念ながら、急いだだけでは製造時間は短くならないわ」
ミハイルは不思議そうに首を傾げた。
「でも、急げば早く終わりますよね?」
「じゃあ、あなたは今から十人分の仕事を一人でやってみる?」
「……急いでやります!」
「そういう話じゃないのよ」
エルダは作業台に並べた部品を指さした。
新型の保温容器では、留め具の形を変える必要がある。そのため、部品の加工方法と取り付けの手順も見直さなければならなかった。
「今までと同じ手順で作れるなら、時間は大きく変わらない。でも、今回は接合部分の調整が必要なの。慣れない作業を急いで進めれば、寸法のずれや取り付けミスが起きる可能性もあるわ」
「なるほど……」
ミハイルは腕を組んだ。
「では、慣れるまで練習してから作ればいいんですね!」
「それは正しいわ」
「練習の時間をなくせば、もっと早くなります!」
「どうして正解にたどり着いた直後に、全力で間違えるの?」
アルトは笑いをこらえた。
「ミハイル。納期を短くしたいなら、まず何に時間がかかっているのかを確認しないとね」
「時間がかかっているところ……ですか」
「そう。作業そのものに時間がかかるのか、材料を待っているのか、完成後の検査に時間がかかるのか。それによって対策は変わる」
エルダが頷いた。
「今のところ、時間が増える原因は主に二つよ。新しい留め具の調整と、完成品の耐久試験。どちらも省略したくない工程なの」
「検査を省略しなければ、早くならないんですね」
「検査を省略すれば、見た目の完成は早くなるわね。でも、問題がある商品を見逃す可能性も高くなる」
「つまり、完成した数だけを見ていたら危ないということか」
アルトは作業台を見つめた。
「作る数を増やすことより、まず安定して作れる方法を見つける必要があるね」
ミハイルが勢いよく帳面を開いた。
「分かりました! では、作業を担当する人を増やしましょう!」
「その案は検討する価値があるね。ただし、誰でもすぐにできる作業なのか、教える時間が必要なのかも確認しよう」
「では、僕が手伝います!」
エルダはミハイルを上から下まで見た。
「あなた、留め具を取り付けたことはある?」
「ありません!」
「加工道具を使ったことは?」
「ありません!」
「完成品の検査は?」
「お客様に売る前の検査なら、得意です!」
「具体的には?」
「値札が付いているか確認します!」
「それは大切だけど、今必要なのはそこじゃないわ」
アルトはとうとう声を上げて笑った。
「ミハイル、君には別の仕事を頼もう」
「はい! 何でもやります!」
「ガルドさんに、いつまでなら納品を待てるか確認してきてくれないか」
「お任せください! 納期交渉ですね!」
「そう。まだ確定した納期は伝えないこと。こちらの事情を説明して、相手の希望を聞いてくるんだ」
「承知しました!」
ミハイルは胸を張り、工房を飛び出していった。
その背中を見送りながら、エルダがぽつりと言った。
「……あの子、納期交渉はできるのかしら」
「交渉の前に、走って転ばないか心配だね」
「そっちなの?」
アルトは真顔で頷いた。
「前科があるからね」
◇
一時間後。
ミハイルが戻ってきた。
「アルトさん! 交渉してきました!」
「お疲れさま。どうだった?」
「ガルドさんは、できるだけ早く商品が欲しいそうです!」
「それは、そうだろうね」
「ですが、品質が確認できていない商品を急いで納品されても困る、ともおっしゃっていました!」
アルトは頷いた。
「なるほど。ガルドさんも、ただ早く商品が欲しいわけじゃないんだ」
「はい。それから、納期が分からないままでは売場の準備もできないそうです」
「それは重要な情報だね」
ミハイルは得意げに胸を張った。
「さらに、僕が新型の保温容器を百個持っていくと約束したところ、丁重に断られました!」
「……何を約束したって?」
「百個です!」
「誰がそんな約束をしろと言った?」
「勢いです!」
「君の勢いは、納期より先に暴走するな!」
ミハイルは慌てて両手を振った。
「ご安心ください! ガルドさんは、まだ正式な注文ではないと理解してくださっています!」
「それは幸いだけど、次からは数量も勝手に約束しないように」
「はい……」
ミハイルはしょんぼりと肩を落とした。
しかし、アルトはすぐに表情を和らげた。
「でも、相手が何を求めているかを聞けたのはよかったよ。ガルドさんは、いつ頃までに商品が欲しいと言っていた?」
「できれば、今ある商品の販売を見直す前に、次の仕入れの予定を決めたいそうです。ただし、具体的な日付は、こちらの製造状況を聞いてから相談したいと」
「分かった。つまり、今すぐ納品してほしいというより、予定が立つことが大事なんだね」
「はい!」
アルトは帳面を開いた。
「なら、こちらも製造に必要な時間を調べて、いつ頃なら納品できそうか、根拠のある見通しを伝えよう。確定していない段階では、確定したように言わない。それが大切だ」
「分かりました。今度は百個と約束しません!」
「数量だけでなく、日付もね」
「はい! 百日後とも約束しません!」
「なぜ、百にこだわるんだ……」
◇
その日の午後、アルトはエルダと一緒に製造工程を確認した。
部品を加工する時間。
留め具を取り付ける時間。
完成品を確認する時間。
そして、問題が見つかったときに修正するための時間。
それぞれを分けて記録すると、思っていた以上に時間の使い方に改善の余地があることが分かった。
「留め具の取り付けそのものより、部品の位置を合わせる作業に時間がかかっているんですね」
アルトが言うと、エルダは頷いた。
「ええ。今は、一つずつ位置を確認しながら取り付けているから。部品を固定する簡単な道具があれば、作業を安定させられるかもしれない」
「それなら、作業を急がせるより、作業しやすい方法を考えるほうが効果的ですね」
「ただし、その道具を作る時間と材料費も必要になるわ」
「なるほど。改善するための投資が必要になるわけですね」
アルトは帳面に書き込んだ。
「でも、一度作れば、次の製造でも使える可能性があります。今回だけでなく、今後の生産にも役立つなら、検討する価値はありますね」
「そうね。まずは簡単な固定具を試作してみるわ」
エルダは部品を手に取り、寸法を測り始めた。
そこへミハイルが顔を出した。
「お二人とも! 朗報です!」
「今度は何だい?」
「僕も、製造時間を短くする方法を思いつきました!」
アルトはペンを置いた。
「聞こうか」
「作業台の横に、大きな時計を置くんです!」
「……時計?」
「はい! 作業する人が時間を意識すれば、自然と速くなります!」
エルダは静かに時計を見た。
「今も時計はあるわよ」
「では、もっと大きな時計を!」
「時計を大きくすると、製造時間が短くなるのか?」
「作業する人の意識が変わります!」
「大きな時計に見つめられて、焦るだけじゃないかな」
アルトが言うと、エルダは頷いた。
「それに、急いで失敗が増えたら、やり直しで余計に時間がかかるわ」
「では、時計の横に『焦らず急げ』と書きましょう!」
「今度は標語か」
「『品質第一、納期厳守!』も追加します!」
「壁が標語だらけになりそうだな……」
ミハイルは少し考え、さらに提案した。
「それなら、作業台の上に『急ぐな』と書いて、壁に『急げ』と書けば、ちょうど中和されるのでは?」
「何を中和するんだ」
アルトは額を押さえた。
「ミハイル。作業時間を短くすること自体が目的ではないんだよ。必要な品質を保ちながら、無駄な時間を減らすことが目的なんだ」
「……なるほど」
「例えば、同じ場所を何度も測り直しているなら、測りやすくする道具を用意する。部品を探す時間が長いなら、置き場所を決める。そういう改善を考えるんだ」
「時計ではなく、仕事の流れを見直すんですね」
「そういうこと」
ミハイルは大きく頷いた。
「分かりました! では、工房の道具に全部名前を付けましょう!」
「なぜそうなる?」
「名前があれば、どこにあるか覚えやすくなります!」
エルダは少し考えた。
「道具の置き場所を決めて、使ったら戻す。それなら効果はあるかもしれないわね」
「本当ですか!?」
「でも、名前を付ける必要はないわ」
「では、道具に番号を付けます!」
「それなら、置き場所を番号で管理する方法は考えられるね」
アルトは笑った。
「ミハイル、珍しく話が前に進んだね」
「ありがとうございます! 僕も成長しました!」
「ただし、道具に愛称を付ける案は却下だ」
「……『留め具くん』もですか?」
「却下だ」
「『固定具先輩』は?」
「却下」
「『納期を守る時計』は?」
「それは時計の仕事じゃない!」
◇
夕方、エルダは試作した固定具を作業台に置いた。
部品を固定して位置を合わせやすくする、簡単な道具だ。
「これなら、毎回手で押さえながら位置を調整する必要が減るわ」
アルトは実際に作業を見せてもらった。
確かに、部品の位置を合わせる作業が安定している。
作業のたびに細かく調整する必要も減りそうだった。
「これは期待できそうですね」
「ええ。ただ、まだ試作段階よ。何個か作ってみて、同じように取り付けられるか確認したいわ」
「それが終われば、製造にかかる時間の見通しも立てやすくなりますね」
「そうね。耐久試験と並行して進められる作業もあるから、全体の予定を組み直してみるわ」
アルトは頷いた。
「それなら、ガルドさんにも説明できます。今すぐ納品日を断言するのではなく、確認が終わる予定と、その後の製造に必要な時間を分けて伝えましょう」
「分かったわ。製造の見通しが立ったら、すぐに知らせるわね」
ミハイルは二人の話を聞きながら、何度も頷いていた。
「なるほど……。品質を確認する時間と、商品を作る時間は別々に考えるんですね」
「そうだよ。確認に必要な時間を最初から予定に入れておけば、後から慌てずに済む」
「そして、作業を改善すれば、無理に急がなくても早く作れる可能性がある」
「そのとおり」
ミハイルは帳面を閉じた。
「僕、明日からガルドさんに説明できます!」
「何を説明するつもりだい?」
「新型の完成日は、まだ確定していないこと。品質を確認してから製造すること。そして、百個は約束できないことです!」
「最後の一つは、君が勝手に約束したからだろう」
「はい! 反省しています!」
アルトは笑いながら、ミハイルの肩を叩いた。
「よし。次は、確認できた製造の見通しをもとに、ガルドさんと数量や納期を相談しよう」
「分かりました!」
ミハイルは元気よく返事をした。
……その直後、彼はふと何かを思いついた顔になった。
「アルトさん!」
「今度は何?」
「納期を守るために、僕たちも商品になってしまえばいいんじゃないでしょうか!」
「……どういう意味だ?」
「僕たちが保温容器の中に入って、工房から店まで転がっていけば、配送の時間が短くなるかもしれません!」
「人間を梱包するな!」
「でも、僕なら軽いです!」
「そういう問題じゃない!」
エルダは笑いすぎて、作業台に手をついた。
アルトは深く息を吐いた。
品質と納期の両立は、簡単ではない。
だが、作業の流れを見直し、必要な確認を省かず、相手に正直な見通しを伝えることはできる。
焦って約束を増やすより、守れる約束を積み重ねる。
それが、長く取引を続けるための基本なのだ。
そして翌日、固定具を使った製造試験が始まる。
作業時間は短くなるのか。
品質は安定するのか。
アルトたちは、次の判断に必要な答えを探していくことになる。
営業メモ ②④⑤
納期を短縮したいときは、作業者に「急げ」と求める前に、工程ごとの時間と手戻りの原因を確認する。道具や作業手順の改善で無駄を減らし、品質確認に必要な時間も予定に含める。取引先には、確定した納期と現時点の見通しを区別して伝える。
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次回予告
第二百四十七話 営業課長、早く作るだけでは解決しないと知る
固定具を使った製造試験が始まり、作業時間は短くなる見込みが出てきた。
ところが、今度は別の問題が発生する。作業が速くなった一方で、完成品ごとの仕上がりにわずかな違いが見つかったのだ。
ミハイルは「速く作れるなら大成功です!」と喜ぶが、エルダは簡単には認めない。
時間を短縮することと、安定した品質を保つこと。その両方を満たす方法はあるのか。
営業課長は、数字の裏側にある現場の変化を確かめることになる。




