第二百四十五話 営業課長、店に残った商品と向き合う
「アルトさん、相談があるんだ」
朝、工房に顔を出したアルトを待っていたのは、店主のガルドだった。
その表情は、いつものように笑っていない。
「どうしました? 何か問題でも?」
「昨日の保温容器の話だよ。エルダから、留め具の形を見直していると聞いたんだ」
「もう話が伝わっていましたか」
「商売仲間の間じゃ、話が伝わるのは早いからな。もっとも、うちの店じゃ、商品の噂よりミハイルの珍発言のほうが早く伝わるが」
「えっ、僕の話ですか?」
背後から声がした。
振り返ると、ミハイルが大きな包みを抱えて立っていた。
「おはようございます! 今日は旧型商品の扱いについて、画期的な提案を持ってきました!」
「その包みは何だい?」
「旧型の保温容器です!」
「どうして君が持っているんだ?」
「見本です!」
「店にある商品を、勝手に持ってきたのか?」
「ガルドさんには、朝一番で許可をいただきました!」
ガルドが頷いた。
「持ってくることは許可したよ。ただし、全部持ってくるとは聞いていなかったな」
「え?」
ミハイルが包みを見下ろした。
「……あれ? 全部ではありませんよ。店に残っていた二個だけです」
「二個でも、見本を見せるだけなら一個で十分だろう?」
「比較検討用です!」
「一個で比較はできないぞ」
アルトは額に手を当てた。
「まあ、いい。まずは相談を聞こう」
ガルドは椅子に腰を下ろした。
「新型の保温容器ができるのは、いいことだと思う。使いやすくなるなら、うちの店でも扱いたい。ただ、今、店に残っている旧型をどうすればいいのかと思ってね」
「それは当然の問題ですね」
アルトは頷いた。
「新型ができたからといって、旧型をどう扱うかが自動的に決まるわけではありません」
ミハイルが勢いよく手を挙げた。
「では、僕から提案です!」
「聞こう」
「旧型を全部買い取り、新型と交換します!」
「……誰が?」
「僕たちです!」
「その費用は?」
「ええと……」
ミハイルの勢いが、目に見えて弱くなった。
「……これから考えます!」
「提案の前に考えておこうか」
ガルドが笑った。
「それに、旧型を買い取ってもらったとしても、俺の店には新型を置く場所が必要になる。売れるかどうかも分からないうちから、たくさん仕入れるのは難しいよ」
「では、置き場所を増やしましょう!」
「店を増築する話に戻っているぞ」
「商売の規模を広げるチャンスです!」
「保温容器二個のために店を増築する商人は、なかなかいないな」
アルトはミハイルの肩を軽く叩いた。
「まず、ガルドさんが困っていることを整理しよう。旧型をどうすればいいか。新型をどれくらい仕入れられるか。そして、今後のお客様への説明をどうするか」
「なるほど。問題を三つに分けるんですね」
「そうだよ。全部を一度に解決しようとすると、話が大きくなりすぎるからね」
「分かりました! では、問題を三つの別々の店に分けましょう!」
「店は分けなくていい」
◇
アルトたちは、ガルドの店へ向かった。
店内には、いつもの商品が並んでいる。棚の隅には、旧型の保温容器が二個置かれていた。
ガルドはそのうちの一つを手に取った。
「この容器は、今のところ問題なく使えている。けれど、留め具に負担がかかる可能性があるんだろう?」
「はい。ただ、現段階では、どの程度の負担で問題が起こるのか、普通の使用でも不具合が起きるのかは、まだ確認中です」
アルトは慎重に答えた。
「ですから、現時点で『危険な商品だ』と決めつけることも、『絶対に問題ない』と言い切ることもできません」
「そうか……」
ガルドは容器を見つめた。
「俺としては、買ってくれたお客さんに、あとから迷惑をかけるのが一番困る」
「その考えは大切です。だからこそ、確認できたことを正確に伝える必要があります」
ミハイルが横から口を挟んだ。
「では、店頭に『この商品には、まだ秘密があります!』と書いておきましょう!」
「秘密がある商品を、わざわざ買いたいと思う客がいるかな?」
「気になるじゃないですか!」
「気になっても、財布を開くとは限らないよ」
アルトは店頭の札を指さした。
「お客様に伝えるなら、曖昧な言葉ではなく、具体的な情報が必要です。今は、留め具の構造について試験を進めている段階。新しい情報が確認できたら、必要に応じて案内する。それが基本になります」
「つまり、まだ分からないことを、分かったように話さないんですね」
「そのとおり」
ガルドは少し考えたあと、尋ねた。
「では、今ある旧型は、売ってもいいのか?」
アルトはすぐには答えなかった。
商品の安全性や耐久性に関わる問題は、売上の都合だけで決めることではない。
「そこは、エルダの試験結果を確認してから判断したいです。もし通常の使い方でも問題が起きる可能性があると分かれば、販売を一時停止するなど、対応が必要になります」
「分かった。結果が出るまでは、勝手に売り続けたりしないよ」
「ありがとうございます。確認が取れるまでは、こちらからも状況をお伝えします」
ミハイルが真剣な顔で頷いた。
「お客様を守るためですね!」
「そうだね」
「では、僕も今後は商品を勝手に持ち出さないようにします!」
「今日の話から、そこにたどり着いたのか?」
「はい!」
「それも大事だけど、今は保温容器の話を続けよう」
◇
話を進めるうちに、もう一つの問題が浮かび上がった。
新型の保温容器が完成したとして、ガルドは何個仕入れるべきなのか。
「前回は十個預けてもらって、八個売れたんだよな」
ガルドは帳面を見ながら言った。
「それなら、新型も十個あれば十分じゃないか?」
ミハイルがすぐに反応した。
「いえ! 前回八個も売れたんですから、今回は二十個です!」
「どうして倍になるんだ?」
「期待の表れです!」
「期待で棚は広がらないぞ」
アルトは帳面を確認した。
「八個売れたという結果は参考になります。ただ、前回の販売数だけで、次も同じように売れるとは限りません」
「でも、八個売れたのは事実ですよね?」
「そう。だからこそ、売れた理由や、買わなかった人の反応も考える必要があるんだ」
アルトはガルドに尋ねた。
「前回、買おうか迷っていたお客様は、どんな様子でしたか?」
「何人かは値段を確認していたな。蓋を開け閉めして、使いやすさを確かめる人もいた」
「では、新型で留め具が使いやすくなったことが確認できれば、購入を考える人もいるかもしれませんね」
「そうだな。ただ、値段が上がるなら、また別の話だ」
「そのとおりです。使いやすくなっても、価格が合わなければ買わない人もいます」
ミハイルが首を傾げた。
「では、値段を下げましょう!」
「材料費や製造の手間が増えたら、簡単には下げられないよ」
「では、値段を上げましょう!」
「今度は買う人が減るかもしれない」
「では、値段をそのままにしましょう!」
「その場合、増えた費用をどこで吸収するんだ?」
「……値段って、難しいですね」
「今、ようやく商売の入口に立ったね」
アルトは笑った。
「新型の価格と性能が決まってから、もう一度考えよう。ガルドさんには、最初は少量から試してもらうのがよさそうです」
「それなら助かる。売れ行きを見ながら、追加で仕入れるか決められるからな」
「ただし、製造に時間がかかるなら、追加注文から納品まで何日かかるかも確認しておきましょう。売れたのに次の商品が届かない、ということも避けたいですから」
ガルドは満足そうに頷いた。
「なるほど。売れた数だけじゃなく、次の商品が届くまでの時間も考えるわけだ」
「はい。店の広さも、資金も、商品の補充にかかる時間も、全部つながっています」
ミハイルが帳面に書き込んだ。
「少量で試す。売れ行きを確認する。必要なら追加する。追加までの日数も考える……」
そして、顔を上げた。
「分かりました! では、新型を一個だけ仕入れましょう!」
「今度は慎重すぎないか?」
「失敗を恐れているのではありません! 安全第一です!」
「仕入れ数を決めるたびに、極端な方向へ走るのはやめようか」
ガルドの笑い声が店内に響いた。
◇
その日の午後、エルダから試験結果の途中報告が届いた。
留め具の形状を変えた試作品は、蓋を正しい位置に合わせやすくなっている。
一方で、耐久性については、さらに確認が必要だった。
アルトはその報告を受け、ガルドに現状を説明した。
「まだ最終判断はできません。新型の販売時期も、今は約束できない状況です」
「分かった。急いで中途半端なものを出すより、そのほうがいい」
「ありがとうございます。結果がまとまり次第、改めてご相談します」
ミハイルが横から身を乗り出した。
「ガルドさん! 新型ができたら、ぜひ当店で最初に販売してください!」
「それはありがたいが、まだ値段も納期も決まっていないぞ」
「大丈夫です! 気持ちだけなら、今日から販売できます!」
「気持ちを買う客はいないと思うぞ」
「では、予約を受け付けましょう!」
「納期が分からないのに?」
「……では、予約の予約を」
「それはもう、ただの相談だ」
アルトは笑いながら、ミハイルを引き戻した。
「まずは商品を完成させること。販売条件が決まってから、ガルドさんに提案しよう」
「分かりました。先走らず、順番を守るんですね」
「そう。お客様に期待してもらうことは悪くない。でも、守れない約束を先にしてしまうと、期待が不満に変わってしまう」
ミハイルは、今度こそ真剣に頷いた。
「売る前に、できることを確認する……ですね」
「そのとおり」
ガルドは旧型の保温容器を棚から取り出し、作業台の上に置いた。
「アルト。新型ができたら、また相談に乗ってくれ。うちの店でも、ちゃんとお客さんに説明できるようにしたいんだ」
「もちろんです」
アルトはしっかりと頷いた。
売ることだけが営業の仕事ではない。
商品を預けた相手が困らないようにすること。お客様に誤解を与えないこと。そして、次も安心して取引できる関係をつくること。
それもまた、営業の大切な役割だった。
店を出たあと、ミハイルがぽつりと言った。
「アルトさん。僕、今日分かったことがあります」
「何かな?」
「新しい商品を売るより、今ある商品をどうするか考えるほうが、難しいんですね」
「そういう場面も多いね」
「では、僕も成長したということでしょうか?」
「そうだね。少なくとも、今日は店を増築しようと言わなかった」
「はい! その代わり、工房を増築する案を考えていました!」
「なぜ増築から離れられないんだ!」
街道に、アルトのツッコミが響いた。
だが、その日の夕方。
エルダから、もう一つの知らせが届いた。
新型の留め具は使いやすくなっているものの、製造工程を変えると、完成までに必要な時間が少し延びる可能性があるという。
品質を改善すれば、製造にかかる時間も変わる。
売り方だけでなく、作り方も見直さなければならない。
アルトは帳面を開き、次の課題を書き留めた。
――品質と納期を、どう両立させるか。
営業課長の仕事は、まだ終わりそうになかった。
営業メモ ②④④
商品に改善点が見つかったら、すでに取引している相手への説明と対応を先に考える。新商品への切り替えは、旧商品の状態、販売上のリスク、仕入れ先の資金や売場、納期を踏まえて判断する。未確定の価格や納期を約束せず、確認できてから提案する。
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次回予告
第二百四十六話 営業課長、品質と納期の板挟みになる
新型の保温容器は、使いやすさが改善する見込みとなった。
しかし、製造工程を変えれば、完成までに時間がかかる可能性がある。
早く商品を届けたいミハイルと、品質を優先したいエルダ。ガルドもまた、商品が届かなければ売場を整えられない。
「早く作ればいいんじゃないですか?」と簡単に言うミハイルに、アルトは製造現場の現実を教えることになる。
品質、納期、売上。その三つをどう両立させるのか。
営業課長の調整力が試される。




