第二百四十四話 営業課長、売る前に商品を見直す
「アルトさん。大変です!」
朝からエルダが工房に飛び込んできた。
その後ろには、保温容器を抱えたミハイルがいる。
いや、抱えているというより、両手で大事そうに守っていた。
「どうしたんですか、エルダさん?」
「昨日の保温容器のことよ。使い方によっては、蓋の留め具が壊れやすくなる可能性があるわ」
「壊れやすい?」
アルトは手元の帳面を閉じた。
「具体的には、どういうことです?」
エルダは容器を作業台に置き、蓋の留め具を指さした。
「ここよ。急いで蓋を閉めたり、留め具がきちんと合っていない状態で力を加えたりすると、接合部分に負担がかかるの」
「なるほど……」
アルトは留め具を確認した。
「普通に使っていても壊れるんですか?」
「そこは、まだ断言できないわ。今のところ、使い方によって負担が変わることまでは分かった。でも、普通の使い方でどれくらい耐えられるのか、十分に試せていないのよ」
「つまり、壊れやすいと決まったわけではないけれど、問題がないとも言い切れないんですね」
「そういうこと」
その横で、ミハイルが顔を青くした。
「た、大変です! すぐに販売を中止しましょう!」
「さっきまで、もっと売ろうと言っていた人とは思えない切り替えだな」
「売るときは全力! 問題が見つかったら全力で撤退! これが営業の心得です!」
「撤退する前に、確認するという工程を入れようか」
「確認……!」
ミハイルはハッとした。
「では、確認が終わるまで、工房の商品を全部回収します!」
「今度は回収か」
「はい! 店にあるものも、倉庫にあるものも、これから作るものも!」
「これから作るものは、まだ回収できないぞ」
「先回りして回収します!」
「それは回収ではなく、製造中止だ」
エルダが額を押さえた。
「ミハイル。あなた、商売をしているのよね?」
「もちろんです!」
「どうして毎回、話が極端になるの?」
「お客様にご迷惑をかけないためです!」
その返事だけは、妙に真っすぐだった。
アルトは少しだけ表情を緩めた。
「その気持ちは大切だよ。ただ、問題があるかもしれないという段階で、全部を悪い商品と決めつけるのも違う」
「では、どうすればいいんですか?」
「まず、事実を確認する。それから、必要な対応を決めるんだ」
アルトは作業台の保温容器を持ち上げた。
「エルダさん。この容器を、何度も開け閉めして試すことはできますか?」
「できるわ。ただ、力を加えるだけじゃ意味がない。実際に旅人が使う場面を想定したいの」
「例えば?」
「荷物を持ったまま片手で開けようとする。急いでいるときに、蓋を斜めのまま閉めてしまう。中身を取り出したあと、きちんと留め具を合わせずに押し込む。そういう使い方ね」
ミハイルが勢いよく手を挙げた。
「分かりました! 僕が旅人役になります!」
「なぜ、そんなにうれしそうなの?」
「実際の使用状況を再現するためです!」
「その前に、普段のあなたの使い方が旅人の代表になるか考えよう」
アルトの言葉に、エルダも頷いた。
「ミハイルが普段どれくらい雑に扱うかは、参考にはなるかもしれないわね」
「雑ではありません! 効率的と言ってください!」
「昨日、帳面を落として、その上に自分で座っていた人が?」
「……あれは、帳面の強度を確認していたんです」
「営業帳面に耐圧試験を実施するな」
アルトは思わず笑った。
「よし。ミハイルには、実際の使用例をいくつか再現してもらおう。ただし、無茶な力は加えないこと。普通の使い方と、負担がかかりそうな使い方を分けて試すんだ」
「承知しました!」
ミハイルは胸を張った。
「ちなみに、僕が壊した場合はどうなりますか?」
「そのときは、君の使い方に問題がなかったか確認する」
「商品が悪かった場合は?」
「商品の構造を確認する」
「僕が悪かった場合は?」
「次から気をつける」
「商品が悪かった場合は?」
「商品を直す」
「僕が悪かった場合は?」
「君の使い方を直す」
「商品が悪かった場合は?」
「ミハイル」
「はい!」
「質問の回数を直そう」
工房に笑い声が広がった。
◇
試験は午前中から始まった。
エルダは同じ型の保温容器を三つ用意した。
一つ目は、通常どおりに蓋を閉める。
二つ目は、蓋の位置が少しずれた状態で留め具を押す。
三つ目は、片手で扱うことを想定し、蓋を開け閉めする動作を繰り返す。
「まずは普通の使い方からね」
エルダが一つ目の容器を差し出した。
ミハイルは慎重に蓋を閉めた。
カチッ。
留め具がきちんとはまった。
「問題ありません!」
「まだ一回目よ」
「では、百回やります!」
「一回ごとに大声で報告しなくていいからね」
ミハイルは黙って作業を始めた。
十回。
二十回。
三十回。
最初は元気だったが、次第に表情が曇ってきた。
「アルトさん……」
「どうした?」
「蓋を開けて閉めるだけの仕事が、こんなに長いとは思いませんでした」
「営業にもあるよ。毎日同じ確認を繰り返す仕事がね」
「それは分かります。でも、蓋は一度も『検討します』と言わないんです」
「蓋に断られる営業は、かなり特殊だな」
「いえ、留め具が固いので、毎回断られているような気がして……」
「気のせいだ。続けよう」
ようやく所定の回数を終えると、エルダは留め具を確認した。
「今のところ、目立った異常はないわね」
「よかった……」
ミハイルが胸をなで下ろす。
「では、次は蓋が少しずれた状態で試すわ」
二つ目の容器が差し出された。
ミハイルは蓋をわずかにずらし、留め具を押した。
カチッ。
一度目は、何事もなかった。
二度目も、問題はない。
三度目。
ミハイルが少し力を加えた瞬間、留め具の付け根から小さな音がした。
パキッ。
全員の動きが止まった。
ミハイルは、固まったまま容器を見つめている。
「……壊れました?」
エルダが容器を受け取り、留め具を確かめた。
「完全に外れたわけではないけれど、接合部分に小さなひびが入っている」
「やっぱり商品に問題が!」
ミハイルが叫んだ。
「これでは旅人が安心して使えません! 今すぐ販売を中止して、工房の前で謝罪会見を開きましょう!」
「謝罪会見?」
エルダが目を丸くした。
「工房の前に椅子を並べ、僕たちが頭を下げるんです!」
「誰を呼ぶつもりなの?」
「お客様です!」
「お客様が全員来たら、作業する場所がなくなるわよ」
「では、広場を借ります!」
「その前に、まだ試験の途中だ」
アルトはひびの入った部分を確認した。
「これは重要な結果だね。ただし、今分かったのは、蓋がずれた状態で力を加えると、接合部分に負担がかかるということだ」
「でも、壊れたのは事実です!」
「そう。だから、なかったことにはできない。でも、この結果だけで、普通に使っても壊れるとは言えないんだ」
アルトはミハイルを見た。
「ここで大切なのは、都合のいい結果だけを採用しないことだよ」
ミハイルは黙った。
「普通に使った試験では異常がなかった。ずれた状態では、ひびが入った。この両方を記録する。どちらか片方だけを見て、商品の評価を決めないんだ」
エルダが頷いた。
「そのとおりね。次は、蓋がずれにくい構造にできないか考えてみるわ」
「構造を変えると、費用もかかりますよね?」
アルトの問いに、エルダは少し考えた。
「ええ。留め具の形を変えるだけで済むなら大きな負担ではないけれど、接合部分そのものを作り直すなら、材料や手間が増える可能性があるわ」
「値段を上げる必要が出るかもしれない、と」
「そうなる可能性もあるわね」
ミハイルが再び手を挙げた。
「では、壊れないように、留め具を鉄で作りましょう!」
「鉄?」
「はい! 鉄なら丈夫です!」
エルダは冷静に尋ねた。
「重くなったら、旅人はどうするの?」
「鍛えられます!」
「旅人は保温容器を買いに来ているのであって、筋力訓練をしに来ているわけじゃない」
「では、軽い鉄を……」
「それは、どんな鉄なの?」
「……これから探します!」
アルトは笑いをこらえながら口を挟んだ。
「丈夫にすることだけが正解じゃない。重さも、使いやすさも、値段も考えないといけないんだ」
「なるほど。頑丈すぎて持ち運べない商品では困りますね」
「そういうことだよ」
「分かりました! では、留め具を羽毛で作りましょう!」
「なぜ、そこまで軽さに振り切るんだ」
◇
昼過ぎ、エルダは留め具の形状を少し変えた試作品を用意した。
蓋が正しい位置に近づくと、自然に留め具が合いやすくなるよう、接合部分の形を調整したものだ。
「これなら、蓋が少しずれた状態で無理に押し込むことを減らせるかもしれないわ」
「それなら、使い方に慣れていない人でも扱いやすくなりそうですね」
アルトは試作品を手に取った。
「ただし、まだ改善できたと決めるのは早い。今までのものと同じ条件で比べましょう」
二つの容器を並べ、同じ回数だけ開閉する。
今度は、蓋を少しずらした状態でも試した。
以前の留め具では、位置を直さなければうまく閉まらない場面があった。
一方、新しい留め具は、蓋を正しい位置に導きやすかった。
「おおっ! これはいいですね!」
ミハイルが目を輝かせた。
「これなら、商品説明に『誰でも簡単! 絶対に壊れない保温容器!』と書けます!」
「後半が余計だ」
アルトは即座に止めた。
「試験で確認できたのは、蓋が合いやすくなったことだ。壊れないと証明できたわけじゃない」
「では、『壊れにくいかもしれない保温容器』では?」
「それでは、売る側まで自信がないように聞こえるね」
「『壊れないとは言いませんが、以前より蓋が合いやすくなりました』は?」
「正直ではあるけれど、店頭の札に書くには長いな」
エルダが笑った。
「ミハイル、商品をよく見せることと、事実を大げさに言うことは違うのよ」
「……難しいですね」
「だから、確認した事実を伝えるのさ」
アルトは試作品を作業台に戻した。
「蓋が合いやすくなった。それは実際に確認できた。耐久性については、もう少し試験が必要。なら、その二つを分けて考えるんだ」
「分かりました。確認できたことは伝える。まだ分からないことは、断言しない」
「そのとおり」
ミハイルは真剣に頷いた。
そして、少し考えてから尋ねた。
「ちなみに、僕の営業成績が上がる可能性はありますか?」
「それは、まだ試験中だね」
「僕も耐久試験が必要なんですか!?」
「君の場合は、まず早とちりの回数を減らす試験から始めよう」
「難易度が高いです!」
「自覚があるなら、改善の見込みはある」
エルダが吹き出した。
◇
夕方、アルトたちは今後の対応を話し合った。
まずは、試作品の開閉をさらに繰り返し、接合部分の状態を確認する。
そのうえで、持ち運びやすさ、使いやすさ、製造にかかる手間と費用を比べる。
改善が有効だと確認できれば、新しい製品に切り替える方法を考える。
ただし、すでに店に出している商品については、問題の程度が分かるまで、根拠なく安全だと言い切らない。
「もし、普通の使い方でも壊れる可能性があると分かったら?」
エルダが尋ねた。
「その場合は、販売方法を見直します。必要なら販売を止めて、店にも状況を伝える。確認できた問題を隠して売り続けることはできません」
アルトは迷わず答えた。
「でも、問題がないと確認できた部分まで、すべて否定する必要もない。大切なのは、何が分かっていて、何がまだ分かっていないかを整理することです」
「分かったわ。まずは試験を続ける。費用も計算して、改善案をまとめるわね」
「お願いします」
話がまとまったところで、ミハイルが静かに手を挙げた。
「アルトさん。一つ、提案があります」
「今度は何だい?」
「試作品に名前をつけませんか?」
「名前?」
「はい! 旧型は『普通の保温容器』。新型は『改良型保温容器』。そして、次の型は『さらに改良型保温容器』です!」
「名前をつけただけで、三世代も誕生させるな」
「では、『蓋が合いやすい保温容器』はどうでしょう?」
アルトは少し考えた。
「それなら、特徴が伝わるね。ただし、実際に販売するときは、試験結果に合わせて表現を整えよう」
「採用ですか!?」
「名前の方向性はね」
「やりました! 僕の名付けた商品が店頭に並ぶんですね!」
「まだ商品名を決定したわけじゃないぞ」
「では、仮採用ということで!」
「都合のいい言葉だけは、すぐに覚えるなあ……」
エルダは笑いながら、試作品を箱にしまった。
工房の外では、夕日が街の屋根を赤く染めていた。
アルトは今日の試験結果を帳面にまとめた。
売るために商品の長所を探す。
それは、営業にとって大切な仕事だ。
だが、長所を探すことと、欠点から目をそらすことは違う。
お客様に長く使ってもらいたいなら、売る前に商品そのものを見直す必要がある。
「アルトさん!」
帰り際、ミハイルが振り返った。
「明日、僕が試作品を持って店を回ってもいいですか?」
「試験が終わってからだよ」
「分かりました! では、試験が終わるまで、売りたい気持ちを大切に保管しておきます!」
「その気持ちは、保管庫に入れたまま忘れないようにね」
「はい! 保管番号をつけておきます!」
「そこまでしなくていい!」
工房に、最後の笑い声が響いた。
しかし、アルトはまだ知らなかった。
商品の改善を進める一方で、店に残っている旧型の保温容器について、ガルドから思いがけない相談が届くことを。
新しい商品を作るだけでは、商売は終わらない。
すでに売った商品と、これから買うお客様。その両方に向き合う必要があるのだった。
営業メモ ②④③
商品の問題が疑われたときは、感覚や憶測だけで販売継続・中止を決めない。通常使用と負担のかかる使用を分けて検証し、確認できた事実と未確認の事項を整理する。改善では耐久性だけでなく、使いやすさ、重さ、製造コスト、販売価格も考慮する。
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次回予告
第二百四十五話 営業課長、店に残った商品と向き合う
試作品の改善を進めるアルトたちに、ガルドから相談が届く。
店には、まだ旧型の保温容器が残っている。新しい商品を作れば、それで問題は解決するのか。
ミハイルは「旧型を全部買い取って、新型を置きましょう!」と簡単に提案するが、ガルドにも店の事情がある。
売る側の都合だけで決めず、すでに商品を預けた相手とどう向き合うのか。
営業課長の次の仕事は、工房の外にも待っていた。




