第二百四十三話 営業課長、買わなかった客の一言に気づく
「課長! ついに判明しました!」
朝からミハイルの声が事務所を揺らした。
「今度は何が判明したんだ?」
「例の保温容器を買わなかった旅人が、昨日、もう一度商店を訪れたそうです!」
「それで?」
「店主が理由を尋ねたところ、旅人はこう答えたそうです!」
ミハイルは、わざとらしく咳払いをした。
「『商品は便利そうだ。でも、旅の途中で壊れたら、どこへ持っていけばいいんだ?』……だそうです!」
アルトはペンを止めた。
「なるほど」
「つまり、商品の魅力が伝わっていなかったんですね! では、もっと詳しく説明するために、説明書を十ページほど作りましょう!」
「待て」
「はい!」
「その旅人は、商品の使い方がわからなかったと言ったのか?」
「いいえ。便利そうだとは言っていたそうです」
「では、説明を増やせば解決するとは限らない」
ミハイルは目をぱちくりさせた。
「でも、壊れたときのことが心配なんですよね?」
「そうだ。使い方ではなく、購入した後の不安だ」
「購入した後……」
ミハイルは考え込んだ。
「つまり、買った後に困るかもしれないから、買わなかったんですね」
「その可能性が高い。商品そのものに魅力があっても、購入後の不安が大きければ、決断できないことがある」
「なるほど! では、『壊れません!』と大きく書けばいいんじゃないですか?」
「本当に壊れないと保証できるのか?」
「……壊れる可能性はあります」
「なら、書けないだろう」
「では、『たぶん壊れません!』」
「余計に信用を失う!」
朝から、アルトの頭痛は順調だった。
しかし、今回は見逃せない問題がある。
買わなかった客の一言には、今後の販売を変えるヒントが含まれていた。
*
アルトとミハイルは、商店へ向かった。
店主は二人を見ると、さっそく昨日の話をしてくれた。
「旅人の方は、保温容器の使い方については理解していたんです。でも、旅先で壊れた場合にどうすればいいのか、わからなかったようです」
「その方は、どんな旅をしている方でしたか?」
アルトが尋ねると、店主は答えた。
「町から町へ移動する商人だそうです。荷物を積んで、何日もかけて取引先を回っているとか」
「それなら、移動中に故障したときの対応は気になりますね」
「ええ。旅の途中で壊れたら、修理できる場所があるのか。交換してもらえるのか。そこがわからないから、今回は購入を見送ったそうです」
ミハイルが胸を張った。
「課長! 解決策がわかりました!」
「聞こう」
「保温容器と一緒に、修理工を一人つけましょう!」
「商品一個に修理工を一人?」
「はい! お客様が安心して旅を続けられます!」
「その修理工は、何個売れるまで同行するんだ?」
「ええと……」
「十個売れたら十人必要なのか?」
「それでは、修理工の人件費が大変なことに……」
「ようやく気づいたか」
ミハイルは肩を落とした。
「では、修理工を一人だけ雇って、全員のところへ走ってもらうのは?」
「町から町へ走り続ける修理工が、最初に壊れるぞ」
店主が吹き出した。
「いやあ、発想は面白いですねえ」
「面白いだけで商売が成り立てば、世の中はもっと平和なんだがな」
アルトは保温容器を手に取った。
「まずは、製造したエルダに、どの部分が壊れやすいのか、修理できるのか、部品を交換できるのかを確認しましょう。そのうえで、現実的な対応方法を考えます」
「わかりました。商品を売る前に、商品の弱点も知っておく必要があるんですね」
「そうだ。わからないことを、都合のいい言葉でごまかしてはいけない」
ミハイルは真剣にうなずいた。
「では、僕も自分の弱点を確認しておきます!」
「それはいい心がけだ」
「声が大きいことと、思いついたことをすぐに口に出すことと、説明を聞く前に結論を出すことと……」
「ずいぶんあるな」
「あと、課長が怒ると、なぜかさらに大きな声で返事をしてしまうことです!」
「最後の項目は、今すぐ改善しろ!」
「はいっ!」
店主は、またしても腹を抱えて笑った。
*
その日の午後、アルトはエルダの作業場を訪れた。
「保温容器が壊れた場合、修理や部品交換はできるか?」
エルダは少し考えてから、容器を分解して見せた。
「壊れる場所によるね。外側の傷なら、使える場合もある。ふたの留め具が壊れた場合は、部品を交換できる可能性がある。ただし、内側の構造が壊れたら、簡単な修理では済まない」
「部品を交換できるなら、交換用の部品を用意しておく方法はあるか?」
「できるよ。ただ、すべての部品を大量に作る必要はない。どこが壊れることが多いのか、実際の使用状況を見ながら考えたいね」
アルトはうなずいた。
「最初から完璧な修理体制を作るのではなく、故障の内容を記録して、必要な部品を判断するわけか」
「そういうこと。まだ売り始めたばかりなのに、修理工を何人も雇ったら、商品より人件費のほうが高くなるよ」
隣で聞いていたミハイルが、勢いよく手を挙げた。
「では、修理工の代わりに、僕が修理の受付をします!」
「受付をするだけなら、できそうだな」
アルトが言うと、ミハイルは得意げになった。
「お任せください! 壊れた場所を聞いて、直し方を説明します!」
エルダが、すかさず尋ねた。
「じゃあ、内側の構造が壊れていたら、どうするんだい?」
「……エルダさんに相談します!」
「留め具が壊れていたら?」
「……エルダさんに相談します!」
「外側に傷がついていたら?」
「……エルダさんに相談します!」
エルダは腕を組んだ。
「それなら、私に直接相談してもらうほうが早くないかい?」
「……受付係の存在意義が!」
「まだ任命されていないぞ」
アルトは笑いをこらえながら、話を続けた。
「まずは、修理が可能な範囲と、対応に必要な時間を整理しよう。問い合わせが増えたら、受付方法を考えればいい」
「つまり、必要になる前に大きな仕組みを作るのではなく、実際の需要を見てから整えるんですね」
「そのとおりだ」
ミハイルは、何かを思いついたように顔を上げた。
「では、僕の受付係への需要も、今後の働きぶりを見てから判断してください!」
「それは、今のところ需要がない」
「早いです!」
*
数日後、商店主から連絡が入った。
「保温容器の修理について、説明を受けたいというお客様がいらっしゃいました」
アルトは、エルダが整理した内容を確認した。
修理できる可能性がある部品。
修理できない場合があること。
故障の状態を確認しなければ、対応を約束できないこと。
そして、修理が必要になった場合の相談先。
それらを、商店主が説明できるようにまとめておいた。
「お客様には、できることと、できないことを分けて説明してください。故障の状態を見ていないのに、必ず直せるとは言わないことです」
「わかりました。修理できるかどうかは、確認してから回答するんですね」
「はい。それと、商品を購入する前のお客様にも、問い合わせ先を伝えておけば、購入後の不安を減らせるかもしれません」
商店主は納得した様子だった。
「これなら、私も安心して勧められます」
その後、店主は旅人に説明した。
保温容器は、故障の状態によって修理できる場合があること。
修理できるかどうかは、実物を確認してから判断すること。
困ったときには、まず店に相談してもらうこと。
旅人は説明を聞き、しばらく容器を手に取って眺めていた。
「なるほど。壊れたら必ず交換してもらえる、というわけではないんだな」
「はい。状態を確認してからの対応になります」
「それでも、相談先がわかっているなら、買うかどうか判断しやすい」
旅人は、保温容器を一つ購入した。
店主から報告を受けたミハイルは、飛び上がって喜んだ。
「課長! 売れました! 修理について説明したら、ついに売れました!」
「それはよかった」
「やはり、修理の説明が決め手だったんですね!」
「その可能性はある。だが、今回一人が購入しただけで、すべての客に同じ説明が有効だとは限らない」
「またですか!」
「まただ。営業に都合のいい結論を急ぐな」
ミハイルは頬を膨らませた。
「では、何人売れたら正解なんですか?」
「正解を決めるために売るわけじゃない。何人かの反応を見ながら、不安の種類を把握するんだ」
「不安の種類……」
「修理が心配な人もいれば、値段が気になる人もいる。使い方がわからない人もいる。全員に同じ説明をしても、全員の悩みが解決するとは限らないだろう?」
「確かに。値段が気になっている人に、修理方法を説明しても、値段は変わりませんね」
「そういうことだ」
ミハイルは、感心したようにうなずいた。
「では、僕はお客様の不安を全部解消します!」
「全部は無理だ。商品で解決できる不安もあれば、解決できない不安もある」
「では、解決できない不安は?」
「正直に説明する。必要なら、別の商品を提案することも考える」
「なるほど……。何でも売るのではなく、お客様が納得して選べるようにするんですね」
アルトは、ようやく少しだけ笑った。
「今日はよく理解できたな」
ミハイルの顔が輝いた。
「ありがとうございます! では、僕も将来の不安を解消するために、課長へ昇給の相談を――」
「それは別の不安だ!」
「僕の生活に直結する大問題です!」
「まずは今日の仕事を終わらせろ!」
*
夕方、アルトは商店から届いた記録を確認した。
保温容器を見て、使い方について質問した客。
価格について尋ねた客。
修理できるかどうかを確認した客。
そして、説明を聞いても購入を見送った客。
それぞれの反応は違っていた。
商品が売れない理由は、一つとは限らない。
だからこそ、売れなかった客の声を聞き、何に不安を感じているのかを確かめる必要がある。
商品の魅力を伝えるだけでは足りない。
購入前の不安を理解し、事実に基づいて答えることも、営業の仕事なのだ。
「課長!」
ミハイルが、記録を手にやってきた。
「購入を見送ったお客様の中に、こんな方がいました!」
「どんな方だ?」
「保温容器は便利そうだけれど、今使っている容器がまだ壊れていないから、買い替える必要がないそうです!」
「それなら、無理に勧める必要はないな」
「でも、売上が増えません!」
「必要がない人に無理に売っても、長い付き合いにはつながらないだろう」
ミハイルは考え込んだ。
「……では、今の容器が壊れたときに思い出してもらえるよう、商品の特徴と相談先を伝えておくのはどうでしょう?」
「それならいい。買うように迫るのではなく、必要になったときに選べるようにしておくんだ」
「わかりました!」
ミハイルは、記録を大切そうにしまった。
「課長。今日の僕は、かなり営業らしかったと思いませんか?」
「そうだな。少なくとも、修理工を十人雇う話は出なかった」
「成長しました!」
「比較対象が低すぎる!」
二人の笑い声が、夕暮れの事務所に響いた。
今回の商談で、売上が劇的に増えたわけではない。
しかし、購入をためらう理由が一つわかり、現実的な対応方法も見つかった。
小さな一歩だ。
それでも、その一歩を積み重ねることで、取引先との信頼は育っていく。
そして翌朝。
エルダから、思いがけない報告が届いた。
「アルトさん。修理について、もう一つ気になることがあるんだ」
「何だ?」
「今の保温容器、修理できるかどうか以前に、使い方によって壊れやすさが変わる部分があるかもしれない」
アルトは、顔を上げた。
「……それは、製品の説明だけで防げる問題なのか?」
エルダは首を横に振った。
「説明だけでは難しいかもしれない。作り方そのものも、見直したほうがいい可能性がある」
アルトは、静かにうなずいた。
客の不安に答えることは大切だ。
だが、その不安が商品の構造に関係しているのなら、説明だけで済ませてはいけない。
営業の仕事は、売ることだけではない。
現場から得た声を、商品を作る側へ届けることも、その役割なのだった。
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営業メモ ②④②
お客様が購入をためらう理由を確認し、使い方、価格、修理、購入後の対応など、不安の種類に応じて説明する。対応できることと、確認が必要なことを明確に分け、実現できない保証を約束しない。
また、問い合わせから商品の構造や品質に関する問題が見つかった場合は、営業だけで説明して終わらせず、製造担当者と共有して改善を検討する。
お客様の不安は、売り方を変えるヒントであり、商品そのものを改善するヒントでもある。
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次回予告
第二百四十四話 営業課長、売る前に商品を見直す
保温容器の使い方によって、壊れやすさが変わる可能性が浮上。
エルダは製造方法の見直しを提案するが、改善には手間も費用もかかる。
売上を伸ばしたいミハイルと、品質を守りたいアルトたち。営業課長は、どこに答えを見つけるのか。




