第二百四十二話 営業課長、売れなかった一日を失敗で終わらせない
「課長! 保温容器が一つも売れなかった原因が判明しました!」
商店に到着するなり、ミハイルが声を上げた。
「ほう。何が原因だった?」
「商品が悪かったんです!」
「早いな。現場に着いてから、まだ三分も経っていないぞ」
「昨日は売れて、今日は売れなかったんです。つまり、何かが悪くなったに違いありません!」
「昨日と今日で、商品そのものに変更はあったのか?」
「ありません!」
「では、なぜ商品が悪くなったと判断した?」
「……昨日より売れなかったからです!」
アルトは深く息を吐いた。
「ミハイル。売れなかったという結果と、売れなかった原因は別だ」
「では、何が原因なんでしょう?」
「それを今から調べるんだ」
「承知しました! まずは商品に謝罪してきます!」
「商品に謝る必要はない!」
ミハイルは、保温容器の棚に向かって頭を下げかけた。
商店主が慌てて止めた。
「いやいや、商品は何も悪くありませんよ!」
「ほらな。まずは人間同士で話をしよう」
アルトは、ミハイルを店先へ連れ出した。
昨日と今日で何が違ったのか。
答えは、商品棚の前に立っているだけでは見つからない。
*
「店主さん。昨日と今日で、何か変わったことはありませんでしたか?」
アルトが尋ねると、店主は腕を組んだ。
「そうですねえ……。昨日は天気がよくて、昼前から旅人がたくさん通りました。今日は朝から雨が降っていて、道を歩く人が少なかったですね」
「なるほど。お客様の数が違った可能性がありますね」
「ええ。それに、今日は店の前で立ち止まる人も少なかったです」
ミハイルが勢いよくメモを取った。
「原因は雨です! では、雨の日には保温容器を売らないことにしましょう!」
「待て」
「はい!」
「雨の日でも、必要な人はいるだろう?」
「たしかに……。でも、昨日は売れたのに、今日は売れませんでした」
「昨日は何人くらいのお客様が商品を見た?」
「正確にはわかりませんね。昨日は店先で商品を手に取る方が何人もいましたが、今日はほとんどいませんでした」
「そこだ」
アルトは店主の話を整理した。
昨日は、旅人の通行が多かった。
今日は、雨で通行が少なかった。
商品を見た人の数も、昨日と今日では違っていた可能性が高い。
「売れた数だけを比較しても、条件が違えば判断を誤ります。今日は商品が悪かったというより、商品を見てもらう機会そのものが少なかったのかもしれません」
ミハイルは目を丸くした。
「つまり、商品が売れなかったのではなく、商品を見てもらえなかった可能性があるんですね!」
「そういうことだ。だが、まだ決めつけるなよ」
「わかりました! では、次は雨雲に事情聴取を!」
「できるわけがないだろう!」
「天候は販売に影響する重要な要素です!」
「理屈は合っているが、尋問相手が間違っている!」
商店主が笑い出した。
「いやあ、にぎやかですね。雨の日の店先より、こちらのほうが人が集まりそうだ」
「ミハイルを看板代わりにするのは、やめておきましょう。商品より先に、お客様が疲れて帰ってしまいます」
「課長! 僕の声には集客効果があるということですね!」
「そこだけ切り取って喜ぶな!」
*
アルトは、店主にもう少し詳しく話を聞いた。
「昨日、保温容器を購入した方は、どんな用途で使うと話していましたか?」
「旅先で温かい飲み物を持ち歩きたいという方が多かったですね。なかには、次の町までの移動中に使いたいという商人もいました」
「今日は、商品を見た方がほとんどいなかったのですね?」
「はい。ただ、一人だけ店先で足を止めた方がいました。でも、すぐに行ってしまいました」
「その方には、商品の説明をしましたか?」
店主は少し考えた。
「いいえ。雨が強かったので、こちらも店の中に商品を引っ込めていたんです。棚の奥に置いていたので、気づかなかったのかもしれません」
アルトはうなずいた。
「それなら、今日は販売機会が少なかっただけでなく、商品の見え方も違っていた可能性がありますね」
「なるほど。昨日は店先に置いていたから、旅人が興味を持ってくれたのかもしれません」
「ただし、雨の日に商品を外へ出すのは、濡れる危険もあります。無理に店先へ置く必要はありません。雨の日でも見つけてもらえる場所に置き、使い方を伝えられるようにする方法を考えましょう」
店主は、店の入口を見た。
「入口のすぐ内側なら、雨に濡れずに置けそうです。通りからも見えると思います」
「それなら、次の雨の日に試してみましょう。商品を見える位置に置き、興味を持った方には使い方を説明する。販売数だけでなく、何人が足を止めたかも、無理のない範囲で記録してみてください」
「わかりました。次は同じ失敗をしないようにします」
「いえ、今回のことを失敗と決める必要はありません」
アルトの言葉に、店主は顔を上げた。
「失敗ではないのですか?」
「売れなかった理由を一つ見つけられたのですから、次の判断に使えます。もちろん、商品を見せる位置を変えても売れなければ、別の原因を考える必要があります」
「なるほど。今回の結果だけで、商品が悪いと決めなくていいんですね」
「はい。逆に、昨日売れたからといって、商品が必ず売れると決めるのも危険です」
ミハイルが深くうなずいた。
「昨日の売上だけを見て五十個追加していたら、大変なことになっていましたね」
「そうだ。雨の日に五十個届いて、店の奥が保温容器で埋まることになったかもしれない」
「……それは、なかなか壮観ですね」
「壮観で済めばいいがな」
*
事務所に戻ると、アルトは今回の状況を簡単にまとめた。
昨日は通行客が多く、保温容器を見てもらう機会があった。
今日は雨の影響で通行客が少なく、商品も店の奥に置かれていた。
そのため、販売数が落ちた理由には、客足と商品の見せ方が関係している可能性がある。
ただし、まだ十分なデータがあるわけではない。
「課長。では、次の雨の日に売れたら、商品を見せる位置が正解だったということですか?」
ミハイルが尋ねた。
「それだけでは断定できない。次の雨の日に通行客が多ければ、条件が違うからな」
「では、どうすればいいんですか?」
「できる範囲で、条件を記録するんだ。天気、通行客の様子、商品の置き場所、説明したかどうか。それらと販売数を合わせて見れば、少しずつ判断しやすくなる」
「毎日、全部記録するんですか?」
「負担にならない範囲でいい。記録のために販売の仕事が止まったら、本末転倒だ」
ミハイルは紙を取り出した。
「わかりました! 記録項目を整理します!」
「今度は何項目だ?」
「ええと……天気、通行客、置き場所、説明の有無、販売数……」
「まずはそれで十分だ」
「さらに、風向き、雲の高さ、雨粒の大きさ、店主の表情……」
「増やすな!」
「でも、店主の表情から販売意欲がわかるかもしれません!」
「店主の表情を分析する前に、本人に聞け!」
ミハイルは、しぶしぶ項目を削った。
「営業とは、記録を減らす戦いでもあるんですね……」
「いや、必要なことを残す仕事だ。減らすこと自体が目的じゃない」
「なるほど。では、削った項目は別の帳簿に……」
「保管するな!」
アルトは、ミハイルの手から余分な紙をそっと取り上げた。
*
その日の夕方、商店主から短い報告が届いた。
「今日は売れませんでしたが、店先で商品を見ていた方が一人いました。使い方を説明したら、興味を持ってくれました。ただ、今日は買わずに帰られました」
ミハイルは、報告を聞いて首をかしげた。
「買わなかったのに、興味を持ってくれたんですか?」
「そうだ。購入しなかったことにも、理由があるかもしれない」
アルトは、商店主への返事を考えた。
「次に来店されたときに、どんな点が気になったのか、自然に聞いてみてください。無理に購入を勧める必要はありません」
ミハイルが手を挙げた。
「では、次に来たら『なぜ買わなかったのですか!』と聞けばいいんですね!」
「その聞き方では、相手が責められていると感じるだろう」
「では、『買わなかった理由を教えてください』なら?」
「まだ少し直接的だな。『気になる点や、使ううえで不安なことはありませんでしたか』と尋ねればいい」
「なるほど。相手が答えやすい聞き方にするんですね」
「そうだ。買わなかった人の声にも、改善のヒントがある。ただし、答えたくない人に無理に聞く必要はない」
ミハイルはメモを取りながら、ふと顔を上げた。
「課長。もし、そのお客様が『お金がないから』と言ったら?」
「その場合は、無理に売ろうとしない」
「もし、『家に同じものがあるから』と言ったら?」
「使い道が違うなら説明できるが、必要がなければ勧めない」
「もし、『課長の顔が怖いから』と言ったら?」
「それは商品の話じゃないだろう!」
「でも、買わなかった理由ではあります!」
「君は、どこまで僕を商談の失敗原因にしたいんだ!」
ミハイルは笑いながら、メモに小さく書き加えた。
『課長の顔は商品と分けて考える』
「それを記録に残すな!」
事務所に笑い声が広がった。
*
帰り際、アルトは窓の外を見た。
今日、保温容器は一つも売れなかった。
それは事実だ。
しかし、売れなかったという結果だけで、商品や販売方法のすべてを否定する必要はない。
客足が少なかったのか。
商品が見えにくかったのか。
説明が足りなかったのか。
それとも、購入をためらう別の理由があったのか。
原因によって、次に取るべき行動は変わる。
大切なのは、売れなかった日を無理に成功と言い換えることではない。
結果を正しく受け止め、次の判断に使える情報を一つでも増やすことだ。
「課長!」
ミハイルが、帰り支度を終えて声をかけた。
「今日の成果をまとめました!」
「見せてくれ」
差し出された紙には、こう書かれていた。
『本日の成果』
『保温容器の販売数:ゼロ』
『課長の怒鳴り声:多数』
『今後の改善点:課長の声量』
アルトは無言で紙を返した。
「……ミハイル」
「はい!」
「明日は、君の声量から改善しよう」
「えっ! 僕の声量も調査対象ですか?」
「当然だ」
「では、朝から大声を出して、どの程度で課長が反応するか確認します!」
「実験を始めるな!」
翌朝の事務所が騒がしくなることだけは、すでに確定していた。
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営業メモ ②④①
売上が落ちたときは、すぐに商品や販売方法の失敗と決めつけず、客足、天候、商品の見せ方、説明の有無など、販売条件の違いを確認する。
売れなかった事実を受け止めたうえで、次に検証することを一つずつ決める。記録は、現場の負担にならず、次の判断に役立つ項目に絞る。
失敗を隠す必要はない。原因を決めつけず、次の改善につなげることが大切。
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次回予告
第二百四十三話 営業課長、買わなかった客の一言に気づく
保温容器に興味を持ちながら、購入しなかった旅人。
その理由を聞いたアルトは、商品の説明では解決できない問題に気づく。
売るために必要なのは、商品の魅力を伝えることだけではなかった。




