第二百四十一話 営業課長、売れた理由を勘違いする
「課長! 大成功です!」
朝の事務所に、ミハイルの声が炸裂した。
机の上で書類を整理していたアルトは、反射的に耳を押さえた。
「……何が大成功なんだ?」
「例の商店です! 試し売りの商品が、予想以上に売れたそうです!」
「ほう。どの商品が、どのくらい売れた?」
「それがですね! 昨日までに、保温容器が八個、軽食が十二個です!」
「仕入れた数量は?」
「保温容器が十個、軽食が十五個です!」
ミハイルは胸を張った。
「つまり、両方とも大成功です! さっそく追加で、それぞれ五十個ずつ納品しましょう!」
「待て」
「はい!」
「なぜ五十個なんだ?」
「売れたからです!」
「十個仕入れて八個売れたら、次は五十個なのか?」
「はい! 勢いがあるうちに攻めるべきです!」
「その勢いで崖から飛び降りるな」
ミハイルの笑顔が固まった。
「崖……ですか?」
「売れたという事実は重要だ。だが、何が理由で売れたのかを確認する前に、数量だけを五倍にするのは危険だ」
「でも、残りも少ないですよ?」
「残りが少ないことと、追加で五十個売れることは別の話だ」
アルトは立ち上がった。
「商店へ行こう。売れた理由を確認する」
「承知しました! 課長、僕は追加注文の伝票を用意しておきます!」
「用意するのは質問事項だ!」
「伝票は?」
「まだ書くな!」
ミハイルは、しぶしぶ伝票を引き出しに戻した。
ただし、引き出しを閉めるときの顔は、まるで大切な夢を封印した人間のようだった。
*
商店に到着すると、店主は二人を笑顔で迎えた。
「いやあ、商品を置いてみてよかったですよ。思った以上に売れました」
「それは何よりです。少し詳しく教えていただけますか?」
アルトが尋ねると、店主は売上の記録を取り出した。
「保温容器は十個中八個。軽食は十五個中十二個です。どちらも、かなりいい数字でしょう?」
「はい。ただ、売れた状況も知りたいのです。どの時間帯に売れましたか?」
「保温容器は、昼前から午後にかけてですね。軽食は朝から売れました」
「買った方は、どんなお客様でしたか?」
「保温容器は、荷物を持って歩いている商人や旅人が多かったです。軽食は、朝早く通る人たちが中心でした」
アルトはうなずいた。
「販売するとき、商品の説明はされましたか?」
「ええ。軽食は見ればわかりますから、そのまま売りました。保温容器のほうは、最初は棚に置いただけだったんですが……」
「何か変化があったのですか?」
店主は店先を指さした。
「途中から、うちの店員が使い方を説明するようにしたんです。飲み物を温かいまま持ち運べることや、旅の途中で使えることを説明したら、急に興味を持つ方が増えましてね」
ミハイルが目を輝かせた。
「やっぱり保温容器が大人気なんですね! では、次は保温容器を五十個、軽食を五十個――」
「ミハイル」
「はい!」
「今の話で、何がわかった?」
「保温容器が売れたことです!」
「それ以外は?」
「店員さんが説明したことです!」
「そうだ。では、説明を始めたのはいつだ?」
「ええと……」
店主が答えた。
「二日目の昼からです。それまでは、棚に置いていただけでした」
アルトは記録を確認した。
「つまり、販売方法を変えた後に、保温容器への反応が変わった可能性があるわけですね」
「はい。説明を聞いたお客様は、使い道がわかると納得して買ってくれることが多かったです」
「それは重要な情報です。ただし、説明だけが売れた理由だと、まだ断定はできません」
ミハイルが不思議そうに首をかしげた。
「でも、説明を始めたら売れたんですよ?」
「同じ時期に、通行する旅人が増えた可能性もある。天気がよかったのかもしれない。たまたま大きな商隊が通ったのかもしれない」
「……では、何を信じればいいんですか?」
「事実を信じるんだ。解釈は、事実を集めてから考える」
アルトは売上記録を指さした。
「売れた数だけでは、理由まではわからない。いつ、誰に、どんな説明をして、どのくらい売れたのか。そこまで見れば、次に何をすべきか判断しやすくなる」
ミハイルは、今度こそ真剣な顔でメモを取った。
その紙には、こう書かれていた。
『売れた理由を聞く。聞く前に五十個発注しない』
「よし。今日はいいことを書いたな」
「ありがとうございます!」
「ただし、最後の部分は、そもそも発注する前に確認すれば済む話だ」
「念のためです!」
「自分への注意書きを、商談のたびに増やすつもりか?」
「将来的には、専用の帳簿を作ろうかと!」
「作らなくていい!」
*
店主の協力を得て、アルトは販売状況を整理することにした。
まず、保温容器については、販売開始からの記録を日ごとに分けた。
初日は、商品を棚に置いただけ。
二日目の昼までは、同じ方法。
二日目の昼以降は、店員が旅先での使い方を説明。
三日目は、説明を続けながら販売。
ただし、通行客の数までは記録していなかった。
「これだと、説明を始めた後に売れ行きがよくなったことはわかりますが、ほかの要因を完全には分けられませんね」
アルトが言うと、店主は申し訳なさそうにした。
「そこまでは考えていませんでした。売れたかどうかだけ見ていればいいと思っていて」
「最初の試し売りなら、十分な情報が集まらないこともあります。今回わかったことを、次の販売に生かせばいいのです」
「では、次は何を記録すればいいでしょう?」
アルトは簡単な記録表を作った。
日付。
時間帯。
商品の種類。
商品の説明をしたかどうか。
購入された数量。
お客様から聞かれたことや、購入を見送った理由。
「通行客を一人残らず数える必要はありません。店員さんの負担が大きくなりますから。まずは、無理なく記録できる範囲で始めましょう」
店主は記録表を見て、ほっとしたように息をついた。
「これなら続けられそうです」
横から見ていたミハイルが、勢いよく提案した。
「僕が記録係になります! 旅人の服装、靴の形、荷物の重さ、歩く速さまで調べれば、もっと正確になりますよ!」
「それを全部記録するのか?」
「はい! お客様の特徴を細かく分析するんです!」
「ミハイル、ここは商店だ。王都の門番ではない」
「では、荷物の重さは省きます!」
「そこだけの問題じゃない!」
店主は腹を抱えて笑った。
「いやあ、元気な方ですねえ」
「元気なのはいいのですが、たまに仕事の範囲が国境を越えるのです」
「国境?」
「調査が、気づくと大遠征になっているという意味です」
ミハイルは胸を張った。
「必要とあらば、隣町まで!」
「行かなくていい!」
*
次に、軽食の売れ行きを確認した。
軽食は十五個中十二個が売れていた。
数字だけなら、こちらも好調だ。
しかし、店主の話では、朝早く通る旅人が主な購入者だった。
「朝は、次の町へ向かう方が多いんです。食事を取る時間がないから、持ち運びやすいものが売れるんでしょうね」
「なるほど。では、夕方にも同じくらい売れるとは限りませんね」
「そうですね。夕方は宿を探す人が多くて、ゆっくり店を見ていく方もいます」
アルトは、軽食の追加数量を決める前に、店主へ確認した。
「残った三個は、売れ残って困るような状態でしたか?」
「いえ、まだ販売できる状態です。ただ、明日も同じように売れるかはわかりません」
「それなら、すぐに大量追加する必要はありませんね。まずは今ある分がどの時間帯に売れるのかを見て、それから補充する数量を決めましょう」
ミハイルが、何かを思いついたように顔を上げた。
「課長! 朝に売れるなら、朝だけ大量に置けばいいんですね!」
「一歩進んだが、まだ早い」
「ええっ!」
「朝に売れる傾向があることはわかった。だが、毎朝同じ人数が通るとは限らない。まずは数日間、売れ方を確認しよう」
「では、売上が落ちたら?」
「理由を調べる」
「売上が増えたら?」
「理由を調べる」
「変わらなかったら?」
「それも調べる必要がある場合は調べる」
ミハイルはうなった。
「つまり、何が起きても調べるんですね!」
「何でもかんでも調べるな。判断に必要なことを調べるんだ」
「……営業は、奥が深いですね」
「君の場合は、まず入口を見つけるところからだな」
「入口はどこですか?」
「目の前だ」
ミハイルは、商店の入口を振り返った。
「なるほど! では、入口に案内板を――」
「比喩だ!」
店主の笑い声が、店先に響いた。
*
帰り道、ミハイルはいつになく静かだった。
「課長。僕は、売れたらすぐに追加注文を取ることが、いい営業だと思っていました」
「売れた商品を追加で提案すること自体は、悪くない。ただ、その前に確認すべきことがある」
「何が売れたかだけではなく、どうして売れたのか、ですね」
「そうだ。今回なら、保温容器は説明方法を変えた後に売れ行きが変わった。軽食は朝の旅人によく売れた。それぞれ、次に試すことが違うだろう?」
「保温容器は説明の効果を確かめる。軽食は朝の販売状況を見て、補充する数量を考える……」
「よくできた」
ミハイルは、少し誇らしげに笑った。
「では、明日から僕も、売れた理由をきちんと確認します!」
「そうしてくれ」
「まずは、課長がなぜ僕に五十個の注文を止めたのか、調べます!」
「それは今、説明しただろう!」
「はい! ですが、課長の表情や声の高さも記録すれば、より正確に――」
「記録するな!」
「営業課長の行動分析は、将来の部下教育に役立つと思うんですが!」
「君の将来の部下が気の毒だ!」
ミハイルは笑いながら、記録表をしまった。
アルトも、苦笑せずにはいられなかった。
それでも、今日の商談には意味があった。
売上の数字は、結果を示してくれる。
しかし、その数字だけでは、何を続け、何を変えるべきかまでは教えてくれない。
だから、数字の裏側にある理由を確かめる。
小さな試し売りでも、その積み重ねが次の判断を変えていく。
そして翌日。
商店主から、思いがけない報告が届いた。
「課長! 保温容器が、昨日は一個も売れなかったそうです!」
ミハイルが駆け込んできた。
「昨日は売れたのに、今日はゼロです! これは販売方法が間違っていたということでしょうか?」
アルトは、すぐには答えなかった。
「……昨日の通行客は、どんな様子だった?」
「それが、まだ確認していません!」
「では、先に確認しよう」
アルトは上着を手に取った。
売れた理由を調べるのと同じくらい、売れなかった理由を決めつけないことも大切なのだ。
ミハイルは慌てて後を追った。
「課長! 今度こそ、追加注文の伝票は持っていきません!」
「それでいい」
「代わりに、売れなかった理由の調査票を二十枚!」
「一枚でいい!」
営業課長の仕事は、まだまだ終わりそうになかった。
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営業メモ ②④⓪
売上が増えたときは、すぐに追加発注を決めるのではなく、商品別・時間帯別の販売状況や、説明方法の変化を確認する。売れた理由を仮説として整理し、無理のない範囲で検証することが重要。
売れなかった場合も、すぐに商品や販売方法が悪いと決めつけず、客足や天候、販売状況などを確認する。
数字は結果を教えてくれる。次の一手を決めるには、その背景を確かめる必要がある。
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次回予告
第二百四十二話 営業課長、売れなかった一日を失敗で終わらせない
保温容器が一つも売れなかった日。
ミハイルは販売方法の失敗を疑うが、現場を確認したアルトは、思いもよらない事実に気づく。
売れなかった一日を、次の改善につなげることはできるのか?




