第二百四十話 営業課長、試験販売の初日を迎える
「アルトさん! 売れました!」
朝一番、ミハイルが店の戸を勢いよく開けた。
「おはよう。まずは挨拶から始めようか」
「おはようございます! それで、売れました!」
「挨拶のあとに報告をくっつけても、勢いは変わらないんだな」
「はい! 勢いは大切ですから!」
「その勢いで扉を壊さないでくれ」
ミハイルは慌てて振り返り、開け放った扉をそっと閉めた。
店の主人ガルドは、カウンターの向こうで肩を揺らしている。
「朝から元気なことで。で、何が売れたんだ?」
「保温容器です! それから、携帯用のお菓子も!」
ミハイルは胸を張った。
昨日、アルトたちはガルドの店に商品を少量だけ預け、試験販売を始めた。
保温容器は十個。携帯用のお菓子は十五個。
いきなり大量に仕入れてもらうのではなく、まずは客の反応を確かめるための販売だ。
アルトは店内を見回した。
「ガルドさん、今のところ何個売れました?」
「保温容器が八個。お菓子が十二個だな」
「おおっ!」
ミハイルが両手を握りしめた。
「これは大成功ですよ! 残りは保温容器が二個、お菓子が三個! ほぼ完売です!」
「うん。数字だけ見れば、かなりいい結果だね」
「ですよね! 明日から保温容器を百個、お菓子を百五十個持ってきましょう!」
「どうして売れた数の十倍以上を持ってくる話になるんだ」
「勢いです!」
「さっき扉に注意したばかりだぞ。勢いを少し置いてきなさい」
ガルドが笑いながら口を挟んだ。
「俺としても、売れたのはありがたい。ただ、明日から急にそんな数を持ってこられても置き場所がないぞ」
「では、店の裏に倉庫を増築しましょう!」
「その前に、店の主人に相談するという工程がある」
アルトはミハイルの肩を軽く押さえた。
「まずは、なぜ売れたのかを確認しよう」
「売れたから売れたんじゃないんですか?」
「それが分かれば、商人は全員、金貨の山に埋もれて暮らしているよ」
「金貨の山……!」
ミハイルの目が輝いた。
「いや、そこに反応しない」
アルトは苦笑し、ガルドに向き直った。
「お客さんは、どんな様子で買っていきました?」
「そうだな。保温容器を買った客は、旅人が多かった。お菓子は朝のうちによく売れたよ」
「旅人が多かったんですね。保温容器を見て、すぐに買ったんですか?」
「いや、そうでもない」
ガルドは顎に手を当てた。
「最初は手に取って、値段を見て、棚に戻す客もいた。買った客も、何人かは使い方を聞いてから決めていたな」
「使い方を?」
「旅の途中で、どんなふうに使えるのか。それを説明すると、納得して買っていった」
アルトは頷いた。
「なるほど。商品の性能だけじゃなく、使う場面が伝わったわけですね」
「そういうことだろうな」
ミハイルが勢いよく帳面を開いた。
「分かりました! 商品説明を三倍に増やしましょう!」
「三倍?」
「はい! お客さんが商品を手に取ったら、すぐに説明を始めます。保温容器の歴史から製造工程、素材の特徴、将来の可能性まで!」
「買い物に来た客を、講義に参加させる気か?」
「では、説明の途中で質問時間も設けます!」
「店が学校になってしまうな」
ガルドは腹を抱えて笑った。
「ミハイル、俺は商品を売りたいんだ。客を試験に合格させたいわけじゃないぞ」
「なるほど……。説明は簡潔に、ですね!」
「そう。ただし、何でも短くすればいいわけでもない」
アルトは棚の保温容器を一つ手に取った。
「お客さんが知りたいことを、必要な分だけ伝える。そこが大切なんだ」
「つまり、相手によって説明を変えるんですね」
「そういうこと」
「では、旅人には旅人向けの説明を。料理人には料理人向けの説明を。騎士には騎士向けの説明を……」
「騎士には剣で斬れないことを証明するのか?」
「えっ、試してみたほうがいいですか?」
「試さなくていい。保温容器に新しい傷が増えるだけだ」
ガルドが笑いながら、棚の商品を整えた。
そのとき、店の外から一人の旅人が入ってきた。
「すみません。昨日ここで見た容器なんですが、まだありますか?」
「はい、こちらです」
ガルドが残っていた保温容器を差し出した。
旅人は容器を手に取り、蓋を開けたり閉めたりしたあと、値札を確認した。
「うーん……。悪くはないんだが」
旅人は少し考え、容器を棚に戻した。
「今回はやめておきます」
「ありがとうございました。またどうぞ」
ガルドはいつもどおりに応対した。
旅人が去ると、ミハイルが小声で尋ねた。
「今の方、買いませんでしたね」
「そうだね」
「ということは、値段が高かったんでしょうか?」
「その可能性はある。でも、今の一人だけで決めるのは早いよ」
アルトは旅人が戻した容器を見つめた。
「値段を見たあと、蓋を何度か開け閉めしていた。そこも気になるね」
「蓋が気に入らなかったのでしょうか?」
「そうかもしれない。けれど、本人に聞いていない以上、まだ分からない」
「では、追いかけて聞いてきます!」
ミハイルは店の出口に向かった。
「待ちなさい。買わなかった客を、無理に呼び止める必要はないよ」
「ですが、理由が分かれば次に生かせます!」
「その考えはいい。ただ、相手の都合も考えること。急いでいる旅人なら、質問されるだけでも困るだろう?」
ミハイルは足を止めた。
「……確かに。僕も急いでいるときに呼び止められたら、少し困ります」
「それに、買わなかった理由は一つとは限らない。値段かもしれないし、荷物がいっぱいだったのかもしれない。今日は必要がなかっただけかもしれない」
「なるほど。買わなかったこと自体が、商品の失敗とは限らないんですね」
「そういうことだよ」
アルトは帳面を取り出した。
「ガルドさん、今日から簡単に記録をつけてもらえますか?」
「記録?」
「売れた数だけでなく、売れた時間帯、どんな客が多かったか、説明を求められたか。気づいたことを短く書いておいてほしいんです」
「全部、細かく書くのか?」
「いえ。忙しいときは無理をしなくて大丈夫です。覚えている範囲で十分です」
ミハイルがすかさず口を挟んだ。
「では、客の年齢、身長、歩幅、靴の泥の量も記録しましょう!」
「何の調査だ」
「旅人の購買傾向を分析するために!」
「靴の泥が多い人ほど保温容器を買うなら、商品より先に靴屋を始めることになるぞ」
ガルドが吹き出した。
「それはそれで、商売になるかもしれません!」
「ならないとは言わないが、今は保温容器を売ろう」
アルトは帳面の余白を指で叩いた。
「必要なのは、次の判断に役立つ情報だけだ。記録することが目的になったら、仕事が増えるだけだからね」
ミハイルは真剣な顔で頷き、帳面に書き込んだ。
「記録は必要な分だけ……。分かりました!」
「その一文を書くために、ずいぶん大きな字を使ったね」
「忘れないようにしました!」
「帳面の半分が埋まっているぞ」
「大切な教訓ですから!」
アルトは苦笑した。
それから数時間、店には旅人や近隣の住人が立ち寄った。
保温容器を手に取って、すぐに購入する人もいた。値段を確かめてから考え込む人もいた。使い方を聞き、納得して購入する人もいれば、説明を聞いても買わずに帰る人もいた。
お菓子は朝のうちに動きがよく、昼を過ぎると売れ行きが落ち着いた。
ミハイルはそのたびに帳面を開き、何かを書き留めようとした。
そして、ついにガルドに止められた。
「ミハイル。今、俺が水を飲んだことまで書く必要はないぞ」
「しかし、店主の行動と売上の関係が……」
「水を飲んだから、お菓子が売れたのか?」
「それは……まだ分析中です!」
「分析を中止しろ!」
店内に笑い声が響いた。
夕方、アルトはガルドと一緒に残った商品を数えた。
保温容器は二個。お菓子は三個。
販売数は、保温容器が八個、お菓子が十二個。
数字だけなら、十分に好調だった。
「初日としては、いい結果ですね」
アルトが言うと、ガルドも満足そうに頷いた。
「そうだな。これなら、また仕入れてもいいと思える」
ミハイルは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「では、明日は二倍ですね!」
「まだだよ」
アルトは静かに答えた。
「売れた数は分かった。でも、同じ数が明日も売れるとは限らない。今日のお客さんが何を求めていたのか、今日の売れ方が特別だったのか。それをもう少し見てから決めよう」
「つまり、成功に浮かれてはいけないと」
「成功を喜ぶのはいいことだよ。ただし、喜んだ勢いで次の注文を決めないこと」
ミハイルは残った商品を見つめた。
「……分かりました。明日は、今日の記録を見直してから考えます」
「うん。頼むよ」
アルトは帳面を閉じた。
試験販売の初日は、上々の結果だった。
だが、売れた理由はまだはっきりしていない。
客の数が多かったからなのか。商品の魅力が伝わったからなのか。それとも、たまたま必要としていた客が続いただけなのか。
数字は結果を教えてくれる。
しかし、数字だけでは理由までは教えてくれない。
「アルトさん」
帰り支度をしていたミハイルが、ふと顔を上げた。
「今日、保温容器を買ったお客さんは、みんな旅人だったんでしょうか?」
「全員かどうかは、まだ分からないね」
「では、明日は買った人がどんな人だったのかも、もう少し確認してみます」
「いいね。ただし、身分証を見せてもらうようなことはしないでくれよ」
「分かりました! 靴の泥も調べません!」
「そこはもう忘れていい」
アルトは笑いながら店を出た。
試験販売は始まったばかりだ。
そして翌日、ミハイルは今日の結果を見て、とんでもない結論を導き出すことになる。
営業課長としては、その結論をどう修正するかが次の仕事だった。
営業メモ ②③⑨
売れた数だけで成功を判断しない。購入した人の特徴、売れた時間帯、説明の有無などを確認し、次の判断に役立つ情報を集める。ただし、記録を増やすこと自体が目的にならないようにする。
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次回予告
第二百四十一話 営業課長、売れた理由を勘違いする
試験販売の好調な結果に、ミハイルは早くも大きな手応えを感じていた。
しかし、売れた数だけを見て立てた予想は、どうやら少しばかり都合がよすぎるらしい。
アルトは帳面の数字とガルドの証言を照らし合わせ、ミハイルの自信満々な結論に待ったをかける。
売れた理由を見誤れば、次の仕入れも見誤る。
営業課長は、勢い余る後輩に何を教えるのか。




