第二百三十八話 営業課長、急ぎの注文を受けた本当の代償を知る
「アルト課長! 報告です!」
朝から事務所に響き渡ったのは、ミハイルの元気な声だった。
「宿屋への追加分、午前中の六個を無事に納品しました! 残りの四個も昼までに届ける予定です!」
「よし。ガルドさんの二十五個と、ほかの取引先への納品は?」
「そちらも予定どおりです! バルンさんが、荷車の上で荷物を芸術作品のように積み上げていました!」
「芸術作品?」
「はい! 荷物が崩れないように、隙間という隙間を埋めて……」
「隙間を埋めたのか?」
「最後は自分の昼食まで入れようとしていました!」
「荷物と食料を同じ扱いにするな!」
アルトは思わず額を押さえた。
どうやら、納品そのものは順調らしい。
だが、問題はその先だ。
昨日、宿屋から急ぎの注文を受けた際、アルトはエルダとバルンに相談し、午前六個、昼までに四個という分納を組んだ。
宿屋の希望には応えられた。
既存の約束も守れた。
数字だけを見れば、文句なしの成功である。
しかし――。
「アルトさん」
作業場からやってきたエルダの表情は、成功を喜ぶものではなかった。
「今回の追加分、品物は間に合ったよ。でも、いつもと同じ作り方では無理だった」
「具体的には?」
「通常分の製造を先に進めていたところに、追加の十個を差し込んだんだ。材料は足りていたけど、作業台の配置を変えて、道具を出し直して、最後にもう一度片づけることになった」
「作業時間が増えた?」
「増えた。しかも、単純に十個分の時間が増えただけじゃない。途中で作業を切り替えたから、準備と片づけにも時間がかかったんだよ」
ミハイルが、勢いよく手を挙げた。
「でも、追加注文を断らずに済んだんですよね? それなら大成功では?」
「品物ができたことと、利益が出たことは別だ」
アルトが答えると、ミハイルは首をかしげた。
「十個売れたのに、利益が出ないことがあるんですか?」
「ある。売るために余計な手間や費用がかかればな」
「なるほど……。では、僕が次から手間を減らせばいいんですね!」
「具体的には?」
「ええと……気合いです!」
「気合いは帳簿に記入できない」
「では、気合いを数字に換算する方法を!」
「そんな方法を開発する前に、まず数字を見ろ」
ミハイルは真剣な顔でうなずいた。
そして、帳簿を開いた。
なぜか最初のページに大きく書いてあった。
『気合い換算表・構想』
アルトは静かに帳簿を閉じた。
「これは後日、気合いごと処分する」
「まだ構想段階なのに!」
「構想段階だからこそ、被害を最小限にできるんだ」
*
昼前、バルンが戻ってきた。
「宿屋への残り四個も、昼までに届けられる。ガルドさんの分も問題なしだ」
「ありがとう。今回、いつもより負担は大きかったか?」
「大きかったな。宿屋への納品を既存の配達経路に組み込めたから、別の荷車を出す必要はなかった。ただ、荷物の積み直しと順番の変更があった。積み込みにも、いつもより時間がかかったよ」
「別便を出さずに済んだのは大きいな」
「そうだな。もし宿屋だけに届けるために戻ってくる必要があったら、話は変わっていた」
バルンは腕を組んだ。
「それに、配達先が一つ増えるだけなら簡単だと思われがちだが、時間の指定があると別だ。ほかの客に約束した時間まで、勝手にずらすわけにはいかない」
「そのとおりだ」
アルトは帳簿に記録した。
今回、追加で発生した負担は三つ。
一つ目は、エルダの製造準備と作業切り替え。
二つ目は、バルンの積み込みと配達順の調整。
三つ目は、指定時刻に間に合わせるため、予定を組み直す必要があったこと。
「つまり、追加注文の本当の費用は、材料代だけじゃないということですね」
ミハイルが今度はまともなことを言った。
「そうだ。だが、ここで注意がいる」
アルトは帳簿の一行を指した。
「今回、バルンは別便を出していない。だから、別便を出した場合の費用まで、今回の注文に加えるのは間違いだ」
「実際に発生した費用と、発生する可能性があった費用を分けるんですね」
「そういうことだ。起きなかったことまで費用にしたら、数字が嘘をつく」
「では、気合いも起きなかった費用として……」
「その話は終わった」
「まだ一度しか言っていません!」
「一度で十分だ」
*
午後、宿屋の主人から連絡が入った。
「今朝の六個は、旅人たちに好評でした。昼までに届いた四個も、予約していた客に渡せましたよ」
「それはよかったです。今回の納品で、何か不都合はありませんでしたか?」
「商品については問題ありません。ただ、今後も同じように急ぎで頼めると助かりますね」
ミハイルが、アルトの横で満面の笑みを浮かべた。
「聞きましたか、課長! 大成功です! 次からは宿屋さんを優先して、注文が来たらすぐに――」
「ミハイル」
「はい!」
「エルダとバルンに相談する前に、何か約束したか?」
「……していません!」
「よし。今日はそこだけ合格だ」
「評価の基準が低くありませんか?」
「昨日までの君を考えれば、妥当だ」
アルトは宿屋の主人との話を続けた。
「今後も対応できる場合はあります。ただ、毎回同じ時間に届けられるとは限りません。製造と配達の状況を確認してから、お返事する形になります」
「なるほど。では、急ぎで頼むときは、いつまでに相談すればよいでしょう?」
「基本的には前日までにご相談ください。当日になってからの場合は、対応できる数量と時間を確認します」
「もし、どうしても別便が必要になった場合は?」
「その場合は、追加の配達費用などをご相談させてください。費用が発生する可能性があることは、注文を確定する前にお伝えします」
宿屋の主人は納得した様子だった。
「わかりました。こちらも、必要な数量と時間を早めに伝えるようにします」
「ありがとうございます。そうしていただければ、こちらも対応できる範囲を広げやすくなります」
通話を終えると、ミハイルが感心したように言った。
「課長、追加料金を取るんですね!」
「何でもかんでも取るわけじゃない。今回のように既存の配達経路に組み込めるなら、別便の費用は発生していない」
「では、どういうときに相談するんですか?」
「別便が必要になる場合や、通常の作業を大きく変更しなければならない場合だ。実際に増える負担を確認して、相手にも説明する」
「なるほど。急ぎ料金という名前をつけて、全部同じ金額にするのは?」
「急ぎの度合いも、発生する費用も違う。名前だけで一律に決めるのは乱暴だ」
「では、料金表を作る前に調査ですね!」
「そうだ。まずは今回の実績を調べる」
ミハイルは帳簿を開いた。
今度は『気合い換算表』のページではない。
アルトは、ほんの少しだけ安心した。
*
夕方、エルダ、バルン、ミハイルと一緒に、今回の追加注文を振り返った。
アルトは帳簿を広げ、通常の十個分の注文と、今回の急ぎの十個分を分けて記録した。
材料費や包装に必要な費用。
追加で発生した製造準備と片づけの時間。
積み込みや配達順の変更にかかった時間。
そして、今回の追加注文による売上。
「ここで、売上から材料費だけを引いて終わりにしてはいけない」
アルトは数字を示した。
「今回のように、追加の作業が発生したなら、その分も確認する。ただし、通常の注文でも発生する費用と、急ぎの注文によって増えた費用は分けるんだ」
エルダがうなずいた。
「そうすれば、急ぎの注文を受けたことで、どれだけ余分な負担が出たのかが見えるね」
「そうだ。さらに、負担が大きくても、取引先との関係や今後の注文につながる価値がある場合もある。ただし、期待だけで赤字を正当化してはいけない」
バルンが笑った。
「つまり、急ぎの注文は受けるな、という話じゃないんだな」
「もちろん。急ぎの注文が新しい取引につながることもある。問題は、受けるか断るかを、勢いだけで決めないことだ」
ミハイルが真剣にうなずいた。
「わかりました。今後は急ぎの注文が来たら、まず『できます!』と言ってから確認を――」
「逆だ!」
三人の声が重なった。
「確認してから返事をするんだ!」
ミハイルは肩を落とした。
「わかりました……。では、まず『確認します!』と言います」
「それならいい」
「ただし、確認に三日かかる場合もあります!」
「それはそれで遅すぎる!」
エルダが笑い、バルンも肩を揺らした。
アルトは苦笑しながら、帳簿の最後に今回の結論を書き込んだ。
急ぎの注文は、売上を増やす機会になる。
だが、製造の切り替え、積み込み、配達時間の調整といった負担を見落とせば、注文が増えるほど現場が苦しくなる。
だからこそ、急ぎの注文を受ける条件を決めておく必要がある。
前日までの相談を基本とすること。
当日の注文は、対応可能な数量と時間を確認すること。
別便や大幅な作業変更が必要な場合は、費用を事前に相談すること。
そして、対応できないときには、無理に約束せず、別の納品方法を提案すること。
「これなら、次から判断しやすくなるな」
アルトが言うと、エルダもバルンも同意した。
ミハイルだけが、なぜか胸を張った。
「課長! 僕も急ぎの注文に対応できるよう、準備しておきます!」
「具体的には?」
「返事を急がない練習です!」
「それは……」
アルトは一瞬、言葉に詰まった。
「君にしては、驚くほど正しい目標だ」
「ありがとうございます!」
「ただし、練習相手は僕だけにしてくれ。取引先を相手に実験するなよ」
「はい!」
元気よく返事をしたミハイルは、さっそく帳簿に何かを書き始めた。
アルトが横からのぞくと、そこには大きな文字でこう書かれていた。
『急がないことを急ぐ』
「……ミハイル」
「はい!」
「その言葉を、明日の朝までにもう少し普通の日本語に直しておいてくれ」
「承知しました!」
急ぎの注文は、無事に片づいた。
しかし、今回わかったのは、急ぎの注文を受けられることと、急ぎの注文をいつでも受けられることは違う、という事実だった。
そして翌朝。
その違いを、アルトたちはさっそく試されることになる。
「課長! 新しい注文が来ました!」
ミハイルが駆け込んできた。
「今度は、納品時間の指定つきです!」
アルトはゆっくりと帳簿を閉じた。
「……まずは、何個で、いつまでだ?」
「それがですね。注文した方が、まだ自分でも決めていないそうです!」
「注文する側も決めていないのか!」
営業課長の一日は、今日も平穏とは程遠い。
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営業メモ ②③⑦
急ぎの注文では、売上だけでなく、追加で発生した製造・積み込み・配達の負担を確認する。ただし、通常の注文でも発生する費用まで、急ぎの注文の費用として重ねて計上しないこと。
対応条件は、事前相談の期限、対応可能な数量、納品時間、別便などの追加費用を基準に決める。費用が発生する場合は、注文確定前に説明する。
急ぎの注文を受けることより、無理なく受けられる条件を作ることが大切。
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次回予告
第二百三十九話 営業課長、決まっていない注文に振り回される
注文したいのに数量が決まっていない。
納品してほしいのに時間も決まっていない。
そんな取引先の相談に、ミハイルは早くも見切り発車寸前!
アルトは、曖昧な相談を具体的な注文へ変えるため、ある質問から始めることにする。




