第二百三十六話 営業課長、注文変更の連続攻撃をさばく
「アルト! 緊急事態だ!」
朝、事務所に入った瞬間、ミハイルが叫んだ。
アルトは鞄を置いた。
「今度は何だ。書類が増殖したのか?」
「違う! 今日は書類じゃない!」
「その言い方だと、別の何かが増殖したように聞こえるぞ」
「注文だ! 注文が増殖している!」
ミハイルは机の上に三枚の紙を並べた。
「まず、ガルドさんから二十個の注文。次に、数量を二十五個に変更したいという連絡。そして、納品時間を午前から午後に変更したいという連絡!」
「一度に来たのか?」
「いや、順番に来た!」
「なら、順番に確認すればいいだろう」
「ところが、そこへ追加で十個欲しいという連絡まで来たんだ!」
アルトは紙を見た。
確定注文は二十個。
数量変更の希望は二十五個。
さらに追加で十個。
納品時間も変更希望。
「……ミハイル。今、確定している数量はいくつだ?」
「ええと……二十個?」
「そうだ。変更はまだ承認していないな?」
「していない!」
「よし。なら、まだ何も壊れていない」
「本当か!?」
「今のところはな」
ミハイルは胸をなで下ろした。
「よかった……。僕はてっきり、注文が二十個から二十五個になって、さらに十個増えて、合計三十五個を午前中に届けなければならないのかと!」
「誰がそんな約束をしたんだ?」
「僕はしていない!」
「なら、どうして午前中に三十五個届ける話になっている?」
「頭の中で、注文が勝手に合体したんだ!」
「君の頭の中だけで注文を変更するな」
アルトは椅子に座り、三枚の紙を並べ直した。
「注文変更が来たときは、まず何を確認する?」
「お客様の希望!」
「その次は?」
「製造と配送の状況!」
「そのとおり。希望を聞くことと、希望どおりに対応できると約束することは別だ」
ミハイルはうなずいた。
「分かった。まずはガルドさんに連絡して、何が必要なのか確認する!」
「よし。数量変更と追加注文が、同じ理由なのかも聞いてくれ。二十五個に増やしたいのに、さらに十個追加したいというのは、少し気になる」
「分かった!」
ミハイルは勢いよく立ち上がった。
「確認してくる!」
そして三歩進んだところで振り返った。
「アルト!」
「今度は何だ?」
「ガルドさんに、変更の理由を聞くための書類は必要か?」
「必要ない。まずは話を聞いてこい!」
「了解!」
ミハイルは走っていった。
アルトは小さく息を吐いた。
注文変更そのものが問題なのではない。
問題は、変更のたびに現場が振り回され、確定した約束まで崩れてしまうことだ。
その連鎖を止めるには、変更の理由と影響を整理する必要がある。
そして何より、営業担当者が勝手に約束を増やさないこと。
アルトは、最後の一点を特に強く心に刻んだ。
ミハイルが相手だからである。
◇
しばらくして、ミハイルが戻ってきた。
「分かったぞ! ガルドさんは、週末の客が増えそうだから、商品を増やしたいんだ!」
「二十五個に増やしたい理由は?」
「週末の街道で、大きな商隊が通る予定らしい」
「なるほど。では、追加の十個は?」
「それは別の話だった!」
アルトは顔を上げた。
「別の話?」
「近くの宿屋から、保温容器を置いてみたいという相談があったらしい。まだ正式な注文ではないけど、ガルドさんは、うちの商品を紹介したいんだって!」
「つまり、二十五個はガルドさん自身の店で使う分。追加の十個は、宿屋から注文が入るかもしれないという見込みか」
「そういうこと!」
アルトはうなずいた。
これなら、数字が増えた理由は理解できる。
ただし、宿屋の十個はまだ確定していない。
「ガルドさんには、二十五個への変更を希望していることと、宿屋向けの十個は相談段階であることを分けて伝えよう」
「でも、二十五個も作れるのか?」
「それを今から確認するんだ」
アルトはエルダを呼び、製造状況を確認した。
「通常の二十個なら予定どおり作れるわ。二十五個にするなら、材料は足りるけれど、作業時間を少し調整する必要があるわね」
「納品予定に影響はありますか?」
「今のところ、同じ日の午後なら対応できそう。ただ、別の注文が入ったら再確認が必要よ」
「分かりました。では、二十五個への変更は、配送側の予定も確認してから返事をします」
次に、バルンへ確認した。
「午後の配送なら、二十五個を運べるか?」
「荷車の積載量には収まる。ただ、同じ日に別の店へ届ける荷物もあるから、受け取り時間を調整できるか確認したい」
「では、ガルドさんには午後の受け取りが可能か、もう一度確認してもらおう」
ミハイルが口を挟んだ。
「ということは、二十五個は午後なら大丈夫そうだな!」
「まだ確定じゃない。受け取り時間の確認が残っている」
「そうだった!」
「返事をする前に、製造と配送の両方を確認する。片方が大丈夫でも、もう片方が対応できなければ約束はできない」
「製造できても届けられない。届けられても製造が間に合わない……」
「そういうことだ」
ミハイルは真剣な顔で考え込んだ。
「営業って、商品を売る仕事だと思っていたけど……」
「それだけじゃない。売った商品を、約束どおりに届けられるところまで考える仕事だ」
「なるほど。じゃあ、僕が売りたいと思った数量と、実際に売れる数量と、ちゃんと届けられる数量は、全部別なんだな」
「よく分かってきたじゃないか」
ミハイルはうれしそうに笑った。
「よし! これからは、僕が売りたい数量を基準にする!」
「なぜそうなる!」
「しまった! 今のは間違いだ!」
「自分で気づけたのは進歩だな……」
◇
午後、アルトとミハイルはガルドの店へ向かった。
ガルドは店先で、荷物を整理していた。
「二人とも、わざわざ来てくれたのか」
「注文変更について、確認に来ました。二十五個への変更は、製造と配送の調整ができそうです。ただし、午後の受け取りでお願いしたいのですが、可能でしょうか?」
「ああ、午後なら問題ない。午前中は別の商品を受け取る予定だから、むしろ助かる」
「ありがとうございます。それでは、二十五個への変更を確定します」
アルトは注文票の数量と納品時間を書き直した。
「これで、二十五個、午後の納品で確定です」
「助かった。急な相談だったのに、対応してくれてありがとう」
「いえ。ただ、宿屋向けの十個については、まだ注文が確定していないと聞いています」
「ああ。宿屋の主人が興味を持っているだけで、まだ決まっていない」
「では、十個分は製造予定には入れず、注文が確定した段階で、対応可能か確認する形にしましょう」
「分かった。それでいい」
話がまとまったところで、ミハイルが胸を張った。
「ガルドさん! もし宿屋から注文が来たら、ぜひ僕に連絡してください! すぐに対応します!」
アルトは横を向いた。
「……ミハイル」
「何だ?」
「今、何と言った?」
「すぐに対応します、と!」
「誰が対応できると判断した?」
「……僕?」
「製造と配送の確認は?」
「していない!」
「なら、今の発言は?」
「勢いで言った!」
ガルドは笑いをこらえながら、ミハイルの肩を叩いた。
「気持ちはありがたいが、次は確認してから頼むよ」
「はい……」
ミハイルはしょんぼりとうなだれた。
アルトはフォローするように説明した。
「ガルドさん、注文の相談はいつでも歓迎します。ただ、正式な納期は製造と配送の状況を確認してからお返事します」
「もちろんだ。無理に約束して、後から届けられないと言われるより、最初に確認してもらったほうが助かる」
ガルドの言葉に、ミハイルは顔を上げた。
「……確認してから返事をするほうが、信頼されることもあるんですね」
「そうだ。すぐに返事をすることだけが、親切とは限らない」
アルトはうなずいた。
顧客が本当に求めているのは、気持ちのいい返事だけではない。
約束した商品が、約束した数量で、約束した時間に届くことだ。
だからこそ、確認のために少し時間をもらうことが、結果的に顧客の利益を守る場合もある。
もちろん、返事を先延ばしにしていいわけではない。
いつまでに回答するのかを伝え、確認が終わったら速やかに返事をする。
それもまた、営業の仕事だった。
◇
ところが、店を出ようとした瞬間、ガルドの店員が駆け込んできた。
「ガルドさん! 大変です!」
「今度は何だ?」
「宿屋から連絡がありました。保温容器を十個、正式に注文したいそうです!」
ミハイルの目が輝いた。
「来たああああ!」
ガルドが驚いて振り返る。
「本当に十個か?」
「はい! ただし、納品は明日の午前中を希望しています!」
ミハイルの笑顔が止まった。
アルトも、すぐには答えなかった。
数量は十個。
納品希望は明日の午前中。
しかし、今日の製造予定には入っていない。
エルダの作業時間、材料の準備、バルンの配送予定。確認すべきことはいくつもある。
「ガルドさん。まずは正式な注文内容を確認しましょう。商品は保温容器十個、納品希望は明日の午前中。これで間違いありませんか?」
「そうだ。宿屋は、明日の朝に来る商隊へ販売したいらしい」
「分かりました。対応できるか確認して、今日中にお返事します」
ミハイルが小声でささやいた。
「アルト……。これは受けたほうがいいよな?」
「受けたい理由は何だ?」
「新しい取引先につながるかもしれないから!」
「それは大切な理由だ。だが、それだけで決めることはできない」
「もし断ったら、宿屋との取引がなくなるかもしれない」
「その可能性もある。だから、受けられる方法がないかを確認する。ただし、今ある約束を壊してまで受けるべきかは別の問題だ」
アルトは事務所へ戻る準備をした。
「まず、エルダとバルンに確認する。通常の注文を遅らせずに対応できるか。追加の作業がどれだけ必要か。配送を組み替えられるか。その結果を見て判断する」
ミハイルは力強くうなずいた。
「分かった! 僕は宿屋に、確認中だと伝えてくる!」
「いい判断だ。回答する時刻も伝えてくれ」
「了解!」
ミハイルは走り出しかけて、ぴたりと止まった。
「……回答する時刻を決めるための書類は?」
「いらない!」
「はい!」
今度は、すぐに走り出した。
アルトはその背中を見送り、注文票を確認した。
確定済みの二十五個は、午後の納品で約束している。
新たな十個を受けるなら、既存の約束を守れることが前提だ。
そして、明日の午前中という希望に対応できない場合でも、代替案を提示できるかもしれない。
例えば、数量を分けて納品する。納品日を調整する。あるいは、宿屋が必要とする数量と時間を改めて確認し、優先順位を相談する。
大切なのは、単純に受けるか断るかの二択にしないことだ。
ただし、代替案を提示する前に、実際に実行できるかを確認しなければならない。
「さて……」
アルトは歩き出した。
「今度は、どこまで対応できるかだな」
後ろからミハイルの声が飛んできた。
「アルト! 宿屋の主人から伝言だ!」
「何だ?」
「もし明日の午前中に十個届くなら、来週も追加で注文したいそうだ!」
アルトは足を止めた。
新しい取引につながる可能性がある。
だが、目先の十個を無理に届けることで、既存の顧客との約束を破るわけにはいかない。
今回の判断は、単なる追加注文の可否では済まなさそうだった。
目の前の売上と、長く続く信頼。
その両方を守る方法を見つける必要がある。
そして、ミハイルはすでに、宿屋の主人に向かって親指を立てていた。
「大丈夫です! うちの営業課長なら、きっと何とかしてくれます!」
「おい、勝手に期待値を上げるな!」
アルトの叫びが、街道に響き渡った。
営業メモ ②③⑤
注文変更が続いたときは、すべてを即答で引き受けるのではなく、「確定している注文」「変更希望」「追加の相談」を分けて管理する。変更の理由を確認し、製造能力、材料、配送時間、既存の約束への影響を調べてから回答する。
すぐに回答できない場合は、いつまでに返事をするかを顧客に伝える。希望どおりに対応できない場合でも、分納や納品日の調整など、実行可能な代替案を検討する。ただし、新しい注文を獲得するために、既存顧客との約束を安易に犠牲にしてはいけない。
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次回予告
第二百三十七話 営業課長、十個の追加注文と既存の約束を守り抜く
宿屋から舞い込んだ、明日の午前中までに保温容器を十個届けてほしいという依頼。
来週の追加注文につながる可能性がある一方、製造と配送には余裕がない。
アルトはエルダとバルンに対応可能な範囲を確認し、既存の注文を守りながら新しい取引を成立させる方法を探る。
一方ミハイルは、まだ納品できると決まっていないのに、宿屋の主人から感謝の言葉を先にもらってしまう。




