第二百三十五話 営業課長、便利な仕組みが新たな負担を生む
「アルト! 完成したぞ!」
朝一番、ミハイルが満面の笑みで事務所に飛び込んできた。
その両手には、書類の束が抱えられている。
アルトは書類を見た。
ミハイルを見た。
もう一度、書類を見た。
「……何を完成させた?」
「新しい注文管理の仕組みだ!」
「誰が頼んだ?」
「誰も頼んでいない!」
「胸を張って言うことじゃない」
ミハイルは机の上に書類を広げた。
「前回の話を聞いて、僕なりに考えたんだ。注文の確定期限を決めるんだろ? だったら、注文の受付、確認、変更、配送、受け取りまで、全部記録できるようにすればいい!」
「考え方は悪くない。で、この書類は何枚ある?」
「全部で二十七枚!」
「注文一件につき?」
「もちろん!」
アルトは静かに目を閉じた。
「ミハイル」
「何だ?」
「注文を一件受けるたびに、二十七枚も書くのか?」
「そうすれば、情報の漏れがなくなる!」
「書類を書く時間は?」
「……え?」
「注文を受ける人が二十七枚を書いている間、誰が客の話を聞くんだ?」
「そ、それは……」
「記入漏れを防ぐための書類に記入漏れがあったら?」
「書き直す!」
「書き直すための書類は?」
「必要だな!」
「その書類を管理する書類は?」
「必要だな!」
「その書類を管理する担当者の勤務予定表は?」
「必要だな!」
「その勤務予定表を確認するための……」
「待ってくれ! 僕たちは一体、何の商売をしているんだ!?」
「それを今、君に気づいてほしかったんだ」
ミハイルは二十七枚の書類を見下ろした。
「商品を売る商売……だよな?」
「よかった。まだ覚えていたか」
「危なかった……。このままでは書類を売る商売に転職するところだった」
アルトは書類の束を手に取った。
注文の確定期限を決め、情報を整理し、製造と配送の予定を共有する。
それ自体は必要な改善だ。
だが、仕組みを整えることが目的になってしまえば、今度はその仕組みを維持するために人手と時間を奪われる。
便利にするための工夫が、現場の負担を増やしてしまっては意味がない。
「よし。今日はこの書類を使って、実際に注文を一件処理してみよう」
「えっ、全部使うのか!?」
「君が作ったんだろ?」
「そうだけど……」
「自分で使ってみれば、どこが不便なのか分かる」
ミハイルの顔から、少しずつ笑顔が消えていった。
「アルト。僕は今、自分がとんでもないものを生み出した可能性に気づき始めている」
「気づくのが遅い」
◇
最初の実験台になったのは、ガルドからの注文だった。
ガルドは街道沿いの店で、旅人向けの商品を扱っている。
市場での販売を終えたばかりだったが、次回の仕入れについて相談したいと連絡が入ったのだ。
「では、注文を受けるところから始めよう」
アルトはミハイルに指示した。
「ガルドさんが必要な数量を確認して、納品希望日を聞く。確定している注文と、まだ相談段階の希望は分けて記録するんだ」
「任せてくれ!」
ミハイルは最初の用紙を手に取った。
「注文受付票、第一項目。顧客名。ガルドさん」
さらさらと記入する。
「第二項目。店舗所在地。街道沿い」
「もう少し具体的に書いてくれ」
「第三項目。顧客の表情」
「……何だ、それは?」
「商談時の表情を記録しておけば、注文への意欲が分かるかもしれない!」
「ガルドさんは今、どんな表情をしている?」
ミハイルはガルドを見た。
ガルドは困惑していた。
「困惑、と書いておきます!」
「書かなくていい!」
アルトは用紙を取り上げた。
「注文に必要な情報だけでいい。名前、商品、数量、納品希望日、連絡事項。それで足りるか、実際に確認しよう」
「でも、情報は多いほどいいんじゃないのか?」
「使わない情報を集めると、記入する時間も、管理する手間も増える。必要な情報を探す時間まで増えるんだ」
アルトはガルドに向き直った。
「ガルドさん、次回は何個くらい必要になりそうですか?」
「今のところ、保温容器を二十個ほど考えている。ただ、週末の客足によっては増やすかもしれない」
ミハイルがすかさず書類をめくった。
「追加注文予測票! 増加見込み数量! 増加率の推定!」
「まだ増えると決まったわけじゃないぞ」
ガルドが苦笑した。
「それなら、確定分と追加の可能性を分けておけばいい」
アルトは用紙の余白に記入した。
確定注文 二十個。
追加希望 販売状況を見て相談。
「これなら、エルダも製造数を決めやすいし、バルンも配送計画を立てやすい。追加分を確定注文として扱わずに済みます」
「なるほど。それなら俺も、まだ売れるか分からない商品を無理に約束しなくていいな」
ガルドは納得した。
ミハイルも感心したようにうなずく。
「確定注文と追加希望を分ける……。つまり、二十七枚の書類は必要なかった?」
「今のところ、そういうことだ」
「僕の努力が……」
「無駄だったと決めつけるな。実際に使ってみたから、何が必要で何が不要か分かったんだ」
「そうか! これは無駄な書類を発見するための書類だったんだな!」
「違う。偶然そうなっただけだ」
「でも、発見できた!」
「結果的にはな」
ガルドが笑った。
「ミハイル、その調子でいろいろ発見してくれ。ただし、うちの店を実験台にする前に一言相談してくれよ」
「もちろんです!」
ミハイルは胸を張った。
アルトは、彼が次に何を発見するのか考えないことにした。
考え始めると、今日の仕事が終わらなくなる。
◇
次に確認したのは、製造現場だった。
エルダは注文票を受け取り、記載された数量と納品希望日を確認していた。
「これなら、必要な情報は分かるわね。確定した二十個を先に製造計画に入れて、追加分は材料と作業場所に余裕があるかを見てから判断すればいい」
「前回のように、途中で予定を組み直す回数を減らせそうですか?」
アルトが尋ねると、エルダはうなずいた。
「少なくとも、確定していない注文を前提に材料を準備する必要はなくなるわ。ただ、納品日が近すぎる注文は、注文票が整っていても対応できないことがある」
「その条件も共有しておきましょう」
アルトが記録を取ろうとすると、ミハイルが新しい紙を差し出した。
「製造可能日判定票です!」
「……また増えたのか?」
「今度は一枚だけだ!」
アルトは受け取った。
そこには、製造可能な数量、作業時間、材料の在庫、作業場所の空き状況など、細かい項目が並んでいた。
「ミハイル。これを毎回、全部記入するのか?」
「もちろん!」
「材料の在庫は、エルダが普段から管理しているんだよな?」
「そうね。毎日確認しているわ」
「作業場所の空きも、製造予定を見れば分かる?」
「ええ」
「なら、同じ情報を別の用紙に何度も書く必要はない」
ミハイルは固まった。
「……情報の二重管理」
「そうだ。すでに管理されている情報は、必要なときに確認すればいい。わざわざ別の帳簿に写し続けると、片方だけ更新されて食い違うこともある」
「なるほど……。同じことを二回書けば、間違える機会も二回になる!」
「いいところに気づいたな」
エルダが笑った。
「ミハイル、あなた、余計な書類を作る才能だけじゃなく、そこから学ぶ才能もあるのね」
「ありがとうございます!」
「褒めているのかどうかは、少し考えたほうがいいぞ」
アルトが言うと、ミハイルは首をかしげた。
「でも、才能があることは認められた!」
「そこだけ拾うな」
アルトは注文票の使い方を整理した。
製造担当者は、確定注文の数量と納品希望日を確認する。製造可能かどうかは、普段の在庫表と製造予定を参照して判断する。別の用紙に同じ数字を転記することは、必要な場合だけにする。
これなら、注文管理のために新しい帳簿を増やし続ける必要はない。
エルダは注文票を作業台の横に置いた。
「これなら使えるわ。注文が増えたときも、確定分だけ先に見ればいいのね」
「はい。追加分は、対応可能か確認してから返事をします」
「分かった。これなら製造の段取りも組みやすい」
ミハイルは満足げにうなずいた。
「僕の二十七枚の書類が、たった一枚に……!」
「いや、最初から一枚で済んだわけじゃない。実際に試して、必要な項目を絞ったんだ」
「そうか。僕は書類を減らしたんじゃない。書類を鍛え上げたんだ!」
「紙に筋肉はつかないぞ」
「では、鍛え上げたのは僕の発想力だ!」
「その発想力は、少し筋トレの方向を間違えている気がする」
エルダが笑い、ミハイルも笑った。
アルトは、注文票をもう一度見直した。
これで製造現場への負担は減りそうだ。
次は、配送現場で同じことが起きていないかを確かめる必要がある。
◇
バルンは荷車のそばで、配送予定を確認していた。
「注文票が一枚になったのは助かる。ただ、配送する側に必要な情報が少し足りないな」
「何が必要ですか?」
「納品先と、受け取り可能な時間だ。それから、荷物の数量。これが分からないと、どの順番で回るか決められない」
「では、その三つを追加しましょう」
アルトが答えると、ミハイルが勢いよく手を挙げた。
「配送管理票を作ります!」
「待て」
「今度は三項目だけです!」
「本当だろうな?」
「本当です!」
ミハイルは新しい用紙を差し出した。
納品先。
受け取り可能時間。
荷物の数量。
確かに三項目だけだった。
アルトは少し感心した。
「よし。これなら……」
だが、用紙の右下に小さな文字が書かれている。
配送担当者の本日の気分。
「ミハイル」
「はい!」
「これは何だ?」
「配送担当者の気分です!」
「見れば分かる。なぜ必要なんだ?」
「気分が良ければ、配送速度が上がるかもしれない!」
バルンは無言でミハイルを見た。
「……俺は、気分が良いからといって荷車を走らせすぎたりしないぞ」
「もちろんです! 安全第一です!」
「なら、気分を記録する必要はないな」
「そうですね……」
ミハイルは、しぶしぶその項目を消した。
バルンは配送管理票を確認し、うなずいた。
「これなら使える。注文票に全部詰め込むより、製造側と配送側で必要な情報を見られるようにしたほうが分かりやすい」
「ただし、別々の用紙にしたことで、注文数が食い違うと困ります」
アルトが指摘した。
「注文票が二十個なのに、配送管理票が二十五個になっていたら、余計な荷物を積むことになる」
「確かに。では、配送管理票を作るときは、注文票の確定数量を確認するようにしよう」
「それで十分です。確認したことを示す欄を一つ設ければ、毎回、別の確認書類を作る必要もありません」
ミハイルはペンを握りしめた。
「確認欄……!」
「何か思いついたのか?」
「確認欄を確認したことを確認する欄!」
「いらない」
「確認欄を確認したことを確認する欄が、ちゃんと確認されたか確認する欄!」
「もっといらない!」
バルンがとうとう吹き出した。
「ミハイル、そんなに確認したら、荷車が出発する前に日が暮れるぞ」
「でも、確認不足は危険だろう?」
「必要な確認をするのは大切だ。確認のためだけに確認を増やすのは違う」
バルンの言葉に、ミハイルはゆっくりとペンを置いた。
「……確認にも、ちょうどいい量があるんだな」
「そうだ。荷物を間違えないために確認する。配送先を間違えないために確認する。目的を忘れなければ、必要な確認は見えてくる」
アルトはうなずいた。
これで配送管理票も、実用的な形に近づいた。
必要な情報を、必要な人が、必要なときに確認できる。
そのために書類を作るのであって、書類を増やすことそのものが仕事ではない。
◇
午後、アルトたちはロベルトの商店に戻った。
注文管理の仕組みを実際に試した結果、最初の二十七枚は必要なかった。注文票は一枚にまとめ、製造側は既存の在庫表と製造予定を参照する。配送側は必要な情報だけを配送管理票に記載する。
もちろん、これで完成というわけではない。
実際の注文が増えたときに、どれだけ使いやすいかを確認する必要がある。
「なるほど。注文を管理するために、店の仕事が増えたら本末転倒というわけか」
ロベルトは注文票を見ながら言った。
「はい。必要な情報を整理することと、記録を増やすことは同じではありません」
「うちの店でも、似たようなことがあるな。新しい決まりを作るたびに、確認する帳簿が増えていく」
「その帳簿が実際に使われているか、確認してみる価値はありそうですね」
アルトが答えると、ロベルトは苦笑した。
「古い帳簿を捨てようとすると、必ず誰かが言うんだ。『いつか必要になるかもしれない』とな」
ミハイルが勢いよくうなずいた。
「分かります! 僕も二十七枚の書類を作ったとき、いつか必要になると思いました!」
「君の場合は、作った直後から不要だったんじゃないか?」
「アルト! せっかく成長したところなのに!」
「成長したことは認めている。書類の枚数は認めていない」
ロベルトは声を上げて笑った。
「よし。次の注文から、この方法を試してみよう。店の者にも説明しておく」
「ありがとうございます。まずは一部の注文で試して、問題がないか確認しましょう」
「いきなり全店舗に導入しないのか?」
「はい。実際に使ってみると、予想していなかった問題が出ることがあります。小さく試して、直してから広げるほうが安全です」
「分かった。まずは一店舗で試そう」
商談は順調に進んだ。
ところが、話が終わる直前、ロベルトがふと思い出したように言った。
「そうだ。もう一つ相談があるんだ」
「何でしょう?」
「うちの店の者が、新しい注文票を見て心配していた。注文を確定したあとで数量を変えたくなった場合、どうすればいいんだ?」
アルトは少し考えた。
確定した注文を変更できない仕組みにしてしまえば、急な事情に対応できない。
かといって、いつでも自由に変更できるようにすれば、製造と配送の予定が何度も崩れてしまう。
「変更は受け付けます。ただし、製造や配送の準備がどこまで進んでいるかを確認してから、対応できるか返事をする形にしましょう」
「つまり、変更の相談を受けることと、変更を約束することは別なんだな」
「そのとおりです。変更できる場合は新しい数量と納品予定を共有し、難しい場合は、どこまでなら対応できるか相談します」
ロベルトは満足そうにうなずいた。
「それなら、店の者にも説明できる。注文を確定したら一切変更できない、という決まりより現実的だ」
「はい。大切なのは、変更を禁止することではなく、変更によって何が起きるかを確認してから判断することです」
そのとき、ミハイルが小さく手を挙げた。
「では、注文変更専用の書類を……」
「作らない」
アルトは即答した。
「まだ何も言ってないだろ!」
「君の目が、すでに新しい用紙を探していた」
「目で分かるのか!?」
「最近は分かるようになってきた」
ロベルトは腹を抱えて笑った。
「ミハイル、君はもう、書類を作る前にアルトに相談したほうがいいな!」
「分かりました! これからは、書類を作る前に相談するための書類を……」
「ミハイル!」
「冗談です!」
返事だけは、今日一番速かった。
◇
帰り道、ミハイルは珍しく静かだった。
アルトが横を見ると、彼は真剣な顔で考え込んでいる。
「どうした? 今度は何を企んでいる?」
「企んでない! 考えているんだ!」
「その二つは、君の場合、区別が難しいな」
「今日はちゃんと学んだぞ。仕組みを作るときは、便利になるかだけじゃなく、使う人の手間が増えないかも考えないといけない」
「そうだ」
「それから、すでにある情報を何度も書かない。必要な情報だけを、必要な人が確認する」
「よく覚えているな」
「そして、変更を受け付けることと、変更を約束することは別!」
「そのとおりだ」
ミハイルは満足そうにうなずいた。
「今日の僕は、かなり成長したんじゃないか?」
「そうだな。少なくとも、書類を二十七枚作る前よりは成長した」
「そこを基準にするのはやめてくれ!」
アルトは笑った。
注文管理の仕組みは、まだ試験段階だ。
実際に使ってみれば、記入しにくい項目や、確認しづらい情報が見つかるかもしれない。製造や配送の担当者から、別の改善案が出てくる可能性もある。
大切なのは、最初から完璧な仕組みを作ろうとしないことだ。
使う人の意見を聞き、小さく試し、問題があれば直す。
そして、仕組みを守ることが目的になっていないか、定期的に見直す。
便利にするためのルールが、新しい負担になってしまっては意味がない。
「アルト!」
「今度は何だ?」
「僕、明日から書類を減らす活動を始める!」
「いいじゃないか」
「まずは、今日作った二十七枚を全部、処分する!」
「いや、記録として一部は残しておけ。どこを改善したか比較できるからな」
「なるほど! では、二十七枚を保管するための専用箱を……」
「普通の箱でいい!」
街道に、ミハイルの笑い声が響いた。
そしてアルトは、ひとつだけ確信した。
注文管理の仕組みは改善できる。
製造も配送も、少しずつ効率化できるだろう。
だが、ミハイルの発想を管理する仕組みについては、まだ改善の余地が大きい。
営業メモ ②③④
新しい業務ルールや管理表を導入するときは、「何を防ぐための仕組みなのか」を明確にする。記録項目を増やすほど管理が正確になるとは限らず、記入時間や二重管理、情報の食い違いが増えることもある。
まずは一部の業務で試し、実際に使う人の意見を聞いて改善する。すでに別の帳簿で管理している情報は、必要に応じて参照し、同じ内容を何度も転記しない。注文変更についても、変更の相談を受けることと、変更を確約することを分け、製造・配送の状況を確認してから判断する。
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次回予告
第二百三十六話 営業課長、注文変更の連続攻撃をさばく
新しい注文管理の仕組みを一店舗で試し始めたアルトたち。
ところが、注文確定後に数量変更、納品時間の変更、追加注文が立て続けに舞い込む。
ミハイルは変更をすべて受け付けようとするが、製造と配送の予定は大混乱。
アルトは顧客の信頼を守りながら、どの変更を優先すべきか判断することになる。




