第二百三十四話 営業課長、値上げせずに利益を守る方法を探す
「アルト! 大変だ!」
朝からミハイルの声が事務所に響き渡った。
書類を整理していたアルトは、顔を上げる。
「どうした。今度は何を壊した?」
「まだ何も壊してない!」
「まだ、という言い方がすでに不安なんだが」
「今回は違う! もっと重大な問題だ!」
ミハイルは机に一枚の紙を叩きつけた。
「ロベルトさんから、次の市場での注文について相談が来た!」
「相談?」
「そう! 売上が伸びたから、もっと商品を増やしたいらしい!」
アルトは紙を手に取った。
そこには、次回の注文数を増やしたいという希望と、いくつかの条件が書かれていた。
前回の市場では、追加注文にも対応した。その結果、売上は伸びた。だが、製造の手間も、配送の負担も増えた。
売上だけを見れば成功。
利益まで考えると、まだ検証が必要。
「なるほど。これは一度、ロベルトさんと話をしたほうがいいな」
「そうだろう? そこで僕は、素晴らしい提案を考えた!」
ミハイルは胸を張った。
「値上げだ!」
アルトは紙を置いた。
「却下」
「早い! まだ説明してない!」
「説明を聞く前から、君の顔に値上げと書いてある」
「そんな馬鹿な!」
ミハイルは自分の顔を両手で触った。
「どこだ? 額か? 頬か? まさか鼻の横に小さく……」
「顔に書いてあるわけじゃない。君の考え方が分かりやすいだけだ」
「それは営業担当として長所では?」
「長所になる場面もある。今は短所だ」
ミハイルは納得できない顔をした。
「でも、材料費も人件費も配送費も増えてるんだろ? だったら値上げすれば解決じゃないか!」
「値上げで解決する問題もある。ただし、値上げしたら客が今までと同じ数を買ってくれるとは限らない」
「……買ってくれなくなる?」
「そうだ。価格が上がれば、別の商品に切り替える客もいる。買う量を減らす客もいる」
「じゃあ、値上げした瞬間に売上が下がる可能性も?」
「ある」
「そ、それは困る!」
ミハイルは頭を抱えた。
「値上げは駄目、値下げも駄目。いったい僕たちは、どうやって商売をすればいいんだ!」
「商売をやめる前提で話を進めるな」
アルトは立ち上がった。
「まずはロベルトさんのところへ行こう。値上げできない理由も、こちらの負担も、両方確認する」
「分かった! 僕も同行する!」
「頼むから、道中で勝手に新価格を発表するなよ」
「そんなことするわけないだろ!」
ミハイルは力強く答えた。
そして事務所を出る直前、振り返った。
「ちなみに、値上げ案は僕の個人的な意見だからな!」
「もう誰も聞いてないぞ」
◇
ロベルトの商店に到着すると、彼は帳簿を広げて待っていた。
「来てくれて助かる。前回の商品はよく売れた。客からも評判がいい。だから、次はもう少し多く仕入れたいんだ」
「ありがとうございます。ただ、前回は追加注文への対応で、製造と配送に普段以上の負担がかかりました」
アルトは率直に伝えた。
「こちらも無理なく続けられる形にしたいと思っています」
「もちろんだ。だが、店頭の価格は簡単には変えられない」
ロベルトは帳簿の一部を指で押さえた。
「うちの店は街道沿いに何軒かある。どの店も旅人が主な客だ。少し値段を上げれば、隣の店や別の商品に流れる客もいる。特に、いつも買ってくれる常連には、急な値上げをしたくない」
「なるほど。お客さんとの信頼を守りたいわけですね」
「そういうことだ。売上が伸びたからといって、すぐ値段を上げるのは避けたい」
横で聞いていたミハイルが、真剣な顔でうなずいた。
「分かりました。では、値段は据え置きで、商品の大きさを半分にしましょう!」
「おい」
アルトが即座に止めた。
「な、何だよ。値段を変えずに利益を守る方法だぞ?」
「客に説明せずに量を減らしたら、信頼を守るどころか失うだろう」
「じゃあ、説明してから半分に……」
「そういう問題じゃない」
ロベルトが吹き出した。
「ははは! 君のところの若い営業は、なかなか大胆だな!」
「大胆というより、思いついたことを口に出す速度が、考える速度を追い越しているんです」
「それは大変だな」
「ええ。毎日、追いかける側も大変です」
「二人とも、本人がいる前で何の話をしているんだ!」
ミハイルは抗議した。
だが、ロベルトは楽しそうだった。
「いや、面白い。商売の相談なのに、退屈しないな」
アルトは内心で少し安心した。
商談では、正しいことを言うだけでは足りない。
相手が本音を話しやすい空気をつくることも大切だ。
ただし、ミハイルのような人材を空気づくりの担当にすると、予想外の方向へ場が盛り上がる。
そこだけは、今後も慎重に管理する必要がある。
「では、値段を変えずに利益を守る方法を考えましょう」
アルトは帳簿を見ながら続けた。
「まず、前回の追加注文で、どこに余計な手間がかかったのかを整理します」
「製造と配送だな」
「はい。エルダには、追加分を作るために普段とは違う段取りをしてもらいました。バルンにも、配送の順番を組み直してもらいました」
「確かに。追加分が入るたびに、予定を調整することになった」
「ならば、注文の受け方と配送の組み方を変えられないか、試す価値があります」
アルトは紙に三つの項目を書いた。
一つ目。注文を確定する期限を決める。
二つ目。複数店舗の注文をまとめて製造する。
三つ目。配送先と納品時間を、できる範囲でまとめる。
「例えば、前日の夕方までに通常注文を確定してもらう。その数量をもとに、エルダが製造計画を立てる。複数店舗で同じ商品が必要なら、製造の段取りをまとめられるか確認する」
「なるほど。毎回、少しずつ作るより効率がよくなるかもしれないな」
「はい。ただし、実際にどれだけ手間が減るかは、エルダに確認しないと分かりません」
「そして配送も、店舗ごとの注文をまとめて運ぶわけか」
「そうです。ただ、無理に一度に運ぼうとして納品が遅れたら本末転倒です。バルンの運べる量と時間を確認して、現実的な範囲で組みます」
ロベルトは紙をのぞき込んだ。
「つまり、商品の値段を変える前に、こちらとそちらの仕事の無駄を減らすんだな」
「そのとおりです。ただし、すべての負担がなくなるわけではありません。改善できる部分と、どうしても必要な費用を分けて考えます」
「よし。まずは試してみよう」
話がまとまりかけた、そのときだった。
ミハイルが勢いよく手を挙げた。
「僕からも提案があります!」
アルトは嫌な予感を覚えた。
「……何だ?」
「注文の確定期限を前日の夕方にするなら、期限を過ぎた注文には追加料金をいただきましょう!」
ロベルトが目を丸くした。
「追加料金?」
「はい! 急な注文は手間がかかるんですから、当然です!」
ミハイルは自信満々だった。
「急ぎの注文を減らせますし、どうしても急いでほしいお客様からは追加料金をいただけます。まさに一石二鳥!」
アルトは腕を組んだ。
「考え方としては、検討する価値がある」
「ほら! 僕の案が認められた!」
「最後まで聞け。条件を決めずに導入したら問題が起きる」
「条件?」
「急な注文なら何でも追加料金、というわけにはいかない。こちらの都合で遅れた場合まで客に請求するのか?」
「そ、それは……」
「通常注文の期限をいつにするか。追加料金が発生するのはどんな場合か。追加料金を払っても対応できない注文はどうするか。先に決めておく必要がある」
ミハイルは口を閉じた。
ロベルトがうなずく。
「それなら理解できる。急な注文を受けてもらえると助かる場面はある。ただ、毎回料金が変わると、店の帳簿も面倒になる」
「でしたら、通常注文と急ぎの注文を分けて、条件を明記しましょう。急ぎの注文は、製造と配送の余裕がある場合だけ受ける。追加料金も、実際に増える手間や費用を確かめてから設定します」
「よし。それなら、うちの店でも説明できそうだ」
ミハイルは再び胸を張った。
「つまり、僕の提案が採用されたということだな!」
「条件を付けて検討することになったんだ」
「営業の世界では、それを第一歩と呼ぶ!」
「都合のいい言葉を覚えたな……」
◇
商店を出たあと、アルトたちは製造所へ向かった。
エルダは作業台の前で、次の製造に使う材料を確認していた。
「注文の受け方を変えて、まとめて作る方法を試したい?」
「そうです。前回の追加注文で、普段とは違う段取りが増えたと聞きました」
エルダは少し考えてから答えた。
「確かに、途中で追加分を入れると、材料を取り出し直したり、作業台を片づけたりする回数が増える。ただ、同じ商品をまとめて作れば必ず効率が上がる、とも限らないわ」
「どういうことですか?」
「一度に作る量が増えれば、置き場所も必要になる。完成した商品を冷ます場所や、包む作業の順番も考えないといけないから」
「なるほど。製造量だけを増やせばいいわけじゃないんですね」
「そういうこと。材料を取りに行く回数が減っても、置き場所が足りなければ、今度は商品を動かす手間が増える」
エルダは作業台の横に置かれた箱を指さした。
「ほら、ここ。前回は追加分を置くために、完成した商品をいったん別の場所へ移したの。あれも時間がかかったわ」
アルトはメモを取った。
製造の効率を上げるには、単純に作業をまとめるだけでは不十分だ。
材料の準備、作業台の使い方、完成品の置き場所まで含めて考える必要がある。
「では、次回は通常注文の数量を先に確定して、追加分を別枠にしましょう。追加分は、作業場所に余裕がある場合だけ対応する形で」
「それなら試せそうね。まずは普段の注文で必要な量を確実に作って、そのあと余力を確認するわ」
そこへミハイルが、箱を抱えてやってきた。
「エルダ! 僕も効率化のために考えてきたぞ!」
「何を?」
「箱を積み上げれば、置き場所が二倍になる!」
沈黙が落ちた。
エルダは箱を見た。
アルトも箱を見た。
ミハイルだけが、誇らしげに笑っていた。
「……ミハイル」
「何だ?」
「その箱、中身は何だ?」
「商品だ!」
「完成品か?」
「もちろん!」
「それを積み上げて、下の箱の商品が潰れたらどうする?」
「…………」
「箱を積むのが悪いわけじゃない。積める箱なのか、何段まで大丈夫なのか、先に確認しないといけないんだ」
ミハイルはそっと箱を床に下ろした。
「僕の効率化案は、商品を潰す危険性があった……」
「正確には、確認を省いたことが危険だったんだ」
「分かった。今後は箱を積む前に、箱に相談する!」
「箱は返事をしないぞ」
「では、箱の製造担当者に相談する!」
「それなら正しい」
エルダが笑った。
「ミハイル、あなた、たまに惜しいところまで行くのよね」
「たまにじゃない! いつも惜しいんだ!」
「惜しいのに、どうして毎回着地地点が変わるのかしら」
アルトはメモの端に書いた。
――改善案は、実行する前に安全性と現場の条件を確認すること。
そして、その下に小さく付け加えた。
――ミハイルの案は、本人が実演する前に確認すること。
◇
最後に向かったのは、配送の準備場所だった。
バルンは荷車の車輪を点検していた。
「配送をまとめる話か。確かに、前回は予定を組み直す回数が多かった」
「店舗ごとの注文をまとめられれば、配送の負担を減らせるかもしれません。ただ、納品時間を守ることが前提です」
「そうだな。荷車に積める量にも限りがある。荷物を増やせば、どこかの店への到着が遅れる可能性もある」
バルンは荷車の荷台を指で叩いた。
「それに、同じ道沿いの店でも、受け取れる時間が違う。店主が外出している時間に着いても、荷物を渡せないことがある」
「では、注文数だけでなく、受け取り可能な時間も一緒に確認しましょう」
「それがいい。配送先をまとめるなら、店の場所だけじゃなく、受け取りの条件も必要だ」
ミハイルが荷車をのぞき込んだ。
「荷車をもう一台増やせば、全部解決するんじゃないか?」
「荷車を買う金は誰が出すんだ?」
バルンの問いに、ミハイルは即答した。
「……ロベルトさん?」
「商談相手に、まだ決まっていない設備投資を押しつけるな」
「じゃあ、僕が買う!」
「君に買えるのか?」
「…………」
ミハイルは荷車の車輪を見つめた。
「まずは、車輪の値段を調べるところから始めようと思う」
「そうしてくれ」
アルトは笑いをこらえながら、バルンの話をまとめた。
次回は、店舗ごとの注文数と受け取り時間を事前に確認する。荷車に積める量と配送に必要な時間を計算し、無理のない範囲で配送先を組み合わせる。
それでも運べない場合は、配送日を分けるか、注文数を調整してもらう。
無理に一度で運ぶことが、必ずしも効率的とは限らない。
「これで、値上げをせずに利益を守るための準備はできそうですね」
アルトが言うと、バルンはうなずいた。
「ただ、実際にどれだけ負担が減るかは、やってみないと分からない」
「ええ。だから、次回は試験的に実施します。製造にかかった時間、配送にかかった時間、追加対応の回数を記録して、前回と比較しましょう」
「数字を見れば、何が改善したか分かるわけだな」
「はい。改善しなかった部分は、別の方法を考えます」
そのとき、ミハイルが真剣な顔で口を開いた。
「つまり、値上げしないためには、僕たちが今まで以上に頑張ればいいんだな!」
「違う」
アルトは即座に否定した。
「えっ?」
「頑張ること自体を目的にするな。無理を続ければ、いずれ誰かが倒れる。必要なのは、同じ人数と設備で、無駄な負担を減らせる方法を探すことだ」
「でも、頑張らなかったら改善できないだろ?」
「改善するための努力は必要だ。ただし、毎回残業したり、急な注文に無理して対応したりすることを、努力と呼んで正当化してはいけない」
ミハイルはゆっくりとうなずいた。
「……なるほど。無理をするのではなく、無理をしなくても回る仕組みを作るのか」
「そういうことだ」
「よし! では、僕も無理をしない仕組みを考えよう!」
「まずは、思いついたことを全部口に出す前に三秒考える仕組みから始めてくれ」
「三秒も!?」
「商談中に一回試してみろ」
「三秒間、黙る……。難易度が高すぎる!」
バルンが笑い、エルダも笑った。
アルトも、さすがに笑わずにはいられなかった。
ただし、ミハイルが本当に三秒黙れるかどうかは、次の商談で検証する必要がある。
おそらく、製造や配送の効率化より難しい。
◇
夕方、アルトは今日集めた情報を一枚の計画書にまとめた。
値上げを急がず、まずは注文の確定期限を設定する。製造は通常注文を優先し、まとめられる作業を整理する。配送は店舗の受け取り時間と荷車の積載量を確認して組み直す。
急ぎの注文については、対応できる条件と追加費用の考え方を整理する。
そして、実施後には製造時間、配送時間、追加作業の回数、売れ残りの数量を確認する。
これらの数字を比べれば、どこに改善の効果があったのか、どこにまだ負担が残っているのかが見えてくるはずだ。
「これで、次の市場に向けた準備は整ったな」
アルトが書類を閉じると、ミハイルが横からのぞき込んだ。
「アルト、ひとつ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「もし改善して、利益が増えたら……その分、僕たちの給料も上がるのか?」
「まだ改善できるかどうかも分からない段階で、給料の話か」
「大切なことだろ! 僕だって将来設計があるんだ!」
「どんな将来設計だ?」
「まず給料が上がる。次に立派な服を買う。その次に、もっと立派な服を買う!」
「服以外の計画は?」
「……靴も買う!」
「壮大だな」
「だろう!?」
アルトはため息をついた。
「利益が増えたとしても、その分がすべて自由に使えるわけじゃない。材料の仕入れ、設備の維持、急なトラブルへの備えも必要だ。給料を上げられるかどうかは、継続して利益を出せるかを見てから判断する」
「つまり、僕の立派な服は保留か……」
「今の服が破れていないなら、まだ着られるだろ」
「この服は、僕の成長に追いついていない!」
「服のせいにするな。君の腹が成長している可能性もある」
「そんなはずはない!」
ミハイルは腹を引っ込めた。
その姿を見ながら、アルトは思った。
値上げをしなければ利益が守れない、というわけではない。
注文の受け方を整え、作業の無駄を減らし、配送を現実的に組み立てる。それだけでも、改善できる部分はあるかもしれない。
もちろん、工夫だけで解決できない費用もある。
だからこそ、数字を確認し、実際に試し、結果を見て判断する。
そして、利益を守ることと、顧客との信頼を守ることを、どちらか一方の犠牲で成り立たせない。
それが、長く続く商売につながる。
「よし。次の市場では、この計画を試そう」
アルトが言うと、ミハイルは勢いよく立ち上がった。
「分かった! 僕は三秒黙る練習をする!」
「今からか?」
「もちろん!」
ミハイルは口を閉じた。
一秒。
二秒。
三秒。
アルトは驚いた。
ミハイルが、本当に三秒黙ったのだ。
ところが、四秒目。
「……アルト! 今の僕、すごくなかったか!?」
「四秒目に自分で台無しにしたな」
「しまった!」
事務所に、今日一番大きな笑い声が響いた。
利益を守る方法は、まだ試験段階だ。
だが少なくとも、明日の仕事が少しだけ楽しくなる方法なら、すでに見つかっているのかもしれなかった。
営業メモ ②③③
値上げをせずに利益を守りたいときは、まず仕事の流れを確認する。注文の確定期限を決める、同じ作業をまとめる、配送先と受け取り時間を調整するなど、無駄な負担を減らせる余地があるかを探す。
ただし、改善案は実行してみなければ効果が分からない。製造時間、配送時間、追加作業の回数、売れ残りなどを記録し、実施前後を比較する。改善できる費用と、事業を続けるために必要な費用を分けて考えることが大切だ。
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次回予告
第二百三十五話 営業課長、便利な仕組みが新たな負担を生む
注文の確定期限と配送計画を見直し、次の市場に向けて動き出したアルトたち。
ところが、便利にするために作った新しいルールが、思わぬところで店主たちの負担になってしまう。
効率化のはずが、なぜか書類だけが増えていく。
ミハイルは「書類を減らすための書類」を作り始め、アルトは頭を抱えることになる。




