第二百三十三話 営業課長、売上だけでは見えない利益を追う
「課長! 大成功です!」
朝一番、ミハイルが事務所に飛び込んできた。
アルトは書類から顔を上げる。
「ほう。今度は何をやらかした?」
「第一声がひどくありませんか!?」
「前回までの実績を考慮した、適切な初期対応だ」
「僕の実績を、そんな方向で活用しないでください!」
ミハイルは頬を膨らませながら、一枚の集計表を机に置いた。
「見てください! 先日の市場の売上です! 予想以上に売れました!」
「おお、これは確かに伸びたな」
アルトは集計表に目を通した。
市場に近い二店舗では、当初の予測を上回る販売実績が出ていた。追加注文も入り、第一便だけでは足りなかった商品を、対応可能な範囲で補充できた。
ロベルトからも、次回の市場に向けて取引を増やしたいという連絡が届いている。
数字だけを見れば、成功と言っていい結果だった。
ミハイルは胸を張った。
「これなら、次回はもっと大量に注文を受けられますね!」
「その前に、利益を確認しよう」
「……利益?」
「そうだ。売上が増えたなら、利益も増えたのか。それを調べる」
アルトは集計表の横に、別の帳簿を置いた。
材料費、製造にかかった費用、追加配送の費用、受け渡しに必要だった人手。
売上を作るために、どれだけの費用がかかったのか。
それを確認しなければ、本当の成果は分からない。
ミハイルは帳簿を覗き込んだ。
「課長、売上が増えたのに、どうしてそんなに難しい顔をしているんですか?」
「売上が増えたからだ」
「えっ?」
「増えた売上が、ちゃんと利益につながっているか確認する必要がある」
「でも、たくさん売れたんですよ?」
「お前は昨日、昼食を二人分食べたら、食費が二倍になっただろう」
「はい! お腹いっぱいで幸せでした!」
「では、食費が二倍になった分、給料も二倍になったか?」
「……なってません」
「商売も同じだ。売上が増えても、それ以上に費用が増えたら、利益は減ることがある」
ミハイルは、集計表と帳簿を交互に見た。
「つまり……僕たちは、たくさん売ったことに浮かれている場合じゃない?」
「浮かれるのは構わない。ただし、計算してから浮かれよう」
「浮かれるにも事前確認が必要なんですか!?」
「営業課長としては、浮かれ方の改善も検討したいところだな」
「そんな業務改善、聞いたことありません!」
アルトは笑いながら、帳簿を開いた。
ここからが、本当の振り返りだった。
◇
まず、アルトはエルダを訪ねた。
「先日の市場向けに、追加で作った分の費用を確認したいんです」
エルダは製造記録を取り出した。
「材料費は、予定していた範囲に収まったわ。ただ、追加分を作るために、いつもの製造予定を少し組み替えたの」
「既存の注文に影響はありませんでしたか?」
「納品は守れたわ。でも、作業の順番を変更した分、準備と片付けの手間が増えた。普段より時間もかかっているわね」
アルトは記録帳に書き込んだ。
「追加分の材料費だけでなく、製造の段取りを変更した手間も考える必要がありますね」
「そういうこと。材料が足りているからといって、追加生産が無料でできるわけじゃないわ」
そこへ、ミハイルが口を挟んだ。
「でも、エルダさん! 材料が残っていたなら、追加分はお得だったんじゃないですか?」
「ミハイル。材料が残っていることと、作業の手間がかからないことは別だぞ」
「なるほど……。材料は無料で働いてくれないんですね」
「材料は働かないわよ」
エルダが即座に返した。
アルトは吹き出した。
「確かに、材料に残業代を払う必要はないな」
「課長まで!」
エルダは笑いながらも、製造記録を指差した。
「ただし、今回の追加生産は悪いことばかりじゃなかったわ。作業の順番を工夫すれば、次回はもう少し効率よく作れる可能性がある。今回の記録を残しておけば、次の計画に生かせるわね」
「ありがとうございます。追加生産の費用と、改善できる作業を分けて整理します」
アルトは、今回の費用を単に失敗として扱うつもりはなかった。
急な追加注文に対応したことで、どこに余分な手間が発生するのかが見えた。
それは、次回の生産計画を改善するための情報でもある。
ただし、改善できるからといって、今回の費用がなかったことになるわけではない。
そこは、きちんと計算する必要があった。
◇
次に、アルトはバルンのもとへ向かった。
「先日の追加配送について、費用と作業時間を確認させてください」
バルンは配送記録を広げた。
「追加分を届けるために、予定していた順番を変更した。移動距離が極端に増えたわけじゃないが、積み直しと荷下ろしの回数が増えている」
「その分、時間もかかりましたか?」
「当然だ。荷車は、商品を載せれば勝手に目的地へ走ってくれるわけじゃないからな」
ミハイルが、はっとした顔をした。
「そうか! 荷車にも働いてもらうには、人間が必要なんですね!」
「当たり前だ!」
バルンが叫んだ。
「ミハイル、お前は荷車を何だと思っているんだ?」
「優秀な配送担当です!」
「俺の仕事を奪うな!」
アルトは腹を抱えて笑いそうになったが、何とかこらえた。
「では、追加配送にかかった時間と、通常配送への影響を記録しておきましょう。次回、同じ規模の注文が来たとき、どのくらい余裕を見ておくべきか判断できます」
「それなら助かる。追加注文を受けること自体は構わない。ただ、毎回その場で配送順を組み直していたら、いつか無理が出る」
「そのとおりです。追加注文を受ける基準に、配送の余裕も組み込みましょう」
バルンは頷いた。
今回、追加配送によって得られた売上は確かにある。
しかし、その売上を得るために、通常より多くの作業が必要になっていた。
もし、その手間を無視してしまえば、同じ注文を繰り返したときに、現場の負担ばかりが増えてしまう。
アルトは配送記録を受け取り、事務所へ戻った。
◇
事務所に戻ると、ミハイルが机の上に数字を並べていた。
「課長! 僕も計算してみました!」
「おお、やる気があるな。どんな計算だ?」
「今回の売上は、前回より大きく増えました!」
「それは分かった。費用は?」
「……まだです!」
「では、何を計算した?」
「売上が増えた喜びです!」
「それは計算できない」
「心の中では、かなり大きな数字ですよ!」
「帳簿に書くなよ」
アルトは笑いながら、必要な記録を机の上に並べた。
ロベルトの店舗ごとの売上。追加分の販売数量。エルダの製造記録。バルンの配送記録。受け渡しに必要だった作業の記録。
さらに、商品が残った店舗についても確認する必要がある。
売れた店舗の利益だけを見ても、取引全体の成果は判断できないからだ。
「ミハイル。今回は、売れた店舗だけでなく、商品が残った店舗も含めて確認するぞ」
「売れなかった店まで計算するんですか?」
「もちろんだ。商品を作るために費用がかかっている。売れ残った分があるなら、その扱いも考えなければならない」
「でも、次の市場で売ればいいんじゃないですか?」
「品質を保てる商品なら、次回販売できる可能性はある。だが、すべての商品が同じように扱えるわけじゃない。保管できる期間や状態を確認してから判断する必要がある」
ミハイルは、今度はすぐに反論しなかった。
「……売れ残った商品も、売れたことにして計算してはいけないんですね」
「そうだ。売上と在庫は別だ。まだ売れていない商品を、売上として数えることはできない」
「なるほど……。僕の昼食も、食堂に注文しただけでは、食べたことにならないんですね」
「食べる予定まで売上計上するな!」
ミハイルは大笑いした。
アルトも笑ったが、頭の中では数字を整理し続けていた。
売上は、商品の販売によって得られた金額。
利益を考えるには、そこから材料費や製造費、配送費など、取引に必要だった費用を差し引かなければならない。
そして、売れ残った商品があるなら、その数量と今後の扱いも明確にする。
単に売上の大きさを競うのではなく、取引全体で何が残ったのかを見る。
それが、次の注文を判断するための土台になる。
◇
午後、ロベルトが事務所を訪れた。
「アルト、先日の市場は助かった。追加分にも対応してもらえたし、各店舗からも好評だったよ」
「ありがとうございます。こちらも、今回の結果を確認しているところです」
「次回は、もう少し多めに注文したいと思っている」
ミハイルが、勢いよく身を乗り出した。
「ありがとうございます! ぜひ、十倍でお願いします!」
「ミハイル」
アルトの声が低くなった。
「はいっ!」
「今、誰が注文数量を決めると言った?」
「……ロベルトさんです」
「そのとおりだ。勝手に十倍にするな」
「でも、大きな注文は嬉しいじゃないですか!」
「嬉しいことと、対応できることは別だ」
ロベルトは声を上げて笑った。
「いや、元気があっていいな。だが、私も十倍を注文すると約束したわけではないぞ」
「そ、そうですよね! では、まず五倍から……」
「ミハイル!」
「はい! 数字を勝手に決めません!」
アルトはロベルトに向き直った。
「次回の数量については、今回の販売実績と費用を確認してから、改めて相談させてください。売れた数量だけでなく、追加製造や配送にかかった費用も整理したうえで、無理なく継続できる計画を提案したいと考えています」
ロベルトは満足そうに頷いた。
「それでいい。売上を増やすことだけを考えて、こちらもそちらも苦しくなったら意味がないからな」
「ありがとうございます。次回は、店舗ごとの販売予測と、対応に必要な費用を合わせて検討します」
「期待しているよ」
ロベルトが帰ったあと、ミハイルは少し考え込んでいた。
「課長。僕、今まで売上が増えれば、商売は成功だと思っていました」
「売上は大事だ。だが、それだけでは十分じゃない」
「今回みたいに、たくさん売れても、そのために費用が増えていたら……」
「そうだ。利益がどれだけ残るかを確認しなければならない。それに、利益が出たとしても、無理な働き方を続けなければ成り立たないなら、長く続けるのは難しい」
ミハイルは、集計表を見つめた。
「じゃあ、次回は、売上を増やすだけじゃなくて、同じ売上でも、もっと効率よくできないか考えるんですね」
「そのとおりだ。例えば、追加注文の締め切りを明確にする。製造の順番を工夫する。配送の経路を整理する。そうした改善で、費用や手間を抑えられる可能性がある」
「なるほど……」
ミハイルは、何かを思いついたように顔を上げた。
「課長! 僕、いい方法を思いつきました!」
「今度は何だ?」
「追加注文を全部、前日に受け付ければいいんです!」
「それができるなら苦労しない」
「ええっ!?」
「市場当日の売れ行きは、前日に完全には分からない。前日に確定できる分と、当日の状況を見て判断する分を分ける必要があるんだ」
「そうでした……。やっぱり、商売は難しいですね」
「だから面白いんだろう」
アルトは笑った。
正解を一つ見つければ、すべての問題が消えるわけではない。
今回うまくいった方法が、次回もそのまま通用するとは限らない。
だからこそ、結果を記録し、費用を確認し、改善できるところを探す。
それを繰り返すことで、商売は少しずつ強くなっていく。
◇
夕方。
アルトは、今回の市場の振り返りをまとめた。
売上が伸びた店舗では、どの商品が、どの時間帯に売れたのか。
追加注文によって、どれだけ販売機会を増やせたのか。
その一方で、追加製造や配送にどれだけの手間と費用がかかったのか。
そして、商品が残った店舗では、次回に向けて何を変えるべきなのか。
これらを一つずつ整理していく。
まだ、すべての利益が確定したわけではない。
売れ残った商品の扱いも、追加費用の細かな集計も残っている。
だが、今回の結果を正しく把握できれば、次回の注文数量をより現実的に決められるはずだった。
「課長、今日のまとめはどうなりましたか?」
ミハイルが尋ねた。
「売上は増えた。だが、追加製造と配送に手間がかかっている。店舗によって販売結果にも差がある。次回は、その三つを踏まえて計画を立て直す」
「つまり、売上だけを見て喜んではいけない、と」
「喜ぶなとは言っていない」
「えっ?」
「売れたら喜べ。商売なんだからな。ただし、喜んだ後に計算しろ」
ミハイルは、ぱっと笑顔になった。
「分かりました! まず喜んで、その後に計算ですね!」
「そうだ」
「では、僕の昼食代も、まず食べて喜んで、その後に計算します!」
「自腹だと言っただろう!」
「喜ぶところまでは自由ですよね!?」
「その自由を、なぜ毎回昼食に使うんだ!」
事務所に、また笑い声が響いた。
アルトは笑いながら、最後の記録を書き終えた。
今回の市場は、成功だったのか。
売上だけを見れば、間違いなく前進している。
だが、本当に成功と呼べるかどうかは、費用と売れ残りを含めた結果を確認してから判断する必要がある。
そして、その数字を次の計画に反映させることができれば、今回の経験は、次の商売を支える力になる。
アルトは記録帳を閉じた。
「さて、次は店舗ごとの利益を整理して、どの注文を増やすべきか考えるか」
「課長! 僕も手伝います!」
「よし。まずは、この集計表を店舗ごとに分けてくれ」
「はい!」
ミハイルは張り切って紙束を受け取った。
ところが、数分後。
「課長……」
「どうした?」
「店舗ごとに分けたんですが、僕の昼食の領収書が混ざっていました」
「なぜだ!」
「必要経費になるかと思って……」
「ならない!」
「営業課長の承認が必要だと思いまして!」
「却下だ!」
今日もまた、アルトの事務所には笑いが絶えなかった。
ただし、帳簿の数字だけは、笑ってごまかすわけにはいかない。
次の市場では、売上だけでなく、利益まで見通した計画が求められる。
そして、その計画を立てるためには、まだ確認しなければならない数字が残っていた。
営業メモ ②③②
売上の増加が、そのまま利益の増加につながるとは限らない。材料費や製造にかかった手間、追加配送費、売れ残りなどを確認し、取引全体でどれだけ利益が残ったかを把握する。売上・費用・在庫を分けて記録し、次回の数量や配送計画に反映する。売上を伸ばすだけでなく、無理なく利益を残せる仕組みを作ることが重要である。
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次回予告
第二百三十四話 営業課長、値上げせずに利益を守る方法を探す
市場の振り返りから、追加注文には通常より多くの手間と費用がかかることが分かった。ミハイルは「値上げすれば解決です!」と自信満々に提案するが、ロベルトには価格を簡単に上げられない事情があった。顧客の信頼を守りながら、利益を確保する方法はあるのか。




