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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第二百三十一話 営業課長、市場当日の想定外に備える


「課長! 大変です!」


 朝っぱらから、ミハイルの声が事務所に響き渡った。


 アルトは書類から顔を上げた。


「どうした。ロベルトさんの注文が十倍になったか?」


「まだ市場も始まってませんよ!」


「じゃあ、九倍か?」


「注文の倍率から離れてください!」


 朝から元気な部下である。


 できれば、その元気を仕事の確認にも使ってほしい。


「で、何が大変なんだ?」


「市場当日の準備です! もし注文が殺到したら、どうしましょう?」


「いい質問だな」


「ですよね!」


「その前に、昨日渡した確認表は?」


「持ってます!」


「中身は確認したか?」


「……持ってます!」


「質問の答えになってないぞ」


 ミハイルは、胸元から折り目だらけの紙を取り出した。


 そこには、数量、納品時刻、連絡先、追加注文の締め切りが記載されている。


 ただし、紙の端には大きな文字で、こう書かれていた。


 『売れたら、いっぱい作る!』


 アルトは無言で紙を見つめた。


「ミハイル」


「はい!」


「これは誰が書いた?」


「僕です! 分かりやすいでしょう?」


「分かりやすいな。仕事の計画としては、驚くほど情報が足りないが」


「ええっ!?」


「いっぱいって何個だ。いつまでに作る。誰が作る。材料はあるのか。運ぶ人間は確保できるのか。受け取る場所は空いているのか」


「……いっぱい、では駄目ですか?」


「お前の給料を『いっぱい』と書いたら納得するか?」


「絶対に嫌です!」


「では、数量を書こう」


 ミハイルは慌てて紙を引き寄せた。


 アルトは苦笑した。


 笑い話にしているが、今日の市場は大事な試験でもある。


 前回までに決めたのは、第一便の確定数量と納品時刻。そして、追加注文を受ける際の確認手順だ。


 だが、計画を立てたからといって、現場がそのとおりに動くとは限らない。


 予想以上に売れるかもしれない。


 反対に、客足が鈍いかもしれない。


 荷車が遅れるかもしれないし、店側の受け取りが予定どおりに進まない可能性もある。


 大切なのは、想定外をすべてなくすことではない。


 想定外が起きたとき、慌てずに判断できるようにしておくことだ。


「ミハイル、今日は三つのことを覚えておけ」


「三つですね! 得意です!」


「本当か?」


「二つまでは!」


「一つ増えただけで危うくなるな」


 アルトは指を一本立てた。


「一つ目。確定した注文を守る」


 二本目。


「二つ目。追加注文は、作れる量と運べる量を確認してから受ける」


 三本目。


「三つ目。予定が変わったら、関係者にすぐ連絡する」


「分かりました! 確定注文、追加注文、連絡ですね!」


「よし。今のところ、三つとも正解だ」


「やりました!」


「では、今からその三つを、実際に使ってみよう」


「……今からですか?」


「市場は待ってくれないからな」


 ミハイルの笑顔が、ほんの少しだけ曇った。


     ◇


 市場の会場に到着すると、すでに多くの商人が店を開き始めていた。


 普段より人通りが多い。


 呼び込みの声が飛び交い、焼きたての商品を求める客が列を作っている。


「課長! すごい人です!」


「そうだな」


「これは売れますよ! 絶対に売れます!」


「その自信を、数量の確認にも向けてくれ」


 ロベルトの店舗では、担当者が第一便の商品を受け取る準備をしていた。


 アルトは納品書と実際の数量を照合し、担当者と一緒に確認する。


「数量、よし。受け取り時刻、記録済み。保管場所も確保できていますね」


「はい。追加分の連絡についても、こちらの担当者が一本化して受けます」


「ありがとうございます。売れ行きが良くても、追加分が必ず届くとは限りません。その点だけは、店の皆さんにも共有をお願いします」


「承知しました」


 そこへ、ミハイルが駆け寄ってきた。


「課長! 隣の店が、うちの商品を見て行列を作っています!」


「うちの商品を買うための行列か?」


「……隣の店の商品を買うための行列です」


「それを先に言え」


「でも、うちの店の前にも人がいます!」


「それはいいことだな」


「しかも、みんな商品を見ています!」


「商品を見ているだけなら、まだ売上はゼロだ」


「営業課長の現実主義が、朝から容赦ない!」


 アルトは笑った。


「だが、客が増えているのは事実だ。ロベルトさんの担当者に、売れた数量を定期的に記録してもらおう。感覚だけで追加注文を決めないためにな」


「分かりました!」


 ミハイルは今度こそ、確認表に目を通してから動き出した。


 少しずつではあるが、成長している。


 ただし、アルトは知っていた。


 部下が成長したと思った瞬間に、妙なことをやらかすのもまた、営業の現場というものだ。


     ◇


 昼前。


 ロベルトの担当者が、急いだ様子でアルトのもとへやってきた。


「アルトさん、追加注文をお願いしたいのですが!」


「数量を確認しましょう。何個必要ですか?」


「まずは、追加で二十個です!」


 アルトは記録帳を開いた。


「現在の販売数は?」


「第一便のうち、かなり売れています!」


「具体的には?」


「ええと……」


 担当者の視線が泳いだ。


 アルトは笑顔のまま、記録帳を閉じた。


「すみません。追加注文の数量を決める前に、現在の販売数と残数を確認してください」


「急いでいるのですが……」


「急いでいるからこそ、確認が必要です。すでに売れた分、店頭に残っている分、予約分を分けてください。二十個という数字が、どこから出てきたのかも知りたいです」


 担当者は一瞬、言葉に詰まった。


 だが、すぐに頷いた。


「分かりました。すぐに確認してきます」


 ミハイルが横から口を挟んだ。


「課長、二十個なら作ってもらえばいいんじゃないですか?」


「作れるかどうかは確認できる。だが、必要かどうかは別の話だ」


「売れているなら、必要なのでは?」


「売れていることと、二十個の追加が必要なことは同じじゃない。店頭に十分な残数があれば、追加しなくてもいいかもしれない。逆に、予約分が残っているなら、早めに補充する必要がある」


「なるほど……」


「それに、二十個を作るために、ほかの確定注文を遅らせるわけにはいかない」


 ミハイルは、真剣な顔で頷いた。


「つまり、追加注文を受ける前に、二十個の身元を確認するんですね!」


「身元?」


「はい! 二十個が何者なのか!」


「数量に身分証明書を求める営業担当は初めて見たぞ」


「課長が確認しろって!」


「必要性と根拠を確認しろと言ったんだ!」


 周囲の商人が、くすくすと笑った。


 アルトも笑いながら、担当者が戻ってくるのを待った。


 しばらくして、担当者は記録を持って戻ってきた。


「確認できました。現在の残数は八個です。昼過ぎに予約分が六個必要になります。午後の販売予測を踏まえると、追加二十個という希望は妥当だと思います」


「ありがとうございます。では、その数量をエルダに確認します。製造可能な時間と、バルンが運べる時間を確認してから、納品の可否をお返事します」


 アルトは追加注文の希望数量を記録し、確認を始めた。


 急いでいるからといって、確認を飛ばさない。


 それが、今日の最初の想定外への対応だった。


     ◇


 ところが、問題はそれだけでは終わらなかった。


 エルダに連絡すると、返事はすぐに返ってきた。


「二十個なら、材料と作業時間を確認すれば対応できる可能性はあるわ。でも、すぐに作れるとは約束できない。今の製造予定を確認してからね」


 バルンにも確認した。


「荷車の空きと配送順を見ないと判断できない。追加分を運べるとしても、何時に届けられるかは別だ」


 アルトは二人の返事を記録し、ロベルトの担当者に伝えた。


「製造と配送の確認中です。納品時刻が決まるまでは、店頭で追加分を確約しないようお願いします」


「分かりました」


 そこまでは順調だった。


 問題は、その直後に起きた。


「課長! 大変です!」


 ミハイルが、今度は紙を振り回しながら走ってきた。


「今度は何だ?」


「ロベルトさんの別の店からも、追加注文が来ました!」


「数量は?」


「十五個です!」


「販売数と残数は確認したか?」


「はい! 担当者に確認してもらっています!」


「よし。では、まだ確定注文にはせず、追加希望として記録しよう」


「分かりました!」


 ミハイルは勢いよく頷いた。


 そして、去り際に付け加えた。


「ちなみに、僕の昼食も追加注文しておきました!」


「誰に?」


「食堂に!」


「今は仕事中だ!」


「でも、午後の判断力を維持するための必要経費です!」


「自腹で払え!」


 市場の喧騒の中に、ミハイルの悲鳴が混じった。


 アルトは笑いながらも、二件目の追加注文を記録帳に書き込んだ。


 追加希望は二十個と十五個。


 だが、まだどちらも確定ではない。


 製造側の対応可能数量、配送の空き、納品時刻、そして既存の注文への影響。


 それらを確認してから、受けられる数量を返答する。


 アルトはエルダとバルンに、二件の希望をまとめて連絡した。


 別々に返事をしてもらうのではなく、全体の予定を見ながら調整するためだ。


 しばらくして、エルダから返事が届いた。


 製造時間と材料の残りを考慮すると、二件とも希望どおりに用意できるとは限らないという。


 バルンからも、配送順によっては納品時刻の調整が必要だと連絡があった。


 アルトはすぐにロベルトの担当者へ状況を伝えた。


「現在、二件の追加希望をまとめて確認しています。数量と納品時刻を調整し、対応可能な内容をご連絡します」


 担当者は少し焦った様子だったが、やがて頷いた。


「分かりました。こちらも、各店の残数と販売状況を確認します」


 その返答を聞き、アルトは小さく息を吐いた。


 問題が起きたこと自体は、失敗ではない。


 予定どおりにいかないとき、誰にも知らせずに抱え込むこと。できない約束をしてしまうこと。確認せずに現場へ無理を押しつけること。


 そうした対応こそが、後から大きな問題になる。


     ◇


 午後。


 製造側と配送側の確認が終わり、アルトはロベルトの担当者と追加分の調整を行った。


 第一の店には、予約分を優先したうえで、対応可能な数量を納品する。


 第二の店については、残数と販売状況を再確認し、必要な数量と納品時刻を改めて合意する。


 どちらの店にも、希望した数量をそのまま約束することはしなかった。


 その代わり、確実に届けられる数量と時刻を明確に伝えた。


 ロベルトの担当者は、最終的な内容を記録帳に書き込んだ。


「最初は、追加注文を断られるのではないかと思っていました」


「断ることが目的ではありません。無理な約束をして、結局届けられない事態を避けたいんです」


「なるほど。希望を聞いたうえで、実行できる形に調整するわけですね」


「はい。売りたい気持ちと、実際に届けられる能力。その両方を考える必要があります」


 担当者は納得したように頷いた。


 ミハイルも、横で真面目に聞いていた。


「課長。今日、分かったことがあります」


「何だ?」


「追加注文って、受けるか断るかの二択じゃないんですね」


「そうだ。数量を分ける、納品時刻を調整する、別の日に届ける。条件を変えることで、対応できる場合もある」


「なるほど……」


 ミハイルは、手元の確認表に何かを書き込んだ。


 アルトが覗き込むと、そこにはこう書かれていた。


 『困ったら、課長に相談する!』


「……ミハイル」


「はい!」


「それは間違いではない」


「やった!」


「だが、その前に確認できることは確認しろ」


「はい!」


「あと、俺の昼食の追加注文は取り消しておけ」


「ええっ!? あれは午後の判断力を維持するための必要経費なのに!」


「お前の判断力は、昼食一つで左右されすぎだ!」


 今度は、ロベルトの担当者まで声を上げて笑った。


 市場の騒がしさに負けない、賑やかな笑い声だった。


 アルトは、その光景を見ながら思った。


 今日の計画は、すでに何度か変更された。


 それでも、確定した注文は守り、追加注文は確認してから調整し、関係者への連絡も途切れさせなかった。


 予定が崩れたときこそ、仕組みの価値が分かる。


 そして、どれだけ仕組みを整えても、現場には予想外がやってくる。


 だからこそ、次に必要なのは、問題が起きた後の対応だけではない。


 問題が起きる兆候を早く見つけ、被害が広がる前に動く仕組みだった。


 アルトは記録帳を閉じた。


「さて、ミハイル。今日の追加注文について、あとで振り返りをするぞ」


「はい! 僕、かなり成長しましたよね?」


「そうだな。昼食を経費にしようとした点以外は」


「そこ、まだ言います!?」


「営業メモに書いておこうか」


「それだけは勘弁してください!」


 ミハイルの必死な声に、アルトは笑った。


 市場はまだ終わっていない。


 だが、今日の経験は、次の商売を支える材料になる。


営業メモ ②③⓪


想定外が起きたときは、まず確定した注文を守り、追加希望は確定注文と分けて管理する。販売数・残数・予約分を確認し、製造能力と配送能力を照合したうえで、対応できる数量と納品時刻を顧客と合意する。状況が変わったら関係者へ早めに連絡し、変更内容を記録する。計画は変更されることを前提に、判断手順を用意しておく。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第二百三十二話 営業課長、売れ残りの責任を押しつけない


市場が終わり、各店舗の売上と残数が集まり始めた。予想以上に売れた店もあれば、商品を余らせた店もある。ミハイルは売れ残りの原因を一つに決めつけるが、アルトは数字の裏側を調べ始める。売れ残りは、誰か一人の責任なのか。

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