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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第二百三十話 営業課長、大量注文を分割して信頼を守る


 ロベルトから持ち込まれた、通常の五倍という注文。


 その数字だけを見れば、営業課長としては喜ぶべき話だった。


 売上が五倍になるかもしれない。新しい市場で商品が売れれば、今後の取引も大きくなる可能性がある。


 だが、アルトは机の上に広げた販売予測表を見つめ、腕を組んでいた。


「ミハイル。五倍の注文が来たら、どうする?」


「もちろん、五倍売ります!」


「誰が?」


「え?」


「誰が作る? 誰が運ぶ? 誰が受け取る? それから、もし売れ残ったら誰が困る?」


 ミハイルの顔から、営業スマイルが少しずつ消えていった。


「……ええと。順番に考える、でしょうか」


「正解だ。ようやく営業課長の質問に、営業課長らしい答えが返ってきたな」


「今までの僕の答えは、何だったんですか!」


「元気な願望」


「ひどい!」


 アルトは笑いながら、予測表の一部を指で押さえた。


 前回の調査で分かったのは、すべての店が通常の五倍を必要としているわけではない、ということだった。


 市場に近い二店舗は大きく売上を伸ばす可能性がある。しかし、それ以外の店舗は一・五倍程度で足りるかもしれない。


 つまり、ロベルトが希望した五倍という数字は、注文全体の確定数量ではなく、最も景気のいい予測をまとめた数字だったのだ。


「まず、ロベルトさんに確認する。市場当日に絶対に必要な数量と、売れ行き次第で追加したい数量。この二つを分けよう」


「でも、最初から五倍を用意しておけば、売れたときに困らないんじゃないですか?」


「売れなかったときに困るだろう」


「……確かに」


「それに、五倍を作るために、今ある注文を後回しにするわけにはいかない」


 アルトは既存の注文一覧を取り出した。


 すでに約束している納品を守る。それは当たり前のことだ。


 新しい大口注文を優先した結果、以前から取引している顧客への納品が遅れたら、売上は増えても信用は減る。


 信用は、帳簿の数字のように簡単には戻らない。


「よし。ミハイル、ロベルトさんとの打ち合わせに行くぞ」


「はい! 五倍の注文を、きっちり五倍に!」


「違う。必要な分を、必要なときに届けるためにな」


     ◇


 ロベルトの商館では、市場の開催予定と各店舗の販売予測が並べられていた。


「来てくれたか、アルト。こちらも各店から話を聞いた。市場に近い二店舗は、かなり売れそうだ。だが、ほかの店まで同じ勢いになるとは限らん」


「確認できてよかったです。では、まず当日に必ず必要な数量を決めましょう」


 アルトは紙を広げた。


「こちらの案では、各店舗の通常注文と、すでに確定している予約分を優先します。そのうえで、市場当日に必要だと確認できた数量を第一便として納めます」


「追加分はどうする?」


「市場当日の売れ行きを見て、追加の希望数量を連絡していただきます。ただし、連絡をいただいた時点で、製造と配送が可能かを確認します。追加分まで無条件に保証することはできません」


 ロベルトは眉を上げた。


「五倍を注文しているのに、五倍すべてを保証しないということか?」


「はい。お約束できない数量まで、できると言うわけにはいきません」


 ミハイルが隣で、少しだけ背筋を伸ばした。


 以前なら、ここで「何とかします!」と口を挟んでいたかもしれない。


 今回は黙っている。


 成長しているのか、アルトに睨まれるのが怖いだけなのか。


 その判定は、もう少し先に持ち越すことにした。


「なるほどな。では、第一便が売り切れた場合、追加分はいつ届く?」


「それを決めるには、製造に必要な時間と、配送に使える時間を確認する必要があります。追加分の連絡を受けてから、何時までなら当日中に届けられるのか。その締め切りを先に決めましょう」


「締め切りか」


「はい。締め切りを過ぎてから注文を受けても、作れないものは作れません。運べないものは運べません。そこを曖昧にすると、ロベルトさんにも、こちらの職人にも、配送担当にも迷惑がかかります」


 ロベルトはしばらく考えたあと、頷いた。


「分かった。第一便の数量を先に確定する。追加分は、対応可能な範囲で頼むことにしよう」


「ありがとうございます。では、数量と納品時刻を店舗ごとに記録します。追加注文の連絡先も一本化しましょう」


「連絡先まで決めるのか?」


「はい。店ごとに別々の人から連絡が来たら、数量の重複や伝達漏れが起きるおそれがあります。窓口を一つにして、追加注文の内容を記録に残します」


 ロベルトは口元を緩めた。


「商売の話をしているはずなのに、いつの間にか軍の補給計画を聞いている気分になるな」


「食料が届かなければ、軍も商売も困りますから」


「違いない!」


 二人の笑い声が商館に響いた。


 ただし、アルトは笑いながらも、まだ数量を確定させなかった。


 顧客との合意だけでは、納品の約束は完成しない。


 作る側と運ぶ側が、その約束を実行できると確認して初めて、現実の計画になる。


     ◇


 工房に戻ったアルトは、エルダの前に数量表を置いた。


「第一便は、この数量で考えています。すでに受けている注文は、予定どおり優先してください。追加分は別枠です」


 エルダは表を確認し、材料の在庫と製造予定を書き込んだ。


「この第一便なら、今のところ対応できるわ。ただし、追加分を同じ日に作るなら、材料の残りと作業時間を見なければいけない。注文が来たからといって、すぐに増やせるわけじゃないわよ」


「分かりました。追加分は、数量を確認してから返事をします」


「それならいいわ。売れるかもしれないからといって、作る前から材料を使い切るわけにはいかないもの」


 エルダは追加分の欄に、対応可能か確認するための印をつけた。


 次にアルトは、配送担当のバルンを訪ねた。


「第一便の納品時刻を、この範囲で組めますか?」


 バルンは荷車の積載量と既存の配送予定を照らし合わせた。


「この順番なら運べる。ただし、追加分が増えた場合は別だ。積み切れない量を無理に載せたら、荷崩れの危険もある。追加便を出すなら、出発時刻と届け先をもう一度組み直す必要がある」


「追加注文の締め切りも決めたいんです。何時までに連絡があれば、当日配送の可否を判断できますか?」


「その時刻までに数量が確定していれば、確認はできる。ただし、必ず届けられるという意味じゃない。道の状況や荷車の空きもあるからな」


「了解です。『確認できる時刻』と『納品を保証できる時刻』を混同しないようにします」


 バルンは満足そうに頷いた。


「そうしてくれ。俺の荷車は便利だが、分身はできないからな」


「できたら配送費が半分になるのに」


「アルト、お前は便利な能力を何だと思っているんだ」


「経費削減の可能性です」


「その発想、たまに怖いぞ」


     ◇


 最後にアルトは、受け渡し場所となるガルドの店にも確認を入れた。


 大量の商品が一度に届けば、保管場所を圧迫する。受け取りのために人手が必要になれば、店の営業にも影響が出る。


「第一便はこの数量で考えています。受け取りと保管に問題はありませんか?」


 ガルドは店の裏手を確認してから答えた。


「この量なら置ける。ただ、追加分が一度に来ると、店の裏が荷物で埋まる。受け取りの時間も事前に知らせてくれ。客が多い時間帯に荷下ろしが重なると、どちらも中途半端になる」


「分かりました。追加便は数量だけでなく、受け取り時間も確認してから決めます」


「それなら助かる。商品を置く場所がなくて、俺が商品と一緒に店の外へ追い出されるのは勘弁してくれよ」


「その場合、ガルドさんも商品の一部として陳列されることになりますね」


「誰が売り物だ!」


 ミハイルが吹き出した。


 しかし、アルトはガルドの言葉を表に書き留めた。


 製造できる数量。運べる数量。受け取れる数量。


 どれか一つでも欠ければ、納品は成立しない。


 営業の仕事は注文を取るところで終わるのではない。注文が実際に顧客の手元へ届くところまで、責任を持って段取りを整えることなのだ。


     ◇


 その日の夕方、アルトはロベルトの商館へ最終案を持っていった。


「第一便の数量と納品時刻について、製造側、配送側、受け取り側の確認が取れました。こちらが確定した分です」


 ロベルトは表をじっくりと眺めた。


「追加分は?」


「別枠にしています。市場当日の売れ行きと、こちらの対応可能な数量を確認してから決定します。追加注文の窓口はロベルトさんの担当者に一本化し、連絡の締め切りも決めます」


「分かった。第一便はこの条件で頼もう。追加分についても、無理な約束をさせるつもりはない」


 ロベルトは署名し、確定した数量を正式な注文として渡した。


 アルトも受領した内容を記録帳に記入し、数量と納品時刻を読み合わせた。


 これで、最初に届ける分については合意が成立した。


 五倍という大きな数字を、そのまま約束したわけではない。


 確実に届けられる第一便を決め、追加分は条件を確認してから判断する。その仕組みを、ロベルトと共有したのだ。


 帰り道、ミハイルが尋ねた。


「課長。これで五倍の売上になる可能性は残りましたよね?」


「もちろんだ」


「でも、五倍になるとは限らない」


「そうだな」


「じゃあ、注文を取ったときより、売上が減る可能性もありますよね?」


「ある」


 ミハイルはしばらく考え込んだ。


「……営業って、数字を大きくする仕事じゃないんですね」


「数字を大きくするのも仕事だ。ただし、その数字を実現できる仕組みを作らずに約束したら、ただの願望だ」


 アルトは夕暮れの通りを見渡した。


 大口注文は、商売を成長させる機会だ。


 だが、その機会を本当の成果に変えるには、顧客への約束と現場の能力を一致させなければならない。


 無理な約束で一度だけ売上を増やすより、守れる約束を積み重ねて、次の注文につなげる。


 そのほうが、長い目で見れば強い商売になる。


「課長、ひとつ気づきました!」


「何だ?」


「僕が五倍の注文を取ってきても、課長が五倍の確認をするんですね!」


「いや。お前が確認していれば、俺の確認は減る」


「……次から、最初に確認します」


「よし。今日一番の成果だな」


「注文の話じゃなくて!?」


 ミハイルの叫びが、夕暮れの通りに響いた。


 こうして、大口注文の第一便は正式に確定した。


 あとは市場当日、予測と現実がどれほど一致するか。


 そして、予測どおりにいかなかったとき、誰が、何を、どこまで判断できるのか。


 アルトはまだ知らない。


 市場の日には、計画表に書き込めない問題が待ち受けていることを。


営業メモ ②②⑨


大量注文は、顧客の希望数量をそのまま約束するのではなく、「確定して届ける数量」と「条件を確認してから対応する追加数量」に分ける。製造能力、配送能力、受け取り側の保管・人員、既存の注文への影響を確認し、納品時刻と追加注文の締め切りを合意して記録する。売上を増やすことと、守れる約束をすることは、必ず両立させなければならない。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第二百三十一話 営業課長、市場当日の想定外に備える


市場当日。第一便は予定どおり出発した。ところが、現地から届いた報告は、アルトたちの予測とは違うものだった。追加注文を受けるべきか、それとも確定した納品を守るべきか。営業課長の判断が試される。

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