第二百二十八話 営業課長、急な注文を受ける前に顧客を育てる
急な注文に対応する仕組みを整えた翌朝。
私は営業所の机に並べられた注文記録を眺めていた。
昨日は、判断手順を使って追加注文を無事に処理できた。ミハイルも、注文数量だけで判断してはいけないことを理解したようだ。
だが、一つ気になることがあった。
「ミハイル。最近の急な注文を、直近一週間分まとめてくれ」
「はい。昨日のロベルトさんの注文も含めますか?」
「もちろんだ。急な注文として受けたものは全部だ」
ミハイルは記録帳を開き、指で行を追った。
「ええと……。焼き菓子の追加が四件、携帯用保温容器の追加が二件、それから街道沿いの店への納品数量変更が三件です」
「九件か。多いな」
「でも、どれも対応できましたよね?」
「対応できたことと、効率よく対応できたことは別だ」
私は記録帳の横に紙を置いた。
「九件のうち、最初から予定が分かっていれば、急ぎにならなかった注文は何件ある?」
「それは……調べてみないと分かりません」
「そうだな。まず、そこから始めよう」
急な注文は、必ずしも顧客の都合だけで発生するわけではない。
こちらが注文の締め切りや製造予定を十分に伝えていない場合もある。顧客が販売数を予測する方法を知らない場合もある。注文を出す担当者と、実際に商品を使う担当者の間で情報が止まっていることだってある。
もちろん、天候や街道の混雑、突然の催しなど、事前に予測できない事情もある。
すべての急な注文をなくすことはできない。
しかし、予測できる急な注文まで、毎回その場の頑張りで処理する必要はない。
「ミハイル。今日は、お客様のところへ行くぞ」
「急な注文を減らすためですか?」
「そうだ。ただし、最初から『もっと早く注文してください』なんて言うなよ」
「えっ。では、何と言えばいいんですか?」
「それを調べに行くんだ」
ミハイルは、なぜか不安そうな顔をした。
「課長。僕、また余計なことを言ってしまいそうです」
「自覚があるなら、今日は聞くことに専念してくれ」
「はい!」
その返事を聞いて、私は少しだけ不安になった。
元気のよい返事と、余計なことを言わない能力には、何の相関関係もないからだ。
*
最初に訪ねたのは、街道沿いに複数の店を持つ商人、ロベルトだった。
「アルト課長。昨日は助かったよ。おかげで、旅人が増えた時間帯に商品を切らさずに済んだ」
「それはよかった。今日は、注文の仕方について相談があるんです」
「注文の仕方?」
「はい。昨日のように急な追加注文が必要になる理由を、少し教えていただきたいのです」
ロベルトは腕を組んだ。
「そうだな……。旅人の数が読めないことが大きい。普段なら、朝の段階で一日の販売数を予想できる。でも、祭りや市があると、急に人が増える」
「その情報は、いつ頃分かりますか?」
「市の日程なら、数日前には分かることが多い。だが、実際にどれくらい人が来るかは当日にならないと分からない」
「つまり、市の日程は事前に分かるが、販売数は当日まで不確定な部分があるんですね」
「そういうことだ」
私はうなずいた。
すべてを正確に予測する必要はない。
確実に分かる情報と、予測にしかならない情報を分けるだけでも、準備の精度は上がる。
「では、市の日程が分かった時点で、普段より多めに注文することはできますか?」
「できなくはない。ただ、どれくらい増やせばいいか分からないんだ。多く仕入れすぎて売れ残るのも困る」
「なるほど。注文を増やすこと自体が問題なのではなく、増やす数量を決める根拠が足りないわけですね」
「そうだな。こちらも商売だから、余計な在庫を抱えたくはない」
ミハイルが横で大きくうなずいた。
「では、これからは市の前日に、普段の三倍の数量を注文してもらいましょう!」
ロベルトの眉がぴくりと動いた。
「ミハイル君。売れるか分からないのに三倍も仕入れたら、売れ残った商品をどうするんだい?」
「そ、それは……」
「しかも、うちの店は一軒じゃない。店によって客の数も違うんだよ」
「すみません。そこまで考えていませんでした」
私はミハイルに目配せした。
「ロベルトさん。今の話で、もう一つ確認したいことがあります。各店舗の販売数は記録していますか?」
「大まかな記録はある。だが、毎日きちんと比べているわけではないな」
「それなら、まずは直近の販売数を一緒に確認させてもらえませんか。市の日と通常の日で、どの程度違いがあったのか。店ごとの差も見てみたいのです」
「それなら協力できるよ。ただし、販売数が分かったからといって、必ずその数量を買う約束はできない」
「もちろんです。記録を使って予測の精度を上げるための相談です。仕入れ数量は、確認した結果を見て決めましょう」
ロベルトは納得したようにうなずいた。
急な注文を減らしたいからといって、顧客に過剰な仕入れを押しつけるわけにはいかない。
顧客の在庫リスクを増やして、こちらの製造や配達を楽にしたとしても、それは取引全体の改善とはいえないのだ。
*
営業所に戻ると、私はロベルトから聞いた内容を紙にまとめた。
市の日程は事前に分かる。
販売数は当日まで不確定な部分がある。
店舗ごとに客数と販売数が異なる。
仕入れすぎれば、顧客の在庫負担が増える。
「ミハイル。ここから何ができると思う?」
「市の日程を事前に共有してもらって、製造と配達の予定を考えておく……でしょうか?」
「そのとおり。ただし、数量まで確定したことにしてはいけない」
「では、どう分けるんですか?」
「まず、確定している情報と、予測している情報を分ける」
私は紙に二つの欄を作った。
確定情報。
市の開催日、各店舗の通常の販売数、現在の在庫、すでに受けている予約。
予測情報。
市の日の来客数、追加で売れる数量、当日に発生する追加注文。
「確定情報は、計画の土台にする。予測情報は、幅を持たせて考えるんだ」
「幅、ですか?」
「例えば、過去の記録から追加販売数が十個から二十個程度になりそうだと分かったとする。その場合、最初から二十個分を確定注文として扱うのではなく、十個を基本にして、追加分をどう確保するか検討する」
「でも、追加分を作れる余裕がなかったら?」
「その場合は、対応できない可能性を事前に伝える。予約分を守りながら、どこまで追加に応じられるかを確認しておくんだ」
顧客にとって必要なのは、何でも引き受けてくれるという曖昧な安心感ではない。
何が確実で、何が条件次第なのかを理解したうえで、商売の準備ができることだ。
「では、市の前に数量を確定する日を決めたらどうでしょう?」
ミハイルが提案した。
「いい考えだ。だが、締め切りを決めるだけでは不十分だ。締め切りを過ぎた注文を、すべて断るという意味ではないからな」
「急な注文にも対応できる余地は残しておくんですね」
「そうだ。ただし、通常の注文と同じ条件で対応できるとは限らない。製造と配達の状況を確認し、納期や数量を相談する必要がある」
私は、新たな運用案を書き加えた。
市などの予定が分かった時点で、顧客と情報を共有する。
過去の販売記録と現在の在庫を確認する。
通常分と、追加の可能性がある分を分ける。
通常分の注文締め切りを決める。
追加分については、対応可能な数量と条件を事前に確認する。
そして、当日の販売状況を記録し、次回の予測に反映する。
これなら、顧客に無理な仕入れを求めずに、こちらも準備を進められる。
*
次に訪ねたのは、宿屋を営むマルタだった。
マルタの宿では、旅人向けの焼き菓子や飲み物の予約販売を試している。
以前は、旅人が出発直前に注文することが多く、エルダの製造予定やバルンの配達計画を何度も組み直す必要があった。
「マルタさん。最近、急な注文で困ることはありませんか?」
「あるわね。朝になってから、旅人が『出発するから、あと五人分用意してほしい』と言うことがあるのよ」
「その五人分は、いつも必要ですか?」
「いいえ。旅人によって違うわ。出発時間が決まっている人もいれば、少しくらい待てる人もいる。でも、こちらが確認する前に、すぐ用意できると思われてしまうこともあるの」
「注文を受ける段階で、出発時間を確認していないんですね」
「そう。私も接客で忙しいから、つい数量だけ聞いてしまうのよ」
私はうなずいた。
ロベルトの場合は、販売数の予測が難しいことが問題だった。
一方、マルタの場合は、顧客の必要時刻を最初に確認していないことが、急な対応を生んでいた。
同じ急な注文でも、原因は違う。
だから、対策も一つではいけない。
「マルタさん。予約を受けるときに、数量と一緒に出発予定時刻も聞くようにできませんか?」
「それならできるわ。でも、旅人の予定が変わることもあるわよ」
「もちろんです。予定が変わった場合は、その時点で連絡してもらうようにしましょう。こちらも、変更に対応できるか確認します。ただし、変更を必ず受けられると約束するわけではありません」
「それなら現実的ね」
「それから、前日の夕方までに予約された数量と、当日追加された数量を分けて記録したいのです」
「どうして?」
「前日までに分かっていた注文が、なぜ当日まで持ち越されたのかを調べたいからです。単に忘れていたのか、旅人の予定が変わったのか。それとも、そもそも注文を受ける仕組みが分かりにくいのか。理由によって改善方法が違います」
マルタは感心したようにうなずいた。
「なるほど。急な注文を減らすために、急な注文の記録を取るのね」
「はい。原因が分からないまま対策を増やしても、仕事が複雑になるだけですから」
その場で、マルタの宿では翌日から試験的に、予約票に三つの項目を追加することになった。
必要数量。
必要時刻。
予定が変更になった場合の連絡先と連絡期限。
さらに、前日までに確定した注文と、当日に追加された注文を分けて記録する。
これなら、旅人に無理な早期予約を強制せずに、注文の見通しを改善できる。
*
その日の夕方、私はエルダとバルン、ガルドにも集まってもらった。
「今日の話を踏まえて、急な注文を減らすための仕組みを考えたい」
私はロベルトとマルタから聞いた内容を説明した。
エルダは、製造予定表を広げた。
「市の日程が分かれば、通常より忙しくなる可能性を考えて、作業時間を確認できるよ。ただし、売れる数量が確定していないなら、最初から余分に作るのは難しいね」
「そのとおりだ。売れ残りの費用も考えなければならない」
バルンも口を開いた。
「配達も同じです。市の日に荷車の予定を空けておくことはできますが、何もかも空けておくわけにはいきません。既存の予約もありますから」
「だから、予定を共有する時点で、どこまで準備できるかを確認するんだ」
ガルドは腕を組んで考えていた。
「うちの店でも、受け渡し時間が重なると、客を待たせることがある。前日に数量が分かれば準備できることは増えるが、急な注文を全部受けられるわけじゃない」
「その点も顧客に伝えよう。事前に注文すれば必ず希望どおりになる、という約束ではない。事前に分かれば対応の可能性が高まる、という話だ」
私は黒板に、今回の取り組みを三段階で書いた。
第一段階は、予定を共有すること。
市の日程、宿屋の団体予約、顧客の販売予定など、事前に分かる情報を共有する。
第二段階は、注文を分けること。
確定している数量と、追加になる可能性がある数量を分け、通常注文と急な注文を同じ扱いにしない。
第三段階は、結果を記録すること。
予測と実績の差、急な追加注文の件数、製造や配達の追加作業、売れ残り、受け渡しの遅れを記録し、次回の計画に反映する。
「ただし、いきなり全顧客に導入するのはやめておこう」
私が言うと、ミハイルが不思議そうに尋ねた。
「なぜですか? 仕組みができたなら、早く広めたほうがいいのでは?」
「新しい仕組みを使うには、顧客にも記録や連絡の手間が増える。こちらの都合だけで仕事を増やしてはいけないんだ」
「確かに……」
「まずはロベルトさんの店とマルタさんの宿で試す。そこで、急な注文がどれだけ減ったか、事前の連絡にどれくらい手間がかかったか、売れ残りや納品遅れがどう変わったかを確認する」
ガルドがうなずいた。
「効果があって、負担も大きくなければ、ほかの店にも提案できるな」
「そうだ。こちらの仕事が減ったとしても、顧客の仕事が増えすぎていたら意味がない」
ミハイルは黒板を見ながら、何かを考えていた。
「課長。今回の仕組みは、お客様に早く注文してもらうためのものですよね?」
「半分は正解だ」
「半分?」
「早く注文してもらうことだけが目的ではない。お客様自身が、いつ、何を、どれくらい必要とするのかを把握しやすくすることも目的だ」
顧客が販売予定を把握できれば、仕入れすぎを防げる。
必要な数量が早く分かれば、製造側は作業を組みやすくなる。
配達予定が見えれば、既存顧客との約束を守りやすくなる。
その結果、こちらも顧客も、無理な対応を減らせる。
営業とは、商品を売ることだけではない。
顧客が商売を続けやすい環境を、一緒に整えることでもある。
*
数日後、ロベルトから最初の連絡が入った。
次の市の日程が決まり、各店舗の通常在庫と、直近の販売記録をまとめたという。
私はその情報をエルダとバルンに共有した。
まだ、追加の製造数量を確定する段階ではない。だが、忙しくなる可能性のある日が分かったことで、製造時間と配達の空き状況を事前に確認できるようになった。
マルタの宿でも、予約票に必要時刻を記入する運用が始まった。
初日には、出発時刻を書き忘れた予約が二件あった。そこで、予約を受ける担当者が最後に確認する欄を設けた。
完璧な仕組みが一度でできるわけではない。
実際に使ってみて、抜けていた項目を見つけ、必要な部分を直していく。
私はミハイルに、導入前後の記録を比べるよう指示した。
「急な注文の件数だけを見ればいいですか?」
「それだけでは足りない」
「では、何を見れば?」
「急な注文の件数に加えて、追加対応にかかった時間、納品の遅れ、売れ残り、顧客側の作業負担だ。どれか一つだけ改善して、ほかが悪化していたら、仕組みとして成功したとは言えない」
「分かりました。急な注文が減っても、お客様が余計な在庫を抱えるようになったら失敗ですね」
「そういうことだ」
私は記録帳を閉じた。
急な注文をゼロにすることはできない。
だが、事前に分かる情報を共有し、顧客と一緒に販売予定を考え、必要な準備を進めることはできる。
大切なのは、顧客にこちらの都合を押しつけることではない。
顧客が無理なく注文でき、こちらも無理なく約束を守れる関係を作ることだ。
ミハイルは、今日の作業を終える前に、黒板の内容をきれいに書き直していた。
「課長。これで、急な注文は減りそうですね!」
「減る可能性はある。ただし、結果を確認するまでは成功と決めつけるなよ」
「はい!」
その直後、営業所の扉が開いた。
「アルト課長! 来週の市に合わせて、いつもの五倍の数量を用意してほしいという注文が来ています!」
ミハイルが、さっきまでの笑顔のまま固まった。
私は静かに注文書を受け取った。
「……よし。さっそく、仕組みの出番だな」
どうやら、顧客を育てる仕事は、こちらの予想よりも長い道のりになりそうだった。
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営業メモ ②②⑦
急な注文を減らすには、顧客に「早く注文してください」と伝えるだけでは不十分です。
まず、急な注文が発生する原因を調べます。販売数の変動が原因なら、過去の実績や催事の日程を共有する。必要時刻の確認不足が原因なら、予約時に数量と必要時刻を記録する。原因に応じて対策を変えることが重要です。
また、確定情報と予測情報を分け、顧客に過剰な在庫を抱えさせないようにします。導入後は、急な注文の件数だけでなく、追加作業時間、納品遅れ、売れ残り、顧客側の負担も確認しましょう。
営業の目的は、自社の都合で顧客の仕事を増やすことではありません。双方が無理なく約束を守れる仕組みを作ることです。
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次回予告
第二百二十九話 営業課長、五倍の注文に潜む落とし穴を見抜く
来週の市に合わせ、通常の五倍という大量注文が舞い込んだ。
事前に予定を共有してもらえたのだから、準備はできるはず――。
だが、店舗ごとの販売数も、必要な納品時刻も、まだ確定していない。
アルトは数量だけを見て製造を増やすのではなく、注文の内訳と顧客の販売計画を確認する。
大量注文は大きな商機か。それとも、見込み違いが生む新たな負担か。
営業課長は、受注する前の確認に挑む。




