第二百二十七話 営業課長、急な注文の判断基準を整える
急な注文というものは、なぜか決まって忙しいときにやってくる。
暇なときに来てくれれば、こちらも余裕を持って対応できる。ところが現実はそう甘くない。
朝から予約品の受け渡しが続き、配達係のバルンは荷車を走らせ、パン職人のエルダは焼き上がった品を次々と並べていた。
街道沿いの受け渡しを担当するガルドの店でも、予約品を受け取る旅人が途切れない。
そんな中、営業所の扉が勢いよく開いた。
「アルト課長! 急ぎの注文です!」
若手営業のミハイルが、注文書を握りしめて駆け込んできた。
「落ち着け。注文書が破れそうだぞ」
「申し訳ありません! ですが、急ぎなんです!」
「急ぎなのは分かった。で、何が、いくつ、いつまでに必要なんだ?」
「街道沿いの商人から、焼き菓子を二十個追加したいと!」
「いつまでに?」
「今日中です!」
「今日の何時までに?」
「……今日中です!」
私は思わず額に手を当てた。
今日中という言葉ほど、便利で危険なものはない。
朝の今日中と、日没直前の今日中では、残された時間がまるで違う。
「ミハイル。注文を受けたのはいい。だが、これだけでは受けられるかどうか判断できない」
「二十個ですよ? 昨日は十一件の注文をさばけたじゃないですか」
「昨日の十一件と、今日の二十個は同じ条件なのか?」
「え?」
「昨日は受け渡し時間が分散していた。今日はどうだ?」
「確認していません」
「配達先は?」
「……確認していません」
「エルダの製造状況は?」
「まだです」
「よし。つまり、今のところ分かっているのは、二十個欲しい人がいるということだけだ」
「そ、そうなりますね……」
「それを受注できると判断するには、まだ早い」
ミハイルは注文書を見つめた。
私は彼から注文書を受け取り、空いている机の上に広げた。
「先日のロベルトの注文を覚えているか?」
「はい。いつもの三倍の注文が来た件ですね」
「そのとき、どう対応した?」
「今日必要な分と、翌朝でも間に合う分に分けました」
「なぜ分けられた?」
「ロベルトさんが、今日中に必要なのは最初の分だけだと教えてくれたからです」
「そうだ。注文数量だけを見ていたら、全部を今日中に届けるしかないと思い込んでいたかもしれない。だが、相手が本当に必要としていたのは、今日の販売に間に合う数量だった」
ミハイルは、少しだけ顔を上げた。
「つまり、今回もお客様に聞けばいいんですね?」
「そのとおり。ただし、聞くだけで終わるな。聞いた内容を、製造と配達の現実に照らし合わせるんだ」
私は紙に、最初の確認事項を書き込んだ。
何を、いくつ必要としているのか。
いつまでに必要なのか。
その時間は絶対なのか、それとも調整できるのか。
そして、なぜ急に必要になったのか。
「最後の質問は、必要なんですか?」
「必要だ。理由によって、解決策が変わるからな」
「でも、急いでいるお客様に理由まで聞いたら、嫌がられませんか?」
「聞き方次第だ。『どうして急ぐんですか』と尋問する必要はない。『本日中に必要なのは、販売開始に間に合わせるためでしょうか。それとも、閉店までに全量必要でしょうか』と聞けばいい」
「なるほど。理由を聞くというより、対応できる方法を探すんですね」
「そういうことだ」
ミハイルは真剣な表情でうなずいた。
ただし、私はまだ安心していなかった。
確認事項を書き出すだけなら、誰にでもできる。
問題は、その情報を使って、どう判断するかだ。
*
私はミハイルを連れて、まずエルダの作業場へ向かった。
「エルダ、急な注文だ。焼き菓子二十個を追加できるか?」
エルダは、焼き上がった菓子を冷ましながら答えた。
「材料だけなら足りるよ。ただ、今から追加で焼くなら、通常の予約品を優先して、焼き上がりまで少し時間がかかるね」
「具体的には?」
「今の作業を止めずに進めるなら、追加分の完成は昼過ぎ。急いで既存の作業を組み替えれば、もう少し早くできるかもしれない。でも、その場合は別の予約品の仕上げ時間を確認しないといけない」
「つまり、材料があるから作れる、という話ではないんだな」
「そういうこと。材料があっても、窯と作業する人の時間は増えないからね」
「窯を二つに増やせばいいじゃないか」とミハイルが口を挟んだ。
エルダはゆっくりと振り向いた。
「ミハイル。窯を二つにしたら、火加減を見る人も二人必要になるよ」
「……そうですよね」
「それに、あなたが窯を増やすお金を出してくれるのかい?」
「いえ、僕には無理です」
「じゃあ、まずは今ある窯を使いこなそうね」
ミハイルは何も言わなくなった。
私は笑いをこらえながら、製造についての確認事項を追加した。
現在の予約品を守れるか。
追加製造に必要な時間はどれくらいか。
材料は足りているか。
作業を組み替えた場合、ほかの注文にどんな影響が出るか。
これらを確認しなければ、製造可能という判断はできない。
次に向かったのは、配達係のバルンのところだった。
「バルン、今日の配達状況を教えてくれ」
「午前中は予約品をガルドの店へ届ける予定です。その後、宿屋のマルタさんのところへ寄って、午後は街道沿いの二軒を回ります。荷車の積載量には余裕がありますが、時間にはあまり余裕がありません」
「追加の二十個を運ぶとしたら?」
「品物が昼過ぎに完成するなら、そのまま持っていくのは難しいですね。今の予定に組み込めるか、配達先の順番も含めて調べる必要があります」
「別の荷車を借りれば?」
ミハイルがまた口を挟んだ。
バルンは首をかしげた。
「借りる荷車があっても、引く人がいなければ動きませんよ」
「……人も必要ですよね」
「それに、荷車を増やせば、積み込みと受け渡しの確認も増えます。急いでいるからといって、確認を省くわけにはいきません」
私はうなずいた。
製造できる数量と、届けられる数量は別物だ。
さらに、届けられるとしても、約束した時間に受け渡しができるかどうかは別の問題になる。
急な注文を判断するときは、製造、輸送、受け渡しのそれぞれを確認しなければならない。
*
営業所に戻ると、私はミハイルに新しい紙を渡した。
「ここまで確認したことを、判断手順にまとめてみろ」
「はい!」
ミハイルは勢いよく書き始めた。
しばらくして、完成した紙を差し出してきた。
「できました!」
そこには、こう書かれていた。
一、追加注文は十個までなら受ける。
二、二十個以上なら課長に相談する。
三、急ぎの場合は配達係に確認する。
私は黙って紙を見つめた。
「……ミハイル」
「はい!」
「この十個という数字は、どこから出てきた?」
「昨日の注文が十一件だったので、十個なら大丈夫かと……」
「昨日は十一件の受け渡しがあった。今日、十個を追加製造できるかどうかとは別の話だ」
「確かに……」
「それに、十個でも断らなければならない場合がある。逆に、二十個でも受けられる場合がある」
「数量だけでは判断できないんですね」
「そうだ。たとえば、同じ十個でも、すでに完成している品物を近くの店へ届ける場合と、これから製造して遠い街道沿いまで運ぶ場合では、必要な時間も手間も違う」
私は紙を裏返し、もう一度書き直した。
「数字は役に立つ。ただし、数字だけに判断を任せてはいけない」
「では、どうすればいいんですか?」
「誰が担当しても、確認する順番と、止まるべき条件が同じになるようにするんだ」
私は、急な注文の判断手順を五つに整理した。
第一に、顧客の必要条件を確認する。
商品、数量、必要時刻、必要な理由、時間や数量の調整が可能かどうか。ここを曖昧にしたまま、納期を約束してはいけない。
第二に、既存の予約への影響を確認する。
すでに約束した注文を遅らせたり、数量を減らしたりしないと対応できないなら、その影響を先に調べる。既存顧客との約束を勝手に変更することは認めない。
第三に、製造可能な数量と完成時刻を確認する。
材料の在庫だけではなく、作業時間、設備、人員、既存作業への影響まで確認する。見込みと確定した情報を混同しない。
第四に、配達と受け渡しの条件を確認する。
荷車の積載量、移動時間、配達順序、受け渡し担当者の対応可能時間を確認する。商品が完成する時刻だけで、納品時刻を決めてはいけない。
第五に、確認した条件を顧客と合意する。
数量を分ける、納品時刻を調整する、受け渡し場所を変更するなど、実現できる方法を提示する。ただし、顧客の了承を得ずに条件を変更してはいけない。
「そして、どの段階でも実現できる見通しが立たなければ、約束する前に止まる。課長に相談するか、別の方法を探すんだ」
「なるほど……。でも、毎回これを全部確認していたら、時間がかかりませんか?」
「いい質問だ」
私はうなずいた。
「だから、注文を受けるときに確認できることは、最初にまとめて聞く。製造や配達への確認も、必要な情報をそろえてから行う。情報が足りないまま何度も聞き直すほうが、結局は時間がかかる」
「確認する順番そのものが、効率化になるんですね」
「そうだ。ただし、急いでいるからといって確認を飛ばしてはいけない。早く判断することと、考えずに判断することは違う」
ミハイルは、今度こそ納得したようだった。
*
その日の午後、ミハイルは注文をくれた商人に連絡を取った。
確認すると、二十個すべてを同じ時刻に受け取る必要はなかった。
街道沿いの店では、昼過ぎから旅人が増える。そこで最初の十個があれば販売を始められ、残りの十個は夕方までに届けば問題ないという。
ミハイルは、その条件をエルダとバルンに伝えた。
エルダは既存の予約品を予定どおり仕上げたうえで、追加分の十個を先に焼き上げる段取りを組んだ。残りの十個も、作業時間を確認してから製造予定に入れた。
バルンは、午前中の予約品をすべて届けたあと、午後の配達順序を調整した。ガルドの店での受け渡し時間も確認し、ほかの顧客への約束に影響しないことを確かめた。
そのうえで、ミハイルは商人に納品予定を伝えた。
最初の十個は昼過ぎ。残りの十個は夕方まで。
商人はその条件に同意した。
結果として、追加注文は受けられた。
しかし、私はミハイルに「よくやった」とだけ言うつもりはなかった。
「今回、注文を受けられた理由は分かるか?」
「はい。二十個すべてを同時に届ける必要がなかったことと、製造と配達の両方で対応できる時間を確認できたからです」
「そうだ。では、次も二十個なら必ず受けられると思うか?」
「いいえ。商品の種類や、注文の時間、配達先、既存の予約によって変わります」
「よし。それが分かっていればいい」
私は判断手順の下に、もう一つ項目を加えた。
急な注文への対応結果を記録すること。
注文を受けた時刻、希望数量、希望納期、実際の製造時間、配達時間、既存予約への影響、追加費用、顧客と合意した条件。
これらを記録しておけば、次に似た注文が来たとき、過去の実績を参考にできる。
もちろん、過去に成功したからといって、次も成功するとは限らない。だからこそ、その日の状況を改めて確認する必要がある。
「この記録がたまれば、判断はもっと早くなりますか?」
「早くなる可能性は高い。ただし、記録を見ずに『前回できたから今回もできる』と決めたら、せっかくの記録が役に立たなくなる」
「数字は参考にする。でも、最後はその日の条件を確認するんですね」
「そのとおりだ」
ミハイルは、判断手順を丁寧に書き写した。
「これなら、僕以外の人でも同じ順番で確認できますね」
「それが大切なんだ。優秀な人間が一人いるだけでは、その人が休んだ日に仕事が止まる。誰が担当しても、必要な確認が抜けない仕組みを作る。それが営業課長の仕事でもある」
「では、課長が休んでも大丈夫な仕組みを作ればいいんですね!」
「……その話をするなら、まず私が安心して休めるくらいに成長してくれ」
「はい! 明日から頑張ります!」
「明日からと言わず、今日から頼む」
私は笑いながら、最後の記録欄を整えた。
急な注文をすべて受けることが、優れた営業ではない。
受けられる条件を探し、難しい場合は代替案を考え、顧客と合意した約束を守ること。
その判断を個人の勘だけに頼らず、組織で再現できるようにすること。
それができれば、急な注文は単なる混乱の種ではなく、新しい取引を生み出す機会になる。
もっとも、注文が急に三倍になったとき、私の胃まで三倍働く仕組みだけは、絶対に作りたくなかった。
胃袋には、業務分掌も増員計画も適用できないのだから。
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営業メモ ②②⑥
急な注文は、数量だけで判断しない。
まず、顧客が必要としている数量・時刻・理由を確認する。次に、既存の予約、製造能力、配達能力、受け渡し条件を確認し、実現できる納期や分納方法を提案する。
判断の基準は、担当者の勘だけに頼らず、誰が担当しても同じ順番で確認できる手順にする。ただし、数量や時間の固定ルールだけで決めつけず、その日の状況と過去の実績を照らし合わせる。
そして、確認した条件を顧客と合意してから約束する。急いでいるときほど、確認を省かないことが信頼につながる。
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次回予告
第二百二十八話 営業課長、急な注文を受ける前に顧客を育てる
急な注文への判断手順を整えたアルト。
だが、仕組みを作っただけでは、急な注文そのものは減らない。
注文が集中する理由を調べると、顧客側にも事前に数量や予定を共有できる事情があると分かってくる。
急な注文を断るのではなく、急がなくても済む取引へ。
アルトは顧客との情報共有に、新たな一手を打つ。




