第二百二十四話 営業課長、約束できる納期を見極める
「課長! 大変です!」
朝の事務所に、ミハイルの声が響いた。
アルトは帳簿から顔を上げた。
「今度は何だ? 商品が足りないのか?」
「いえ、数量は合っています!」
「受け渡しが遅れたのか?」
「昨日までは、ほぼ予定どおりです!」
「では、何が大変なんだ?」
ミハイルは、手に持った予約票の束を机に置いた。
「注文が増えています!」
アルトは束を見た。
確かに、以前より厚い。
「……それは、いいことじゃないか」
「はい! いいことです! ですが、全部受け付けたら、配達が間に合わなくなるかもしれません!」
「なるほど。ようやく、営業らしい悩みが出てきたな」
「営業らしい悩み?」
「売れないときは、どうやって売るか悩む。売れ始めたら、どうやって約束を守るか悩む。どちらも営業の仕事だ」
アルトは予約票を一枚ずつ確認した。
街道沿いの商店ガルドの店で始めた、旅人向けの予約商品受け渡しサービス。
宿屋のマルタが注文を受け付け、パン職人のエルダが商品を準備し、配達担当のバルンが街道沿いの商店へ運ぶ。ガルドが商品を保管し、予約した旅人へ渡す。
数量確認と受け渡し記録を整えたことで、商品の取り違えや数量の食い違いは減っていた。
さらに、受け渡し時刻と配達記録を管理するようになり、以前より時間も安定してきた。
その結果、マルタの宿屋では旅人への案内が増え、ガルドの店にも予約が集まり始めたのだ。
だが、注文が増えれば、当然ながら仕事も増える。
アルトは予約票の束を机に広げた。
「まず、何件までなら確実に対応できるのか調べよう」
「今の人数で、一日に何件運べるか数えるんですね?」
「それだけでは足りない」
「えっ?」
「件数だけを数えても、実際に対応できる量はわからないんだ」
ミハイルは、早くも難しい顔になった。
「課長……数字が増えると、どうして急に話が難しくなるんでしょうか」
「数字が難しいんじゃない。見なければいけない数字が増えるんだ」
「それ、もっと難しいです!」
アルトは笑った。
「安心しろ。順番に整理する」
*
アルトは、関係者を集めて打ち合わせを始めた。
集まったのは、ミハイル、バルン、ガルド、エルダ、そして宿屋のマルタだった。
「今日は、受けられる注文の上限を決めたいと思います」
アルトがそう切り出すと、ガルドが腕を組んだ。
「注文が増えるのはありがたい。ただ、店の仕事もあるからな。予約客が一度に何人も来ると、普段の商売に支障が出る」
「こちらも同じだよ」
エルダがうなずいた。
「パンを焼く時間は決まっている。注文が増えたからといって、焼き上がりが急に早くなるわけじゃないからね」
バルンも口を開いた。
「俺も、荷物を増やせば一度に運べるとは限らない。荷車には積める量があるし、遠い店を何軒も回れば、それだけ時間がかかる」
マルタは予約票を見ながら言った。
「宿の旅人たちは、朝早く出発する人もいれば、昼近くまで滞在する人もいる。全員が同じ時間に受け取りたいわけじゃないね」
「そのとおりです」
アルトは紙に四つの項目を書いた。
商品準備。
積載量。
配達時間。
受け渡し対応。
「この四つを、それぞれ調べます。どれか一つでも限界を超えれば、約束したサービスを維持できなくなる」
ミハイルが手を挙げた。
「では、全部の限界を調べて、一番小さい数字を上限にすればいいんですね?」
「考え方は近い。ただし、単純に数字だけを比べればいいわけでもない」
「なぜですか?」
「商品を準備できるのが二十件でも、二十件すべてを同じ時刻に運べるとは限らない。遠い配達先が集中すれば、配達時間が先に限界を迎える。反対に、配達に余裕があっても、受け渡し場所が混雑すれば対応できない」
アルトは四つの項目を線で結んだ。
「大事なのは、一つの部署だけの能力ではなく、最初から最後までつながった流れ全体だ」
エルダが感心したようにうなずいた。
「なるほどね。パンを焼ける数だけ増やしても、届けられなければ意味がないわけだ」
「そうです。作れる数と、約束どおりに届けられる数は、同じではありません」
*
最初に調べたのは、商品準備だった。
エルダの店では、通常の注文をこなしながら予約商品を用意している。
予約商品が五件程度なら、これまでの作業の合間に準備できた。
しかし、十件を超えると、包装や注文番号の確認に時間がかかり、通常商品の準備にも影響が出始める。
「今の作業方法なら、予約商品を一日に十二件程度まで用意できそうだね」
エルダは記録を見ながら答えた。
「ただし、これは注文が朝から均等に入った場合だよ。前日の夜に一気に注文が集まったら、話は別だ」
「商品によっても違いますか?」
「もちろん。焼き菓子だけなら早いが、飲み物も組み合わせるとなれば、別の準備が必要になる」
アルトは記録帳に書き込んだ。
次に、バルンの配達能力を調べた。
荷車には、商品を安全に積める上限がある。積載量いっぱいに詰め込めば、揺れによる破損や取り出しにくさも増える。
さらに、配達先の位置によって、必要な時間が変わる。
ガルドの店だけを往復するのと、途中で二つの商店に立ち寄るのとでは、同じ件数でも所要時間が違うのだ。
「近い店をまとめれば、効率はよくなる。ただ、遠い店を一緒に回すと、最後の店への到着が遅れることがある」
バルンは地図を広げた。
「配達先を三つの区域に分けて、同じ区域の荷物をまとめれば、今より無駄な移動は減らせそうだ」
「ただし、先に約束した受け渡し時刻を優先する。荷物をまとめるために、お客様を待たせることはしない」
アルトが念を押すと、バルンはうなずいた。
「わかっている。効率を上げるために、約束を破ったら本末転倒だからな」
続いて、ガルドの店を確認した。
ガルドは、予約商品の保管場所と、普段の商品を販売する場所を分けている。
受け渡しが一日に五件程度なら、店の仕事に大きな影響はなかった。
しかし、同じ時間帯に予約客が集中すると、商品の確認や受け渡し記録の記入が重なり、店員の手が止まる。
「うちの店なら、一日に八件くらいは対応できそうだ。ただし、受け取り時刻が集中しないことが条件だな」
ガルドは、店の中を見渡した。
「十件来ても、時間をずらしてもらえれば対応できるかもしれない。でも、全員が朝十時に来ると言われたら無理だ」
「件数だけでなく、時間帯ごとの上限も必要ですね」
アルトは、その言葉を記録した。
最後に、マルタが予約の状況を説明した。
「旅人たちの希望を聞いてみたんだけど、朝の出発前に受け取りたい人が多いね。昼なら受け取れる人もいるが、朝の希望が集中しているよ」
「つまり、一日の件数に余裕があっても、朝の時間帯だけ仕事が集中する可能性があるわけですね」
「そういうことだね」
四つの調査を終えたアルトは、記録を見直した。
商品準備だけを見れば、十二件程度。
ガルドの店は、時間帯が分散していれば八件程度。
しかし、バルンの配達は距離と荷物の組み合わせによって変わる。
しかも、これらは、それぞれ単独で作業した場合の目安にすぎない。
アルトは鉛筆を置いた。
「まだ、一日に何件まで受けられると断言するのは早いな」
ミハイルが驚いた。
「これだけ調べても、まだ決まらないんですか?」
「それぞれの作業を調べただけだからな。実際に全部をつなげて、同じ日に動かしてみないとわからない」
*
翌日、アルトたちは試験運用を行った。
予約を六件受け付け、商品準備から配達、受け渡しまでの時刻を記録する。
六件のうち、二件は朝の受け取り、三件は午前中、残りの一件は昼前の受け取りだった。
エルダは商品を順番に準備し、注文番号ごとに分けて置いた。
バルンは配達先の位置を確認し、荷物を積む順番を決めた。
ガルドは予約商品を保管する場所を空け、受け渡し記録を手元に用意した。
結果は、上々だった。
六件すべての商品がそろい、数量の間違いもなかった。受け渡し時刻も、約束した時間帯の中に収まった。
「やりましたね、課長!」
ミハイルが胸を張った。
「これなら、一日に十二件まで受けてもいいんじゃないですか?」
「どうして十二件なんだ?」
「エルダさんが十二件くらい準備できると言っていましたから!」
「……ミハイル」
「はい?」
「今日の試験は六件だ」
「はい!」
「六件の試験が成功したからといって、十二件でも成功するとは限らない」
ミハイルの表情が固まった。
「あっ……」
「今日は、注文が少なく、配達先も比較的まとまっていた。これが十件になり、朝に集中したらどうなるか。遠い配達先が増えたらどうなるか。まだ確かめていない」
アルトは、試験記録を机に並べた。
「六件を問題なく処理できたことは、大きな成果だ。ただし、十二件を受けられるという証明ではない」
「では、どうすればいいんですか?」
「少しずつ増やして、どこに負担が出るのか確かめるんだ」
アルトは次の試験計画を書いた。
次回は八件。
その次は十件。
ただし、件数だけを増やすのではなく、朝に集中する場合、遠い配達先が多い場合、複数の商品を組み合わせる場合も確認する。
そして、受け渡しの遅れ、数量の間違い、追加費用、担当者の作業時間を記録する。
「ただし、試験だからといって、お客様に無理な約束をするわけにはいかない。実際の注文を受ける場合は、すでに確認できている範囲で対応する。新しい条件を試すときも、受け渡し時刻を守れる見込みがあることを確認してから受け付ける」
ミハイルは真剣な顔でうなずいた。
「売上を増やすために、今のお客様への約束を犠牲にしてはいけないんですね」
「そのとおりだ」
*
試験運用の記録を整理していた午後、マルタから新しい相談が入った。
「アルトさん、予約を希望する旅人が、さらに増えているよ」
「どれくらいですか?」
「今までなら、一日に二、三件だったのが、最近は五件以上の相談がある。予約できるとわかれば、もっと利用したいという人もいるね」
アルトは考え込んだ。
需要は確実に増えている。
ここで受け付ける件数を抑えすぎれば、販売の機会を逃すことになる。
しかし、無理に注文を受けて納期を守れなければ、せっかく取り戻した信頼を失ってしまう。
「マルタさん。予約を断った場合、お客様はどうしていますか?」
「別の日に頼めるなら待つと言う人もいる。でも、今日必要だという人は、別の店を探すしかないね」
「なるほど……」
アルトは、予約票を見つめた。
注文を受けるか、断るか。
今までは、その二つしかないと思っていた。
だが、本当にそうだろうか。
「受け取り時刻を選んでもらうことはできますか?」
「朝の希望が多いけれど、昼前でもよい人はいると思うよ」
「商品を前日のうちに準備できるものなら、準備時間を分散させることもできそうですね」
「それなら、エルダさんとも相談できるね」
アルトは、新しい案を記録した。
予約数そのものを制限するだけではなく、受け取り時間を分散する。
配達先を区域ごとにまとめる。
商品によって、予約の締め切り時刻を変える。
そして、対応できない場合には、別の受け取り時刻を提案する。
ただし、どの方法が本当に役立つかは、これから確かめなければならない。
「よし。次は、受けられる件数を増やす方法も含めて試そう」
ミハイルが、勢いよく立ち上がった。
「ということは、予約をどんどん受け付けるんですね!」
「いや、だから、まだ増やすとは決めていない」
「……難しいですね、営業って」
「そうだな。注文をもらうことだけなら、簡単な場合もある。だが、その注文を守れる形で引き受けるのは、簡単じゃない」
アルトは窓の外を見た。
街道には、荷車が行き交い、旅人たちが歩いている。
彼らにとって、このサービスは単に商品を買うためのものではない。
必要な品を、必要な場所で、必要な時刻に受け取るためのものだ。
その期待に応えることができれば、利用する人は増えるだろう。
そして、利用する人が増えたときにも同じ約束を守れるなら、それは一時的な売上ではなく、続けられる商売になる。
アルトは新しい紙に、三つの言葉を書いた。
受けられる注文。
守れる納期。
増やせる仕組み。
この三つを両立させることが、次の課題だった。
注文を増やすことだけを考えれば、いつか現場が限界を迎える。
反対に、失敗を恐れて注文を制限し続ければ、商売は成長しない。
必要なのは、現場の実力を正しく把握し、改善できるところを改善し、守れる約束の範囲を少しずつ広げていくことだ。
「課長、次の試験は何件にしますか?」
ミハイルが尋ねた。
「まずは八件だ。ただし、件数だけでなく、受け取り時間と配達先の組み合わせも変えてみる」
「わかりました!」
「それから、結果がよくても、すぐに上限を引き上げるとは限らない。費用や作業時間も確認するからな」
「……営業って、売上以外にも見る数字が多いんですね」
「ようやく気づいたか」
アルトは笑いながら、記録帳を閉じた。
次の試験で、どこまで対応できるのか。
そして、今の仕組みをどう変えれば、より多くのお客様に安心して利用してもらえるのか。
答えは、まだ出ていない。
だが、少なくとも、勘だけで注文を受ける段階は終わった。
アルトたちは、記録をもとに次の一歩を踏み出そうとしていた。
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営業メモ ②②③
注文が増えたとき、最も危険なのは「今までできたから、もっとできるはずだ」と考えることである。
一日の対応能力を判断するには、商品準備、積載量、移動時間、受け渡し対応など、工程ごとの制約を確認する必要がある。さらに、各工程を単独で処理できる件数と、全工程をつないで約束どおりに処理できる件数は異なる。
まずは実際の作業記録を集め、少ない件数から段階的に試す。件数だけでなく、受け取り時刻の集中、配達先の距離、商品の組み合わせなど、条件を変えながら検証する。
評価する数字も、受注件数や売上だけでは不十分だ。納期遵守率、数量間違い、追加費用、作業時間、現場への負担も確認する。
対応能力を超える注文は安易に引き受けず、受け取り時刻の変更や別便など、実現可能な代替案を提案する。一方で、すぐに断るのではなく、工程の改善によって対応力を高められないかも考える。
営業の役割は、注文を取ることだけではない。お客様との約束を守りながら、商売を成長させる仕組みを作ることである。
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次回予告
第二百二十五話 営業課長、注文を断らずに受注を調整する
試験運用を続けるアルトたちのもとに、同じ時間帯への予約が集中する。
受け渡し時刻をずらせば対応できる可能性はある。しかし、旅人にはそれぞれ出発の予定があり、簡単に変更できない人もいる。
注文を断れば売上の機会を失う。無理に受ければ、納期を守れなくなるかもしれない。
アルトは、予約の受け付け方そのものを見直し、受け取り時間の分散や注文締め切りの工夫によって、信頼を守りながら受注を増やす方法を探る。




