第二百十九話 営業課長、数字だけでは見えない商機を探る
「課長! この取引、やめたほうがいいと思います!」
朝の営業課に、若手営業のミハイルの声が響いた。
アルトは書類から顔を上げた。
「朝からずいぶん物騒だな。今度は何をやらかした?」
「やらかしたのは私ではありません! この注文です!」
ミハイルが机に置いたのは、小口注文の一覧表だった。
一件あたりの注文額は小さい。納品先もばらばらで、配送の手配に時間がかかる。しかも、注文のたびに商品の組み合わせが少しずつ違う。
「見てください。大口のお客様なら一度に十金貨、二十金貨と注文してくれます。それなのに、このお客様たちは一金貨にも満たない注文ばかりです。配送費と手間を考えたら、利益がほとんど残りません」
「なるほど。数字だけを見れば、そう判断したくなるな」
「ですよね! では、この取引は縮小して……」
「まだ話は終わっていないぞ」
アルトが一覧表を手元に引き寄せた。
「ミハイル。君は、この注文をしているお客様が誰なのか調べたか?」
「商店や行商人、それから小さな宿屋です」
「なぜ、その人たちが少量ずつ注文しているのかは?」
「……そこまでは調べていません」
「では、どうして注文の間隔が短いのかは?」
「それも、まだです」
アルトは一覧表を指先で軽く叩いた。
「売上が小さいことは分かった。手間がかかることも分かった。だが、なぜその注文が続いているのかは分かっていない」
「でも、課長。利益が少ないのは事実ですよ?」
「その通りだ。だからこそ、すぐに切るのではなく、取引の中身を調べるんだ」
アルトは立ち上がり、黒板に大きく書いた。
小さな注文には、小さな理由がある。
「いや、課長。格言っぽく言っていますけど、当たり前では?」
「そうだな。では、君はその当たり前を調べたのか?」
「……調べていません」
「よし。今日の君は、当たり前の大切さを学んだ。給料は据え置きだ」
「学んでも給料は増えないんですか!?」
「学んだだけでは売上が増えていないからな」
営業課に笑いが広がった。
アルトも笑っていたが、頭の中ではすでに次の手を考えていた。
小口注文は、本当に利益の薄い取引なのか。
それとも、売上表だけでは見えない価値があるのか。
そこを見極める必要があった。
*
午前中、アルトはロランとミハイルを連れ、何件かの取引先を訪問することにした。
最初に向かったのは、町の外れにある小さな雑貨商だった。
店主のドランは、二人を店先で出迎えた。
「アルト課長、今日はどうされました?」
「最近の注文について、少しお話を伺いたくて。商品そのものや納品について、困っていることはありませんか?」
「そうですねえ……商品には満足しています。ただ、うちの店は大きくありませんから、一度に大量には仕入れられないんですよ」
「保管場所の問題ですか?」
「それもあります。ですが、一番困るのは、何がどれだけ売れるか分からないことです」
ドランは棚を見渡した。
「よく売れる品は追加で仕入れたい。でも、売れると思って大量に仕入れた品が残ったら、資金が動かせなくなります。だから、少しずつ仕入れて、売れ行きを見ながら追加しているんです」
アルトは頷き、話を記録した。
「つまり、少量注文は仕入れ資金と在庫のリスクを抑えるためなんですね」
「ええ。少々割高でも、売れ残りを抱えるよりは安心ですから」
ミハイルが驚いた顔をした。
「そんな理由があったんですか……」
「あるだろうな。商売をしている人間には、それぞれ事情がある」
アルトはさらに尋ねた。
「もし、売れ筋が分かっていて、次に何を仕入れるべきか判断しやすくなったら、注文の仕方は変わりますか?」
「それは助かりますね。売れ筋が分かれば、仕入れの予定も立てやすくなります」
「ありがとうございます。参考になりました」
店を出ると、ミハイルが首を傾げた。
「課長。今の話だと、注文を増やすには値下げよりも、売れ残りの不安を減らすほうが効果的ということですか?」
「その可能性がある。もちろん、店によって事情は違う。今の一件だけで、すべてのお客様に同じ提案をしてはいけない」
「なるほど。まずは、同じような注文をしているお客様に話を聞くんですね」
「そうだ。仮説を立てたら、確かめる。営業の基本だな」
*
次に訪れたのは、町の街道沿いにある小さな宿屋だった。
主人のマルタは、忙しそうに帳場を整理していた。
「アルトさん、いらっしゃい。ちょうど仕入れのことで相談しようと思っていたんですよ」
「それはありがたいですね。どんなご相談でしょう?」
「最近、旅人が増えてきましてね。携帯用の保温容器を買いたいというお客様が何人かいらっしゃるんです」
アルトは少し身を乗り出した。
「保温容器を、ですか?」
「ええ。うちの宿では、旅立つお客様に飲み物を用意することがあるんですが、容器も一緒に買いたいという方が増えています。ですが、何個売れるか分からないので、大量には仕入れられません」
改良型の保温容器は、最近、販売数が伸びていた。
しかし、その購入者の多くは行商人や長距離を移動する商人だと考えられていた。宿屋が販売の窓口になっているとは、営業課の記録からは見えていなかった。
「マルタさん。お客様は、どんな理由で購入されるんでしょう?」
「朝早く出発する方や、次の宿まで距離がある方ですね。途中で店を探さなくても温かい飲み物が飲める。それが便利だそうです」
「なるほど……」
アルトは考え込んだ。
商品を使う人と、商品を販売する人が違う。
さらに、宿屋は商品を使う場面を直接見ている。
つまり、宿屋は単なる小口の取引先ではなく、旅人という新しい顧客層へ商品を届ける販売拠点になり得るのだ。
「マルタさん。もし、売れた分を定期的に補充できるなら、今より少し多めに置いてみたいと思いますか?」
「そうですね。売れ残りが心配ですから、最初は少しずつがいいです。でも、定期的に補充してもらえるなら、置いておく価値はありそうです」
「ありがとうございます。無理に大量購入をお願いするつもりはありません。まずは、どれくらい売れるか一緒に確かめましょう」
話を終え、宿屋を出たところで、ミハイルが興奮気味に口を開いた。
「課長! これですよ! 宿屋を回れば、保温容器がどんどん売れるんじゃありませんか?」
「可能性はある。だが、今の段階で全部の宿屋に大量納品するのは早い」
「どうしてですか?」
「マルタさんの宿で売れたからといって、別の宿でも同じように売れるとは限らない。それに、宿屋ごとに客層も違えば、旅人の数も違う」
「確かに……」
「まずは数軒で試して、販売数と売れ残り、補充にかかる手間を確かめる。うまくいけば、同じ仕組みを広げればいい」
アルトは歩きながら、頭の中で計画を組み立てた。
宿屋に保温容器を置いてもらう。
一定期間ごとに販売数を確認する。
売れた分を補充し、売れ残りが多い場合は数量を調整する。
宿屋には、売れた数量に応じて仕入れ代金を精算してもらう方法も検討できる。ただし、預けた商品を誰が管理するのか、破損や紛失が起きた場合にどう扱うのか、代金をいつ回収するのかは、事前に取り決めなければならない。
仕組みを整えれば、宿屋に大きな在庫負担をかけずに販売機会を増やせるかもしれない。
だが、仕組みを曖昧にすれば、商品だけが消えて代金が戻らないという、笑えない事態にもなりかねない。
「課長、何か思いついた顔をしていますね」
「新しい売り方の可能性が見えてきた」
「おおっ! ついに大商売ですか!」
「まずは三軒だ」
「三軒!?」
「三軒で試して、結果が出たら増やす。最初から三十軒に広げて失敗したら、君の靴底より先に会社の財布がすり減るぞ」
「会社の財布を守るためにも、靴底を大切にします!」
「靴底は経費に入らないからな」
「そこは会社で支給してくださいよ!」
*
午後、営業課では小口注文の記録を改めて分析した。
アルトは、直近三か月の注文を顧客別に並べるよう指示した。
単純な売上額だけでなく、注文頻度、購入商品の種類、配送先、追加注文の有無、問い合わせ内容も確認する。
すると、いくつかの特徴が浮かび上がった。
小口注文を繰り返す商店は、売れ筋を確かめながら仕入れていた。
宿屋からは、旅人が購入したいという問い合わせが増えていた。
一方、遠方の小規模商店では、注文額は小さいものの、特定の商品を定期的に買い続けているケースがあった。
「課長、こちらの商店は一回の注文が小さいですが、三か月間、一度も取引が途切れていません」
ロランが記録を示した。
「しかも、毎回同じ商品を注文しています」
「その商品が、その店の定番になっている可能性があるな。注文が少ないからといって、価値が低いとは限らない」
アルトは別の記録に目を移した。
「こちらは?」
「注文額は小さいですが、毎回違う商品を試しています。まだ、何が売れるのか探しているようです」
「ならば、売れ筋の情報を提供すれば、注文内容が変わるかもしれない」
「ただ商品を売るだけではなく、仕入れの判断も手伝うわけですね」
「そうだ。顧客が商売を続け、利益を出せるようになれば、こちらとの取引も長く続く可能性が高まる」
ミハイルが帳簿を見つめながら言った。
「今まで、注文額が小さいお客様は、優先順位を下げるべきだと思っていました」
「小口取引には、確かに注意すべき点がある。配送費が高くつく場合もあるし、少量の注文に個別対応しすぎれば、営業や倉庫の負担が増える」
アルトは、そこは曖昧にしなかった。
「だが、全部を同じ基準で切り捨てるのも間違いだ。利益が出ているか、将来の注文につながるか、ほかの顧客への販売拠点になれるか。取引ごとに役割を見極める必要がある」
「では、配送をまとめられれば、利益も改善できるかもしれませんね」
ロランが言った。
「その通り。近隣の顧客で納品日を調整できれば、配送費を抑えられる可能性がある。ただし、こちらの都合だけで納品を遅らせてはいけない。お客様の在庫が切れないことが条件だ」
アルトは黒板に、顧客を三つの観点で整理した。
一つ目は、現在の利益。
二つ目は、今後の取引拡大の可能性。
三つ目は、ほかの顧客への販売や紹介につながる可能性。
「この三つを見れば、売上表だけでは見えなかった価値が見えてくる。もちろん、将来性があるという理由だけで赤字取引を続けるわけにはいかない。試す期間と費用の上限を決めて、結果を確認するんだ」
「つまり、可能性にも予算が必要なんですね」
「そういうことだ。夢を見るのは自由だが、会社の金を使うなら計画が要る」
ミハイルは深く頷いた。
「私も今日から、数字の奥にある理由を調べます!」
「いい心がけだ。では、明日から小口顧客を全部訪問してくれ」
「ぜ、全部ですか!?」
「もちろん。君が言い出したんだからな」
「課長! 可能性の調査と、無茶な指示は違います!」
「ほう。さっきの話をもう理解したのか」
「……あっ」
アルトは笑いながら、訪問先を選ぶための一覧表をミハイルに渡した。
「全部回る必要はない。注文頻度が高い顧客、特定の商品を継続して買っている顧客、新しい商品の問い合わせが増えている顧客。このあたりから優先して調べよう」
「最初からそう言ってくださいよ……」
「君が自分で考えられるように、少しだけ鍛えているんだ」
「その鍛え方、心臓に悪いです!」
*
夕方、アルトは新しい営業計画をまとめた。
小口注文を一律に縮小するのではなく、顧客ごとの取引実態を調べる。
宿屋三軒で保温容器の試験販売を行い、販売数と在庫、精算方法、配送費を記録する。
小口注文が多い地域では、顧客の希望を確認したうえで配送日を調整し、運搬の効率化を試みる。
また、仕入れに迷っている商店には、販売実績をもとに商品を提案する。
それぞれに期限と確認項目を設け、効果がなければ方法を見直す。
これなら、単に注文を増やすための施策ではない。
顧客の困りごとを解決しながら、自社の利益も確かめられる。
「課長、今日の調査で分かったことがあります」
帰り支度をしていたミハイルが、真面目な顔で言った。
「何だ?」
「小さい注文だからといって、小さい商売とは限らないんですね」
アルトは頷いた。
「その通りだ。小さな商店が十軒、二十軒と取引を続けてくれれば、会社を支える大切な基盤になることもある。宿屋が販売窓口になれば、今まで接点のなかった旅人にも商品を届けられる」
「でも、全部の小口注文を大切にすればいい、というわけでもない」
「よく分かっているじゃないか」
「利益が出ない取引は改善する。将来性がある取引は、期限と予算を決めて試す。そうですよね?」
「正解だ」
ミハイルは満面の笑みを浮かべた。
「課長! 私、営業という仕事が少し分かってきた気がします!」
「それはよかった。では、今日の訪問記録をまとめておいてくれ」
「はい!」
「それから、明日の宿屋訪問の準備もな」
「はい……えっ、明日もですか!?」
「可能性が見つかったんだ。確かめない理由はないだろう?」
「課長の『可能性』って、どうしていつも仕事が増えるんですか!」
営業課に、今日一番大きな笑い声が響いた。
アルトは笑いながら、机の上の販売記録に目を落とした。
数字は大切だ。
売上も、利益も、配送費も、注文頻度も、どれも商売を判断するために欠かせない。
だが、数字だけを眺めていても、顧客が何に困り、何を求めているのかまでは分からない。
数字を入り口にして、現場で話を聞き、仮説を立て、試し、結果を確かめる。
その繰り返しの先に、まだ誰も気づいていない商機が見つかるのだ。
そして翌朝、アルトの机には、宿屋から届いた追加の相談書が置かれることになる。
その相談は、保温容器の販売だけでは終わらない、新しい商売の入口だった。
営業メモ ②①⑧
売上額だけで顧客の価値を判断してはいけない。小口注文の背景には、在庫リスクを抑えたい、仕入れ資金を確保したい、売れ筋を確認したいといった事情がある。
顧客の注文頻度、購入商品の種類、追加注文、問い合わせ内容、配送費などを確認し、現在の利益と将来の取引拡大の可能性を分けて評価しよう。
新しい販売方法を試すときは、最初から大きく展開せず、少数の顧客で実証する。試験期間、費用の上限、販売数、在庫、精算方法、配送費などの確認項目を決め、効果があれば段階的に広げる。
顧客にとっての価値と自社の利益を両立させることが、継続的な取引につながる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
次回予告
第二百二十話 営業課長、顧客の相談から新しい商売を生み出す
宿屋から届いた追加の相談。
保温容器の販売をきっかけに、旅人たちが求めている別のサービスが見えてくる。
アルトは新しい商機に気づくが、需要があることと、利益を出せることは別問題だった。
顧客の声を新しい事業へつなげるため、営業課長の次の挑戦が始まる。




