第二百十話 営業課長、売れる商品を定番商品にする
「課長、この商品……もう一時的なヒットじゃありません」
朝の営業課。
若手営業の報告を聞いたアルトは、手元の帳面をめくった。
携帯用保温容器に続き、前回の新規取引先へ納めた商品も好調だった。三段階に分けた納品は予定どおり進み、取引先からは追加注文が続いている。
最初は試しに仕入れた少量の商品だった。
ところが、使い勝手の良さが評判になり、今では取引先が自ら別の商人へ勧めてくれているという。
「どれくらい売れている?」
「最初の納品から、毎回追加注文が来ています。しかも、注文数が少しずつ増えています」
「なるほど」
アルトは帳面に目を落とした。
「では、問題です」
若手営業が背筋を伸ばす。
「この商品を、これからどう売る?」
「もっと多く仕入れます!」
「元気があってよろしい」
「ありがとうございます!」
「だが、不正解だ」
「ええっ!?」
営業課に小さな笑いが起きた。
アルトは帳面を閉じた。
「売れているからといって、仕入れを増やせばいいわけじゃない。需要がいつまで続くか分からないし、仕入れを増やした結果、売れなくなったら在庫が残る」
「では、広告を増やしますか?」
「それも選択肢の一つだ。ただし、今は広告を増やす前に確認することがある」
アルトは黒板へ向かった。
そして、三つの言葉を書いた。
『誰が買っているか』
『なぜ買っているか』
『次も買う理由があるか』
「この三つを調べよう」
若手営業は首を傾げた。
「次も買う理由、ですか?」
「そうだ。初めて買ってくれることと、何度も買ってくれることは違うからな」
アルトは黒板を指した。
「一度だけ珍しさで売れる商品と、必要だから繰り返し売れる商品。会社の柱にしたいのは、どちらだ?」
「繰り返し売れる商品です」
「正解」
アルトは満足そうに頷いた。
「では、売れたという結果だけでなく、売れた理由を調べよう」
* * *
最初に向かったのは、商品の販売を担当している取引先だった。
店主はアルトを見るなり、笑顔で手を振った。
「アルト君! また売れたぞ!」
「ありがとうございます。今日は少し、お話を伺いたくて」
「何でも聞いてくれ。こいつは本当によく売れる」
店主は商品を棚から取り出した。
「最初は、物珍しさで買う客が多かった。だが最近は違う。前に買った客が、もう一つ欲しいと言ってくる」
「もう一つ、ですか?」
「ああ。自分用に買った客が、家族にも勧めるんだ。それから、仕事仲間への贈り物にする客もいる」
アルトは帳面に書き留めた。
「買い足す理由は何でしょう?」
「使ってみて便利だったからだろうな。最初は半信半疑だった客も、実際に使うと手放せなくなるらしい」
「では、不満はありませんか?」
店主は少し考え込んだ。
「不満というほどではないが、欲しいときに店にないことがある」
アルトの手が止まった。
「品切れですか?」
「そうだ。売れる日と売れない日の差があるから、どれくらい仕入れればいいのか読みにくい」
「品切れのとき、お客様はどうしています?」
「別の商品を買う客もいるが、次に来ると言って帰る客もいる。もちろん、本当に戻ってくるかは分からん」
アルトは静かに頷いた。
商品そのものには、繰り返し買ってもらえるだけの魅力がある。
問題は、必要なときに商品があるとは限らないことだった。
「ありがとうございます。大事なことが分かりました」
「何がだ?」
「この商品を定番にするには、売り込むだけでは足りないということです」
店主は不思議そうな顔をした。
アルトは帳面を閉じた。
「お客様が欲しいと思ったときに、きちんと買えるようにする。それが次の課題です」
* * *
営業課へ戻ると、アルトはすぐに製造担当と倉庫担当を呼んだ。
「この商品を、定番商品として扱いたいと思っています」
製造担当が腕を組む。
「定番ということは、継続して作るということですね?」
「そうです。ただし、最初から大量に作るつもりはありません」
「それなら、具体的には?」
アルトは帳面を開いた。
「まず、過去の注文数を確認します。次に、注文が増えた理由を整理する。そして、毎回必要になりそうな数量を予測します」
倉庫担当が尋ねた。
「予測が外れたらどうするんです?」
「外れる前提で考えます」
「……最初から外れるんですか?」
「未来を正確に当てられる人間がいたら、私は今ごろ商売ではなく占いをやっています」
会議室に笑いが起きた。
アルトは続ける。
「大切なのは、予測が外れないことじゃない。外れたときに対応できることです」
黒板に、三つの項目を書いた。
『通常の製造数』
『追加製造できる数』
『追加製造に必要な日数』
「通常の注文に対応する分は、定期的に作る。ただし、最初から需要の最大値に合わせて作るのは危険です」
製造担当が頷く。
「売れなければ在庫が残りますからね」
「そうです。逆に、予想より売れた場合は追加製造できる余地を残しておく」
倉庫担当が腕を組んだ。
「倉庫にも余裕が必要ですね」
「ええ。商品の置き場所だけでなく、いつ入って、いつ出ていくかも決めておきたい」
アルトは黒板に矢印を書き足した。
『注文実績 → 需要予測 → 製造計画 → 在庫確認 → 納品』
「毎回、この流れで確認します。売れた数を見て終わりにするのではなく、次の製造計画に反映させるんです」
製造担当は黒板を見つめた。
「これなら、いきなり大量生産を始めるより安全ですね」
「その通りです」
「ただし、注文が急増したら、追加製造が間に合わない可能性があります」
「だから、そこも先に決めます」
アルトは最後に書き加えた。
『追加注文の受付基準』
「製造できる数量を超えそうなら、営業は納品日を調整する。無理な納期は約束しない。必要なら予約として受け付ける」
若手営業が感心したように呟いた。
「売れる商品なのに、注文を制限することもあるんですね」
「ある」
アルトは即答した。
「売れるからこそ、約束を守らなければならないんだ」
* * *
数日後、アルトは取引先を訪ねた。
店主は、いつものように商品を並べていた。
「アルト君。今日は何の相談だ?」
「今後も安定して商品をお届けできるようにしたいと思いまして」
「それは助かる。最近、品切れを心配するようになってきたからな」
「そこで、二つお願いがあります」
アルトは帳面を開いた。
「一つ目は、売れた数量を定期的に教えていただきたいことです」
「売れた数量?」
「はい。いつ、何個売れたかが分かれば、次に必要な数量を予測しやすくなります」
店主は頷いた。
「それくらいなら問題ない」
「二つ目は、次に必要になりそうな数量を、早めに相談していただきたいことです」
「まだ売れていない分まで、注文しろということか?」
「いえ、確定注文でなくても構いません。見込みを教えていただければ、こちらも製造の準備ができます」
店主は少し考えた。
「つまり、売り切れてから慌てて注文するんじゃなく、売り切れる前に次の準備をするわけか」
「その通りです」
「なるほどな。こちらも、品切れで客を逃したくない」
店主は帳面を取り出した。
「なら、こちらも販売記録をつけよう。どのくらいの間隔で売れるか分かれば、仕入れの判断もしやすくなる」
アルトは笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。お互いに無理なく続けられる形にしましょう」
そのとき、店主がふと思い出したように言った。
「そういえば、隣町の商人もこの商品を欲しがっていたぞ」
アルトの笑顔が固まった。
「……隣町、ですか?」
「ああ。紹介してやろうか?」
ありがたい話だ。
新しい取引先が増える。
売上が増える可能性もある。
しかし、アルトの頭には、製造能力、倉庫容量、配送予定が浮かんでいた。
「ぜひお願いします。ただ、最初は少量から始めさせてください」
「おや。もっと売りたいんじゃないのか?」
「売りたいです」
アルトは正直に答えた。
「でも、売りたいことと、届けられることは別ですから」
店主は大声で笑った。
「ははは! 営業なのに、売りすぎを心配するとはな!」
「営業だからこそ、心配するんです」
アルトも笑った。
「売った後に困るのは、お客様ですからね」
* * *
その日の夕方。
営業課では、新しい販売記録の帳面が配られていた。
記録する項目は、商品名、販売数量、販売日、品切れの有無、追加注文の予定。
さらに、取引先から聞いた購入理由も記入することになった。
若手営業は、帳面をめくりながら唸っている。
「課長……営業の仕事って、こんなに記録が必要なんですか?」
「必要な分だけだ」
「でも、項目が多いですよ」
「じゃあ、聞こう」
アルトは机に肘をついた。
「次の注文を予測するために、何が分かればいい?」
「何個売れたか……でしょうか」
「それだけで十分か?」
若手営業は考えた。
「いつ売れたか。品切れになったか。それから、どうして買ったのか……」
「正解」
アルトは笑った。
「記録は、書くこと自体が目的じゃない。次の判断に使うためにある」
「なるほど……」
「使わない記録を増やしても、仕事が増えるだけだ。必要な情報を集めて、次の行動を変える。そこまでやって、初めて意味がある」
若手営業は真剣な顔で帳面を閉じた。
「分かりました。販売記録を次の仕入れに活用します!」
「よし。期待しているぞ」
若手営業が元気よく頭を下げた、その直後。
製造担当が営業課へ飛び込んできた。
「アルト課長! 追加製造の相談です!」
「今度は何だ?」
「定番化を進めている商品ですが、原材料の仕入れ先から、来月は納品量が減るかもしれないと連絡がありました!」
アルトの笑顔が消えた。
「……需要だけ見ていても駄目か」
製造担当が頷く。
「材料がなければ、作れません」
アルトはゆっくりと立ち上がった。
「よし。次は仕入れ先も含めて考えよう」
若手営業が小声で呟く。
「課長……問題が終わりませんね」
アルトは肩をすくめた。
「商売というのは、そういうものだ」
そして、帳面を手に取った。
売れる商品を見つける。
安定して作る。
確実に届ける。
そして、必要な材料を確保する。
一つの問題を解決すると、次に解決すべき問題が見えてくる。
だが、それは悪いことではない。
商品が売れなければ、そもそも考える必要のない問題なのだから。
アルトは笑った。
「さて……今度は仕入れ先との商談だな」
営業課長の仕事は、まだまだ終わりそうになかった。
営業メモ ②⓪⑨
一時的なヒット商品を定番商品に育てるには、売上の数字だけで判断しないことが大切です。
誰が買っているのか。なぜ買っているのか。どのくらいの頻度で買い続けるのか。品切れによって、どれだけ販売機会を逃しているのか。
こうした情報を集め、製造数や在庫、納品計画に反映させます。
ただし、需要を予測して大量に作るだけでは危険です。需要が落ち込めば、在庫と資金が会社の負担になります。
通常の製造数と追加製造できる数量を分け、予測が外れた場合にも対応できる余地を残すことが重要です。
また、取引先の販売実績を定期的に共有してもらえば、品切れになる前に次の製造や納品を準備できます。
営業の役割は、商品を売ることだけではありません。
売れ続ける理由をつかみ、会社が安定して供給できる仕組みを作ることも、重要な営業活動なのです。
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次回予告
第二百十一話 営業課長、仕入れ先との交渉に挑む
「課長、材料が足りません!」
売れ続ける商品を定番にするため、製造体制を整え始めたアルト。
しかし、今度は原材料の供給に問題が発生する。
仕入れ先は、なぜ納品量を減らそうとしているのか。
価格を下げるだけでは解決できない問題に、アルトは営業の基本へ立ち返る。
「こちらの都合を伝える前に、相手の事情を聞こう」
会社の未来を左右する、新たな商談が始まる――。




