第二百九話 営業課長、売れすぎる問題に頭を抱える
「アルト課長! 大変です!」
朝一番。
営業課の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは、昨日の納品結果を確認していた若手営業だった。
「どうした?」
「売れました!」
「……それは良かったな」
「違います!」
「何が違うんだ?」
若手営業は肩で息をしながら、手にしていた帳面を机へ叩きつけた。
「売れすぎました!」
アルトは黙った。
そして、帳面を見る。
昨日納品した商品について、取引先から追加注文が入っている。
しかも、一件ではない。
「……追加注文、これだけか?」
「はい!」
「多いな」
「多いどころじゃありません!」
若手営業が指を震わせる。
「昨日納品した分が、ほとんど一日で売れました!」
「一日で?」
「はい!」
アルトは帳面をもう一度見た。
確かに、異常な速度だった。
だが、ここで喜びすぎてはいけない。
売れた。
それ自体は素晴らしい。
問題は、その次だ。
「追加注文の希望納期は?」
「三日後です」
「製造部は?」
「昨日の夜の時点で、すでに今月の予定がいっぱいです」
「倉庫は?」
「追加分を全部入れる場所はありません」
「配送は?」
「今の便だけでも手一杯です」
「……なるほど」
アルトは椅子の背もたれに体を預けた。
そして、静かに呟く。
「売れすぎる問題か」
「はい」
「営業としては嬉しい問題だな」
「製造部は泣いてます!」
「だろうな」
アルトは苦笑した。
売上が増える。
注文が増える。
普通なら、営業にとって喜ばしいことだ。
だが、会社というものは、注文書だけでは動かない。
商品を作る。
保管する。
運ぶ。
そして、代金を回収する。
どこか一つでも詰まれば、注文は売上ではなく、約束になる。
そして約束を守れなければ、信用を失う。
アルトは立ち上がった。
「製造、倉庫、配送、それから経理を集めてくれ」
「また全員ですか?」
「今回は前より重要だ」
「どうしてです?」
アルトは帳面を指で叩いた。
「今回は、売れた後の話だからだ」
* * *
会議室。
前回と同じように、各部署の担当者が集まった。
ただし、今回は全員の顔が少し違っていた。
前回は、
「本当に売れるのか?」
という顔だった。
今回は、
「これ以上売れたらどうするんだ?」
という顔である。
アルトは苦笑した。
「皆さん、まず状況を整理しましょう」
製造担当が手を挙げた。
「追加注文を全部受けるのは無理です」
「何日あれば作れる?」
「今の設備と人員なら、通常分に加えて一割程度が限界です」
「二割なら?」
「残業を増やせば可能ですが、長期間は無理です」
倉庫担当も続く。
「完成品を一気に持ち込まれると置き場所がありません」
配送担当も負けていない。
「既存のお客様への配送を削るわけにはいきません」
経理担当が帳面を開いた。
「売上が増えるのは結構ですが、仕入れと製造費が先に出ます。全部前倒しで作ると、資金繰りも厳しくなります」
アルトは頷いた。
「つまり……」
全員を見る。
「注文を断るか、無理をするか。その二択になっている」
「そうです」
「じゃあ、三つ目を作りましょう」
全員の視線が集まった。
「注文を受ける量と、納品する量を分けます」
「……どういう意味です?」
アルトは黒板へ向かった。
まず、大きく書く。
『受注』
その下に、
『納品』
と書いた。
「今までは、この二つを同じものとして考えていました」
アルトは二つの言葉の間に線を引いた。
「でも違います」
「注文を受けることと、商品を渡すことは別です」
製造担当が腕を組む。
「注文だけ受けて、商品を渡せないんじゃ意味がないでしょう」
「その通りです」
アルトは笑った。
「だから、納期を約束するんです」
黒板に書く。
『注文受付』
『納品予定日』
『製造予定』
『配送予定』
「例えば、取引先が千個欲しいと言ってきたとします」
「千個ですか……」
製造担当の顔が引きつる。
「でも、三日後に千個は無理」
「なら、正直に伝えます」
アルトは書き直した。
『三日後 300個』
『七日後 300個』
『十日後 400個』
「これならどうです?」
製造担当が考える。
「……それなら可能です」
倉庫担当も頷いた。
「一度に千個入ってこなければ対応できます」
配送担当も続く。
「三回に分かれるなら、既存便に組み込めます」
経理担当も帳面を見る。
「資金の出入りも分散できます」
アルトは頷いた。
「これが受注枠です」
「受注枠?」
「はい」
アルトは黒板の横に書いた。
『今週の受注可能数』
「売れるからといって、無限に注文を受けてはいけません」
若手営業が驚いた顔をする。
「でも、それだと売上を逃しませんか?」
「逆だ」
アルトは振り返った。
「守れない約束をするほうが、もっと売上を失う」
会議室が静かになる。
「注文を受ける。
でも、納品できる日を明確にする。
その日なら必ず届ける。
これを繰り返せば、お客様は安心して次の注文を出してくれる」
アルトは黒板を指した。
「売上を一日だけ増やすんじゃない」
そして、
「何度も注文してもらえる仕組みを作るんだ」
と言った。
* * *
その日の午後。
アルトは追加注文をくれた取引先へ向かった。
店主は開口一番、
「もっと欲しい!」
と言った。
「ありがとうございます」
「昨日入った分が、ほとんど売れたんだ」
「それは良かったです」
「だから、次は倍だ!」
アルトは笑った。
「倍ですか」
「そうだ!」
店主は勢いよく頷く。
アルトは少し考えた。
そして、帳面を開いた。
「では、必要な数量を確認させてください」
「ん?」
「一度に全部必要ですか?」
店主が止まった。
「……いや」
「売れたら追加する、という形でも?」
「それでもいい」
「でしたら、最初の納品を増やして、残りを予約にしましょう」
「予約?」
「はい。今の段階で注文数を確保しておきます。ただし、納品日は分けます」
店主は腕を組んだ。
「それなら、売れ残る心配も少ないな」
「はい」
「しかも、次の分が確保されている」
「その通りです」
店主はニヤリと笑った。
「アルト君」
「はい」
「君、売るのが上手いんじゃないな」
「え?」
「売れた後のことまで考えてるんだな」
アルトは少し照れた。
「営業ですから」
「営業って、そこまでやるのか?」
「やらないと、製造部に怒られます」
「ははは!」
店主が笑った。
アルトも笑った。
だが、その帰り道。
アルトは少しだけ真剣な顔になった。
売れた。
注文も増えた。
契約も取れた。
それでも、まだ安心できない。
今度は、
「どの商品が、どれくらいの速度で売れるのか」
を会社が知らなければならない。
売上を伸ばすだけでは足りない。
需要を読む。
製造能力を見る。
在庫を見る。
配送を見る。
そして、次の注文を予測する。
アルトは歩きながら呟いた。
「売れる商品が分かったなら……次は、売れる量を読まないとな」
営業の仕事は、また一段階変わろうとしていた。
* * *
数日後。
営業課の壁には、新しい紙が貼られていた。
『受注予定表』
その横には、
『納品予定表』
さらにその横には、
『追加予約一覧』
若手営業が眺めている。
「課長」
「ん?」
「これ、本当に必要ですか?」
「必要だ」
「なんだか帳面が増えましたけど……」
アルトは笑った。
「注文が増えたからな」
「……確かに」
その瞬間。
別の営業担当が駆け込んできた。
「課長!」
「今度は何だ?」
「別のお客様から追加注文です!」
アルトは一瞬だけ固まった。
そして天井を見上げる。
「……神様」
「どうしました?」
「売れすぎるのも、ほどほどにしてください」
営業課に笑い声が響いた。
だが、その机の上には、すでに次の注文書が置かれていた。
売れる。
売れたら、また売れる。
そして、その先には新しい問題が待っている。
「売れる商品を、どうやって定番商品にするか」
アルトの仕事は、また一つ先へ進もうとしていた。
営業メモ ②⓪⑧
売れすぎたときに大切なのは、「全部受ける」ことではありません。
注文を受けられる量と、実際に納品できる量を分けて考えることです。
まず現在の製造能力、倉庫容量、配送能力を確認する。
そのうえで、
「今すぐ納品できる数量」
「数日後に納品できる数量」
「予約として確保できる数量」
を分けて、お客様に伝える。
営業が無理な納期を約束すると、製造・倉庫・配送の負担が一気に増えます。
逆に、納期を正直に伝え、約束した日を守れば、お客様は安心して次の注文を出してくれます。
売上を一回増やすことより、
「安心して何度も注文してもらえる状態」
を作ることが、長期的な営業につながります。
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次回予告
第二百十話 営業課長、売れる商品を定番商品にする
「課長、この商品……もう一時的なヒットじゃありません」
予想を超えて売れ続ける商品。
アルトは、そこで新たな問題に気づく。
「売れるなら、いつでも売れるようにしないとな」
製造量、在庫、価格、販売方法。
一時的な人気を、会社の安定した柱へ変えるため、アルトが考えた次の一手とは――。




