第二百八話 営業課長、会社全体を巻き込む
翌朝。
営業部の会議室には、いつもとは違う顔ぶれが集まっていた。
営業。
製造。
倉庫。
配送。
そして、経理。
普段なら、それぞれ別の場所で仕事をしている者たちだ。
今日は全員、同じ机を囲んでいる。
その中心にいるアルトは、少しだけ遠い目をしていた。
「……どうしてこうなった」
隣に座るフェルナンが答える。
「課長が契約を取ったからです」
「そうだった」
「昨日まで、あんなに嬉しそうだったじゃないですか」
「嬉しかった」
「じゃあ問題ないですね」
「いや」
アルトは机の上に積まれた資料を見る。
「契約を取った瞬間、仕事が十倍になった」
「営業ではよくあることです」
「それを最初に言ってくれ」
フェルナンが苦笑した。
アルトは立ち上がった。
「では、始めよう」
まず製造担当が口を開いた。
「先に言っておきます」
「はい」
「今回の契約数量を、現在の生産能力では納期までに作れません」
いきなりだった。
アルトは驚かなかった。
「どれくらい足りない?」
「約三割です」
「三割か」
「設備を追加すれば対応できます」
「設備追加には?」
「最低でも一か月」
「納品開始は?」
「三週間後です」
「間に合わないな」
「はい」
次に倉庫担当が手を挙げた。
「製造だけではありません」
「どうぞ」
「仮に生産できても、保管場所が足りません」
「どれくらい?」
「今の倉庫では、追加分を全部置けません」
「何割までなら?」
「六割程度です」
「なるほど」
さらに配送担当。
「配送も厳しいです」
「理由は?」
「今の配送予定に、今回の数量を追加すると、既存の取引先への納品に影響が出ます」
経理も続く。
「それと、増産する場合の資金繰りも考える必要があります」
アルトは黙って全員の話を聞いていた。
最後にフェルナンが資料を整理する。
「つまり……」
全員を見る。
「営業が取ってきた契約を、そのまま実行しようとすると無理が出る」
「その通りです」
製造担当が頷いた。
アルトは腕を組んだ。
「じゃあ、一つずつ考えよう」
「設備を増やす」
製造担当が言う。
「間に合わない」
「倉庫を増やす」
「もっと間に合いません」
「配送を増やす」
「人手が必要です」
「人を増やす」
「採用には時間がかかります」
「……」
アルトは黙った。
フェルナンが小声で言う。
「全部駄目ですね」
「そうだな」
アルトは苦笑した。
しかし、ここで焦ってはいけない。
アルトは前日の商談を思い出した。
相手が欲しかったのは、単純な大量納品ではない。
安定供給だった。
ならば――。
「納品を三段階に分ける」
アルトが言った。
全員が顔を上げる。
「第一便は予定通り」
「はい」
「第二便は少し後ろへずらす」
「それなら製造も対応できます」
「第三便はさらに後ろ」
配送担当が考える。
「それなら既存の配送予定に組み込めるかもしれません」
「倉庫は?」
「全部を一度に入れなくていいなら、空きができます」
「経理は?」
「資金の出ていく速度も抑えられます」
アルトは頷いた。
「問題が一つ減った」
製造担当が手を挙げる。
「でも、第一便の数量を作るだけでも、少し無理があります」
「どれくらい?」
「現在の一日の生産量を一割ほど増やす必要があります」
「一割なら?」
「残業で対応できます」
アルトは頷いた。
「残業は何日?」
「五日ほど」
「では、それでいこう」
「分かりました」
今度は配送担当。
「ただ、第一便の配送先が問題です」
「何が?」
「隣町です」
「近いだろ?」
「距離は近いです」
「なら問題ないじゃないか」
「問題は道です」
「道?」
「現在の荷車では、時間帯によってかなり混みます」
「……」
アルトは頭を抱えた。
「今度は道か」
フェルナンが笑いを堪えている。
「課長」
「何だ?」
「会社全体を巻き込むと、問題も全体から出てきますね」
「分かってる」
アルトは立ち上がった。
「配送については、時間を変える」
「時間を?」
「朝一番に出す」
「それなら混雑前に着けます」
「帰りは?」
「昼前には戻れます」
「なら、午後の配送に使える」
配送担当が目を見開いた。
「確かに」
「新しい荷車を買う必要はない」
アルトは笑った。
「今あるものの使い方を変えるだけだ」
会議室の空気が少し変わった。
さっきまで、それぞれが自分の部署の問題だけを見ていた。
だが、少しずつ全体がつながってきた。
アルトは黒板に大きく書いた。
『商品を作る』
『保管する』
『運ぶ』
『売る』
『代金を回収する』
「どれか一つでも止まったら、商品は客に届かない」
全員が黒板を見る。
「営業が契約を取る」
「製造が作る」
「倉庫が保管する」
「配送が運ぶ」
「経理が資金を管理する」
アルトはペンを置いた。
「つまり、売上は営業だけでは作れない」
製造担当が頷く。
「確かに」
「逆に言えば」
アルトは笑った。
「営業だけで全部やる必要もない」
フェルナンが吹き出した。
「それをやったら、課長が倒れますね」
「すでに何度か倒れそうになってる」
「……それは否定できません」
会議室に笑いが起きた。
緊張していた空気が、少しだけ柔らかくなった。
しかし、アルトはそこで終わらせなかった。
「もう一つ重要なことがある」
全員がアルトを見る。
「今回の契約は、一回きりにするな」
「どういう意味です?」
フェルナンが尋ねる。
「今回の取引を成功させれば、次の注文につながる」
「はい」
「だから、最初の納品から記録を取る」
「何を?」
「製造時間」
「はい」
「倉庫への入庫時間」
「はい」
「出庫時間」
「はい」
「配送時間」
「はい」
「そして、相手側でどの商品が一番売れたか」
営業担当が頷く。
「次の商談に使うんですね」
「そう」
アルトは黒板に一本の線を引いた。
契約。
↓
製造。
↓
保管。
↓
配送。
↓
販売。
↓
結果。
↓
次の契約。
「これを一つの流れにする」
「なるほど……」
「今までは、営業は営業、製造は製造、配送は配送だった」
アルトは全員を見る。
「これからは違う」
「今回の取引では、全員が営業の一部だ」
製造担当が少し驚いた顔をした。
「製造もですか?」
「もちろん」
「どうして?」
「良い商品を安定して作れば、それだけで営業になる」
倉庫担当にも視線を向ける。
「倉庫も同じ」
「在庫を正確に管理して、必要な時にすぐ出せれば、客からの信用になる」
配送担当。
「時間通りに届ければ、それも営業だ」
経理。
「支払い条件を正しく管理すれば、取引先との信用を守れる」
そして最後に営業。
「俺たちは、全部をつなぐ」
誰も口を挟まなかった。
アルトは少し笑った。
「だから、今回の契約は営業部だけの仕事じゃない」
「会社全体の仕事だ」
製造担当が立ち上がった。
「やりましょう」
「はい?」
「第一便、必ず間に合わせます」
倉庫担当も続いた。
「保管場所を空けます」
「配送も、朝一番なら対応できます」
「経理も資金計画を組みます」
次々と声が上がる。
アルトは、その光景を見ながら笑った。
「よし」
フェルナンが隣で呟く。
「課長」
「何だ?」
「なんだか、営業部の会議じゃなくなりましたね」
「それでいい」
「え?」
「会社が一つにならないと、大きな商談は取れないからな」
その日の午後。
各部署が動き始めた。
製造現場では作業順を変更。
倉庫では在庫配置を変更。
配送では出発時間を変更。
経理では資金繰りを調整。
営業部では、取引先へ納品計画を説明する。
今まで別々だった仕事が、一つの契約を中心に動き始めていた。
そして三週間後。
第一便の出荷日。
倉庫の前に荷車が並んでいた。
「積み込み完了!」
配送担当が叫ぶ。
「数量確認!」
「問題なし!」
「納品書!」
「あります!」
「請求書!」
「あります!」
アルトが最後に確認する。
「よし。出発!」
荷車が動き出した。
フェルナンが横で笑う。
「なんだか、戦場みたいですね」
「営業も似たようなものだ」
「課長、楽しそうですね」
「楽しいぞ」
「即答ですか」
荷車が町を出ていく。
その日の午後。
取引先から連絡が入った。
『予定通り到着しました』
アルトは小さく息を吐いた。
「第一関門、突破だな」
だが、そこで終わりではない。
夕方。
取引先からもう一通、連絡が届いた。
『販売開始から予想以上の反応があります』
フェルナンが目を輝かせる。
「追加注文ですか?」
「まだ分からない」
アルトは続きの文章を読む。
『ただし、一つ問題があります』
アルトの眉が動いた。
「……やっぱり来たか」
「何です?」
「商売が順調になると、必ず問題が一つ増える」
「どうしてです?」
「売れ始めたからだ」
アルトは笑った。
「売れない問題より、売れすぎる問題のほうが忙しいぞ」
フェルナンが青ざめる。
「……それは困りますね」
「いや」
アルトは楽しそうに言った。
「営業としては、一番嬉しい問題だ」
会社全体を巻き込んだ新しい仕組み。
それは、まだ始まったばかりだった。
営業メモ ②⓪⑦
営業が大きな契約を取ったとき、「契約を取ったから営業の仕事は終わり」と考えてはいけません。
本当の営業は、契約後から始まります。
商品を作る。
保管する。
運ぶ。
納品する。
代金を回収する。
そして、お客様に満足してもらう。
どこか一つが失敗すれば、次の注文につながりません。
だから大きな商談ほど、営業だけで抱え込まず、製造・倉庫・配送・経理などを早い段階から巻き込むことが重要です。
さらに大切なのが、今回の取引を「一回の売上」で終わらせないこと。
製造時間、配送時間、売れた商品、返品、問い合わせなどを記録しておけば、それが次回の提案材料になります。
「契約を取る」
↓
「きちんと届ける」
↓
「結果を確認する」
↓
「改善する」
↓
「次の契約につなげる」
この循環ができれば、営業は一度きりの売上を継続的な取引へ変えることができます。
営業担当者が一人で頑張るより、会社全体を営業チームにする。
それが、大きな取引を育てるための重要な考え方です。
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次回予告
第二百九話 営業課長、売れすぎる問題に頭を抱える
新規取引先で、商品が予想以上に売れ始めた。
追加注文。
さらに追加注文。
ところが――。
「課長! このままだと在庫がなくなります!」
「製造が追いつきません!」
「配送も限界です!」
せっかくの好調な売れ行きが、会社全体を混乱させ始める。
アルトは頭を抱える。
「売れないよりはいい……いや、これはこれで大変だな」
そこでアルトが考えたのは、単純な増産ではなかった。
売れすぎる商品を、どうやって安定した主力商品へ育てるのか。
営業課長の次なる改革が始まる。




