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42歳のおっさん、赤ちゃんからやり直す ~営業スキルで異世界改革~  作者: コンペイ党
第3部 営業課長、消えかけた村を再生する編

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第二百四話 営業課長、黒帳を利用した者と向き合う


 記録管理室の奥にある小さな面談室。


 アルトは、机の上に並べた資料を一枚ずつ確認していた。


 S―03。


 A―17。


 RH―03。


 RH―11。


 IK―27。


 そして、HB―13。


 さらにR―2、R―3、R―4。


 十年前から現在まで、別々の場所に残されていた記録を、アルトは一本の線として並べ直していた。


 フェルナンが向かい側から資料を覗き込む。


「……これだけ並べると、よく分かりますね」


「何が?」


「最初から全部つながっていたように見えます」


「そこが違う」


 アルトは一枚の紙を指で叩いた。


「最初から全部つながっていたわけじゃない」


「え?」


「それぞれは、普通の業務として動いていたんだ」


 S―03の受付。


 A―17の原本移管。


 RH―11からIK―27への保管番号変更。


 承認経路の補正。


 R―2での継承権限照合。


 R―3での承認経路確認。


 R―4での原本保管経路確認。


 どれも、それ単体ならおかしくない。


 問題は――。


「誰も全体を見ていなかった」


 アルトは静かに言った。


「だから、隙間ができた」


「黒帳は、その隙間を使った……」


「そういうことだ」


 扉が二度、軽く叩かれた。


 最初に入ってきたのは、セレナ・オルフェだった。


 彼女は緊張した表情で椅子に座った。


「セレナさん。まず確認します」


 アルトはS―03の記録を机の上に置いた。


「十年前、あなたはS―03の受付を担当していた」


「はい」


「そして七年前、A―17の原本移管にも関わっている」


「……はい」


「さらに三年前、A―17の旧記録整理を処理した」


 セレナの指がわずかに動いた。


「はい」


「では聞きます。あなたは黒帳を知っていましたか?」


「……名前としては」


 セレナは少し間を置いた。


「でも、それが何を意味していたのかまでは知りませんでした」


 アルトは黙って彼女を見る。


「私は原本を確認する仕事をしていました。移管された原本が、指定された場所にあるか。記録と現物が一致しているか。それを確認するだけです」


「誰かから、特別な指示を受けたことは?」


「ありません」


「A―17を第一受付保管庫から制度運用管理区画へ移したときは?」


「正式な移管処理でした」


「R―2で確認したことも?」


「正式な処理です」


 セレナはそこで視線を落とした。


「……ただ」


「ただ?」


「その後、同じ記録を探そうとすると、前の番号が分からないと見つけにくくなっていました」


 アルトは頷いた。


「RH―11ですね」


「はい」


「あなたは、それを問題だと思わなかった?」


「当時は、保管番号が変わっただけだと思っていました」


 アルトは責めなかった。


「それで十分です」


「え?」


「それが、黒帳が利用したところです」


 セレナが顔を上げる。


「あなたは正しい仕事をした。だからこそ、その正しい処理をつなげると、別の目的にも使えてしまった」


 セレナはしばらく黙っていた。


「……それなら、私も利用された側だったんですね」


「そうです」


 アルトは答えた。


「少なくとも、今ある記録からは、あなたが黒帳を動かした証拠はありません」


 セレナは小さく息を吐いた。


 その後、エドガー・ミルズが入ってきた。


 十年前、S―03の受付を担当していた男。


 そして七年前、文書管理課へ移った男。


「久しぶりですね、アルト課長」


「そうですね」


 アルトは椅子を勧めた。


「エドガーさん。十年前、ラウルさんからS―03について照会を受けていますね」


「はい」


「そのとき、何を知っていました?」


 エドガーはしばらく考えた。


「……ラウルが、記録のつながりを気にしていたことは知っていました」


「具体的には?」


「同じ承認経路の変更が、別の案件でも起きているかもしれない、と」


「あなたは、それを調べましたか?」


「調べようとしました」


「結果は?」


「途中で止めました」


 アルトの目が細くなる。


「なぜ?」


「記録が分散していたからです」


 エドガーは苦笑した。


「S―03だけなら受付記録にある。A―17なら文書管理。保管番号なら旧番号と現行番号で別の記録を参照する。承認経路はまた別。ラウルは、それを全部つなげようとしていました」


「そして?」


「私は言いました」


 エドガーはアルトを見る。


「『そこまで追うと、今の仕事では戻れなくなるぞ』と」


 部屋の空気が重くなった。


「それは警告ですか?」


「……忠告です」


「ラウルさんを止めたかった?」


「違います」


 エドガーは首を横に振った。


「怖かったんです」


「何が?」


「記録そのものではありません」


 エドガーは、机の上のA―17を見る。


「自分たちが普通だと思って処理してきたものが、誰かに別の使い方をされていたかもしれない。それを認めるのが怖かった」


 アルトはしばらく黙った。


「エドガーさん」


「はい」


「あなたは黒帳を利用しましたか?」


「……一度だけ」


 フェルナンが顔を上げた。


 アルトは表情を変えなかった。


「何をしたんです?」


「旧番号から現行番号を追いました」


「S―03ですか?」


「はい」


「なぜ?」


「ラウルに頼まれたからです」


 アルトは少しだけ驚いた。


「それだけ?」


「はい」


「その結果を誰かに渡しましたか?」


「いいえ」


「記録を消しましたか?」


「していません」


「誰かに見せましたか?」


「……一人だけ」


「誰です?」


 エドガーは苦い顔をした。


「当時の制度運用担当です」


「名前は?」


「役職名でしか記録されていません」


 アルトは資料を一枚めくった。


 やはり、個人名は残っていない。


「それがR―2の問題ですね」


「はい」


 エドガーは頷いた。


「誰が座ったかではなく、どの席が使われたかしか残らない」


「だから、三年前の自動継承変更が効いてくる」


「そうです」


 エドガーは俯いた。


「黒帳というものが、誰か一人の帳簿だと思っているなら……違います」


「では何です?」


「隙間です」


 エドガーは答えた。


「誰かが作った一冊の帳簿じゃない。記録と記録の間にできた、誰にも責任がないように見える場所。その隙間を使って、裏側の処理を通していたんです」


 アルトは、その言葉を静かに受け止めた。


 最後に入ってきたのは、セドリック・ヴァーンだった。


 十年前から現在まで、承認印を持ち続けている男。


 アルトは立ち上がらなかった。


 セドリックもまた、向かいの椅子に腰を下ろした。


「セドリックさん」


「はい」


「確認したいことがあります」


「どうぞ」


「HB―13の自動継承化」


「……三年前の変更ですね」


「あなたは知っていましたか?」


「承認記録は確認しています」


「本人確認不要という変更も?」


「はい」


「なぜ承認したんです?」


 セドリックは答えるまでに時間をかけた。


「制度運用を止めないためです」


「それだけですか?」


「当時は、それで十分だと判断しました」


 アルトは一枚の資料を差し出した。


「でも、結果として個人確認が消えた」


「はい」


「R―2に誰が座ったか分からない」


「はい」


「HB―13を誰が使ったかも、現在の記録では特定できない」


「……はい」


 セドリックは目を伏せた。


「私の判断が甘かったことは認めます」


 アルトはそこで初めて資料を閉じた。


「でも、あなたが黒帳を作ったわけではない」


 セドリックが顔を上げる。


「……そう言っていただけるのですか?」


「記録がそう言っています」


 アルトは淡々と答えた。


「承認したことと、利用したことは別です」


 セドリックは何も言わなかった。


「ただし」


 アルトは続ける。


「あなたには責任があります」


「……分かっています」


「仕組みを変えた」


「はい」


「個人確認を省いた」


「はい」


「そして、その後に誰かが、その仕組みを利用した」


 セドリックは目を閉じた。


「はい」


 長い沈黙が落ちた。


 アルトは三人を順番に見た。


 セレナ。


 エドガー。


 セドリック。


 誰も一人で黒帳を動かしてはいない。


 だが、誰も完全に無関係でもない。


 セレナは原本を動かした。


 エドガーは旧番号を知っていた。


 セドリックは制度を承認した。


 そして、その間をつなぐR―2、R―3、R―4が存在した。


 さらにHB―13が個人確認なしで継承されるようになった。


 黒帳は、そのすべてを利用した。


「これで終わりです」


 アルトが言った。


 三人が顔を上げる。


「黒帳を追うのは、ここまでにします」


「……本当に?」


 フェルナンが思わず口を挟んだ。


「本当に」


 アルトは頷いた。


「これ以上、誰か一人を探しても意味がない」


「でも、実際に利用した人間は――」


「いるでしょうね」


 アルトは即答した。


「ただ、今の仕組みでは、誰か一人を捕まえて終わりにすると、また同じことが起こる」


 机の上の記録を指差す。


「必要なのは犯人探しだけじゃない」


「仕組みを直す」


「そういうことです」


 アルトは立ち上がった。


「R―2の利用者を記録する」


「HB―13の使用時には個人認証を必須にする」


「旧番号と現行番号を相互参照できるようにする」


「原本移管、承認経路、保管番号変更を一つの監査案件として追えるようにする」


 フェルナンが書き留める。


「それなら、同じ隙間は使えませんね」


「使おうとしても、今度は足跡が残る」


 アルトは笑った。


「営業でも同じだ」


「営業?」


 フェルナンが首を傾げる。


「担当者が変わった。商品が変わった。契約番号が変わった。だから昔のことは分かりません――なんて言っていたら、客から信用されないだろ?」


「……確かに」


「組織の記録だって同じだ」


 アルトは窓の外を見る。


「人が変わっても、仕組みが変わっても、過去とのつながりは残しておく」


 そのとき、室内の端末が短く鳴った。


 アルトが振り返る。


 表示されたのは一行だけだった。


『HB―13 使用停止』


 続いて、


『R―2 個人認証必須化』


『旧保管番号・現行保管番号 相互参照化』


『A―17 監査案件登録済』


『S―03 監査案件登録済』


 次々と表示が変わっていく。


 フェルナンが息を吐いた。


「終わりましたね」


「ああ」


 アルトは頷いた。


「黒帳は、終わりだ」


 十年前から続いていた記録の隙間。


 誰かが作った一枚の帳簿ではない。


 誰も全体を見なかったことで生まれた、見えない抜け道。


 ラウルは、その入り口を見つけた。


 黒帳は、その隙間を利用した。


 そしてアルトは、その隙間そのものを塞いだ。


 アルトは机の上の最後の資料を閉じた。


「さて」


「はい?」


「そろそろ営業に戻ろう」


 フェルナンが目を丸くする。


「……今まで営業課長だったことを忘れてませんでした?」


「忘れてない」


「本当ですか?」


「たぶん」


「たぶんって……」


 アルトは笑った。


「記録ばかり追っていたら、今度は客のほうが逃げるからな」


 フェルナンも苦笑した。


「それは困りますね」


「だろ?」


 こうして。


 長く続いた黒帳の追跡は、ひとまず終わった。


 残されたのは、壊れた仕組みを直す仕事。


 そして――。


 アルトが本来向き合うべき、営業の仕事だった。


営業メモ ②⓪③


組織の問題を解決するとき、「誰が悪いのか」だけを追うと、原因を見失うことがあります。


今回の黒帳では、


・担当者は正しい作業をしていた

・承認者も正式な承認をしていた

・保管番号の変更も正規の手続きだった

・R―2、R―3、R―4も必要な業務だった


それでも、それぞれの情報をつなげる人がいなかったことで、隙間が生まれました。


営業でも同じです。


「担当者が変わった」

「商品番号が変わった」

「契約条件が変わった」

「前任者が辞めた」


こうした変化が起きたとき、新しい情報だけを見るのではなく、


「なぜ変わったのか」

「変更前はどうだったのか」

「変更前と変更後はつながっているか」


まで確認すると、問題の本当の原因が見えてきます。


営業課長として大切なのは、犯人を見つけることだけではありません。


「同じ問題が、もう一度起きない仕組みを作ること」


そこまでやって、問題解決は完了です。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


次回予告


第二百五話 営業課長、久しぶりの商談に戻る


黒帳の騒動が終わり、アルトはようやく本来の営業業務へ戻る。


ところが営業部に戻ったアルトを待っていたのは、売上不振に悩む一件の商談だった。


「商品が悪いんじゃない」


アルトが見抜いたのは、営業担当者自身も気づいていなかった、意外な問題。


記録ではなく、人と向き合う営業が再び始まる。

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