第二百一話 営業課長、黒帳が利用した隙間を見つける
旧受付保管庫。
アルトは、RH―03の記録箱を机の上に置いた。
「S―03の最初の受付記録を探す」
フェルナンが箱の中身を一枚ずつ確認していく。
十年前の記録。
紙は黄ばんでいる。
端には何度も触れられた跡があり、何枚かは綴じ直されていた。
「ありました」
フェルナンが一枚の受付票を取り出した。
表題には、
――S―03 受付記録。
とある。
アルトは身を乗り出した。
「担当者は?」
「……ここです」
受付担当――エドガー・ミルズ。
アルトは黙ってその名前を見た。
フェルナンも何も言わない。
これまで何度も出てきた名前だった。
「やっぱりエドガーか……」
「これで、黒帳の中心人物だと?」
「いや」
アルトは即座に首を横に振った。
「ここで、それを決めつけたら駄目だ」
十年前。
エドガーは受付担当だった。
七年前には文書管理課へ異動している。
そして、A―17の移管にも関わっていた。
確かにつながっている。
だが、それだけで黒帳の人間だと断定することはできない。
「問題は、受付担当者の名前じゃない」
アルトは受付票を指した。
「ここだ」
受付票の中央。
小さな欄に、手書きの記録がある。
受付処理――通常。
確認――済。
原本保管――第一受付保管庫。
そして、その下。
アルトの目が止まった。
――関連記録番号変更予定。
「番号変更予定……?」
フェルナンが読み上げる。
「まだ変更されていないのに、予定だけが書かれている」
「ああ」
アルトは受付票を裏返した。
裏面には、さらに短い記載があった。
『後日、管理系統変更の可能性あり』
アルトは息を吐いた。
「これだ」
「何がです?」
「黒帳が利用した最初の隙間だ」
フェルナンが黙って聞く。
「十年前の時点では、S―03の管理番号は変わっていない。だけど、将来的に管理系統が変わる可能性があると記録されている」
「つまり?」
「正式な番号変更が行われる前から、変更される可能性を知っている人間がいた」
アルトは受付票を机に置いた。
「でも、それだけなら問題じゃない。業務上、将来の管理変更を予測することはある」
「では、どこが問題なんです?」
アルトは次の紙をめくった。
「ここだ」
受付後の処理記録。
通常なら、受付担当が処理を終えた後、原本は第一受付保管庫へ送られる。
だが、S―03には一つだけ追加処理があった。
――関連案件照合。
照合対象――未確定。
照合理由――管理系統変更予定。
「未確定……?」
「ああ」
アルトは記録を指でなぞった。
「つまり、まだ変更されていない案件を、将来変更される可能性があるという理由で別の記録と照合している」
「誰が照合したんです?」
「そこが空欄だ」
フェルナンの顔が険しくなる。
「空欄……」
「でも、照合そのものは実行されている」
アルトは別の記録を取り出した。
S―03。
関連記録。
A―17。
「十年前のS―03に、七年前のA―17が直接つながっている」
「三年も前の案件が?」
「いや」
アルトは首を振った。
「ここにあるのは、A―17そのものじゃない」
関連欄には、
――受付保管系統。
――例外案件管理。
――将来移管予定。
という共通項目だけが記録されていた。
「案件そのものをつないだんじゃない」
アルトは言った。
「管理系統をつないだんだ」
フェルナンが息を呑む。
「だから……」
「そうだ」
アルトは立ち上がった。
「黒帳は案件を直接動かす必要がなかった」
第一受付保管庫。
制度運用管理区画。
文書管理課。
それぞれの管理系統には、それぞれの番号がある。
担当者も違う。
承認経路も違う。
原本の保管場所も違う。
だから、案件を一つずつ追えば、別々の処理に見える。
だが――。
管理番号の変更履歴。
原本の移管記録。
承認経路の補正。
継承権限。
それらを横断して見ると、一本につながる。
「黒帳がやったことは、記録を消すことじゃなかった」
アルトの声が低くなる。
「正しい記録を、正しい場所に残したまま、互いに見つけにくくしたんだ」
フェルナンがゆっくり頷く。
「だから、普通の監査では見つからなかった」
「そういうことだ」
アルトはR―2の記録を思い出した。
継承権限照合。
R―3。
承認経路確認。
R―4。
原本保管経路確認。
本来なら、別々に確認するための席だった。
だが、ラウルは違った。
三つを横断して確認した。
だから気づいた。
「ラウルは黒帳を見つけたんじゃない」
アルトは呟いた。
「黒帳が利用していた構造を見つけたんだ」
フェルナンが顔を上げた。
「では、ラウルは……」
「危険になった」
アルトは短く答えた。
ラウルが調べたのは、一人の犯人ではない。
十年前から続く管理構造。
そこに三年前、HB―13の自動継承が加わった。
個人確認が省略されたことで、誰かがその権限を使っても、記録上は「誰が使ったのか」が分からない。
さらに旧番号と新番号が分離している。
承認経路と原本保管経路も別管理。
そこへ参照制限まで加われば――。
「完全に見えなくなる」
フェルナンが言った。
「いや」
アルトは否定した。
「見えなくなるんじゃない」
彼は記録を三枚並べた。
「見つけるのが難しくなるだけだ」
その瞬間だった。
地下保管庫の奥から、金属音が響いた。
カチッ。
二人が振り返る。
扉の向こうに人の気配はない。
だが、机の上に置いていた端末の表示が変わった。
――HB―13 権限使用。
――対象:RH―03。
――処理:参照制限確認。
――使用者:記録なし。
フェルナンが息を呑む。
「また使われています」
「いや」
アルトは画面を見た。
「今度は違う」
「違う?」
「これは照合じゃない」
画面の下部。
小さく表示された処理内容。
――参照制限解除申請。
アルトの目が鋭くなる。
「黒帳が、動いた」
フェルナンが身構える。
「追いますか?」
「追う」
アルトは即答した。
だが、すぐに歩き出すことはしなかった。
「フェルナン」
「はい」
「今まで俺たちは、誰が使ったのかを追ってきた」
「はい」
「でも、それでは同じことになる」
アルトは端末を指した。
「使用者は記録されない」
HB―13。
自動継承。
空席。
R―2。
それらを使えば、個人を特定しにくい。
「なら、見るべきなのは人間じゃない」
アルトは画面の次の行を見た。
――解除対象:S―03旧受付記録。
――解除後処理:原本参照。
「処理を追う」
アルトは言った。
「誰がやったかじゃなく、何をしようとしているのかを見る」
それが営業課長としてのアルトのやり方だった。
犯人を探すことだけが目的ではない。
相手が何を必要としているのか。
何を動かそうとしているのか。
そこを見れば、相手の行動は読める。
「黒帳は、S―03の原本を見ようとしている」
アルトはRH―03の記録箱を見た。
「だったら、先に行く」
「ですが、待ち伏せでは?」
「違う」
アルトは笑った。
「待ち伏せするのは、相手が来る場所が分かっているときだ」
「では?」
「俺たちは、相手が必要としているものを持っている」
アルトはS―03の受付票を手に取った。
「これを使う」
フェルナンが目を見開く。
「囮ですか?」
「ああ」
アルトは初めて、少しだけ営業課長らしい笑みを浮かべた。
「営業だって、相手が何を欲しがっているのか分かれば、話をする場所くらい選べる」
フェルナンが苦笑した。
「こんな状況でも営業なんですね」
「こんな状況だから営業なんだよ」
アルトは受付票を閉じた。
黒帳は、正規の仕組みを利用した。
だからこそ、正規の仕組みを使って追い詰める。
これまで積み上げた記録は、消えていない。
ただ、見つけにくくされていただけだ。
ならば――。
すべてを一つにつなげればいい。
「フェルナン」
「はい」
「S―03の原本保管場所を確認する」
「分かりました」
「それと、R―2からR―4までの記録を全部並べる」
「全部ですか?」
「ああ」
アルトは扉へ向かった。
「黒帳が隠したのは、証拠じゃない」
そして振り返る。
「証拠と証拠の間にある、つながりだ」
地下保管庫の扉が開く。
冷たい空気が流れ込んできた。
長かった捜索は、ようやく終わりへ向かい始めていた。
営業メモ ②⓪⓪
営業で問題が起きたとき、「誰が悪いのか」だけを追ってはいけない。
まず確認するべきなのは、どの手順が利用されたのか。
正しい手順でも、組み合わせ方によっては問題が起こる。
担当変更、番号変更、承認、保管場所変更。
一つひとつは正常でも、それぞれを別々に管理していると、全体のつながりが見えなくなる。
だからこそ、問題が起きたときは「人」だけではなく「流れ」を見る。
誰が動いたのか。
何が変わったのか。
その結果、次の担当者には何が見えなくなったのか。
そこまで追えば、表面上は正常に見える案件の中にある「隙間」が見えてくる。
営業でも、トラブル解決の基本は同じだ。
犯人探しより先に、流れを止める。
そして、流れを一本につなげる。
━━━━━━━━━━━━━━
次回予告
第二百二話 営業課長、黒帳の仕組みを逆に利用する
アルトは、S―03の原本を餌にして黒帳の動きを待つ。
だが、黒帳側もアルトたちの動きを察知していた。
HB―13が再び起動し、今度はS―03ではなく、A―17の原本にアクセスが入る。
黒帳は、証拠を消そうとしているのか。
それとも、アルトを別の場所へ誘導しようとしているのか。
アルトは相手の手順を逆に利用し、黒帳が必ず通らなければならない「一つの経路」を作り出す。




