第二百話 営業課長、RH―11の中身を確認する
地下の旧受付保管庫。
アルトは、棚の前で足を止めた。
目の前にあるのは、古びた記録箱だった。
側面には、かすれた文字でこう記されている。
――RH―11。
「これが……A―17の旧保管番号ですね」
フェルナンが確認する。
「ああ。七年前、A―17が第一受付保管庫から制度運用管理区画へ移されたとき、旧番号として残されたものだ」
アルトは箱に手を伸ばした。
だが、すぐには開けなかった。
「課長?」
「先に周囲を確認する」
アルトは箱の上下、棚の奥、隣の記録箱を順番に確認していく。
記録箱には、それぞれ保管番号が付けられている。
RH―09。
RH―10。
RH―11。
RH―12。
番号は連続していた。
つまり、RH―11だけが特別に作られた箱ではない。
「普通の保管番号ですね」
「そう見える」
アルトはしゃがみ込み、箱の底面を確認した。
そこにも管理印がある。
第一受付保管庫。
七年前のものだった。
「やっぱり、ここはA―17の最初の保管場所だ」
「では、黒帳はここにA―17を隠した?」
「違う」
アルトは即座に否定した。
「そこを間違えると、全部がおかしくなる」
「……どういう意味です?」
「この番号変更そのものは、正規の処理だ。第一受付保管庫から制度運用管理区画へ原本管理が移った。だからRH―11からIK―27へ番号が変わった」
アルトは箱を見つめた。
「黒帳がやったのは、番号変更を作ることじゃない」
「利用した……?」
「ああ」
アルトは静かに答えた。
「正しい変更を、正しいまま利用したんだ」
フェルナンの表情が変わった。
アルトは箱を開けた。
中には、数枚の記録用紙と、古い受付票、それから保管番号変更票が入っていた。
「上から順番に確認します」
フェルナンが記録用紙を並べる。
一枚目。
A―17。
受付日。
担当部署。
原本管理場所。
二枚目。
保管場所変更。
三枚目。
番号変更。
そして四枚目。
アルトの手が止まった。
「……これだ」
そこには、こう記されていた。
旧保管番号――RH―11。
新保管番号――IK―27。
変更理由――原本管理系統変更。
変更承認――済。
承認者――セドリック・ヴァーン。
フェルナンが息を呑む。
「また、セドリック……」
「名前だけで判断するな」
アルトは記録を指で押さえた。
「ここで確認すべきなのは、セドリックが変更を命じたかどうかじゃない」
「では?」
「誰が変更を申請し、誰が実際に番号を付け替え、変更後の情報をどこへ登録したのかだ」
営業でいえば、担当者変更と同じだ。
承認者の名前だけを見ても、実際に何が起きたのかは分からない。
アルトは変更票の下にある小さな欄を確認した。
申請担当――文書管理担当。
登録担当――受付記録担当。
原本移送確認――制度運用担当。
「三つに分かれてる」
「申請、登録、移送確認……」
「そうだ」
アルトは頷いた。
「これなら、一つの人間が全部を操作する必要がない」
フェルナンが眉をひそめる。
「それが黒帳にとって都合がいい?」
「正確には、悪用しやすい」
アルトは続けた。
「一人が全部やれば、痕跡は一か所に集まる。だが、三つの担当に分かれていれば、一つずつの処理は正規業務に見える」
番号を変える。
新しい番号を登録する。
旧番号を過去情報として保管する。
原本を移す。
どれも、それだけなら異常ではない。
「でも、全部をつなげて見なければ……」
「一つの事件だと分からない」
アルトは答えた。
そのときだった。
箱の底に、薄い紙が一枚貼り付いているのが見えた。
「フェルナン」
「はい」
「これを剥がす」
「慎重に」
フェルナンが端を押さえ、アルトがゆっくり紙を持ち上げる。
紙の裏側に、古い番号が書かれていた。
――RH―11。
その下に、さらに別の番号。
――RH―03。
「……RH―03?」
フェルナンが声を落とした。
アルトはすぐに隣の記録を探した。
RH―03。
棚番号を確認する。
だが、そこにある箱には別の札が付いていた。
「ない」
「番号変更されていますね」
「ああ」
箱の管理表を確認する。
旧保管番号――RH―03。
現行保管番号――KS―08。
変更理由――受付記録整理。
アルトの目が細くなった。
「今度はA―17じゃない」
「では、何の記録です?」
アルトは管理表の関連案件欄を確認した。
そこに、小さく記されていた。
関連受付――S―03。
フェルナンが絶句した。
「S―03……」
「十年前の案件だ」
アルトは紙を置いた。
「A―17の番号変更だけを追っていたら、ここには辿り着けない」
七年前のA―17。
十年前のS―03。
一見すると、別々の案件。
だが、旧番号を辿るとつながる。
「黒帳は、記録を消したんじゃない」
アルトの声が低くなる。
「記録の入口を変えたんだ」
「入口?」
「現在の番号から探せば、現在の管理情報しか出てこない。でも旧番号を知っていれば、その前の記録へ辿れる」
フェルナンが理解する。
「つまり、知らない人間には見えない。でも、知っている人間には辿れる」
「そういうことだ」
アルトはRH―03の変更票を取り出した。
変更日。
七年前。
A―17が移管された日と近い。
「同じ時期に、別の受付記録でも番号変更が行われている」
「偶然ですか?」
「まだ分からない」
アルトは即答した。
「だから承認経路を見る」
変更票の裏側。
承認欄を確認する。
第一確認――受付記録担当。
第二確認――文書管理担当。
最終承認――セドリック・ヴァーン。
フェルナンの顔が強張る。
「また同じです」
「ああ」
アルトはS―03の記録を思い出していた。
十年前。
S―03で見つかった承認経路の変更。
その後に続いたA―17。
そして七年前の番号変更。
さらに現在のR―2、R―3、R―4。
すべてが一本の線になり始めていた。
しかし――。
「待ってください」
フェルナンが一枚の紙を差し出した。
「ここを」
変更票の下部。
小さな記入欄。
変更後の参照先――KS―08。
関連旧記録――S―03。
だが、その横に赤い印がある。
――参照制限。
「参照制限……?」
アルトは眉を寄せた。
「誰が付けた?」
フェルナンが記録を探す。
担当者欄。
空白。
承認欄。
セドリック・ヴァーン。
「……またです」
「いや」
アルトは首を横に振った。
「今回は違う」
「違う?」
「セドリックの承認印は、参照制限そのものの承認じゃない」
アルトは承認欄の文言を指した。
承認対象――保管番号変更。
参照制限――別処理。
「番号変更は承認している。でも、その後に付けられた参照制限は、この承認欄の対象外だ」
フェルナンが息を呑む。
「じゃあ……誰かが番号変更の承認を利用して、その後に別の処理を追加した?」
「可能性はある」
アルトは断定しなかった。
「だが、ここまで来れば調べられる」
変更履歴をさらに確認する。
受付記録整理。
番号変更。
参照制限。
そして、その後の更新。
最後の更新日時を見た瞬間。
アルトの指が止まった。
「……三日前」
「三日前?」
「この記録、十年前のものだぞ」
フェルナンが記録を覗き込む。
確かに、古い記録の最後に新しい更新履歴が残っている。
更新内容――旧番号参照対応表。
更新者――記録なし。
更新理由――照合継続。
アルトはゆっくり立ち上がった。
「ラウルだ」
「え?」
「三日前、ラウルがここを見ている」
だが、その直後。
端末の画面が一度だけ点滅した。
そして、新しい表示が浮かび上がる。
――旧番号参照対応表。
――現在閲覧中。
――対象番号:RH―03。
――関連案件:S―03。
――閲覧者:記録なし。
フェルナンが振り返る。
「課長……」
「ああ」
アルトは画面を見たまま答えた。
「誰かが、今もこの経路を使っている」
その瞬間、保管庫の奥で小さな音がした。
カタン。
二人が同時に振り向く。
棚の一番下。
RH―03の記録箱が、わずかに前へ動いていた。
「誰かいるのか?」
フェルナンが声を上げる。
返事はない。
アルトは手を上げた。
「待て」
棚へ近づく。
箱の下には、細い紙片が落ちていた。
アルトが拾い上げる。
そこには、短い文字だけが残されていた。
『S―03の最初の受付記録を探せ』
その下に、もう一行。
『承認印ではなく、印が押される前を見る』
アルトは黙った。
承認印は結果だ。
印が押される前には、申請がある。
申請の前には、判断がある。
そして判断の前には――。
「フェルナン」
「はい」
「S―03の最初の受付記録を探す」
「十年前の受付記録ですね」
「ああ」
アルトは紙片を握った。
「承認印が同じだったことより、その印が押されるまでに誰が何を動かしたのか。それを確認する」
営業では、決裁印だけを見て案件の全体像を判断することはできない。
決裁に至るまでの提案。
変更理由。
担当者。
そして、決裁後に実行された処理。
そこまで追って、初めて一つの案件になる。
アルトはRH―03の箱を見つめた。
十年前のS―03。
七年前のA―17。
二つの案件をつないでいたのは、単なる番号変更ではない。
その変更を正規の手順として成立させるための、別々の処理だった。
そして、その処理の先に――。
同じ承認印が残っている。
「次は、十年前だ」
アルトはそう言って、旧受付保管庫を出る準備を始めた。
だが、彼はまだ知らなかった。
S―03の最初の受付記録には、現在の記録には残っていない「受付担当者」の名前が存在していたことを。
そしてその名前こそが、七年前のA―17移管と、現在の制度運用管理区画をつなぐ人物だった。
営業メモ ①⑨⑨
営業では、変更後の数字だけを見ていると、変更前に何があったのかを見失う。
管理番号、担当者、部署、保管場所。
それらが変わったときに確認すべきなのは、「新しい情報が正しいか」だけではない。
「なぜ変わったのか」
「誰が変更を申請したのか」
「誰が承認したのか」
「変更後、どこまで情報が引き継がれたのか」
ここまで確認する必要がある。
そして、もう一つ大切なのが「変更前の情報を知っている人間」だ。
新しい番号だけを知っている人間と、古い番号から現在までの経路を知っている人間では、見えている情報量がまったく違う。
営業でも、顧客番号が変わったからといって、過去の商談履歴まで切り離してはいけない。
番号が変わったときほど、古い情報と新しい情報を一本につなげて確認する。
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次回予告
第二百一話 営業課長、S―03の最初の受付担当を追う
十年前のS―03。
アルトとフェルナンは、最初の受付記録を探し始める。
そこには現在の記録から消えていた、最初の受付担当者の名前が残されていた。
さらに、その担当者が七年前に文書管理課へ異動していた事実が判明する。
だが、問題は名前だけではなかった。
S―03の受付票には、承認印が押される前に行われた、もう一つの処理が記録されていた。
アルトは、黒帳が利用した「最初の隙間」に辿り着く。




